In other words

I really don't know life at all ...

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専業主婦という生き方を選択したのは正解だったのか?子育てを終えた今、思うこと。


毎日呑気にサワードウブレッドを焼くことができるのも、専業主婦だからこそだろう。。。


かなり前、「年を重ねるのは素敵なことなのか」というお話を書いたのだけれど、書いている途中、いつもながら色々な思いが横入りしてきて、危うく大脱線するところだった。
一度脱線すると、饒舌な専業主婦という生き物は後戻りすることができない。
なんとか「これは次にお題にしようと」持ち堪えたのだった(笑)

脱線した行き先は「仕事と家庭」、つまり家庭を持った女性が働くことについてだ。

子供を出産して以降、アラフィフになったあたりで、気まぐれに短期のパートをしたことはあったけれど、それを除けば20年以上はどっぷりと専業主婦をしてきた私には、まったく的外れなトピックだ。
そう思うのだけれど、自分の選んだ人生が正解であったのか?そこに後悔はあるのか?じっくり考えてみようと思う。


まず、私はなぜ専業主婦になってしまったのか?
若かりし頃、特にキャリア志向というわけではなかったけれど、仕事で忙しくしていることがとても楽しかった。
今時の感覚では考えられないワーカーホリックである。
働けば働いただけお金が懐に転がり込んでくる時代だったから、忙しければ忙しいほどに、預金の残高は増えた。
結婚も子供を持つこともまったく興味はなかった。このまま一生自由に仕事をして稼ぐ気満々の20代だった。。。

働くこと=お金を稼ぐこと。
そう考えていた私にとっては、仕事そのものの充実感よりも、お金を稼ぐということが楽しかったのだ。

もちろん、日々新しい人と会ったり、見知らぬ土地を訪れることも楽しみの一つではあったけれど、どう考えても働くモチベーションはお金以外になかった気がする。

ここが、今思えば、専業主婦への道へ繋がったのではと思う。

自分が働かずとも、夫が働くことによってお金が入ってくるなど、こんな素晴らしいことはない。

どんなに働くことが好きでも、稼ぐことが好きでも、そこには必ず代償がある。
仕事をしていれば、頭から湯気が出るほどの怒りを覚えるような出来事もあるし、メンタルおかしくなるのではというくらいのストレスに見舞われることもある。
それでも働くのは、お金が欲しいからだった。
今思えば、夢のないとても下世話な若者であった。。。

自分がそんな過酷な世界に身を置かずとも、夫という他人がお金を運んできてくれる専業主婦という生き方。。。
今、改めて考えると、私にとっては悪くない選択だったのかもしれない。

ただ、専業主婦になったのは、お金が理由ではなかった。





最大の理由は子供だ。

仕事か、子育てか?
多くの女性はここで、一度は悩むことだと思う。

私も悩むほどの深刻さはなかったけれど、「どっちがいいかしら?」くらいは人並みに考えたと思う。
昔のこと過ぎて、よく思い出せないが。。。

昭和生まれの我々にとっては、結婚したら仕事を辞めて専業主婦になるというのは、なんら特別なことではなかったけれど、仕事をするという選択肢も皆無ではなかった。
実際、周りには志高くキャリアを守ろうとしていた人もいた。

知人のキャリア女性は、仕事第一と割り切り、子供は産むだけ、子育てはすべて実母に任せ、仕事に邁進した結果、欲しい地位を手にしたという。
ここまで潔いと逆に天晴れだ。しかし、ここまで割り切れる女性は少ない。

家族と仕事を天秤にかけて、完全に家族を切り離すことは難しい。

私も最初の子供が生まれる時に考えた。自分が望む人生とはどんなものなのかと。
結局、私は「子供を育てる」ことを選んだ。仕事をするのは好きだったけれど、我が子をたとえ一時でも人に預けることができないと判断したのだ。
保育園などで働く方々は、本当に一生懸命にやってくれているのだと思う。それは街を歩いていてすれ違う、保育園児のお散歩風景を見ていて感じる。

人に預けられないというのは、預ける先の問題ではなく、私が人を完全に信用できないという性格によるものなのだ。実母にさえも我が子を託さない人間なのだから。
幸いなことに、夫も同じだった。外国人である夫からしたら、子供をシッターさんなどに預けるのは普通のこととして受けとめてはいるものの、同時にニュースなどで見聞きする、目も背けたくなるような事件も無視できないと考えていた。
おまけに外国人の夫にとって、この国は何十年暮らしていようが異国の地なのだ。何事も完全には信用していないのは、一緒に暮らしていてわかる。

しかし、預けるのが不安だから仕方なく子育てを選択したというのも違う。
子育ては私にとって未知の経験であり、それゆえに「おもしろそうだな」と思ってしまったのだ。

何事も、自分の知らない「初めて」と出会うと、ワクワクするものだ。
子育てはそんな初めての事で塗りつぶされたような生活が続くのだから、日々「へ〜」「ほほ〜」と、産まれて数年は新たなる発見に夢中になった。

産まれたばかりの小さな赤ちゃんが、言葉を発したり、自分の足で歩くようになったりする様子は、ワクワクのみならず大きな喜びすら連れて来てくれた。

子育ては、仕事と引き換えにしても、まったく後悔を感じないほど、実際に面白かった。。。

もちろん愉快なことばかりではない。イライラすることももちろんあった。
人間だもの。。。

しかし、何事も良いことと悪いことは同じバランスであるものだと思えば、そんなことも然るべきと思えた。

しかし、まさか二十数年もかかるとは、その期間に関しては想定外であったといってもいい。せいぜい10年程度で子育てを終え、また仕事をするのだろうと思っていたからだ。

ところが、蓋を開けてみれば、私は今でも専業主婦として、毎日パンを焼き、多肉植物を眺めることが楽しみという、予想もしなかった人生を歩んでいる。。。
夫の稼いだお金で遊んで何が悪い⁉︎
そう開き直った人生だ。

復帰の機会がなかったとは言わない。子供達が小学校に上がった途端に、仕事を始める人も周りにはそれなりにいた。
しかし、時間があるのは子供達が学校へ行っている間だけだ。帰って来れば、お稽古事の送迎や家庭学習など、親がやるべきことは山ほどあった。





今から思うと、多くを望みすぎていたのだと思う。完全に仕事人として復帰を望むのではなく、パートとして、短時間でも仕事を始めていれば、今頃は専業主婦などしていなかっただろうと思う。
しかし、当時の私はどうせ仕事をするなら、フルタイムで働きたかった。
仕事も子育ても、全部自分で完璧にやりたい!それが私の希望であったのだけれど、そんなことはどう考えても不可能だ。。。

結局はこの時点でも、私は子育てを選んだ。
いずれ、子育てから離れる時がきたら。。。そう思っていたのだけれど、そろそろと思った時には、50代間近になっていて、すでに手遅れであった。。。(笑)

無駄な足掻きでパートに出たこともあったけれど、長い専業主婦生活で染み付いた、家事・育児に対する責任というものは、完全に拭い去ることもできず、疲労困憊した。
仕事が面白すぎて、働きすぎてしまった上、家事も専業主婦と同じようにやろうと躍起になったためだった。もちろん無理だった。。。

疲労困憊したのは夫も同じだった。これまで、仕事だけやっていればよかったのが、私がパートで留守にする時間が長くなるにつれ、家事分担を強いられたためだ。
「もう働くのはやめたら?」と、何度も懇願された。

幸いなことに、私のパートは半年程度の短期契約ばかりだったので、一つ終わって少し休み、もう一度という感じで、3つのパート仕事を経験したのち、私は再び主婦業に専念することにした。

一番の理由は、パートをしながらの家事に疲れたから。
40代で大病をしたこと、持病も抱えているため、なによりも健康第一と、疲れるようなことは生活から排除することにした。

ここで家事をせずに仕事だけをしたいという思いもあったけれど、50を過ぎた私にはしたい仕事をするチャンスはもうなかった。
当たり前だ。20年も社会から外れて安穏と暮らしてきた専業主婦に仕事を委ねるほど太っ腹な会社などないのだ。
私が社長さんなら、そんな人間は門前払いする。

パートの仕事もそれなりに楽しかったし、やり甲斐もあったけれど、家事をせずにフルタイムで働くのなら、本当にやりたい仕事を一生懸命にやって、相応の報酬も望みたい。
身の程知らずの欲張りの考えだ。

0か100か。妥協と言うと言葉は悪いけれど、それをよしとしない意固地な性格は歳を重ねたからといって変わるものではない。





最近、「専業主婦から代表取締役になった」という女性の記事を見かけた。多少の興味を持って読んでみたのだけれど、そこに書かれていた「覚悟があるか?」という一文に目が留まった。

専業主婦が完全社会復帰するためには、どんなことがあっても頑張れる覚悟がないと、仕事を続けることはできないといった内容だったのだけれど、そこで合点が入った。

すべてはその「覚悟」ありきだったのだ。

仕事第一の人生も、子育ても、仕事と家庭の両立も、すべてこの「覚悟」次第であったのだ。

子供を持ったとき、私には覚悟があった。
どんなことになろうと、子供が成人するまでは、夫婦二人だけで育てていくという覚悟が。

夫はお金を作る、それ以外はすべて私という役割分担の中、お互いの責任をまっとうしてきた。これは「覚悟」以外の何物でもなかった気がする。

夫はどんな激務の中でも意欲的に働き、家族の生活を支えたし、私も自分のことは二の次と、家族のために全力で家事育児に取り組んだ。

結果、二人の子供は成人し、大学まで進学させた。下の子は今年大学生になったばかりなので、まだ4年間は学費の支払いが残っているのだけれど、幸いなことに国立なので、ざっと計算すれば卒業までに支払う学費は残り250万にも満たない。
これさえ終われば、コンプリートしたことになる。

子育てという一大プロジェクト終了である。

では、そこからまた覚悟をもって、今度は仕事を始めるか?

そう考えたとき、今から仕事に全力投球するような覚悟など持てないと思った。
覚悟もなしに仕事などしては、業務妨害になる。
ただでさえ社会から何十年と外れて生きてきた専業主婦だ。しかも仕事の記憶といえば、バブルの好景気しか知らない。そんな浦島太郎がウロチョロしていたら、はた迷惑だ。
私なら、そんなおばちゃんと働くのはごめんだ。

考えた末、もう仕事はしないことに決めた。
私には仕事に対する覚悟がない。
経済的に困窮でもしない限り、その覚悟はできそうにないので、今の時点では「生涯専業主婦」確定とした。





仕事に対する未練がまったくないといえば嘘になる。
ときどき発作のように「仕事でもしようかしら?」などと口走る。

そんな発作が起きると、家族は全力で止めに入るのだ。
夫は引き続き私のサポートが必要なのだろう。外国人のため日本語の読み書きができず、未だに日本語の書類などは私のところに持ってくる。そして生活全般。家事も含め、仕事以外の雑事はやりたくない人なのだ。
子供達も同じだ。何か困ったことがあると、暇な母親をアテにする。

家族が口を揃えて「マミーは家でゆっくりしてるのが一番だよ」と言って、小遣いをくれたりする。

お金が好きな私を黙らせる賄賂だ。

そこでピタリと発作が止むのは、やはり私にとっての働く動機とは、やり甲斐などではなくお金なのだろう。
幾つになって変わらない。。。

夫婦共働きが当たり前の時代において、まったく時代錯誤な家庭だ。。。
そう思わないでもないけれど、きっとバランスがとれているのだと思う。
家族みんなにとって、快適に暮らすためのバランスだ。

よく、専業主婦ほど危うい生き方はないということを目に耳にする。
離婚や死別など不測の事態に陥った時、生活力が皆無になるからと。これは本当のことだ。

経済がまったく回らない金欠の我が国で、仕事もせずに家事育児だけをしているのは、確かにリスキーだ。

もしも、私があと20歳若かったら、専業主婦という選択はあり得なかったし、子供を産もうとも思わなかったはずだ。

自分の娘たちにも日頃から、有り余るくらいのお金がない限りは、専業主婦になってはいけないと言っている。
経済力がないと自由が妨げられるからだ。

きっと今の50代は専業主婦をしていても楽しく暮らせる最後の世代なのかもしれない。
バブルの恩恵を受け、その時の頑張りが今の暮らしを支えているという人もいるくらいなのだから。
まさに今風に言うところの「時代ガチャ」大当たり世代だ。

結局、そんな時代ガチャの恩恵もあり、専業主婦という選択は正しかったと言える。
子供達の手が離れた今も、私は空の巣症候群に陥ることもなく、有り余る時間を自分の好きなことに費やし、「なんと幸せな人生かな」などと思って暮らしている。





もしもあの時、仕事を続けていたら?

それはそれで、きっと今と同じように満足した人生だったと思う。
覚悟をもって選択し、それをまっとうできれば、どんな道を選んだとしても後悔はないはずだ。

お若い方々の中には、人生の選択に迷いを持っている方もたくさんいると思う。
私にも二人の娘がいて、なにかと相談相手になることも多いので、いまの生きずらい社会で、どんな選択をしたら正解なのか考えさせられる。

そこで指針となるのが、前述した「覚悟」もその一つなのだと思う。
自分は何がしたいのか?何を一番求めているのか、それが明確になったら「覚悟」をもってまっとうすること。
そうすれば、なんらかの結果は出るはず。

娘たちにはそう言っている。
他人様には責任が持てないので、間違ってもそんな偉そうなことは言わない。

そして、もう一つ。。。

自分一人の選択ではなく、ここに夫という存在が加わってくると、ややこしくなる。

人生の伴侶によりけりで、女も男もその人生を左右される。

結婚する前はしっかり両目を見開いて、結婚後は片目をつぶってお相手を見るべし。

娘たちにはそう言っている。

「仕事か家庭」かそこに深く関わってくる伴侶の存在。。。
またしてもお話が膨らみすぎて脱線しそうなので、今日のところは終わりにしましょう(笑)


diary.hw-frankie.com

オラクルカード占い。当たるも八卦当たらぬも八卦に委ねる未来への希望。

ある日、別室で娘二人がワイワイと盛り上がっていた。まったく性格の違う二人、興味の違う二人がどうしたことかと不思議に思いながらも、仲がよい分には平和なので、余計なことは言わず、知らないふりを決め込んでいた。
寝た子は起こさない主義だ。

ほどなくして、二人揃って私の元へやってきた。なにやら大きなカードのようなものを手にしている。

「オラクルカードって知ってる⁉︎」

長女が興奮した様子で、尋ねてきたけれど、パン作りと多肉植物、ブログ以外、特に関心を寄せるようなこともない私は知るはずもなく、黙って首を横に振る。
勝手に興奮されても困る。。。

「これ、占いみたいなものなんだけど、すごく当たるって評判なのよ」

占いなどまったく信用しない私、さらに関心は遠ざかる。。。

「カード一枚で人生がわかるなら、私なんか今頃amazon創始者並みの資産を持ってるわよ」

いつものように、下世話な例で跳ね除けてみたものの、娘達は怯まない。

「なにか悩んでること、迷ってることがあったら、それを思い浮かべて、このカードの中から一枚引いてみて!」

相変わらず我が家の面々は人の感情に無頓着だ。私に興味があろうがなかろうが、カードを引かせるという目的に向かって、ひたすら突き進むのみだ。。。






私はちょうどメインブログにアップする予定の「柏餅」レビューを書いているところだった。
集中して書いているときに、横からカードを引けなどと言われると、イライラする。

しかし、「子供達の言うことには必ず耳を傾ける」という、母となってからの誓いを破るわけにはいかない。たとえ子供達が成人していようとも、子供は子供だ。私が勝手に産んだ子供達なのだ。

一旦、ブログを書く手を止めて、カードを引いてあげることにした。しかし、悩んでいることも迷っていることも私にはない。

そもそも、そんな煩わしいことがあれば、カードを引く前に、自分でどうにかしている。
しかし、そんなことを言っていてはお話が終わってしまうので、適当なことを思い浮かべた。

ちょうどブログを書いている最中だったので、頭に浮かんだのはブログのことだった。
コロナ禍以降、アクセスが減っている。
「お菓子を買いに行って、それを美味しくいただく」という趣旨のブログなので、人の足が止まればアクセスも下がる。
社会を飲み込んだ新型コロナの影響は大きい。私の弱小ブログにさえ打撃を与えてくるほどに。。。
加えてGoogleの度重なるアップデートにより、数年前に比べると、個人ブログの検索順位が大いに下がるという傾向も後押ししていた。

かと言って、SEO対策をするでもなく、アクセスが下がろうが上ろうが、何年も同じように、気ままに書いているブログだ。
ラクルでも起こらない限り、このアクセスも平行線を辿っていくであろうことは、容易に想像できる。

よし、ブログのアクセスについて聞いてみよう。このどうしようもない状況に対し、このド派手なカードはどんな答えをだすのか。

相変わらず意地が悪い。。。





「私のブログはアクセスも減ってきています。この先どうなるのでしょうか」

そんなことを呟きながら、娘の手の中にあるカードを一枚引いてみた。

「はい。これですね」

長女がなぜか占い師然とした口調で、私の手からカードを取り上げると、その結果を読み上げた。

「"TRUST"。今はとにかく自分のしていることを信頼する時です。天使が素晴らしいものを用意しています」

なんと、天使は私にとんでもないミラクルを用意しているらしい!
真顔で「天使」の存在を当然のように肯定している娘。。。いつからスピ娘になったのか?

しかし、いくら信じていないとは言え、結果が良ければ悪い気はしない。120%の疑いを持ちながらも、「天使」の存在が気になり始めてくる。

なんだか気分をよくした私、今度はブログ収益について尋ねてみることにした。

収益化が目的でないとはいえ、毎月メインブログから発生する数万円の収益は、そのまま私のお菓子代になっている。
収益があってもなくてもお菓子は買うのだけれど、お菓子ブログから得られる収益でお菓子代を賄うことができれば、夫の稼いだお金でお菓子三昧の生活をしている「穀潰しの専業主婦」扱いからは逃れられる。

あわよくばに願いを込めて、もう一枚。

「ブログの収益はこの先爆上がりすることはあるのでしょうか。。。」

今度はかなり本気でカードを引いた。

現れたのは「YES!」と記されたカードだった。
ただの「YES」ではなく、「!」のついたYESは、「絶対に」という意味があるという。

これは、これは!

次第に前のめりになる私。

ああ、もしかしたら、数年後には夫から「もう扶養範囲では無理だ。キミのせいで、税金がさらに重くなる」などと、お小言を言われるようになるかもしれない。。。
老後の夢である「全国お菓子を巡る旅」も、ブログ収益で賄えるかもしれない。

頭の中一面に花が咲いた。まさにカラフルなお花畑だ。

「オラクル」と「カラフル」、似ていなくもない。
もしかしたら、このカードの名の所以はそこなのか⁉︎

その結果により、人をいい気分にさせ、頭の中に花が咲くような「希望」をもたせるカード。。。
それが、カラフル、、、ではなくオラクルカード!





人間の欲というものは際限がない。
一つ望むものを手にすると、さらに欲が出てくるものだ。

すっかり頭の中がお花畑と化した私は、さらなる天使の言葉を求め、次なる願いを唱える。

「私は痩せることができますか?」

答えは「It's up to you 」

あなた次第ですって⁉︎

当たっている。。。

なんということか。。。
占いの類は一切信じていない、興味もない。若い頃からスピリチュアルを公然と否定してきたというのに、この食いつき具合といったら!

私はその後も、様々な野望を心に描きながら、次々とカードを引きまくった。

火付け役であった子供達、最初はノリノリだったのだけれど、この頃になると「いい加減にすれば?」といった面倒臭さが露骨に顔に現れるようになっていた。

それでも、頭がお花畑になった私の手は、もはや止めようがなかった。

次はね、次はねと、私は頭に思い浮かぶ事柄を、片っ端から天使に投げつけた。

もう尋ねることはない。そう思うくらいやった結果、私は結論を得た。

それは、「このカードをやり過ぎてはいけない!」ということだった。





何度もやれば、確率的にあらゆるカードが出てくる。中にはネガティブなお告げもあったりする。
すると、途端に理不尽な怒りが湧いてくる。まったくもって身勝手だ。占いすら、思い通りにコントロールできると思っている傲慢さ。いつのまにそんな大人になってしまったのか。。。

そして、また新たなカードをめくる。
もう、全てのカードをめくり尽くしたのではないか?というくらい、引きまくった結果、私にもたらされたお告げは多種多様なものとなった。。。

もはや、意味がわからなくなってきた。

私が占いを信じないのも、まさにそこなのかもしれない。
一つの事柄に対し、常に同じ答えがあるわけではない。そんな漠然としたことに耐えられないのだ。

それを自分の望む答えが出ないと腹を立てるという身勝手な性格が後押しをする。
挙句、たとえルールを無視しようとも、望む答えが得られるまで、没頭するようなところがあるのを、自分自身が一番よくわかっているから、自ら「信じない」と思い込んできたのだろう。
だから、私は占いには近づかなかったのだ。

そうでなければ、私は日本津々浦々を巡り、あらゆる有名占い師に運勢を占ってもらい、最後には恐山のイタコの口寄せにまで辿り着いていただろう。

若い頃、私の友人にも大変な占い好きがいた。よく付き合わされたものだけれど、今思えば、彼女もまた納得する答えを求め、占い師を渡り歩いていたのだと思う。
あの時、占いにハマらなくて正解であった。

私には占いの類いは向いていない。というよりも、もっともスピリチュアルに近づいてはいけない類の人間なのだ。





ここで、少し大人らしく冷静に考えてみた。
『オラクルカード』がすごいと言われる所以について。

それは、やがて来るであろう真実を示しているからではなく、答えを得た人が前向きに物事を考えられるように作られたものだからと推測する。

つまりは「希望」なのだ。

希望のチラ見せ。

私は「希望」というものが大好きだ。
嫌いな人はいないだろうけれど、過剰なまでに信頼しているといっていいほど好きだ。

だからこそ、例え一瞬でもこのカードに夢中になってしまったのだろう。

このカードには希望がある。
正確に言えば、「希望の光」を見せてくるカードということだ。

誰しも未来に起こることは予想できない。どんな順風満帆な人生を歩んでいると思っても、ある時思いがけない落とし穴にポトンと落とされることがある。
それが人生だ。。。

50年以上生きていれば、そんなことは慣れっこにになるほど、私も何度も穴に落ちた。

まさに「一寸先は闇」の人生を私達は生きているのだ。

新型コロナの登場などそのいい例だ。コロナ禍以前は、自由に人とも会えない、街を歩けない、旅行もできない、そんな生活は想像もできなかった。

バブル崩壊リーマンショックを通り過ぎ、さらには新型コロナと、寄せては返す波のように、困難に見舞われ続けていたら、未来を信じることなどできなくなる。

その割には脳天気に暮らしているけれど、逆を言えば、そう開き直ってしまわないかぎりは、先には進めない。

行き先が見えないというのは、とても不安なものだ。何も見えない暗闇の中を歩くのと同じで、一歩踏み出すのが怖くなる。

しかし、もしそこに例え小さくても、光り輝く何かが見えていれば、それを道標に進む勇気が湧いてくる。

ラクルカードに見た「希望」とは、そんな小さな光なのだ。





白けたことを言えば、たかがカードに印刷された天使たちがなにを言おうが、景気はよくならないわよ。。。などと思うのだけれど、「信じるものは救われる」のだ。

実際にそのカードの効力を信じる我が子達は、自分の進むべき道に対しての確信をそのカードから得て、グングンと前に進んでいる。

希望に導かれて、健全に前へ進む。そんな後押しが欲しい人には、とても役立つカードなのだろうと思った。。。


それなら、毎週日曜日に教会へでも通えば同じではないか?と思うところだけれど、私は無宗教だ。
というか、幼い頃は近所の教会へ通っていたこともあるけれど、それは天使のカードが欲しかったからで、信仰とは全く関係のない理由からだった。
天使のカードをある程度収集し、気が済んでからは一切教会には足を踏み入れていない。

そんな邪な欲にまみれた者が行くべきではないので、私よりも更に欲深い我が子達にはとうていおすすめできない。

家でカードで占いをしているくらいが、ちょうどいい。

結論から言えば、「信じる者は救われる」で、このカードも然り。

当たるも八卦当たらぬも八卦

当たればラッキー、当たらずとも、ただの占いだと、その「希望の光」だけを見て、前に進めばいい!

そう言いたいところだけれど、幼い頃の教会通いから考えて、占いよりも、もしかしたらただの「天使のカード」好きによるもの?そんな気もしないでもない。。。

占いに開眼か⁉︎
そう思ったものの、やはり私には無縁のもののようだった。。。

歳を重ねるのは素敵なことなのか?白髪染めで考えた若さへの羨望と老いる気楽さ。

普段はほぼ2週間に一度、白髪を染めるために美容院へ通っている。
コロナ禍では自分で白髪染めを買ってきて染めたこともあったけれど、手間もかかる上に、なかなかキレイに染めることができない。

月に2度もわざわざ白髪を隠すために美容院へ行くのは、正直言ってとても面倒だ。それでも、自分で染めるのとは仕上がりが雲泥の差。なにより座っているだけですべてキレイにしてもらえる楽さは、通う面倒を遥かに上回る。

白髪をキレイに染めてもらった後は、「ああ、これで少しの間は安心だ」そう思う。
しかし、その憎らしい白いヤツは、どんなに塗り潰しても、すぐにまた「白」の陣地を奪還するが如く攻撃を仕掛けてくる。まるでスプラトゥーンみたいな陣地取りゲームのようだ。
また少ししたら、こちらが劣勢となる。

この果てしない戦いを思うと、「いつまで続くのだろう。。。」と、時折うんざりとした気持ちになる。これは若い頃にはなかった悩みの一つだ。
シワやシミ、弛みといった、加齢に伴う悩みも同様なのだけれど、白髪ほど頻繁に煩わしさを感じることはない。

シワやシミ、弛みに関しては、少しずつ、少しずつ、陣地を拡大され、気づけば惨敗といった有様なので、これはもうどう足掻いても敵を打ち負かすことは不可能だから、降参するしかないと諦められる。
しかし白髪は違う。美容院へ行けば、一瞬でもこちらが優位になるのだ。
だからこそ、この戦いがやめられない。





この果てしない白髪との攻防を、いつかやめる日が来るのだと思う。けれど、それは10年、20年先だ。50代のいま、まだ降参する気にはなれない。

歳を重ねることが楽しみという言葉をよく見聞きするけれど、私はやはり若さとは素晴らしいものだと思う。

私には年頃の娘が2人いるのだけれど、彼女達が美容院へ通うのは、ファッションを楽しむためだ。
スタイルを変えたり、色を変えたり、さまざまな変化を楽しむために、美容院へ通う。

しかし、私は違う。美容院へ行くのは、白髪に抗うため、そして加齢のために艶を失ってきた髪を慰めるためなのだ。

もう、それだけで若さとは素晴らしいことだと思える。

確かに歳をとり、楽になったことはたくさんある。
所謂、開き直ることが容易にできるようになったせいで、あらゆることが「どうでもいいこと」「他愛のないこと」に分類されるようになった。

たとえば、自分の容姿にしても、若い頃はことさら自意識過剰になるものだけれど、50も過ぎれば、「もう、誰も見ていないわよ」と開き直り、近所であればノーメークはもちろん、部屋着のままでコンビニへ行ってしまったりもできる。

人間関係においても、誰に何を言われようと、なんとも思わなくなった。若い頃からあまり人のことを気にするタイプではなかったけれど、トラブルがあればその火の中へ飛び込んでいくくらいの熱さは持ち合わせていたものだ。
いまは争うことも面倒だと、よほどのことでもない限りは、スルーするようになった。

刺激のない生活を送っていると、その凪に慣れてしまう。その安穏とした暮らしに少しでも波風が立つと、「ああ、面倒くさい」と思う。

若い頃ならば、躍起になって勝ちをとろうと大騒ぎしたものだけれど、今は寝たふりで済めばそれでいいと思うようになった。知らんふりしているうちに、嵐が過ぎれば御の字。

相手がなんやかんやと突いてきたら、さすがに怒りを爆発させることもあるけれど、そんなことは稀だ。
そういった点では、歳をとるのも悪くないと思う。





諦めがよくなったというのも、歳をとったからこそ手に入れたことの一つだ。

若い頃というのは、誰しもが何某になりたがる。自分の能力や適性を客観視できないというのか、過剰に評価してしまうのだ。見えていないからこそ、恐れを知らず、どんなことにも果敢に挑戦できる。
啓発本に書かれた偉大なる人物の人生に自分を重ね、己の努力は必ず実るものだと信じて、がむしゃらに突っ走るのだ。
もちろん、それで成功を手にする者もたくさんいる。それは本人の努力はもちろんだけれど、本人の資質、時代や社会の流れに後押しされるなど、運もついて回るものだ。

経験値が上がるにつれて、そうしたことを知り、さらに自分の限界が見えてくると、努力だけではどうにもならない物事があることを知る。

女性であれば、結婚や出産などといった要素が加わってくると、さらに事情は複雑になり、家族を思いやったりといった優しさが、仇になったりもする。
仕事か家庭かで世の中の女性たちが多くの悩みを抱えるのも、そこなのだ。

「仕事と家庭」について突っ込むと、お話は脱線し、収拾がつかなくなるので、またの機会にするとして、とにかくこの歳になれば、そんなことにも諦めがつくようになるものだ。

負けで上等とばかりに、開き直ったり、諦めたりできればストレスはない。
これは歳をとったからこそのものだろう。

ただ、少しつまらなくもある。楽だけれど退屈を感じたりもする。
勝ちを取るために競い合ったり、ジタバタと足掻いたりするのは、なかなかエキサイティングだ。
嫌なこと、不快なこと、楽しいこと、嬉しいこと、全ては寄せては返す波に乗り、代わる代わるやってくる。

大波に挑む『ビッグウェンズデー』のジャン・マイケル・ビンセントさながら、人生の荒波に果敢に挑むのは、エキサイティングだ。

ビッグウェンズデーを諦めた老いたサーファーには、もうそんな熱狂を感じることはないのだ。
感じたくても、それが不可能であり、無駄な足掻きとなることがわかる。命を削ってまでも求めるものではないと諦める。

それが歳をとるということなのだと思う。

白髪からビッグウェンズデー。。。
飛躍も甚だしい。





あの美しかったジャン・マイケル・ビンセントはもういない。。。
そんな時の流れを改めて感じると、もはや白髪を受け入れてもいい年齢になったのではないかと思う。
諦めという術を発動させる時だ。

しかし同時に、あの紺碧の海を染める白い水飛沫のように美しかったジャン・マイケル・ビンセントを思い浮かべると、若さに対する絶対的な輝きが羨望の波となって押し寄せてくる。
まさにビッグウェンズデー!

つまりは、若さとは素晴らしいものなのだ。

ハリウッド俳優と自分を同列に並べるほど図々しくはないけれど、若さは万人にとって、あらゆる欠点をカバーしてくれるものであり、エキサイティングな日常を運んできてくれるものなのだ。

ただ、よくよく考えてみれば、そんなエキサイティングな毎日であったら、体力がもちそうにない。
遠巻きにビッグウェンズデーを眺め、「私ももう少し若ければ。。。」と、凪いだ海面にぷかぷかと浮かんで高みの見物を決め込んでいる方が楽そうだ。

若さは素晴らしいけれど、楽な人生もまた然りということか。

若さと引き換えに、そんな安穏とした生活や開き直りを得たとはいえ、50代でグレーヘアーにするほどの潔さはまだ持てない。

人はないものねだりなのだ。白髪に悩まされない若さも欲しいし、エキサイティングな日常も楽しそうと思うけれど、面倒なのは御免。

つまり求めるものは、髪黒々、艶々、若さを抱えたまま、気楽な開き直り人生を!

そいういことだ。