In other words

I really don't know life at all ...

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成田空港で見た海外からの旅行者、帰国者のコロナ対策に関する不安。

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少し前、久しぶりに成田空港へ行った。
コロナ禍以降、自分が海外へ行くことも、また海外からの友人知人を出迎えに足を運ぶことも無くなった場所だ。

今回は仕事で海外へ行っていた家族が帰国することになり、コロナ対策のため公共の交通機関は使えないということで、車で迎えに行くことになったのだ。

空港へ向かう道は空いていて、途中で寄ったパーキングエリアも静かなものだった。

なによりも空港は、想像してはいたけれど、コロナ禍以前とは全く違い、閑散としていて不安になるくらいだった。

普通なら行列を成しているチェックインカウンターはどこも閉じられ、人影はまばら。
ショップや飲食店も閉店しているところばかりで、ここで仕事をしていた人達はどうしているのだろうと思った。

そんな中、ちょっと不思議に思ったのは、欧米人の旅行者だ。
時間があったので、ショップでものぞこうと、出発ロビーのある階へ行ったところ、結構な数の欧米人を目にした。

実際にどんな目的で入国してきた方々かはわからないのだけれど、バックパックを背負った若者のグループが、それぞれ富士登山で販売されてる旗付きの長いスティックを手にしていた。

ただの土産物かとも考えられるのだれど、そのスティックはしっかり土で汚れていて、いかにも「富士山登ってきました」といった風に見えた。

このコロナ禍では、観光目的では海外からの旅行も、海外への旅行もできないと、私は思っていた。

まさか富士登山が仕事ということもあるまい。。。
そうなると、何か別の目的で入国し、ついでに観光もしました。ということなのだろうか?
日本で暮らしている私達でさえ、旅行などは自粛という緊急事態宣言下で、明らかに日本在住ではないと思われる外国人が富士山の旗を持って歩いている。。。

当然、モヤモヤっとする。

その辺の理由を本人達に直接の尋ねてみたい。。。と強く思ったのだけれど、やっぱりやめた。





到着ロビーにある掲示板を見ると、あらゆる国からの到着便がずらりと表示されている。

これほど多くの国から、一日にどれだけの人が入国しているのだろう。。。
そう思うと、最近騒がれているコロナの新たな変異種が見つかったというのも、ちっとも不思議には感じない。

入国の際には、新型コロナの陰性証明は必須であり、検疫でもかなりの時間をかけているようだけれど、ご存知の通りPCR検査の結果は絶対ではない。

入国したあとも2週間の隔離が必要であり、先にも述べたように自宅やホテルで隔離とする場合、移動は公共の交通機関は使用できないことになっている。

スマホのアプリなどで位置情報が確認され、きちんと隔離されているかどうか追跡されるということだけれど、聞くところによるとここにも抜け道はあるらしい。
成田空港から普通に電車で移動している人も一定数いるという話もよく聞く。

改札などでチェックがあるのかどうか、実際に見たわけではないのでわからないけれど、入国してしまえば、あとは誰に監視されるわけでもなさそうだ。

私は車だったので、そのままパーキングから自宅へ帰宅したため、公共交通機関でどんな対策がなされているのか確証がない。

ただ、もしも厳格なチェックがなければ、電車を使う人はいるのだろうと想像できる。

千葉や東京、埼玉、神奈川あたりなら、車で移動することも可能だけれど、さらに遠いところまで帰るとなると、新幹線や飛行機を使用することになる。
その場合、公共の交通機関が使えないということになっているので、成田空港付近で2週間の隔離期間を過ごさなければならない。
それをしたくない人は、抜け道さえあれば当然その道を行くのは想像に難くない。





この日に見た海外からの旅行者にしても、帰国隔離にしても、よく言うところの「エビデンス」があるわけではなく、あくまでも想像なのではっきりした事を言いたくても言えない。

ただ、水際対策というものがしっかり機能しているのか不安だということだけは言える。

新型コロナの変異種が次々と出てきて、この夏はインド由来のデルタ株が猛威をふるった。
それでもワクチンという救世主による安心感を多くの人が持ったことだろう。
しかし、ここにきて従来のワクチンでは効果がないとされる、新たな変異種が騒がれ始めている。

目に浮かぶのは、空港のロビーで見た到着便が羅列された掲示板だ。
あれだけたくさんの飛行機が、海外から多くの人を運んでいると考えると、やはりウィルスを完全に阻止するのは難しいのだと思う。

ワクチン普及に伴い、海外からの入国者の隔離期間を短縮するという話もある。

本当にそれで大丈夫なのだろうか。。。

同時に緊急事態宣言はさらに延長されるなどと聞くと、なんだかよくわからなくなる。

私は緊急事態宣言云々ではなく、自分が感染したくないので、なるべく大人しくしていようとは思っているけれど、なんだか今の日本のコロナ対策は謎ばかりで、何を指針としているかわからない。。。

やっぱり富士登山の旗を持っていた外国人の若者に、根掘り葉掘り聞くべきだった。
たとえ、変なおばさんと思われようが。。。

成田空港へ行って、ちょっと不安になったことを書いてみた。

『King Gnu』を聞いて思い出した、自分を「僕」と呼ぶ大人の男性の思い出。

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ちょっと古いのだけれど、『King Gnu』の『白日』という曲の中に「今の僕には何ができるの?」という歌詞がある。

長髪に髭を蓄えた、ちょっとばかりワイルドな雰囲気の男性が歌う姿を見て、思い出した人がいた。

30年以上前のこと。まだ私が20歳くらいの時、お世話になっていた知人から誘われた食事会で出会った人だ。
時はバブル期で、周りにいる大人達は無理にでもお金を遣う必要があったのか、美味しい物を食べに連れていってもらうことは珍しくなかった。

その食事会には何人かのおじさま方がいて、みんなビジネスの話ばかりして、私はなぜ自分がその席に座っているのか不思議だった。

それでも特に居心地が悪いというわけでもなく、なによりも自分一人では決して足を踏み入れることのないようなお店で、美味しいものが食べられることが嬉しかった。

私のような子供とビジネスの話などしようとは、最初から期待されていない。
そんなことは分かりきっていたので、私は誰に気を遣うこともなく、美味しいお料理を楽しんで帰ろうと思っていたのだ。

そこにいた誰とも利害関係を持たない私は、ニコニコと愛想を振りまく必要もなく、むしろ「誘われたから、来てあげたのよ」と、若さ特有の傲慢さ丸出しの態度だったかもしれない。

あの頃の自分に、もし会ったら、軽くお説教をしてあげたいくらいの可愛げのなさだ。

そんなビジネスランチのような席で、私以外にも、もう一人場違いと思えるような人がいた。誰が連れてきたのかはわからない外国人の青年だった。





当時、私は海外へ渡る前で、英語など話せるわけもなく、話す努力すらしようなどとは考えなかった。
異端という意味では、その場で同じ立場であった私たちだったけれど、不幸なことに相手も日本語が話せない人だったのだ。

ちょっと気まずさを覚えはしたけれど、気にしたところでどうにもならないと無視をしていたら、「席替えだ」と突然隣に変わったおじさまがやってきた。

「僕はね、仕事が好きじゃないから、あっちは退屈でね」

そう言って、異端児席に逃げ込んできたのだ。

年齢は多分40代くらいだったろうか。
仕事はマスコミ関係で、自分の会社を持っていると話していたように記憶している。
ウェーブのかかった耳を覆う長髪に髭をたくわえた、おしゃれな雰囲気の男性で、20歳そこそこであった私にとっては、初めて出会うタイプの大人だった。

そのおじさまは流暢に英語を話した。外国人青年はようやく話し相手ができたとばかりに、先ほどまでの恐縮した姿は何処に?というくらいに、私のわからない言葉を話し続けていた。

そんな中、私は会話の内容もまったくわからないので、淡々とナイフとフォークを動かしていた。
おじさまは、時折私に顔を向けて「ね!ね!」と笑顔を見せたのだけれど、なにが「ね!」なのだかわからない私は、相変わらずニコリともしない。

そこでようやく私が英語を理解しないことを知ったようだった。

おじさまは「ごめんね。僕の気遣いが足りなかったなぁ」などと言ってくれたけれど、きっとおじさまの世界では、英語が話せるのは日本語を話すのと同じくらい当たり前のことなのだろうとわかった。

「私のことはお気遣いなく。美味しいものがいただけるだけで楽しいですから」

私はそう応えたのだれど、おじさまは気を遣って日本語と英語、両方を使い、異端児二人に色々な話をしてくれた。

ヨットの話や万年筆の話、おすすめのレストランや外国の話。。。
多分、自分の趣味についてのあれこれだったのだろう。

自分のまったく知らない世界を知ることは楽しい。今でさえそうなのだから、無知であった若い頃は尚更そう思っただろう。
おじさまの話がとっても楽しくて、お料理の味を忘れるほどだった。





次第に外国語を流暢に話すおじさまの姿に、羨ましさを感じ、

「どうして英語が話せるのですか?」

そんな変な質問をしたところ、

「面白そうだから海外へ行ったら覚えちゃった」

そんな答えが返ってきた。

「すごいですね」という私に、

「すごいことなんてないよ。僕はね、好きなことをしていただけだから」

そんな風に笑っていたけれど、きっと裕福な生まれなのだろうなと、その時感じた。

それは、そのおじさまがいつも自分のことを「僕はね」と、「僕」という言葉を使ったせいなのだと思う。

大人の男性なら「私」とか「俺」という人がほとんどだった。
自分を「僕」と呼ぶのは小さな男の子だけというイメージがあった。

それが、40代の立派な大人の男性が「僕はね」と、当たり前のように口にし、それがとても自然に思えたのは、その人から見える育ちの良さのようなものなのかもしれないと思ったのだ。

以来、稀に自分を「僕」と呼ぶ男性と出会うと、その人が何をしていようがどんな風貌であろうが、なんとなく生まれのいい人なのだろうと思ってしまうようになった。

King Gnu』の歌が流れるたびに、自分を「僕」と呼ぶ男性を懐かしく思い出す。

当時40代なら、今はもう70代になっている。今でもきっと自分のことを「僕」と呼んでいるのだろう。。。

余談だけれど、のちに私がイギリスへ渡り、英語を学んだのも、直接の理由は別のところにあったのだけれど、その入口になったのは、間違いなくこのおじさんの影響だろう。

「他言語を理解すれば、自分の世界が広がるよ」

その一言が、私の目を違う方向に向けたのだとすれば、いまの自分の幸せも、おじさんの蒔いてくれた種が開かせた、小さな花なのかもしれない。

複数ブログ同時進行の難しさを理解しつつ、理想の老後のために継続。

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今日もジメジメとしたお天気。このまま東京も梅雨入りしてしまいそうで、ますます家に引きこもる頻度が高くなりそうだ。

もうずいぶんと長いこと、こんな生活をしているように感じるけれど、特に何をしているというわけでもなく、それゆえに時間を無駄にしているように感じることがある。

時間が有り余っているように感じている割には、退屈しているわけでもなく、あれもこれもと手を出すほど暇でもないような、中途半端な毎日だ。

ブログに関しても、今年の夏で丸々4年になるメインブログは安定して週休1日くらいで更新を続けていて順調。

3つ目の日記ブログも、「とりあえずは、1年間毎日更新」という目標通り、昨年9月から毎日欠かさず投稿している。

最近はこの2つのブログを投稿するだけで、正直いっぱいいっぱいだ。

このブログに関しては、最後に投稿したのは、3月だったか。。。
久しく手をつけていなかった。





下書きに書き留めたあれこれは、書きかけのまま賞味期限切れとなり、どうしたものかとそのままになっている。

2,000文字くらい書いていれば、このネタもいつかどこかで使えるかも?などと考えて、往生際悪くも削除することができないでいる。

3つのブログをコンスタントに同時進行していくのは、私にとってキャパオーバーだったようだけれど、それを今さら理解しても後の祭り。。。

一度始めたことは、どんな形になろうとも継続しよう。

それがいつも心のどこかにあるせいか、潔くやめることもできない。

コロナ禍こそ、時間があるのだから!と、思っていたけれど、そうでもなく、家の中にいてもやることを探せば山ほどでてくるのが主婦だ。
そんなあれこれを優先しているうちに、こちらのブログも「すっかりご無沙汰」ということを繰り返している。

いつの日か、主婦としての役割もなくなり、自分のことだけにかまけて暮らしていける時がくるのだろうと思う。

30代、40代の子育てに追われていた慌ただしい頃を思えば、今だって十分に時間はできた。





今週、長女が家を出る。
いよいよ自立の時がきたのだ。

まだ浪人中の次女がいるので、私の役目は完全に終わったわけでもないけれど、上手くすれば5年後には次女も自立する。

それでもまだ私は50代だ。四捨五入すれば60歳の50代だけれど、まだまだ私の時間は残されている。

その時、もしかしたら、ブログを書くことが一番の楽しみになっているかも知れない。

日がな一日、つらつらと3つのブログをめぐっては、あれやこれやと楽しい暮らしを綴ったり、愚痴をこぼしてみたり、モヤモヤとしたことを吐き出したり。。。
ブログが日々を楽しむ糧になるかも知れないとも思う。

どんなに更新頻度が少なくても、やっぱりやめられないのはそういうことが、心の隅っこにあることも一因なのだ。

あまり先のことを考えて、用意周到に生きていくタイプではなかった。どちらかと言えば、刹那主義の代表選手と呼ばれていたくらい、その時々の状況や気持ちによって舵を切ってきた人生だった。

それでもさすがに50代ともなれば、老後のあれこれをぼんやりと想像しながら、歩くようになるものだ。





仕事もするつもりはないから、年金といまある資産で暮らすことになるだろう。

たまに温泉に出かけ、年に一度か二度、夫と海外旅行へ行き、あとは質素にお菓子を食べながらブログを書き、韓流ドラマを楽しむ生活。

そんな老後を想像している。

しかし、根無草体質の外国人を夫にしているから、もしかしたら子供達が自立した後は、どこか違う街、違う国へ行こうというかも知れない。

まぁ、どこへ行ってもお菓子は食べられるだろうし、ブログもネットがあればできる。

私の想像している理想の老後は、案外ハードルの低いものなのかもしれない。

「一寸先は闇」で、未来のことは誰にもわからない。
想像通りの生活にならない可能性だって十分にある。

それでも、どんな状況になっても、健康と少しばかりのお金があればどうにかなるものだ。
あとは気力あるのみだろう。

歳をとればとるほど、人は臆病になる。私もすでに若い頃のような怖いもの知らずな生き方はできなくなっている。

しかし、怖くてもやらなければいけない状況になれば、きっとまたなんでもできるだろう!
そんな気力さえあれば、なんとか楽しく生きていけそうな気がする。
楽天的なこの性格がある限りは。。。

とにかく、理想的な老後の姿だけは、常に念頭において、まずはそちらへ舵を切ろうと思う。

そのためにも、どんな「ご無沙汰ブログ」でも、やめずに続けていくことだろう。