In other words

I really don't know life at all ...

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組閣に思う。70歳はまだ若いのか?若さとステーキの関係。

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政治の話はしないのが信条なので、これは政治ではなく年齢とお肉のお話です。

安倍晋三元総理が辞任し、菅新総裁が誕生した。同時に注目を集めたのが、組閣の顔ぶれだろう。

見覚えのある初老男性が並んでいる図は想定内といえるのだけれど、自民党新四役の平均年齢が70歳を超えているというのは、さすがに「へっ?」となった。

70歳といえば、普通の感覚で言えば、現役を引退。たとえ仕事を続けていたとしても、大企業のお偉いさんでもない限りは、パートタイマー程度の扱いだ。

70年以上も経てば、時代も変わる。当然社会のあり方、常識も変化する。
50代の私でさえも、昭和の感覚を拭きれず、やるせない気持ちになることが度々あるくらいだ。

70歳以上ともなれば、さらに景色は違ったものになるだろう。

なによりも、人間としてのフィジカル、メンタル面での老いは問題だ。普通で考えれば、年齢に比例して、すこぶる性能が悪くなるものだ。

私など、50を超えてからは、肉体の衰えはもちろん、メンタルの衰えすら否めない。





若い頃と比較すると、体力は低下、老眼や五十肩など、あらゆるところにガタがくる。加えて頭の方も理解力、情報処理能力など、自分でも呆れるほど衰えている。

しかし政治の世界では違うようだ。

国を動かすであろう重責を担った人たちが、衰えているとあっては、危なくて仕方ない。

もしかしたら、政治家という人種は、我々一般市民とは違った資質を持っているではないかとさえ思う。

昔、知人である政治記者から聞いた話に、安倍元総理の祖父であり、第56、57代内閣総理大臣を務めた岸信介氏などは、お年を召してからも、朝からステーキをもりもりと食べるほど、お元気だったという。

私など、そんなことを連日していたら、途端に胃が荒れて苦しむことになる。

そのとき、政治家とは頑強な肉体と精神という、特別な資質が必要なのではないかと思ったものだ。

この新四役の方々も同じなのだろうか。
四人揃ってカメラの前に立ち、内心の喜びを隠せないのか、ほくそ笑む姿を見ていると、きっと朝食はステーキに違いない!などと思ってしまう。

70歳はもうお爺ちゃん、お婆ちゃんと呼ばれる年齢であると思っていたけれど、この新四役を見ていると、ひょっとして「人生まだこれから!」などと希望を持ってもいいような気になる。

あの麻生さんだって、もう80代。にも関わらず、世間をたびたび炎上させるくらいにお元気なのだ。

時折報道される会合というお食事会では、フレンチのフルコースなどもいただいているようだ。ステーキに負けず劣らず胃腸にガツンとくるフレンチを年がら年中食べている70代、80代。。。

恐るべし。。。





食が生の源であると考えるなら、ステーキだフレンチだと、そんなものを常食としていることが、元気でいられる一因とも考えられる。

そういえば、数年前に南青山のバーで偶然出会った某企業の社長さんが、「肉を食べろ!」と言っていた。

活力をもっていい仕事をバリバリしたければ、野菜や魚ではダメだ!肉だ!

そんなことを言っていたものだ。

実際にその社長さんは、70歳を過ぎていたけれど、現役バリバリの仕事人であった。

やはりステーキ(肉)は老人に活力を与えるものなのかもしれない。。。

私も「もう50過ぎたし〜」などと弱気発言を繰り返していないで、嘘でも「朝からもりもりステーキ食べてます!」くらいのことを言った方がいいのかもしれない。。。

100まで生きるつもりなら、人生まだ半ば。あと50年近くあるとなれば、弱気になどなってはいられない。

あの新四役の方々のように、我が意を得たりとばかりに、ほくそ笑むくらいになりたいと思う。

よし、明日はステーキだ!

「頑張って」という言葉を安易に口にできない社会を生きる息苦しさ。

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「頑張って」という言葉、わりと気軽に意味なく口にしてしまう言葉で、自分でも言ったこと、言われたこと、それこそ何百万回ある⁉︎というほど、もはや挨拶のような言葉になっている。

「これからご飯の支度しなくちゃ」

「あら、頑張って」

「これから暑い中、子供達のお迎えよ」

「大変ね。頑張って」

「あー、明日からまた仕事だわ」

「頑張ってね」

例をあげたらきりがない。

たいして意味のない愚痴やボヤキに対し、どう答えていいかわからない時、私たちはなんとなく「頑張って」という言葉を投げかけたりする。

心から「頑張れ」と思うこともあるけれど、ほとんどの場合はあまり考えずに、軽く「頑張って」を使う。
まさに「励ましもどき」の乱用だ。

ただ、私はこの言葉を言われることが好きだ。

頑張ってね!

頑張れ!

そう挨拶のように軽く言われる言葉さえ、清々しく感じる。

もっと深刻な場面で、使われる「頑張って」に至っては、援軍得たりとばかりに「よーし!」とやる気が出てくる。

以前、生死に関わる病に罹患し手術することになった際、友人達が決起集会を開いてくれた。

彼女達が何度も口にする「頑張って!」に、どれだけ心強くしたことだろう。
「頑張って」という言葉そのものが、まるで呪文のように、私の生命力というもの増大させていくように思えた。

「頑張って」という一言は、私にとっては、力強くも清々しい、ポジティブワードなのだ。





しかし、昨今ではこの「頑張れ」は、あまり歓迎されていないともいう。

「頑張れ」とは言わないで欲しいという人も多くいるそうだ。

自分がポジティブワードだと思っていたことが、実は人によってはNGワードになり得るということもあるのだ。

言って欲しくない理由が、

「こんなに頑張っているのに、これ以上頑張らないといけないの?」

「これ以上、どう頑張れというの?」

そんな気持ちにさせられるからだという。

言われて不快に思う人は、ほとんどが全力で頑張っている人だろう。
そんなギリギリの叫びが、「頑張って」という言葉の意味を変異させているのかもしれない。

頑張っても、頑張っても、どうにもならない事態を悲観しているときに、「頑張って」とお気楽に声をかけられればカチンともくるだろう。

また、「頑張って」という言葉は、高みの見物を思わせるところもある。

大変な状況の中、共に戦うのではなく、「それはあなたの問題だから、頑張って」と、トンと突き放すように背中を押されているととらえられないこともない。

そうなると、「他人事だと思って。。。」「少しは手を貸してくれてもいいんじゃない?」と、いじけたくなったりもするだろう。

そのイライラを相手にぶつけるか、そっと自分の中に飲み込んで、さらにストレスを溜めこむか。。。

そんなことをあれこれ想像していると、まるで挨拶をするように、安易に「頑張って」というのは、思慮に欠けるような気もする。

自分が言われて嬉しい言葉だからと言って、誰もが同じように喜ぶわけではない。

「自分がされて嫌なことは人にするのはやめましょう。」

幼い頃、親や幼稚園の先生から教えられたことだ。

これはよい教えであったと今でも思うし、よき人間関係を築く上では役に立っているといえる。

では、逆はどうだろうか。

「自分がされて嬉しいことは、人にもして差し上げましょう。」

こんな教えは聞いたことがない。

これがまさに「頑張れ」の類なのだろう。

自分が言われて嬉しくても、人によっては不快に思う人もいるのだから、余計なお節介となり得る事はやめましょう。と、そんなところなのだろう。





子供達にもよく言われることなのだけれど、なんでも気合で乗り切ろうとするのは、昭和世代の悪い癖なのだそうだ。

もはや精神論で苦難を乗り切れるほど簡単な社会ではなくなっているのは承知している。

やればやった以上の成果が得られた昔に比べ、わずかな成果しか得られないのなら、気合云々の問題ではない。

ただ、気持ちが内側に向かってしまっては、落ちる一方だ。
気合ではどうにもならないのを承知の上で、ポジティブな気持ちで物心に挑むのは悪いことではない。
というか、それしか術が分からないともいえるけれど。。。

だからこそ、私は「頑張って!」と言われるのが好きなのかもしれない。

そんな背中をドンっと押されるような言葉を投げつけられると、やる気が出てくるのだ。戦う前にいたっては、どんな敵にも勝てそうな気すらしてくる。

「頑張って」という言葉を口にすることが憚れる社会とは、どれだけ疲弊しているのだろうと思う。
そんな社会を生きていくのは息が詰まるようだ。

お互いに「頑張れ」、「あなたも、頑張って」と素直に言えて、素直にその言葉を受け入れることのできる社会はもう戻ってこないのだろうか。

断捨離の前に立ちはだかるプラスの美学。外国人と暮らすということ。

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新型コロナによる自粛期間中に断捨離をした人は多いという。
私もその一人で、普段から定期的に断捨離をしているものの、この時期はとりわけ力が入ったものだ。

そして、それは今も続いていて、暇ができると不要と思えるものを処分している。

最近ではリビングの大きなクッションも小さなもの新調しようかと処分することにし、ついでに邪魔なだけのオットマンも粗大ゴミへ。

FAX付きの電話機も子機だけのコンパクトなものに買い替えようと断捨離、古くなったドライヤーも2台処分し買い換えた。
これだけでかなりスッキリだ。


いかに「無」の空間を美しく見せるか⁉︎

これはマイナスの美学を持つ日本人的な美へのこだわりだそうだ。

それとは逆に、様々なものを組み合わせることによって美しさを表現する「プラスの美学」を持つ外国人。

この相異なる人間同士が一つの空間に身を置くのはなかなか難しい。

当然のことながら、日本人である私のシンプル路線は外国人である夫の好みとは合わない。
夫は私が断捨離をするたびになにやら渋い顔をしているけれど、お構いなしでガンガン断捨離を進めている。

しかし、その一方でせっせと物持ち込んでくる夫。。。





私が「断捨離しているの」と言うと、「また?」と、友人たちから驚かれる。

それほどに、私は定期的に大がかりな断捨離をする。

私がたびたび断捨離をするのは、決してミニマリストだからではない。持たない暮らしよりは、欲しいものは持っている暮らしの方が、どう考えても満たされた気持ちになる。

最小限とは文字通りミニマムだ。そこには遊びも余裕も微塵もない。
どうでもいい物を全て排除するほど、私の心は豊かではないのだろう。

時には何の役にも立たない、ただきれいなだけの置物が欲しかったり、ただダラダラしたい時に足を乗せるためだけにあるクッションを必要だと思うこともある。

ただ、それにも限度がある。

プラスの美学に従う夫が作り出す空間は主婦にとっては不都合だらけで、時に耐え難い。
少しでも油断して監視の目を緩めようものなら、途端に写真縦や置物にその空間を埋められてしまうのだ。

これが何を意味しているか?
それは掃除のたびに、そのいくつもある写真縦や置物を避けて拭き掃除をし、また元ある場所に戻すという、大層面倒な作業を日々することになる。
これは何の罰ゲームだ?というくらい、私にとっては面倒なことなのだ。

ダイニングのカウンターやリビングテーブルには、いまでもそんな邪魔な物たちが鎮座している。

断捨離してしまいたいけれど、これが写真などだとそうもいかない。

過去に執着しない生き方をしている者にとって、昔の写真に対する思い入れなど全くない。学生時代の卒業アルバム、子供の頃の写真さえ、私の手元にあればすべて断捨離対象で、とうの昔に処分してしまっている。
しかし、時折遠くを見ながら昔を懐かしむメランコリック男(夫)にとって、それはとても大切な物であるようだ。
今でも後生大事にそんなものを抱えているから、数少ない収納スペースの一画は、夫の思い出に占領されている。

それをすべて処分できたら、どんなにスッキリするだろう⁉︎と思っているけれど、さすがに治外法権であると諦めている。

しかし夫の所有するのは思い出だけではない。興味を持ったものはすかさず「趣味」となり、それに関連するものを次々と買い集め、また物を増やす。

私は夫がそれに飽きて見向きもしなくなった頃を見計らい、断捨離に踏み切るのだ。





そんなことをもう何年続けているだろう。
結婚して20年以上になるから、おそらくそれと同じくらいの年月、私たちはいたちごっこを繰り返していることになる。

せめて自分の部屋だけでも、そう思うところだけれど、生憎我が家は3LDという間取りだ。子供2人と夫はそれぞれ自室を持っている。
いや、正確に言えば、夫の部屋は元々夫婦2人の部屋だった。しかし、プラスの美学に敗北した私は自らその部屋を出たのだった。
以来、夫は自室に好きなように物を置き、飾り、プラスの美学を極めている。

一方の私は、夫の部屋のクローゼットの一角を借り、洋服と鞄を収納している程度で、あとはキッチンの片隅やリビングなどでひっそりと生息している。
元々それほど物を持たないし、あっても置くところがないとなれば、何かしらを処分してスペースを作る。

自室を持たない私はまるでジプシーのように、リビング、ダイニング、キッチンを彷徨い暮らしているのだ。

ごくごくたまに、自室を持っていたなら。。。と思うこともあるけれど、普段は取り立てて不便を感じることはない。
きっと場所に対する執着もないのだろう。

暮らす場所も正直どこでもいい。できることなら生まれ育った東京が一番楽だけれど、他の場所ではダメというわけでもない。

それに、この家庭内ジプシーのような生活は、子供達が結婚でもして家を出れば終わりを迎えるのだ。

何事も移り変わっていくのが世の常。

プラスの美学には一生勝てそうにないけれど、いずれはマイナスの美学を楽しむ少しの空間くらいは持てそうだ。

その時を楽しみに、いたちごっこをしていく覚悟だ。