In other words

I really don't know life at all ...

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買うか買わないか、どちらを選んでも勝ちはなし。コロナの前では諸刃の剣となる。

買い物に出かけると、休業しているお店が目立つようになってきた。
コロナが長引けば、休業どころか店じまいをせざるを得ない店も多く出てくるだろう。

これまで贔屓にしてきたお店が存続の危機に陥っているとなれば、少しでも売り上げに貢献するため足を運ぼうと思うのは当然のこと。

しかし、その一方で躊躇する気持ちもある。
コロナウィルスに感染した人の80%は無症状だという。症状がなければ当然検査をすることもない。つまりは自分が保菌しているかどうかはわからないということなのだ。
これが新型コロナウィルスの厄介なところで、自分が意図しないところで、他人に迷惑を及ぼす可能性があることで、それは時に人の命を奪うことにもなりかねない。

そこまで一大事にならなくても、万が一コロナウィルスに感染した人が来店していたことがわかれば、お店は大変な損害を被ることになる。

商品は全て破棄した上で、店中を消毒することになる。知人のホテル関係者から聞いた話では、部屋を一つ消毒するだけでも、大変なお金がかかるそうだ。
たとえ小さな個人商店でも、そうなったら経済的にも大変な打撃となるだろう。

そして、「あそこからコロナがでた」という風評被害もおまけとしてついてくる。

こうなると、お店の売り上げに貢献するどころか、さらに倒産への後押しをする結果になるかもしれないのだ。

私自身、ほとんど外には出ない生活を送っているけれど、普通に出勤している夫と生活を共にしている。
さらに言えば、宅配便など細かく探せば感染経路がゼロというわけでもない。
つまり自分は感染していないと断言できないということだ。

こうなると、下手な正義感を出すのもいかがなものかと思ってしまうのだ。





では、通販ならどうだろう?
これなら、まだ感染リスクも軽減される。

しかし、ここでもまた問題がある。例えばお年寄りの営んでいる個人店などでは、通販を行わないところも多いのだ。

もう一つの問題としては、宅配業者の負担増がある。
自粛要請が出て以来、我が家でもこれまで以上に通販をよく利用するようになった。
一日に何度も品物が配達されることも珍しくない。

それを見た次女、

「これって、実際に宅急便の人は大変だよ。一軒の家で一日に何個も荷物運ぶってさ」

それはわかる。もっともだ。。。

けれど、どんなにその店舗が在庫を抱えて困っていようが、遠いところまで買いに行くことはできない。宅急便に頼るか、購入をやめるかの二者択一だ。

結局、あちらを立てればこちらが困る。こちらを立てればあちらが困るで、どちらにしろ全ての人にとってハッピーとはならないのだ。

最近、娘の行きつけだったある飲食店がデリバリーサービスを始めた。
例に漏れず緊急事態宣言以降、ほとんど来客が見込めなくなり、苦肉の策でテイクアウトとデリバリーを始めたそうだ。
我が家からは若干距離があるのだけれど、尋ねてみたところ喜んでデリバリーしてくださることなので、お願いしている。

若い方の経営するお店なので、SNSを駆使して注文をとり、自分たちの足で自転車をこいでのデリバリーだ。
お味がいいのはもちろんだけれど、こうしたお店は是非応援したいと思う。



ネット上の情報は無料レンタルOK?人のふんどしで相撲を取るブログについての疑問とモヤモヤ。

最近、自粛要請のため、思うようにお菓子を買いに行けないもので、もっぱらネットショッピングに頼っている。

時間もあるから、これまで以上にしっかりと色々なサイトを見て回っているのだけれど、ふと疑問に思ったことがある。

私は和菓子、洋菓子問わず、お菓子を食べるのが趣味なので、あちこちの気になったお菓子を購入して食べ、その備忘録としてメインブログの方に記録している。
その際、無数にある同じようなブログを参考にすることもある。
他の方の記事で美味しそうなものを見つけ、美味しそう!と買いに走ることも珍しくないのだ。

ただ、たまに見かけるのが、ネット上にある情報の寄せ集め記事ブログ。
その商品についての生の情報が得られると思い、一生懸命に見るのだけど、なにかおかしい。。。

それはそれは詳細に書いてあって、大方その商品についてはわかるようになっている。それでも、自分が欲しい「これ!」という情報にはたどり着けない。

なぜならば、書き手が実際に商品を購入したわけでもなければ、お味見をしたわけでもなさそうだからだ。
「とってもおすすめです」などと言いながら、自分で食べた形跡が見当たらないのだ。

最後まで見て、結局オリジナルなものはなにも出てこない。なんだこれ?と思い、そのブログの他の記事に飛んでみるが、どれを見ても同じ。。。

なんだ、人のふんどしで相撲とりまくってるブログじゃないか。。。とガッカリする。

私が見たいのは、そんな綺麗な切り貼りではなく、普通の人がおうちでどんなおやつタイムを過ごしているのかが見えるようなお菓子記事なのだ。
ネット上に溢れている寄せ集めの記事ではなく、個々の感じたオリジナルな紹介記事が見たいのだ。

しかし、一方でこうした「人のふんどしブログ」も天晴れだなと思ったりもする。

まずは話題になっているトピックを選び、次にネット上にある関連記事を集める。
そのトピックに関する基本情報を抜かりなく書いた後は、綺麗な写真、ほとんどTwitterなどの投稿なのだけど、そんなツイートをいくつかそのまま貼り付けて、次にアフィリエイトの商品購入ボタンを設置。

そして、仕上げに、

「これ、おすすめです!」

「ぜひ、お試しを!」

。。。。。。





自分が試してもいないのをお勧めしちゃうの?
ちょっとドン引きするけれど、自分が実際にお試しして、これはいい!と思った物ならまだしも、人の書いたものを見て、そこまで言えるのがすごいなと思う。
その情熱はどこからくるというのだろうか?

面倒くさがり屋の私からしたら、どうしたらそこまでできるのか、純粋にすごいと思うのだ。
広大なネットの海から記事を探し出して、集めたら集めたで、人様の食べたものをまるで自分が味わってきたように、記事を書く。
実際に自分が体験したことならいくらでもスラスラと書けるけれど、私などは自分が経験したことでないと上手く書ける気がしない。

とにかく、かなりボリュームのある記事に仕上げてあり、コアなディテールを望まない人にとっては、とても見やすいし使えるものだろうとは思う。

ただ、疑問に思ったのは、こうしたネット上で集めた「人のふんどし」は自由に使っていいものなのだろうかという点だ。

過去に大手キュレーションサイトが医療関係の寄せ集め記事で問題になったことがあるのは記憶に新しい。
それほど大規模なものではないとしても、やっていることは大して変わりない。

私のブログ記事も過去にまとめサイトなどに流用されていたことがあったけれど、たいしたものでもないし、それを生業としているわけでもないので放置していた。

しかし、これをビジネスと捉え、自身が経費を使って集めた情報で渾身の記事を書いていたとしたらどうだろう?
私なら、人のふんどしを勝手に使うな!と、レンタル料を請求したくなるはずだ。

今はネットでもお金が稼げる時代だ。私のように趣味で食べたお菓子をブログにあげるだけで、お小遣い稼ぎができてしまうのだから、本気で収益化しようと思えばできないことはないだろう。

ただ、そのためには、自分の足で集めた情報などとは言っていられないのかもしれない。私のお菓子記事だって、実際に自分で体験するには、わざわざお店に買いに行って、お金を出して購入したりと、少なからず時間もお金もかかる。
ビジネスと捉えれば、これほど効率の悪いことはない。

少しでも効率よく稼ぐためには、わざわざ足を運んで自腹を切るより、家でパソコンに張り付いて作業していた方がよいに決まっている。
ただ、そのためには根気も必要だ。そして、オリジナリティなどというこだわりやプライドも捨てることになる。

ビジネスの一つと考えれば、こんなやり方を否定するつもりはないけれど、やはり人のふんどしで相撲をとるが如き行為にはモヤモヤしてしまうのだ。

これは私が昭和気質の人間だからだろうか。今はこれが当たり前のことなのかもしれないと理解しつつも、やっぱり私はこうしたやり方は好きにはなれないのだ。




こんな非常事態でもピント外れな悪事でお金儲けしようとする人がいるという驚きと納得。

結構な頻度で迷惑メールをいただく。
ネットでお買い物などをした際にメールアドレスを書いたりすると、そんな迷惑メールは更に増える気がする。

知り合いを装ったり、仕事の関係者を装ったりと、様々な誘い文句でアクセスさせようとする。

「この前は楽しかったね!」

それはいつだ?最近引きこもっているんだけど。。。

「今なら行きたがってたお寿司屋さん予約取れるから行かない?」

お寿司を食べたいと言った覚えはないのだけど。。。

「ゴメン!携帯の番号なくしちゃったから連絡して!」

だから、あなたは誰?。。。

「先日はお疲れ様でした。新しい案件についてですが」

無職なんですけど。。。

例をあげたらきりがない。

いかにも嘘だとわかるような内容だ。





いま、日本のみならず世界中が真剣に未知のウィルスと戦っている。

そんな中でも、どこかで悪巧みをして、一儲けしようとしている輩がいるのだ。

マスクの転売屋などもそうなのだけど、こんな時でさえもう変わらずに、人を騙しお金儲けを目論む輩がいる。

こうした人々は良心の欠片もないということなのか。止むに止まれず自分が生きていくためにそうしているのか。。。

いずれにしても、その雑草の如き粗野な神経は、どうやって培われてきたものが、興味さえ湧いてくる。

とはいえ、きっと絵を描く人間は他にいて、せっせとメールを送ってくれるのは、その下で鈴なりになっているごくごく平凡な人達なのだろうけれど。。。

それにしてもピントが外れている。

こんな突然のメールを鵜呑みにする人が何処にいるのだろうか?

ネットの普及したいま、こんな詐欺が横行していますよ。といった情報は誰でも知っているはず。
にも関わらず、こうして繰り返し繰り返し、手を変え品を変えメール送信がされるのは、数百人に一人でも信じてしまう人がいるからなのだろうか。

世間を知らないと言えばそれまでだけれど、人を簡単に信じてしまう人は、善人が多い。
なにかと物事を斜めから見ようとする人間に比べれば、人間的にはずっと優れた人なんじゃないかとすら思う。

しかし、悲しいかな。こんな善人を餌に私腹を肥やす悪人もいる。
「騙される方が悪い」などというのは言語道断。100%騙す側が悪いに決まっている。

それでも、人を無闇に信じてはいけない

自分の子供達にはそう言い聞かせてきた。
決して騙される人間になってはいけないと。。。

その一方で、人を信用できず、どこか冷めた風になってしまった子供達を見ると、これでよかったのか?とも思う。

騙す側の人間になって欲しくないのはもちろんだけれど、騙されるような世間知らずにもなって欲しくない。

きれいに生きていってほしいからこそ、世の中のきれいな部分だけを見せているわけにはいかないという矛盾。

親とは難しいものだ。。。

しかし。。。

そう思っていたのは昭和生まれの親の方で、ネット慣れした今時の子供達は親が思う以上に社会の闇を知っているようだ。

もちろんピント外れな迷惑メールなども、まるで最初から存在しなかったかのようにディレートしている。

時代は変わった。もはや昭和を引きずっている自分の方がずっと危ういのかもしれない。
子供達のことよりも、自分の心配をした方がよさそうだ。。。

新型コロナ問題で、経済的な不安も日に日に増している。貧困が新たな犯罪を生むというのはどこの国でも同じだ。

今後ますますこんな犯罪は横行していくだろう。騙すか騙されるか、もう人のことなど頓着している場合ではないというのが当たり前の社会になるのかもしれない。
そう考えると「こんな時に」ではなく、「こんな時だからこそ」とそのメールが届くことも納得できる。

なんてピントはずれな悪事だろう⁉︎

いつもならそう思ってスルーできることも、人間切羽詰まれば心に隙間ができることもあるだろう。ほんの小さな欲を狙って入り込もうとしてくるものから身を守るために、こんな時こそ冷静にものごとを見極める目を持たなければいけないと思った。。。