In other words

I really don't know life at all ...

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都心の空を飛ぶ飛行機と後悔しない人生。

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我が街の空は騒がしい。
毎日午後3時を過ぎると、約3分間隔で飛行機が通過する。

これは昨年から東京都心上空に新たな航路を敷いた「羽田新ルート」によるもの。

この新ルートによってこれまで60000であった発着が99000という、これまでの1.7倍にまで増便となったそうだ。

これは騒音問題をはじめ、いまだに賛否両論あるようだ。以前、反対を唱えるビラがポストに入っていたことがあった。

巷では結構な話題となっていたけれど、地方へ行けばこれよりすごいところはいくらでもある。

10代の終わりに初めて沖縄へ行った時、基地のフェン沿いをレンタカーで走ったことがあった。その時、頭上を飛んでいく何機もの戦闘機を見て、大層驚いたものだった。

あれに比べたら、我が家の上を通過する飛行機のなんとのんびりしたものか。

確かにうるさい。。。
テレビなどを観ている時なら、聞き取れないほどの音がする。

ただ、私はあの轟音が聞こえると、必ず窓辺に駆け寄って空を見上げる。
音の大きさに比例して見える機体の大きさも変わる。
大きな音であればあるほど、すぐ近くに飛行機を見ることができ、音が小さいと高度もかなり上になるので、飛行機がよく見えず、ちょっと物足りない気分になったりするのだ。

少し前にはブルーインパルスが東京上空を飛行した。この時はわざわざ屋上へ出て、外国人夫と一緒に見物した。

6年前にたまたま東京上空を飛行したのを見かけて、今回も是非見たいと思ったのだ。

旅客機でもブルーインパルスでも、私はどうやら飛行機が飛ぶ様子を見るのが好きらしい。
自分が旅する時、また人の送迎で羽田空港や成田空港へ出向く際は、必ず早めに行って展望デッキから飛行機が離発着するのを眺める。

我が家の末娘は飛行機が大好きなのだけれど、彼女の場合は自分が乗って空を飛ぶことが好きなのだそうだ。私はどちらかと言えば飛行機に乗っている時間は退屈でそれほど楽しいとは思わない。
自分が乗るよりも、飛んでいる様子を見る方が好きだ。

きっとそんな人はたくさんいるのだと思う。
昔、知人に招かれて米軍基地へ行ったことがあった。そこでは戦闘機を写真に収めようと、バズーカ砲のような望遠レンズを携えて、夢中でシャッターを切っている人がたくさんいて驚いた。
もっと驚いたのは、そんな人たちにとってパイロット達が『トップガン』のトム・クルーズ並みのスター扱いを受けていたことだった。
一緒に写真を撮ったり握手をしたり、こんな世界もあるのだなと面白かった。





羽田の新航路反対派の危惧もわからないではない。
昨年だったか、フランスの貨物輸送機が本来の航路を外れて都心部上空を低空飛行したという事件があった。

あの時はさすがに何事⁉︎というくらいの爆音が響き渡り、それはそれは低く飛んでいて、私のように物見高くない夫ですら「これはちょっとおかしいぞ!」と、不安げに暗い空を見上げていたくらいだ。

そんなことがあった後だったので、この羽田空港への新航路に当初は不安になったものだけれど、毎日繰り返されていればその音にも慣れる。

音に敏感な人であれば、たまらないだろうなとも思うけれど、都心で暮らしていれば、騒音など気にしてはいられない。

首都高速のすぐ近くに住んでいた時は、連日車の往来の音が聞こえていたし、夜中まで酔っ払いが騒ぐ声が聞こえているのも日常茶飯事だ。

逆に旅で田舎の方へ滞在した時などは、静かすぎて落ち着かないなんてこともあるくらい、騒音には慣れきってしまっている。
だからだろうか、毎日午後3時から始まる音にもそれほど悩まされてはいない。

むしろ、空を見上げて通過する飛行機を見ながら、「どこか行きたいな」と思うだけだ。

コロナの影響でしばらく遠出はできなかったけれど、先日から都道府県外への越境が解禁になった。
ただ、そうは言っても東京で連日の感染者数が報告される中、東京の人間が都外へ出ることに不安を覚える人も少なくないだろう。

経済の活性化も無視はできないけれど、コロナに感染するのもごめんだ。
飛行機を見るたびに派手に旅行でもしたい気分になるけれど、今しばらくは海外のみならず、国内でも飛行機に乗って旅するような越境は控えるつもりだ。

こんなことになるのなら、無理してでも時間を作り去年のうちに行っておけばよかった。。。
やはり「一寸先は闇」なのだ。人の人生においては、なにが起こるのか予想できないことが突然起こったりする。
だからこそ、後悔のないように生きなければいけない。

たとえ刹那主義と言われようが、「今やりたい事は今やる」その繰り返しが、後々自身の幸福を作り上げてくれるのかもしれない。

雲の多い日には飛行機が見えない。大きな音だけが聞こえ、あとはグレーの雲に覆われた空がみえるだけだ。
そんな見えない飛行機の中には、後悔したくないと旅に出た人がいるのかもしれない。。。

ちょっと羨ましくある。が、コロナも怖い。。。




30年ののちに知った真実。ルノアールで出されるお茶の意味を長い間勘違いしていた件。


十代の頃からルノアールにはよく足を運んでいた。
クラシック音楽の流れる店内の静けさ、広々としたスペースの座席は昨今のカフェとは比較にならない。

最近はあまり見ないけれど、昔はよく仕事をさぼって昼寝をしているサラリーマンを見かけたものだ。

かつては『談話室 滝沢』と共に、疲れを癒し、乾いた喉を潤す場所を求める者のオアシスであったのだ。

残念なことに『談話室 滝沢』はすべての店舗が閉店してしまった。
同じような使い方をできる店といえば、いまや『ルノアール』一択と言ってもいい。




ルノアールでは、ちょうど飲みものを飲み終えたくらいのタイミングで、日本茶が出される。何十年も前から変わらないルノアールのスタイルだ。

最近目にしたネット記事で、このお茶について書かれていた一文が気になった。

安価なカフェにお株を奪われ、閉店が相次ぐ昭和喫茶の中で、ルノアールが売り上げを伸ばしているという記事だった。

それに関しては、古くからのファンもいるだろうし、少しだけ多くお金を払ったとしても、あの落ち着いた雰囲気を得たいという人もいるだろうから特に驚きはしない。

なにが気になったのかというと、記事の中で件のお茶を「お茶のサービスまである」と表現していたことだ。

私はこれまでこのお茶に対して、サービスという捉え方をしたことがなかった。

今でもはっきりと覚えている。あれは私が18歳になったばかりの頃だった。
友達数人とルノアールにいた時のこと。
いつものように、ドリンクがなくなった頃にお茶を供された。
その時、一人の友達が言ったのだ。

「このお茶は、そろそろ帰ってくれって意味だよ」

私をはじめ、他の友人たちもまさかと思った。しかし、その友達はしたり顔でこう続けたのだ。

「うちのおばあちゃんの茶店ではね、早く帰って欲しい客には昆布茶をだすんだよ」

若かった私達にとっては、ものすごく説得力のある話だった。
実際に喫茶店を経営しているという人の話に加え、「昆布茶」という固有名詞の妙なリアリティが私達を完全に信じこませた。

以来、私達はルノアールでお茶を出されるたびに顔を見合わせたものだった。





つい最近、ルノアールへ行った時のことだった。
新型コロナの影響で客はほとんどいない状態だったため、店員さんと「困ったものよね」などという世間話をしていた。

ひとしきり話し終わると、店員さんが去り、私はほとんど人のいないがらんとしたら店内を我がものとし、コーヒーを啜り、すぐに運ばれてきたモーニングサービスのサンドイッチや茹で卵をゆっくりと食べた。

いつもほとんど席が埋まっている賑わいのある店に、閑古鳥が鳴いていた。

モーニングを食べ終えるタイミングで、例のお茶が出てきた。

なんと!

こんな誰もいない時でさえ、お帰りの催促だと⁉︎

そう思った時、

「今日はこんな感じなので、お時間がある限りゆっくりなさっていってくださいね」

先ほど、世間話をした店員さんが笑顔でお茶をテーブルに置いた。

んん?

これはお帰りの催促なんかではなく、純粋なサービスだったのだ。

このお帰り催促説に関しては、今では都市伝説化されているらしい。けれど、あの頃はそれを信じていた人の方が多かったのではないだろうか。

長い間深く心にあったものは、たやすく消えるものではない。
お店側から「これはサービスです。ごゆっくりなさってください」

そんな説明があっても、若い頃に一度刷り込まれたものを簡単に払拭することはできないというわけだ。

これからもきっと、お茶が出てくるたびに、ほんの一瞬でも気まずさを感じることだろう。これ以上長居してもいいものか?と、すこしムズムズするのは間違いない。。。

昔あった有名店の情報がネットで見つからなかった驚き。アナログ力はあって損にはならない。

築地へ行くと思い出すお店がある。

ひとつは以前にメインブログの方で登場したことのある『御菓子司ちとせ』さんという和菓子屋さんだ。
そしてもう一つは、その近くにある洋食屋さんで、名前は確か『蜂の子』さんといった。仲間内では、「白スパ行く?」で通じる人気のお店だった。

そこではメインのお料理にご飯やパンではなく、「白スパ」と呼ばれるシンプルなスパゲティを合わせて食べるのが定番となっていた。
これがクセになる味わいで、当時は週に何度も通ったものだった。

調べてみると『蜂の子』さんは場所をすぐ近くのビルへ移し、いまだ人気店として営業しているけれど、残念ながら『ちとせ』さんはすでに築地の地にない。

90年代の中頃だったろうか、まだ私が日本と海外を行ったりきたりしていたころのことで、思い起こせば通っていたのはほんの一時期だったような気もする。

ちょっと古い話になるけれど、昨年末に新宿ルミネで『築地ちとせ』という文字を見つけ、それがかつてよく行った和菓子屋さんだと知った。

その後、この店にあったシュークリームについて調べようとネットを巡ってみたけれど、そんな情報はまったく見つけることができなかった。
和菓子屋さんだったころの情報すらわずかで、ましてや裏メニュー的なシュークリームともなれば、まるで存在しなかったようにサッパリだ。

この店に限らず、30年以上前のことを調べようと思うと、ほとんど同じ結果に終わる。
社会的に大きな話題になったようなことならある程度の情報を得ることはできるけれど、これが小さなお店やマイナーな(けど、ちょこっと話題になった)お店、人物や出来事ともなると、有益な情報はほとんど見つけることはできない。

「今はなんでもネットで調べることができる便利な時代」

私もよくそんなことを口にするけれど、それは今現在、人々が関心を持つような事柄が中心であり、ほとんどの人が経験していない、また無関心であった大昔のことに対しては、ほぼ調べることができないと言ってもいい。

もちろんネットの便利さは言うまでもない。もはやこれなしでは生活が非常に不便なものとなるだろう。
ただ、ふと思うのは、こんな社会でもアナログの持つ力を駆使できるか否かで、今後はさらに大きな差が出てくる社会になるのではないかということ。





最近、90年代にヒットしたテレビドラマを観た。ほとんど日本を留守にしていたか、外で遊び回っていたかした私は、当時のトレンディドラマとはまったく無縁だった。
そのせいで、同年代の人達との懐かしい話から置いてきぼりをくらうことがよくある。

今度こそは!と、観てみたのだけれど、なるほど面白い。思わず食いつくように観てしまった。そして、当時の生活を思い出した。

今のようにスマホのない時代、家電や公衆電話、Fax、ポケベルを駆使して友達や彼氏と連絡を取り合ったこと。
連絡が取れなければ、突然家に押しかけたり、行きつけの店に電話して「〇〇さんって人、来てませんか?」と尋ねるなんてことも珍しくなかった。
今ではあり得ない。。。

指一本動かせば済むLINEやメールでの連絡が、どれだけ便利かがわかるだろう。

人と嫌でも関わりを持たなければ、社会生活ができない時代だったのだ。

それはリアルでのコミュニケーション能力であったり、自ら体を動かし行動するバイタリティ、想像力、、、
つまりアナログ生活の中には、そうした術を身につける要素が詰まっていたとも言える。
それができなければ、得たいものは得られず、生活を楽しむことができなかったのだ。

これだけ便利になった令和の時代、もうそんな面倒は必要はなさそうだけれど、いま普通に使用している便利ツールがいつも使えるとは限らない。

たとえば、大災害が起きたときなどは、そういったアナログによる経験が役立つだろう。今日が平和でも未来がどうなるかは神のみぞ知るなのだから。

実際に今回の新型コロナだって、去年の今頃はまったく知る由もなかったことだ。
どんな不測の事態が起こるかは誰にもわからないのだ。

そんないざという時だけに限らず、アナログ力の持つ、想像することや行動すること、コミュニケーションをうまくとることなどは、今後ますます生きてくる社会になると思っている。
どんな時代であれ、物事を動かす基本がそこにあるからだ。

自分の子供達を見ていても思うことだけれども「ネットは万能」であると錯覚しているようなところがある。
スマホ一つあればなんでも済むといった感じだ。
しかし、一度回線から外れたり電源が切れてしまえばそれで終わりなのだ。それがわかっていながら、ネットに依存しアナログ力を軽視している。

災害時など不測の事態に陥ったときのことを考えても、アナログ力を鍛えておくことは決して損にはならない。

そんな事態にならなくても、自分の欲しい情報がネットで得られないということも実際にあるのは、今回の和菓子屋さんの件でも明らかだ。
ネットがダメなのであれば、結局は自分の足で欲しい情報を集めるしかない。

ネットは決して万能ではない。自分も含め、とかく今は誰もが何から何までネットに頼りがちだけれど、それだけに依存していては見逃してしまうこともたくさんある。

ネットの中にある情報だけでなく、人の心、またその記憶にあるようなことにも目を向けなければと思うと同時に、ネットがなくても難なく生きていけるくらいの知恵とアナログ力も持ち続けていきたいと思うのだった。