In other words

I really don't know life at all ...

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多肉植物に思う、都会暮らしか田舎暮らしか。メリット、デメリット共にありで揺れる心。

今年になってから、突然多肉植物の面白さに目覚めた。

その前から梅や桜、木瓜沈丁花などの小さな植物は育てていた。また食べ終わったアボカドの種を植えたら元気に成長し、1メートルを超えた鉢もある。他にも同じくらい大きな金木犀の木もある。

緑ばかりでは楽しくないと、一年草の苗を買い、毎年さまざまな花を楽しんだりもしていた。

そこに多肉植物が加わったのだ。ついでにカレーにフレッシュな唐辛子を使いたい!と、唐辛子まで仲間入りだ。

我が家は都心のマンション暮らし。しかも部屋の面積を広く取るためか、ベランダがとても狭い。
洗濯物を干すには支障ない程度だけれど、ベランダガーデニングをするにはまったく広さが足りない。

それでも、多肉植物が仲間に加わるまでは、まだなんとか整理できていた。
しかし、小さかった多肉植物は想定外の成長を見せ、我が家のベランダを埋め尽くす勢いだ。

小さいからと侮っていた。。。

まず、多肉植物には中毒性がある。とにかく個性豊かな姿形をしたものが無数にあるものだから、「これ可愛い、欲しいな〜」と、次々と収集したくなる。

これまで収集癖などなかった私、しかも目的は多肉植物コレクションではなく「成長を楽しむ」ことだった。そんないくつもある必要はない。にも関わらず、気がつけば数十鉢も買い集めてしまっていた。

よくタニラーと呼ばれる、多肉植物を趣味とする人のブログなどを見るのだけれど、もうすごいのなんの!
みなさん、何百鉢あるの?というくらいの多肉祭だ。
そんな方々に比べれば、私などまだ可愛いものだと思う。

それでも、我が家のベランダは、もうこれ以上の新参者はお断りというくらいに満員御礼状態なのだ。





多肉植物は放っておいても増える。。。
茎から落ちた葉が、いつのまにか根を出し、芽を出し、気がつけば小さな多肉植物が一つ出現しているといった具合だ。

この素晴らしい生命力に興味を持った私は、さらに増殖させてやろうと、よせばいいのに「葉挿し」に手を出した。

素人のやることだから、そう上手くはいくまいと思っていたのだけれど、意外なことに葉挿しした多肉の葉は面白いように根を張り、新しい芽を出してきたのだ。

元々育てること、その成長を見て楽しむことが目的だ。毎日眺めるのが楽しくて仕方ない。

こんな風に夢中になっているうちに、我が家のベランダはジャングルと化した。。。

もはや限界である。
私が育てることを楽しめば楽しむほど、ベランダは密林と化す。
かと言って、この楽しみを放棄する気にはなれない。

ここで考えたのが引越しだ。
賃貸マンションなので、出ようと思えばいつでも出られる。
ちょうど今年は更新がある。いっそのこと、広いベランダのあるところに引越しをしようか?

早速ネットで物件を探してみた。
今住んでいるエリアで、大きなベランダや庭のある物件となると、おそらく今の倍以上の家賃を払うことになるだろう。
これは無理なので速攻却下。

少し下れば少しはいい物件があるかも?
地下鉄で30分も下れば、若干家賃は安くなるようだ。。。
しかし、あくまでも「若干」なのが問題だ。

同じような条件、平米数で探すと、たとえ下っても10万も安くならない。
これでは何のために引っ越すのか。。。
家族の了承さえもらえないだろう。
植物のために好物件をみすみす出て、不便なところへ行くのは、どう考えてもおかしい。

そこで考えた。
中途半端に都内などではなく、いっそのこと田舎へ行ったらどうか⁉︎

子供達も成人したことだし、東京で一人暮らしくらいはできる。

どこか温泉のある田舎町で、小さな一軒家でも借りて、植物を育てる暮らしを満喫するのだ。もう多肉植物も増やしたい放題だろう。





2拠点暮らしは考えたことはあるけれど、完全なる移住は無理だと思っていた。

しかし、それは私が生まれ育った東京という街にこだわってのことだ。
若い頃、海外で暮らしていたのだけれど、東京に戻った時、「やっぱりここが一番。ここが私の終の住処だ」と感じた。
そんなこだわりが、心の隅にあるせいか、東京を完全に離れるという選択肢はなかった。

一方で田舎暮らしに対する憧れも、どこかに持っていた。
美しい景色に囲まれ、温泉三昧、晴耕雨読の日々を想像しては、なんとか老後はそんな生活ができないものかと、あれこれ調べたりもした。

しかし、田舎暮らしは簡単ではない。
私は海外で田舎暮らしをした経験が少しだけあるのだけれど、正直とても大変だった。
最初はすべてが目新しく、それなりに楽しかったけれど、慣れてくるにしたがい、その不便さがストレスになってきた。

子供がまだ小さかったので、お休みの日に山や海に出かけたり、バーベキューをしたりと、エンタメには事欠かなかったけれど、遊んでばかりいられるわけではない。その前に暮らしがあるのだから。

あの頃は、私もまだ若かったから、田舎暮らしが退屈に思えたのかもしれない。
今ならどうだろう?
もう、夜の街で遊ぶこともない。素敵なレストランやカフェにも行きたいと思わなくなった。
何が楽しみかといえば、家でベランダの植物を眺めたり、パンを焼いたり、ブログを書いたり、それだけだ。
たまにデパ地下をぶらぶらしたり、お友達と会ってランチがてらお喋りしたりすることはあるけれど、毎日ではない。

つまり、ほとんどの時間、家で一人で楽しんでいる生活なのだ。
これなら東京でなくても、どこでも同じだ。

しかし、憧れだけで安易に田舎暮らしを始めても、あっという間にUターンという話はよく聞く。

ここはしっかりと考えてみる必要がある。





まずメリット。
・冒頭の多肉植物問題の解決。
・移住地を温泉地に近い場所にすれば、毎日温泉三昧。
・知らない地で暮らす新鮮さを味わえる。
・お金を遣える場所が減る=節約生活

他にもあるのだろうけれど、今は思い浮かばない。。。

次にデメリット。
・病院が遠くなる。
若い頃、大病をして以来、定期的に病院へ通っている。
10年にわたり診てくれている主治医のそばを離れるのは、正直不安だ。
何かあれば駆け込める、そんな場所がある安心感は何事にも変えられない。

・車での生活
田舎暮らしで不安なのが車だ。聞くところによると、一家に一台ではなく、一人一台が普通だという。つまり、マイカーがなければ移動できないということだ。
私は運転免許はあるけれど、自分では運転をしない。
運転がとても下手で注意散漫なので、海外の広い道路では問題ないのだけれど、日本ではリスクが高いと運転しないことにしている。
自他共に認める走る凶器だ。このように適正のない人間は、ハンドルを握るべきではないと思っている。

都心にいれば運転する必要はない。バスや電車は数分おきにくるし、タクシーもビュンビュン通る。
運転免許証が身分証明書代わりのみの役割しかせずとも、なんの不都合もない。

・お友達と気軽に会えなくなる。
今お付き合いのあるお友達は、ほとんどが都心住まい。ご近所さんも多く、買い物の途中で出くわしては、お茶を飲んだりランチをしたり、気軽に会うことができる。
これが遠く離れてしまったら、これまでのようなお付き合いはできなくなるだろう。

・虫が多い。


非常に魅力的な幾つかのメリット、それを思うと今すぐにでも東京を引き払いたくなる。

しかし、同時に移住を思い止まらせるほど不安なデメリットを併せて考えると、やはり田舎暮らしは簡単に決めては後悔すると思わされる。





最近、田舎町の温泉宿に2泊して、のんびり過ごしてきたのだけれど、そこで「もしここで暮らしたら?」と、想像してみた。
実際に東京を離れ、山々に囲まれた土地に身を置けば、少しは現実を感じられるのではないかと思ったのだ。

素晴らしい温泉と雄大な景色、心染み入るような静けさ。なんとも心地よく、気分は最高である。

しかし、一歩外へ出ると車なしで行動する難しさを感じたり、旅館の部屋に虫が歩いていて悲鳴をあげたり。。。


結局、想像できたのは上記にあげたメリット、デメリットで、決定打となるようなアイデアは湧いてこなかった。
湧いていたのは、源泉掛け流しの素晴らしいお湯だけだった。。。

東京に戻り、いつものようにベランダにズラリと並ぶ小さな多肉植物たちを眺めては、未だ心はゆらゆらと揺れている。

こんなに揺れるのなら、やはり田舎暮らしは無理なのかと、かなり弱気になってきた。

とりあえず、ベランダのジャングル化を食い止めることに尽力し、田舎暮らしに関してはペンディングすることにした。

特化ブログに雑記が混ざる悩ましさと、ブログを書くことの有効性。

難しく考える必要はないと思うのだけれど、自分の中の決め事にそぐわぬという理由で、悩ましく思っていることがある。

ブログの内容についてである。

複数のブログを持っていると、トピックによってはどのブログに書いていいか迷うことがあるのだ。

元々は「専業主婦の暮らし」といった大雑把な括りで始めた『はてなブログ』だったのだけれど、次第に「今日はこのお菓子食べました」「このお菓子は美味しかったです」と、「お菓子食べました。美味しかったです」としか書かないブログになってしまったため、途中でお菓子に特化したブログに方向転換することにした。
何事もわかりやすいのが一番というわけだ。

そうするうちに、案の定お菓子ブログとはまったく関係のないトピックが出てきたため、「私だってお菓子以外のことを考えているのだ」と、脳天気な専業主婦イメージを覆すべく、サブブログを作った。
それがこのブログである。

しかし、平凡な毎日にはドラマティックな出来事などはほとんど起こらない。お菓子以外のネタと言えば、「なんだかなぁ〜」といったボヤキばかりだ。
結局、日々の愚痴やらなにやらを吐き捨てる場として、月に一度程度しか更新しないという、いつ消えてもおかしくない灯火ブログとして細々と存続中だ。

そして第3のブログ。
これは毎日日記を書くように更新してみようという、新たな試み。。。というか、暇つぶしに作ったブログだった。
コロナ禍で閉じこもる事が多く、仕事もしていない身なので時間が有り余っていたのである(笑)

こちらはある意味、最初のブログを立ち上げた時に考えたコンセプトに近いものがある。
日記というくらいだから、必然的に主婦の暮らしを伝えるものとなる。

日記というよりは、トピックはさまざまで雑記ブログの括りと言ってもいい。





3つもブログがあれば、どんなトピックでも落とし込めそうなものだけれど、どのブログにもそぐわないと感じるトピックもある。
いわゆる「旅行記」のようなものだ。

これは昨年からずっと、どこに書こうか迷い続けているトピックの一つになっている。

ブログを始めた当初は、もちろん最初に作ったメインブログに書いていたので、その流れで半年前の東北旅行も、とりあえずお菓子ブログに書いたものの、果たしてこれがいいものかどうか、未だに迷っている。
迷いの迷路の中、行きつ戻りつしている間にアップできず、ペンディングになっている旅行記もある。。。

サブのこのブログは、愚痴やらなにやら日々思うことを一人呟いているようなブログなので、尚更趣旨にはそぐわない。

旅行記であれば、サブの日記ブログに書けばいいかとも思うのだけれど、そうなると旅行中も毎日詳細なブログを書くことになる。
ホケ〜っと温泉に浸かってのんびりムードいっぱいの時に、そんなことをする気にはならない。

簡単に「今日はこんな感じて過ごしました」程度で精一杯だ。

どう考えても、3つのブログの中に「旅行記」を投稿するに相応しいブログはないのだ。

たかがブログである。
それも他者にインフルエルスを与えるほどのパワーブログでもなし、どこに書いても同じではないのと思うところだけれど、自分の中でカテゴライズした決め事に合わないと、なんとなく整理がつかず嫌なのだ。





これは旅行に特化した「第4のブログ」を作るしかないか?
そう思ったりもするのだけれど、これにはかなり後ろ向きだ。
そもそも旅行などはそう頻繁に行くことはない。今のところは、年に一度か二度がいいところだ。

子育ても終わったことだし、将来的にはもう少し頻度を増やそうと思っているけれど、それも実現するか今はまだわからない。

年に一度や二度の旅行のためにブログを新しく作るのは、なんとなく手間に感じる。
更新頻度が年に数回というのも、意味があるのかないのか。。。
自分のための備忘録として記しておくのもありかと思ったりしたものの、それならブログという形でなくてもいいとも思う。

このまま旅行記に関しては、メインブログに書き続けるのか、無理矢理にでも他のブログに潜りこませるか、とても悩んでいる。

統一性を考えれば、過去に旅行記を投稿したことのあるお菓子に特化したメインブログに書くのが一番しっくりくる。

なんとなくお菓子の中に旅行記が混じってくるのは、自分的に気持ちが悪いものだけれど、仕方がない。

たかが「個人ブログ」、自己満足でいいじゃないのと思うしかないだろう。

そうしよう。

気持ちが悪かろうがよかろうが、このままお菓子ブログに投稿だ!





やはり「書く」という行為は頭の中を整理し、自分自身を納得させることに役立つようだ。

ただ頭の中で繰り返し考えているよりも、言葉にしていくことで解決策が見えてくることがある。

書くことは癒しになる。

それはブログをやっている方々からもよく聞こえてくる声だ。私自身も大いに共感するところだけれど、思考の整理にも大いに役立つことがわかった。

特に頭の回転が著しく衰えてきた中年期には、ことさら有効である。
私など特に、普段はあまり脳を使うことない専業主婦だ。あれこれと考え、それを文字にすることは、少なからず頭の体操になる。

ブログはボケ防止の一助になるに違いない。

些細な悩みなどこの際どうでもいい。
どこでも、なんでも好きに書くがよろしい。

もはやブログはボケ防止を目的としたものになりつつある(笑)
50代でこんなこと言うのは情けないのだけれど、案外切実な問題だ。
最近は物忘れが多くなったり、一度に色々なことを処理するのが難しくなった。
「主婦はマルチタスクじゃなきゃね!」などとイキっていたのは40代までだった。

心身の老化を自覚するたびに、それを食い止めようと必死なのである。
このような嘆きを語りだすと収まりがつかなくなるので、本題に戻る。

結論としては、旅行記はメインのお菓子ブログに上げることにしようと思う。

「されどブログ」だけれど、ここは「たかがブログ」と考えることにした。

クレジットカードは便利だけれど、家族カードは要注意。やっぱり現金が一番いいと思った件。

お金に対する考え方や基準は人それぞれ。どう遣いどう管理するか、今は昔と違って様々な方法がある。
賢い方などは、その用途、メリットなどにより、ベストな方法を選択していることと思う。

私の場合、現金のみが一番性に合っている。自分の持っているキャッシュだけで決済するのが簡単でいい。キャッシュレスを推奨する社会の流れからは、思い切り外れているのはわかっているけれど、何事もシンプルにすれば、把握することは容易くなる。

とはいえ、私も人並みにクレジットカードは持っている。しかも複数枚。そして、人並みに使ってもいる。
これは各種公共料金の支払い、ネットショッピングした際の面倒を省くこと、そして使用した額によって得られるポイントがお目当てだ。

現金が一番!と言いながらも、クレジットカードの便利さには抗えないということなのかもしれない。
上手く使えば、こんな便利なものはない。

その便利さゆえ、遣いすぎてしまうというデメリットもあるため、私はどのカードもショッピング、キャッシング合わせて使用限度額を100万円までに設定している。





なぜ100万円かといえば、なんでも100万円と言っておけばいいという、どんぶり勘定的基準だ。
「いくら欲しい?」と聞かれれば「100万円」と答える。「いくら必要?」と問われても「100万円」だ。
冗談とも本気ともつかない、とにかくなんでも100万円と言っておけばいいだろうというふざけた理由なのだけれど、主婦のへそくりで最低持っていなければいけない額が100万円だというから、多少は意味のある数字なのではと思っている。

そこでクレジットカードの限度額も100万円が多からず少なからず、分別ある額だと判断したのだ。

年齢的に考えると、この設定額は低いのだろうけれど、きついストッパーがあれば、それだけ安心だ。
しかもブラックとかゴールドやシルバーといった立派なカードではなく、20代の頃に作ったままの普通カードを50代になっても継続して使用しているのだ。

たまにクレジットカード会社からカードのランクアップや限度額を増やしてはどうかとのお誘いがあったりするのだけれど、必要ないとずっと断り続けている。

ランクアップすれば年会費も高くなる。普通のカードでも十分事足りているのに、わざわざ高い年会費を払って色付きカードにする意味がどこにある?
限度額にしても、そんなにお金を遣うつもりはない!
そんな思いでいた。ところがそんな考えを覆すような出来事があった。





「クレジットカードが使えない」

突然、夫からそう言われた。初めてのことだった。

夫は外国人のため、「信用なし」という事なのか、クレジットカードが作れなかった。もう20年も前のことだ。
その十年後、安定した収入があるため、銀行口座を開設するついでにと申請したところ、またしても作れなかったのだ。

私はといえば、独身の頃から使っていたカードに加え、専業主婦になってからも普通にクレジットカードを作ってきた。
夫の経済力の証明により私は簡単にクレジットカードを持つことができるのに、その経済力を保証する夫が作れないとは。。。
ブラックな履歴があるわけでもないので、なぜ作れなかったのか、未だに謎だ。。。

結局、面倒くさいので夫には私の家族カードを2枚持たせている。


そのクレジットカードが2枚とも使えないというのだ。

最初は磁気不良か何かの手違いでそんな状態になっているのだと思っていた。
それにしても2枚の違ったカードが使えないというのが怪しい。

どこかで不正利用された可能性もある。

これは放置できないと、ネットで確認してみたところ、まさかの限度額オーバー。
クレジットカードを作って以来、初めてのことだった。

これには驚いた。なんと言っても限度額100万円だ。まさか限度額オーバーになっているなど想像もできなかった。

信用できずに、使用履歴を確認してみたところ、100万円も使用した記録はない。

ネットではらちがあかないので、すぐにクレジットカード会社に問い合わせの電話をかけた。





プッシュでメニューを選び、ようやく「オペレーターに繋ぎます」アナウンスがあったと思ったら、そのまま10分近く流れてくるBGMを繰り返し聴いた。なんという時間の無駄か⁉︎
そう思ったけれど、私はそんな無駄にすら耐えられる暇な主婦だ。これくらいで挫けてはいられない。

ようやく繋がったオペレーターのおばさんに、事の顛末を説明し、あれこれ調べてもらった。

その結果、私にとっては想定外の事態が重なったことによって限度額をオーバーしていることが判明した。

まず、4月から次女が大学へ進学したため、次女が登録してある私のカードで、必要なものを幾つも購入していたこと。
それ自体はよかったのだけれど、その中の一つに30万を超える高額商品があった。
「それはこのカードでは買わないで」と言ったところ、次女はキャンセルの手続きをしたそうだ。それが4月末のことだった。
ところが、キャンセル処理済みの連絡があったものの、カード会社の方では未だペンディング状態になっているのだ。
そちらの会社に確認したところ、決済上のキャンセルはその翌月、または翌々月での処理になるという。

ここですでに30万以上の枠は埋まっていることになる。

残り70万はといえば、20万程度は光熱費や携帯電話代など、諸々の支払いによるものだ。毎月それくらいの額は払っている。

これでもまだ半分の枠しか遣ってはいない。

ここで気づいたのが「締日と支払い日の罠」だ。





例えば4月に使用した分を支払うのは5月の下旬になる。
つまり、5月下旬の支払い日になるまでは、使用額がどんどん積み重なるのだ。
請求は月々だけれど、トータルの使用額は約2ヶ月分ということになる。

考えればわかることなのだけれど、これまでそんなことが起こらなかったので、気にも留めていなかった。。。

キャンセルしたものの未だ決済上はペンディングになっている30万に加え、月々の支払い2ヶ月分ですでに70万を超えている。

それでもまだ30万の枠があるはず!

そう思ったけれど、違っていた。。。

自分は使わずとも、家族カードを持った夫が遣っていたのだった。
ここ最近、出張が多く、週のうち何度も飛行機や新幹線で飛び回っていた。そのチケット代からホテル代、ビジネス関連の食事代など全てカード払いにしていたのだ。

大きな額を遣ったら、必ず領収書を渡すようにと伝えていた。そうすればカードの利用状況を把握できるからだ。
しかし、領収書は会社に経費として請求するため、私の元にはこなかった。
こんな時、口頭で伝えておいてくれればいいものを、夫は何も言わずに淡々と数万円単位のカード使用を繰り返していたのだ。

その結果、限度額がオーバーしたということがわかった。。。

この限度額も、4月使用分の支払い日を過ぎれば解除となるのだけれど、どうも気分がよくない。。。





そして、もう一枚のクレジットカードだ。
こちらも使用できない状態だったので、ネットで使用履歴を調べようと思ったところ、なんと登録したパスワードや確認の電話番号など、さっぱり忘れてしまっていた。
設定したのが十数年前で、ずっと使用していなかったので、これか?あれか?と思い浮かぶものを闇雲に打ち込んでいるうちに、どうやらセキュリティロックがかけられてしまった模様。

怪しい者でありません。。。

機械にそう言ってもわかってもらえないので、電話で使用状況のお問い合わせをすることにした。
とても親切なオペレーターの方が、細かく使用状況を説明してくれた。
結果、こちらも限度額オーバーとの回答。。。

口頭で説明はしてもらったのだけれど、自分でも見られるようにと、ウェブ担当の方に繋いでもらい、ロックのかかったネットの方も復活して頂いた。おかげで、後からじっくり使用履歴を見ることができた。

この犯人は長女だった。

長女には私の家族カードを一枚持たせている。海外で暮らしていたこともあるので、万が一のためと預けているのだけれど、帰国後もたまに使用していた。

それが最近、一人暮らしを始めたことで、新生活に必要なあれこれをお手軽にネットで買い物をし、その全てを私の家族カードで支払っていたのだ。

100万円の使用可能額のうち、25万程度は私が次女の大学で必要なものを揃えたりで使用したのだけれど、残り75万はどこへ消えたかと思えば、長女の仕業であったのだ。

こちらもまた前述のカードと同じく、「締日と支払い日の罠」にかかっていた。
長女的には一気に遣ったつもりはなかったのだけれど、実質2ヶ月でこのカードの75%を使い切ったことになる。

このカードの使い方は、一つのお皿に乗ったお饅頭を、4人でシェアしなければいけないにも関わらず、自分だけがお腹いっぱい食べてやろうという考えと同じだ。
10個のお饅頭を一人で7個半も食べるとは、一体どんな神経をしているのかと、我が娘ながら疑ってしまう。





そもそも私のクレジットカードなのに、みんな当たり前のようにバンバンとカードを切る。
私など、たまにお菓子のお取り寄せや、生活雑貨をamazonでお買い物する程度にしかカードは使用しない。

それなのに、自分名義のクレジットカードも持てない家族の方が、好き勝手にお買い物をし、挙句に2枚のカードを限度額いっぱいまで使い切るとは!
頭から湯気が出そうになった。
もちろん支払いは夫がするのだけれど、なんだかあまりに遣いまくられ、モヤモヤが止まらない。

限度額いっぱいでカードが使えないなんて、なんだかお金にだらしない人間のようで、ムカムカしてくる。

このモヤモヤ、ムカムカをどうしてくれようか?

お金のことでゴタゴタするのは本当に嫌いなのだ。それが自分のせいなら仕方がないけれど、自分以外の人間が原因ともなると、「なぜ、もっとしっかりお金を見ないのだ?」と、怒りでイライラする。

まず「カードが使えないぞ」と最初に抗議してきた夫に怒りをぶつける。

そもそも、イレギュラーにカードを使いまくったことも原因の一つだからだ。

しかし相手も怒りを向けられていると察知し、途端に防御に入った。

「そもそも、限度額をなぜ上げない?4人家族なのに枠が低過ぎる!」

夫が私の「100万円基準」を全否定してきた。

「あなたは一体どれだけのお金持ちなの?勘違いしているようだけれど、我が家にとっては100万円はおろか、10万円でさえ大金なの!」

「年収は上がっているし、生活水準も昔とは全然違うのに、20代の頃から限度額が変わらないのはおかしい!」

夫はしきりに私の「100万円基準」がおかしいと繰り返す。

話せば話すほどイライラが募り、健康上よくないので、私は切り札をきった。

「そんなに不満なら自分のクレジットカードを作ったらいい!家族カード、解約してあげるわ」

この一言で、夫は黙り込んだ。





夫によってさらに怒りの炎が激しくなった私は、長女に抗議の電話をした。
この娘の欲望のままにポチポチとするショッピングが最大の原因だからだ。

「今すぐカードで買い物した分の現金をもってきなさい。来ないなら取り立てに行きます!」

長女は夫と違ってとても素直だ。

「ごめんなさい。引越しで必要なものとかあって遣い過ぎちゃった。カード切った分の現金はあるので、次に会った時に渡します」

ほら、このように素直にごめんなさいをすれば、お話は簡単に済むのだ。

済むけれど、ムカムカとした気持ちが完全に消えるわけではない。
そんなわけで、ブログに書くことでストレス発散(笑)
書くことは時に心を鎮めることに役立つものだ。

家族には私がGOサインを出すまでは、一切カードを使用してはいけないと禁止令を出した。使おうと思っても使えないけれど(笑)

一度フラットな状態にしておかないと、また面倒なことになる。
クレジットカードを使用せず、現金払いをして、少しお金に対する意識を変えて欲しい。
カードだからこそ、あのような乱暴な遣い方をするのだから。





家族カードというのも良し悪しだ。
思えば私も実家にいた頃は、父の家族カードを使用し、時に「遣いすぎだ!」とお説教されたことがあったっけ。。。

お金の勉強としては、いい機会になったはずだ。長女は遣ったカードの分を近日中に私の元へ返済にこなければならない。
ごそっと手元から現金がなくなれば、どれだけ無謀に買い物をしたか実感できることだろう。

夫にもしばらくはクレジットカードの使えない不便な生活をさせて、連絡を怠ったことを反省してもらうことにする。
支払いが自分でも偉そうにして欲しくはない。あくまでもカードの名義人は私であり、与えてもらっているカードなのだから「限度額が低過ぎる!」などとキレる前に、もっと謙虚になるべきなのだ。

クレジットカードを使う際に、肝に銘じていることがある。
銀行に遣った金額が支払える額のお金が必ずあること。これさえ守っていれば破産することはない。

今回、家族は大変たくさんのお買い物をしたけれど、長女も自分の貯金で支払える枠で買い物をしたということで、お咎めはなし。
しかし、あらためてお金については話さなければと感じた。

夫の方は自分の収入もわかっているのでいいとして、今回のように限度額問題もあるので、今後は報告は怠らないように話した。
何を言われようが私の「100万円基準」は変わらない。限度額も上げるつもりはない。

私は一生「100万円基準」でいるつもりだ。

すべてはしっかり把握し切れなかったことが問題だ。今後、今回のようなことにはならないだろう。そう考えると、よいお勉強になった。

そして、ますます「現金が一番!」という思いが強くなったのだった。

ところで、私はまだ使えるクレジットカードがあるので、不便な思いはしないで済む。
この事実を隠し、「カードがー!」と、わざと大騒ぎしている意地悪な私なのであった。