In other words

I really don't know life at all ...

Sponsored Link

さよならモリコーネ、Grazie mille の言葉とともに。

f:id:frankie17:20200707170212j:plain

映画音楽の世界的巨匠、Ennio Morricone エンニオ・モリコーネ氏が昨日亡くなられたというニュースを見た。91歳だった。

数多くの映画音楽を生み出してきたイタリアの作曲家で、有名なところでは日本でも大ヒットした『ニュー・シネマ・パラダイス』と言えば、ピンとくる人もいるだろう。

作品名をあげたらキリがないほど多くの映画音楽を手がけてきた方なので、興味のある方は是非検索してみてほしい。
きっと名前は知らずとも、ほんとんどの人が一度は彼の音楽を耳にしたことがあるはずだ。

一昨年くらいだろうか「引退」というニュースも流れていたので、もうお歳だし。。。と思っていたのだけれど。

亡くなられたと知って、ちょっとばかり感傷的になってしまった。

私にとってモリコーネの音楽は、これまでも人生の辛い場面では必ず共にあった音楽だったような気がする。。。

追悼というわけではないけれど、昨夜は久しぶりに古いCDを聴いた。

私が「究極のヒーリング音楽」と長年大切にしているCDだ。



ヨーヨー・マ・プレイズ・モリコーネ



これは世界的なチェリストYO-YO MAヨーヨー・マ)とのコラボCDで、これが発売されたとき、私は南半球の田舎町で暮らしていたため、入手するのにとても時間と手間がかかったのを覚えている。

どんなに大変でも、待っても、どうしても手に入れたいCDだった。なんといっても大好きな天才音楽家2人がタッグを組んだCDだ。世界のどこにいようとも、必要なものだったのだ。

それだけに思い入れも強く、今でも大切にしている。
そして、それを聴くたびに昔々のことを思い出すのだ。





辛いこと、嫌なこと、心を暗くするようなことは日々当たり前のように起こる。
それでも私達は自分なりのやり方で、そんな嫌なこととうまく付き合おうとしたり、追いやろうとしたり、消化しようとしたり、もがきながら生きている。

人に頼ることができる人もいれば、自分だけで落とし前をつけようとする人もいる。

時にそんな現実と向き合い、戦う気力をなくしてしまう人もいる。

私もそうだ。50年以上も生きていれば、当然色々なことがあった。いいこともたくさんあったけれど、辛いこともたくさん経験した。

何もかも投げ出して逃げ出したいと思うこともあったけれど、そんな時に弱気になった心や、黒く凝り固まった心をほどいてくれたのがモリコーネの音楽だった。


モリコーネの音楽は、無条件に人を包み込むような包容力と美しさを持っている。

心の中に溜まった真っ黒な澱を根こそぎ洗い流してくれるような清浄なパワーとでもいうのか、魂が無色透明になるまで洗われるような気持ちにさせてくれる。

とりわけ海外で暮らしていたころは、理不尽な出来事に見舞われるようなことは日常茶飯事で、そんな現実に負けたくないという気持ちと、逃げ出したいという気持ちの狭間で、いつも気持ちが不安定だった。

無意味な戦いをしていると分かっているのに、そこから降りられない自分の頑固さ。

若かったせいで、逃げることも勝つことの一つの方法であると受け入れられなかった。

そのせいで、自分に鞭打つように生きていた。

今の若い人は想像できないだろうけれど、昭和の人間はそんな愚かなことを美徳とするところがある。
いま思えば、なぜあそこまで頑なだったのだろうと、当時の自分に同情すらする。


絶対に負けたくはない。

そんな風にいつも気持ちをピンと張り詰めて生きていたら、知らず知らずのうちに心が消耗する。
わかっていても、それをやめることができない。

そんな時、人は無意識のうちに自分を救ってくれるものを探すのかも知れない。

頑なな気持ちをそっとほどいてくれる薬のようなものを。

私にとってのそれがモリコーネの音楽だったのだ。

疲れた。。。と、溜息が漏れるような時は、必ず彼の音楽を飽きるまで何度も流し続けた。

そうするうちに、気持ちが着地点を見つけ、落ち着きを取り戻す。

怒りや悲しみでささくれだった心が、徐々に洗い流されて、ニュートラルな自分を取り戻すのだ。





今は若いときのように、思い煩うようなことはあまりなくなったから、あんな風にモリコーネを聴くことはなくなったけれど、今でもちょっと疲れたりすると「免疫アップ!」などといいながら、『Gabriel's Oboe』なんかを流す。




Yo-Yo Ma plays Ennio Morricone # The Mission - Gabriel's Oboe



何十年経とうが色褪せることはない。

それどころか歳を追って聴くと、さらにその美しさに感動する。

私は特別音楽に詳しいわけでもなければ、ましてや自分で演奏することもない。
ついでに言えば、カラオケなども好きではないから行かない(笑)

音楽に対する知識がなくても、その音楽が自分にどう響くか、どんな影響をあたえるかはわかる。

楽しくなるような気持ちを盛り上げる音楽、モリコーネのようにある種のヒーリングになる音楽など。。。

音楽は美しければいい。
自分の耳に心に美しく響けばそれでいい。

モリコーネは亡くなってしまったけれど、私は一生彼の音楽に癒され、励まされながら生きていくのだと思う。

私を含め多くの人の魂を慰め、救ってくれた遠い国の天才、モリコーネ氏のご冥福をお祈りするとともに、

Grazie Mille !

たくさんの感謝を。。。

東京都知事選挙のこと、レジ袋有料化のコンビニレジでの迷いとか。

f:id:frankie17:20200705194047j:plain

今日は東京都知事選があったので、朝一で投票に行った。選挙権を得てからというもの、日本にいる時はしっかり投票には行くようにしている。
今は亡き父親から「権利を放棄すな」という言葉を聞いて育ったせいだ。

自分の望む社会になるようにとの期待を込めて投票するわけだけれど、必ずしも結果が望んだ通りになるわけではない。たとえ自分の支持者が当選したとしてもだ。
それでも、選ぶ権利が与えられているのなら、しっかり使わせていただく。

若い娘達は当初「誰に入れていいかわからない」といっていた。私も若い頃はそうだったのでそれはわかる。

そこで以前、どこかで聞いて「なるほど」と思った選び方を教えてみた。

今の暮らしや社会に不満がないのなら、現職候補者でいい。

逆に不満があって変わって欲しいのなら、自分が求めるマニフェストを掲げる人を推す。

こう話したところ「なるほど。。。」と、一票を投じる候補者を決めたようだった。




そんな投票の帰り、朝ごはんを抜いていたせいで、とてもお腹が空いていたので、よく行くコンビニへ寄った。
アメリカンドックでもおやつに食べようと思ったのだ。最近、ダイエットをしているせいか、時折ジャンクなものが食べたくなる。
身体が「もっと糖と油をくれ!」と、訴えかけてくるのだろう。身体にくっついた脂肪がもっとお友達が欲しい!と争いがたいほどのメッセージを送ってくる。
そんな時はストレス回避のために甘やかしてあげることにする。

一度甘やかしてあげよう!と決めると、タガが外れたように、あれこれ買いたくなる。特に最近のコンビニはアイスやお菓子、デザート類は種類も豊富な上、かなり短いスパンで新商品が出ているものだから、ついつい試してみたくなる。

今日もアイス数種類とシュークリーム、ナッツなど、おやつに食べられそうなものをあれもこれもと買ってしまった。
お腹が空いていたせいか、見るもの見るもの美味しそうに感じて、普段は買わないパンまでカゴに入れてしまった。。。
デパ地下でもスーパーでもコンビニでも、私はいつも買いすぎる。今日も子供達が「もうこれくらいにしたら?」と止めてくれたからよかったけれど、これがひとりだったら、さらに大暴走していたところだ。




休日の朝という時間、コンビニは空いている。今日もお客は私達だけだった。
そんな気楽さから、顔見知りの店員さんが気軽に話しかけてくる。

「なんか、面倒ですみませんね〜」

最近、こんな風によく店員さんから話しかけられることが多くなった。それは7月からレジ袋が有料となったせいだ。

コンビニへ行くとなんとなくレジ回りでも変化を感じる。慣れないぎこちないやりとりと、遠慮がちな探り合い、どうしたらいいのかという迷いなど。。。

レジ袋は必要か否か、必要なら有料になりますよ。と、きちんと説明する必要があると思っている親切な店員さんにとっては、一仕事増えてしまった感じで、まだまだ慣れない様子が伺える。

そして、客の方はと言えば、レジ袋いります!となれば、それ以降はこれまでと同じプロセスを踏めばいいわけだけれど、これがエコバック持参となると、この品物はどうすればいいのだ⁉︎と、ちょっとした探り合いになる。

エコバッグはあれど、それを誰が詰めるか問題だ。お店の人が詰めてくれるのか、セルフでやってくださいということなのか。。。

スーパーなどは、対応はまちまちのようだ。私がよく行く店では、レジ袋を使用してい頃から店員さんが詰めてくれるところがほとんどだった。

エゴバッグに変わってからも、「こちらでやりますよ」と、声をかけてくれたり、ごく当たり前のようにエコバッグを受け取り、詰めてくれる。
とっても親切な対応でありがたい。

そうでないスーパーもある。レジ袋でもエコバッグでも、カゴに入った品物をサッカー台まで運び、自分で詰めるのだ。
このようなスーパーの場合は、ちゃんと場所も用意されているから問題はない。

しかし、コンビニはスーパーと違って荷物を詰めるサッカー台がないので、店員さんがやるにしても、客側がやるにしても、レジで詰めることになる。

ここが迷うポイントだ。
手を煩わせては悪いので、最初は自分で詰める方がいいと思っていた。

ただ、商品を袋に詰めるだけの作業でも、それに慣れた店員さんがするのと、不慣れなお客が自身で詰めるのではスピードが違う。買い物の量が多くなれば尚更だ。
後ろで人が並んでいたりすると、ちょっと焦ったりする。

それを見ている店員さんが、「面倒ですみません」という言葉を発するのだ。

そんな時は、店員さんの本音を聞いてみることにしている。

「自分で詰めるのと、お客さんに詰めてもらうのと、正直言ってどっちがいい?」

私が尋ねたことのあるほとんどのコンビニ店員さんは、まず「どちらでも」と当たり障りのないことを言ってくれる。

しかし、よくよく話してみれば、混んでいる時などはエコバッグを預かり、店側で詰めてしまった方が楽なようだ。
しかし、「お客様によっては触られるのを嫌がる人もいるので」とも言っていた。
お客さんによって考えは様々なので、そこが難しいところのようだ。





今日も店員さんとそんなことを話したのだけれど、結論としては「また以前のように普通に無料レジ袋の方がお互い楽よね」という結論だった。

よくよく観察していると、お会計は終わっているけれど、なんとなくレジでもたついている人が少なからずいるのがわかる。頑張ってエコバッグに商品を詰めているのだ。私もその一人。。。

これが重なると、混んだ時間だとさすがに行列になる。そうなると、店員さんもお客さんももどかしい気持ちになるだろうと納得した。

まだ学生さんだろうか、若い店員さんが多い。それと同じくらい外国人の店員さんも。
私が行くコンビニは近所に数軒ある。どこの店員さん達も明るく一生懸命に仕事をしている。
若い人が迷いながらも頑張っている姿を見るのは、とても気持ちがいいものだ。

私のような客側にとってもこの「レジ袋かエコバッグか」また「誰が詰めるか」問題に関しては未だ迷っているところはあるけれど、店員さんの方がより気を遣っていることだろう。

そんな中、世間話がてら、お互いにどうしたいのか確認し合えるのは嬉しいことだ。
こんな風通しのよい気持ちのいいコンビニが、近所に何軒もあるはとてもラッキーなことだ。

まだまだこの新しい取り組みには慣れない。でも、半年も過ぎればきっと迷いもなく、これまでのように当たり前になる日が来るだろう。
それまでは、店員さんと「本当に面倒よね〜」などと笑い話でもしながらお買い物を楽しむことにしよう。

ところで、選挙結果。
小池現職知事、当確とのことだけれど、投票率はいかほどだったのかが気になるところ。。。
もちろん都民としては、今後の都政もしっかりウォッチングだけど。

「お菓子はかすがい」。甘くて美味しいお菓子は怒りをも溶かす。

f:id:frankie17:20200702002015j:plain

歳をとると夫婦喧嘩というものが少なくなる。まったく喧嘩をしないわけではないけれど、若い頃に比べればお互いにずっと辛抱強く(諦めともいえる?)なるせいか、少しくらいのことは知らんふりができるようになるのだ。

それでもたまに耐えかねて喧嘩になることがある。
子供の頃から自分を守るために、いかなることも正当化するのが当たり前と育った外国人をパートナーとしているせいか、一度喧嘩になるとかなりすごいバトルが繰り広げられる。
諦めているとはいえ、こちらも奥ゆかしい性格ではない。そんな相手の態度が許せないと思うと、とことん攻撃をしてギャフンと言わせないと気が済まない。

さすがにお互い手を出したりはしないけれど、子供達が仲裁に入るほどの激しい言い合いになったりすることもある。

お互いに一歩も引くことがないから、結局決着はつかず、いつも険悪な雰囲気のまま、朝を迎えることになる。

そんな朝、私は大人気なくも「おはよう」の挨拶すらせず無視をする。そうそう簡単に怒りは消えないのだ。
そして、夫も何も言わずに仕事に出かけていく。

別に1ヶ月や2ヶ月、口をきかなくても私は困ることはない。
むしろ、夫を気遣うことなく無視しているほうが、生活自体は楽なくらいなのだ。

しかし、夫の方は不都合があるらしい。
外国人であるが故に、あらゆるところで面倒があると、手っ取り早く私に横流しし、肩代わりしてもらってきた人生だ。どんな些細なことでも問題解決に動くことが面倒なのだろう。

夫の心のうちはわからないけれど、想像するに、このまま私の機嫌を損ねたままだと、自分に不利益があると思うのかもしれない。
仕事から戻ると昨夜の喧嘩などまるでなかったように、普通に世間話をしてくるのだ。

しかし、私はそう簡単には割り切ることができない。言われたことは忘れない執念深い性格なのだ。
たとえ何十年経っても忘れない。忘れた振りをしているだけで、心ない言葉の数々はしっかりと、いつでも容易に取り出せるところにしまってある。

丸々一日、夫に対しては一言も言葉を発しないまま、私はさっさと床につく。





翌朝、「行ってきまーす!」と、わざとらしいくらいに明るい声を上げながら仕事へ行く夫を無視して、私は朝ドラの画面を見つめたままホッと息を漏らす。

人と争うのは大きなエネルギーを必要とするものだ。たとえ無視しているだけでもネガティブな思考は精神を消耗させる。

さすがにこの頃になると、疲労も手伝ってか、正直喧嘩をした時の煮えたぎったような怒りは消えている。
どちらかといえば、氷のように冷え冷えとした感情に心が固まってしまっている状態だ。

とはいえ、夫が不在の間はそんなことに思い悩むことはない。正直言って一人でいる時は一人時間を楽しんでいる。

夫のことなど考える時間さえもったいない。。。

そんな中、メールがいくつか入ってくる。

英文のありきたりな言葉の羅列。

How are you feeling ?

Enjoy your day !

Please rest ,don't worry about the house work

などなど、ご機嫌伺いのようなメールをよこす。

返信するのも面倒だ。というか、まだ例の喧嘩の決着はついていない。
何もなかったかのような態度が余計に腹立たしいから返信はもちろんしない。

そして、夜になり夫が仕事から帰ってくる。その手には紙袋が提げられられている。

それを見た途端、苦々しい気持ちになる。
この喧嘩もまた、有耶無耶なまま幕を閉じるのだと。。。

なぜかといえば、その中には必ず甘くて美味しいお菓子が入っているからだ。

「そんなものいらないわよ!」

そう無視できたらどんなにスッキリするだろう。。。そう思いながらも、私は小さな声で「Thank you .....」と、お菓子の包みを受け取ってしまうのだ。

そして、その甘いお菓子をひと口食べると、まるで砂糖が溶けるように、怒りも優しく溶けて消えていく。

不思議だ。なぜ甘くて美味しいお菓子を食べると、すべてがどうでもよくなってしまうのか。

私としては複雑な理由をつけたいところだけれど、きっと夫の方は「単純なやつだな」と裏でほくそ笑んでいるだろう。

しかし、それさえどうでもいいと思うほど、お菓子は美味しい。





今では娘までもが同じことをする。
ちょっとしたことで口論になったり、こちらがお説教をしたりなど、私の機嫌が直らないと、必ずお菓子を抱えて帰ってくるのだ。

しかし、娘はまだ可愛い。

「これ、お詫びの貢物です」

そんなふうに、きちんと自分の非を認め、謝罪とともに差し出してくるからだ。

夫の場合は違う。謝罪はなく、ただ「どうぞ」とお菓子を渡してくるだけだ。

私がそれを無視できないことを知っての確信犯。そして、それを食べてしまう私も、結果的に夫を許すことになる。

なんという節操のなさかと、自分でちょっと情けなくなるのだけれど、美味しい誘惑には完敗だ。
これくらいのことで、美味しいものを食べる機会を逃すのも馬鹿げているとさえ思う。

こんな風に私たちの夫婦喧嘩は幕を下ろす。

「子は鎹(かすがい)」ということわざがあるけれど、我が家の場合は「甘いお菓子がかすがい」になっているようだ。

辛抱のきかない外国人同士、20年以上も共に暮らしてこられたのは、もしかしたら甘くて美味しいお菓子のおかげかもしれない。。。