In other words

I really don't know life at all ...

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私がふるさと納税をしない理由と、来年はしてみようかと思っているお話。

少し前のこと、楽天のセールでお買い物を楽しんだのだけれど、出品されている商品の中で、やたらと「ふるさと納税品」が目についた。
ブランド牛に鰻やカニ、ウニもあれば高級フルーツもある。まさにみんなの大好物がてんこ盛りである。
これだけのものが楽天にまでズラリと並んでいるのだから、それだけ多くの人が「ふるさと納税」を活用しているということなのだろう。。。

しかし、私は一度もしたことがない。何故ならば、私は東京以外の街には縁もゆかりもないので、する当てがないのだ。

もしも私が地方の出身であったら、自分の生まれ育った街には恩義も感じていただろうし、両親なども暮らしているだろうから、間違いなく故郷へふるさと納税していただろうと思うのだけれど、あいにく私にはそんな故郷がないのだ。

いまは節税はもちろんだけれど、豪華な返礼品をお目当てにふるさと納税を活用する人も多いと聞く。
どんな思いで、どんな理由でふるさと納税をしているのか、人それぞれだろうし、システムがある以上はどんな理由であれ、それを活用する権利はある。

ふるさと納税」に限らず、国から与えられる権利や義務というものは、必ずしも平等ではない。
だからこそ、あちらを立てればこちらが立たずで、政府の取り決めには不満が出るのだろうけれど、権利があるのならそれを行使するのは決して間違っていないと思っている。
いいか、悪いか、それ以前にシステムがあり、それを使うことによってメリットがあるのなら、誰が何を言おうが、活用するのは悪いことではないのだ。



賛否両論あるようだけれど、「ふるさと納税」も然り。
思い入れのある街を応援したいと思うか、節税した上に返礼品をもらって得をしたと喜ぶか、自分の住む自治体に納税して、自分も含め、そこに住む人々の暮らしに役立ててもらうか?
選択は人それぞれだ。

私の場合、諸々の理由を秤にかけた結果、自分の住む街を選んでいるというだけなのである。

税金の使い道に関しては、一納税者として不満がないわけではない。しかし同時に少なからずの恩恵も受けているはずだ。

私が子育てしていた頃は、子供手当などもまだあった。公立の小学校では放課後に無料で預かりもしてもらえた。医療費も中学生までは無料。
いつも子供を遊びに連れて行った公園も、遊具が揃っていて、しっかりと管理されていた。
これもすべてその土地の税金で賄われているのだと思う。
普段はあまり意識していないけれど、日本という国はとてもきれいで、住環境が整っている。
それは当たり前のことではなく、私たちが税金を納めているからこそなのだ。

もしもすべての人がふるさと納税をしてしまったら、自分の住む街の税収は当然減ることになる。実際に私が住む街も年間で数十億も減収しているという。
本来入るはずのお金が流出することによって、自分の住む街での暮らしに影響が出れば、いくら自分だけが節税できたとしても、結果的にはメリットがないと考えてしまうのだ。

ふるさと納税をしない理由は、ただそれだけ。

正直言えば、税金が軽くなり、おまけに美味しいお肉などを頂ければ嬉しいに違いない。
わかっているのだけれど、それに釣られて我が街に落ちるはずの税金を流出させてはいけないという、意地のようなものもあったりする。
「ボロは着てても心は錦か?」
亡き父によく言われていたことを思い出す。私の融通のきかない性格を揶揄しての言葉なのだけれど、たとえ自分が多少なりとも損をしようとも、自分にとって納得のいかないことには歩み寄れないのだ。

どうせ納税するのなら、自分の暮らす街に。
そんな気持ちと頑固な性格は、美味しそうなお肉を諦めるに十分な理由となっている。



ふるさと納税をしない人は、経済にうとい、意識が低いなど、そんな意見を見聞きすることがあるのだけれど、その度に私は悶々とした気持ちになる。
それはふるさと納税をする理由と同じく、しない理由というものもあるからだ。
実際、私の周りではふるさと納税をしている人はほとんどいない。
類は友を呼ぶだからなのか、親しい友人は皆「どうせなら自分の暮らす街に納税したい」と考えている人がほとんどだ。

「したいけれど面倒」、「したいけれどよくわからないからしない」「ふるさと納税?なにそれ?」

そんな理由でしないのであれば、うといだの意識が低いと言われても納得がいくけれど、あれもこれも一緒くたに、ふるさと納税を活用することが素晴らしいことだと言うのは少し違うと思うのだ。

確かに私はお金に対してはとても無頓着なところがあり、基本的には「金は天下のまわりもの」と思っている。
そのため投資諸々も私にとってはギャンブル同然で、大きく張っては外して一文無しなんてことになる可能性があるので敬遠している。
唯一、積立NISAくらいは満額入れてはいるけれど、それは投資というよりも貯蓄の感覚だからできることだ。

融通が効かない頑固者、へそ曲がり、天邪鬼、、、そんな生き方はやはり損をするようだけれど、損をすることよりも自分の信念の方が大切という場合もある。



ただ、来年はこの「ふるさと納税」というものをしてみようかと考えている。

それは、今年は夫が単身赴任となり、別の街で暮らすようになったからだ。
話を聞いていると、地元の方々にも親切にしてもらっているようだ。日々、不自由なく暮らせているということは、その街からも恩恵を受けているはずなのである。そうなると、お話は違ってくる。

まだどの程度の納税にするか詳しくは決めていなのだけれど、我が家の稼ぎ頭が夫と考えれば、満額納税してもいいくらいだ。しかし私を含め子供達の暮らす街にも納税しなければフェアではない。

それより、なによりも問題は返礼品だ。きっと私が選ぶものは食べ物になるだろうから、それらがもしも要冷蔵・冷凍品であったら、果たして我が家の冷蔵庫に収まるのだろうか?
今でさえ、年末年始のご馳走にと取り寄せたお肉や魚介に冷凍庫を占領され、アイスクリームすら入る余地がないのだ。
そんな状態の時にどっさり返礼品が届いてしまったら。。。
ゆっくり味わうどころか、とにかく消費しなければと躍起になることだろう。
これではせっかくのご馳走も台無しだ。

では、食べるものではなく、別のものにすればいいのでは?とも考える。
例えば生活雑貨などがあるけれど、これは自分なりにこだわりがあるので、使い慣れたものを自分で買いたい。

まだ十分にリサーチはできていないのだけれど、返礼品として一番いいのは、今のところどう考えても食べ物なのだ。
どうせ何十万もふるさと納税するのなら、少しは返礼品によって心躍らせてみたいとも思う。。。

これはなかなか難しい。。。ふるさと納税もすればいいというわけではなさそうだ。

これまで自分とはまったく無縁であると思っていたので、詳しく調べてみたことはない。まだまだお勉強しなければいけないことが山ほどありそうだ。
夫の赴任期間がどれくらいになるのか、今の時点では未定だけれど、来年はその街にいくばかのふるさと納税をしてみようと思っている。
それまでに、リサーチしておくことにしよう。

どんなに「お得だ!」という声が耳に入っても、決してやろうと思わなかった「ふるさと納税」だけれど、恩を受けたら返す。そう考えれば、天邪鬼な私でも、納得して「やってみよう!」という気持ちになるのであった。。。

初めてのアイスショー。服よりも気をつけたい手足の防寒、更年期ヴァージョン。

先月のこと、知人のご好意で初めてアイスショーを観る機会があった。
世界のトップスケーター浅田真央さんのショーだ。
特にフィギュアスケートに興味がなくとも、世界有数のアスリートを生で観覧できるとあって、行く前からとても楽しみにしていた。

しかしショーの数日前になると、楽しみよりも別の心配事が頭を過ぎるようになった。
多分更年期のせいだろう。。。

心配とは服装のことである。なにぶん初めてのアイスショー観覧だ。スケートリンクとはどれくらい寒いのだろうか?服装はどうすればいいのか?と、お得意のgoogleに聞いてみたり、あれこれ考えた。

普通なら「暖かい格好」でいいのかもしれないけれど、私は更年期真っ只中のお年頃だ。
常識では考えられないような生理現象に見舞われることも想定し、ホットフラッシュ対策など含めて考える必要があったのだ。

そして当日は、自分なりに準備をして出かけたのだけれど、真央ちゃんの完璧なスケーティングとは大違い。私の方は決して万全とはいかなかった。
散々考えたにも関わらず、意外な盲点を突かれたのだった。

しかし何事も経験だ。アイスショーはこれが最初で最後だとしても、極寒シチュエーションでは何かしらの役に立つことだろう。
そう思っていたところ、来年また別のアイスショーを観に行こうとのお誘いを受けた。

数ヶ月先の予定なので、忘れる可能性大ということで、備忘録として今回の反省点と対策となり得ることを残しておこうと思う。



まずは服装。
きっと下半身が冷えるだろうと、足首近くまである長いウールのロングコートを選んだ。
本来ならロングのダウンジャケットが一番なのだろうけれど、私は更年期真っ只中ゆえに、ダウンコートは着ないことにしている。
突然、猛烈な暑さに襲われるなどした時に、ダウンを着ていては暑すぎる、脱げば今度は寒すぎると温度調節に難航するからだ。

ウールのコートの下にはカシミヤのセーター、その下には長袖のTシャツを着た。更年期の暑さがなければその下にヒートテックを重ねたいくらいだったけれど、暑さが怖くてそこまでは手が出せなかった(笑)
しかしウールのコートは街中では問題ないけれど、さすがにスケートリンクでは寒すぎる。そこでなにか簡単に脱ぎ着できるものはないかと考え、これだ!と思ったのが、UNIQLOのライトダウンだ。
短いものは持っていたけれど、お尻がすっぽり覆われるものの方が暖かいので、早速UNIQLOでロングのライトダウンベストを買ってきた。お値段は確か7000円でお釣りがくるくらいだったと思う。

これならば暑ければライトダウンを脱いで、クルクルっと丸めれば鞄に収まってしまう。恐ろしく小さく圧縮できるのが、このダウンの最も優れた点の一つである。

ボトムスはスリムジーンズにした。しかしそれだけではない。UNIQLOへライトダウンを買いに行った時、とても薄いヒートテックのレギンスを見つけたのだ。
ジーンズの下にこのヒートテックレギンスを履けば万全だ。
内側にボアのついたパンツがあるので、そちらの方がよかったかとも思ったけれど、ここはコスパ重視でお安い方でよしと思うことにした。

さらに首元もガードしておいた方がいいと、普段使いしている大判のカシミヤマフラーも加えた。



そして迎えた当日。
会場の最寄駅へ向かう電車の中ではさすがにライトダウンは脱ぎ、駅から会場へ移動する際にタクシーの中で着用した。

私としては万全であると思っていたのだけれど、それではまだ不足していたのか、会場へ入る前に知人が足元にかけるブランケットを貸してくれた。
膝掛けといったサイズのモコモコとしたブランケットは温かく、もはやライトダウンなどいらないのではないかと思えた。

ところが、会場に足を踏み入れると、一瞬でひんやりとした空気に包まれ、氷の神様から「みくびるでない」と言われた気がした。

やはり寒い。。。
ものすごく寒い。。。

ライトダウンやヒートテックは必要だった!
自分の備えを褒めてあげたいような気持ちで、当てがわれた席へ行くと最前列だった。
ショーを観ると言う点では最高の席だけれど、足元のすぐ先はアイスリンクだ。
冷たく光る白銀のリンクを前に少し怯んだ。。。

コートの下に着たライトダウンのボタンをすべて閉め、さらにウールのコートを身体にギュッと巻き付け、ブランケットで腰から足首までを覆った。
首元にもたとえ少しの冷気も入り込まないよう、マフラーをグルグルと巻いた。

ショーが始まるまでの15分ほど、じっとそのままでいたけれど、まったく寒さは感じなかった。
借り物のブランケットという援軍はあったものの、自分なりの備えとしては間違っていなかったと確信した。

やがてショーが始まり、寒さも感じないままに没頭していたのだけれど、1時間ほど経つと手足の先が冷たくなってきた。
手袋を持ってくるつもりだったのだけれど、服装に気を取られて忘れた。。。
しかし手はポケットに入れていたら、じきに温かくなった。

問題はつま先だった。今から思えば靴にソックスだけというのは、あまりに無防備であった。
足の先がジンジンと冷え切り、次第に感覚がなくなってきた。



どこか身体の一部に寒さを感じると、体全体が薄寒く感じるようになる。しかし、どうにもできない。
ブランケットで足首まではカバーできても足の先までは無理だ。
一番氷に近い場所にいるつま先が、無惨にも寒さにさらされていたのだ。
せめて厚手のソックスにすればよかったと思ったものの、若い頃、スキーへ行った時のことを思い出した。専用の分厚いソックスを履いてもなお寒かったではないか。。。

ではどうしたらつま先を寒さから守れるのだろうか。。。思いついたのがムートンブーツだった。
厚手のソックスを履き、ムートンブーツでカバーするのが一番だ。
家には最近履かなくなったUGGのムートンブーツが何足がある。なぜあれを使わなかったのか、ショーが終わってから、ジンジンする足の冷えを感じながら下駄箱に入れっぱなしのUGGを思った。

私が危惧するべきは、ボディーの防寒ではなく、手と足の先だったのだ。
もちろん身体も暖かい服で覆われていなければいけないのだけれど、これは色々とチョイスがある。
会場に来ていた人達の服装を見たところ、ほとんどの人がロングのダウンジャケットを着用していた。
ただ人によって体感温度は違うので、各々適した服を選べばいいだけだ。基準としては真冬に外で数時間ぶらぶらすることを考えた服装でいいだろう。
私のようにダウンジャケットでなくても、重ね着をするという手もある。

しかし足先とは、おおかた感じ方に違いはないだろう。
スケート観覧などに行き慣れた人や、雪国育ちの方なら想像はつくだろうけれど、私のようにアイスショーとは無縁で、東京でぬくぬくと生まれ育った者からしたら、手足の冷えは全くの盲点であった。

アイスショー観覧で決して忘れていけないもの、それは手袋とムートンブーツであるという教訓を得た。

小ぶりのブランケットもあるといいだろう。ただし、マイカーならいいけれど、公共の交通機関を使う場合は、荷物になるのでちょっと無理そうではある。

つま先が割れるようにキンキンに冷えていたけれど、浅田真央さんのスケーティングもショー自体も素晴らしく楽しいものであった。
楽しく夢中になって観覧していたからこそ耐えられた冷たさだったのはいうまでもない。

それでも次回こそは、寒さ知らずでショーを楽しみたいと思うのであった。。。

50代は人生の転換期。だからこそブログという趣味があってよかったと思う。

まだ若い頃、50代という年齢に対して、それほど関心はなかった。
世間では歳を重ねることは素敵なこととされているけれど、40代までは若さに対する執着も少しばかりは残っていたせいで、歳を重ねることを喜べずにいた。
実際に50代となった今でも、もちろん喜んではいないけれど、それなりにいいことも実感できたし、なによりも観念したので、もはや執着はない。ただ、羨ましいだけだ(笑)

40代までは私もまだ主婦として、家族のお世話に忙しくしていたので、50代というのはその延長線上にあると漠然と思っていた。
40代、50代は、「若くもなく、老人でもない年齢」という括りでたいした違いはないと思っていたのだ。

ところが、いざ自分が50代になってみると、40代とはまるで違った世界に足を踏み入れたことに気づき、ちょっとばかり驚愕している。

それはプラスのこともあればマイナスのこともある。

まずマイナス面からになってしまうけれど、身体の変化があげられる。
私の場合、50を過ぎてから更年期がやってきた。
それは大騒ぎするほど酷いものではないのだけれど、それでもさして原因もないのに体調が優れなかったり、訳のわからない不安に襲われたりと、鬱陶しさを感じるに十分な実感がある。

体力の低下も著しい。無理をして連日忙しくしていると、疲労感が常につき纏い、挙句の果てには石のように身体が動かなくなる。

そんな時期に乗じたようにやってきたコロナ禍。。。
度重なる自粛によって、外出の機会も激減し、仕事もしていない専業主婦の私は家にこもることが多くなった。
それまではウォーキングだ、ランチ会だ、ショッピングだと、連日歩き回っていたのが、途端に動かなくなったものだから、運動不足という事態に陥ったのだ。
おかげで少し動けば筋肉痛、同じ体勢でいると関節が痛み、体力低下はどんどん加速していった。

同じように以前に比べて運動不足を嘆くようになった娘達に聞いても、私の感じているような変化はないという。
やはり年齢によるものが大きいのだと思う。

最近はプランクという体幹を鍛える運動を始めたので、少し改善してきてはいるけれど、やはり40代の頃とは比べ物にならない。
自分の身体が一歩一歩、少しずつ老いに向かっているのがわかる。

老人がよく、あちらが痛い、こちらも痛いと言うけれど、その入口が50代なのだと知ったのだ。



身体的なことはマイナス面だけれど、悪いことばかりではない。
自分が歳をとれば、同じように子供達も成長する。

50代になり、子供達も二人とも成人した。もはや親がとやかくと世話を焼いたり、口を出したりする年齢ではなくなった。つまり、子育て卒業というわけだ。

子育てが終わっても、まだ「夫」という、もっとも手のかかる子供が残っていると思いきや、タイミングよく単身赴任となった。
夫も50を過ぎ、これからは自分の好きなことがしたいと思ったのだろう、やりたい仕事のために単身赴任生活を決断して東京を離れた。
月に一度、3日間ほど帰ってくるけれど、それ以外はまったくお世話をしなくてもよくなった。

これは神様からの贈り物か?と思うほど、幸運な出来事だ。

つまり、私は独身時代のように、自分のことだけをしていればよくなった。
40代の頃とは大違いの自由な毎日を獲得したのだ。

これが人生の転換期というものなのかもしれない。
時が経てば生活も変わる。それは当たり前のことなのだけれど、実際に自分が経験して、ようやく実感が湧いてきた。

棚からぼた餅とばかりに降ってわいたこの自由。最初はその解放感に酔いしれていたものだけれど、次第に持て余すようになってきた。



専業主婦のお仕事である家事も、まるで一人暮らしのように楽になった。子供の世話を焼く必要もなく、食事の献立に頭を悩ませたり、時間に追われたりすることもなく、全ては自分のペースで行動できる。
これまで家族のために使っていた数時間が、すべて自分のものになり、時間を気にせずに好きなことをして過ごせるようになったのだ。

それは喜ばしいことなのだけれど、不思議と焦りの気持ちが湧いてきた。

退屈するということではない。時間があればお友達と会ったり、一人でぶらり買い物や映画にいったり、出かけなくても本を読んだり韓流ドラマを観たりと、やりたいことはたくさんある。
ただ、こんなふうに生産的ではない暮らしをしていていいのだろうかという焦りが出てきたのだ。

こんな場合、普通なら仕事でもしてみようかという気になるのかもしれない。やり甲斐とお金、二つが同時に手に入れば一石二鳥である。
しかし、私は仕事をするつもりはない。もう何年も前にそう決めたのだ。

私にとって仕事をするということは、若い頃から変わらずお金のために他ならない。
確かに仕事をしていれば達成感やそれ以外の楽しみもあるけれど、それと同じくらい大変なこともある。
それでも働いていたのはお金のためだ。自分のしたいことを叶えるため、ちょっとした贅沢を求めて、お金を作ることに楽しみを見出していたのだ。
時代もよかった。今のように経済が停滞していては、どんなに働いても虚しさを覚えただろうけれど、昭和の時代は働けば働いただけ懐が潤ったのだ。

若い頃というのは、煌びやかな暮らしに憧れるものだ。我が家の二人の子供達を見ていても、呆れるばかりの物欲を持って消費行動に精を出している。
昔の自分をそのまま見ているようだ。



しかし今はもうそんな欲もすっかりなくなった。
歳を重ね50代となってからは、欲が自分自身を輝かせてくれるものではなくなったのだ。
素敵な服を着ても似合わなくなり、ヒールの高い靴を履けば足が疲れて歩けなくなる。ブランド物の革バッグは重たく、肩に負担がかかる。
美容に関しても、白髪を染めるために美容院通いをしているようなものだ。
以前は銀座の少しお高い美容院へ通っていたけれど、投資したぶん見返りが期待できないのがわかった。それは美容院の問題ではなく、私が歳をとったせいなのだ。どんなにお金をかけようとも加齢を救うことはできない。
今はもっと気楽なサロンに変えた。そのおかげで美容院代は半分になり、とても満足している。

今年は数年ぶりに新しいコートとバッグを新調した。それも「欲しい」からではなく必要になったからだ。
シンプルなデザインで素材がよく、縫製さえしっかりしていれば、服は長く着られる。しかし10年以上となれば年齢にそぐわないものも出てくるし、ちょつとくたびれてくるものもある。
そんな服を断捨離したために、着る物がなくなってしまったのだ。
そこで新しい服を買ったのだけれど、それすらこれから少なくとも10年は着続けるものだ。



正直、突然降って湧いたように与えられた自由を持て余していると言ってもいい。
そのせいで、ブログばかり書きたくなる(笑)

それはブログを書くことで、生産的な暮らしをしていると、思えるからなのだと思う。
社会的な生産性はないとしても、自分を満足させるに、ブログは十分な効果がある。
別にやらなければいけないことではないのだけれど、毎日更新を縛りとしているブログもあるので、まるで仕事のように毎日一定の時間はブログに時間を割いている。

人生の転換期というのは、一生に一度のことではない。これから先も自分の生活が変わる時というのもに出会うだろう。
それでも、私のように平凡に生きていれば、これ以上忙しくなることも、暇になることもなく、変わらず暮らしているのだろうと想像できる。

10年後、もしもブログよりも熱中できる趣味でも見つけない限りは、変わらずブログを書いていることだろう。

元々無趣味で、いまでもこれといった趣味はない。お菓子を食べること以外は、毎日やりたいと思うのはブログくらいのものだ。
人生の一つの転換期を迎えたいま、ブログという自己満足があって良かったと、つくつぐ思ったのだった。。。