In other words

I really don't know life at all ...

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雇用保険による給付。ハローワークで就業促進定着手当の申請に行った話。

雇用保険というもの、払ってはいても、これまでその恩恵を受けたことがなかった。
もちろん今の私は専業主婦なので、そうしたものとは無縁なのだけれど、かつて働いていたとき、また雇用保険を払い続けている夫にしても、これまで保険の給付を受けたことがなかった。

昨年の2月、夫の転職に伴い数ヶ月間は無職になるだろうことが予想された。これは失業保険がいただけるか⁉︎と、夫にはハローワークへ行ってもらった。
夫は外国人なので、このような手続きに関しては、常に私が指揮棒を振るのだ。

今は外国人も多いのだろう。窓口にいた方がとても親切に申請の手続きを手伝ってくれ、無事に失業保険の給付が始まったのだけれど、その額に驚いた。。。
これでは家賃すら払えないではないか⁉︎

雇用保険などかけていても、なんの足しにもならないじゃないのさ!と、お友達相手に散々愚痴っていたのだけれど、私は間違っていた。。。
無知による思い違いだ。


雇用保険を払っていたことの恩恵とは、次の仕事が決まるまでの求職中にだけ得られるものと思っていたのだけれど、実際それは雀の涙で、本討ちはその後に続くものだったのだ。

仕事が決まると、再就職手当という、いわゆるお祝い金のようなものが給付される。これが結構な額で、再就職手当とは「こんなにいただけるのか⁉︎」とたいそう驚いた。
これはダラダラと失業保険を受けることを阻止するための狙いなのだろうか。「早く就職すれば、もっとあげるよ」というカラクリになっているような気がする。。。
いや、もしかしたら本来もらう額をまとめてもらっているだけかもしれない。
いずれにしても、まとまったお金が一気に振り込まれると、かなり得をした気分にはなる。

再就職手当の額はそれぞれだけれど、夫の場合はかなりの額が給付された。
その決定金額の通知として送られてきた用紙に目を通すと、更なるご褒美が用意されていたのだ。

それは半年後継続して勤務していれば、さらに就業促進定着手当なるものの給付があるのだ。ただし、条件があって前職よりも収入が減った場合のみとなっている。

年俸が大幅に減少した夫に、バッチリと当てはまる。これを逃してなるものかと、忘れないようにカレンダーの半年後の日付に赤丸を入れておいた。



ところで、夫は日本語が読めない。平仮名なら少しは読めるけれど、それは小学校1年生レベルだ。
ハローワークから送られてくる書類などは、最初から放棄して私に丸投げしていた。
つまり、これら給付金についても、私が教えない限りはわからないのだ。

さすがに内緒にして私が給付金を着服することはできない。会社から書いてもらう書類や収入に関する証明など、用意しなければいけないものもあるので、一応は夫に必要書類の準備が必要なことなどは告げなければいけない。

しかし書類のやり取りは、会社と私との間で直接処理してしまうので、夫は「妻がこんな書類を送るのでよろしく」と、ちょっとだけ口添えするだけなのだ。

昨年末から少しずつ申請の準備を始め、ようやく必要書類の準備が整ったところで、あらかじめ用意していた委任状を持って、いざハローワークへ向かった。

年が明けて間もない頃だったので、多くの人で混雑してるかと覚悟して行ったのだけれど、実際はそれほどでもなかった。

なにぶん初めてのことなので、受付で訪ねてみたところ、案内されたのは失業保険給付窓口のあるエリアだった。

そこには番号札の入った大きなファイルが置いてあった。説明を読むと、そのファイルに必要な書類を入れ、備え付けの黄色いボックスに入れ、番号札を抜いて待てばよいとのこと。

用意してきた会社からの書類や給与明細のコピー、委任状など一式ファイルに納め、黄色いボックスに入れた。
私の小さな鞄には収まらないくらい大きな番号札を手に、待合の椅子に腰掛けた。

そこには20代から50代くらいの男女が数人いた。中には夫と同じくらいの年齢の外国人男性の姿も見られた。

次々と番号が呼ばれる。
「内容によって順番が前後します」と、そこかしこに書かれているように、呼ばれる順番は若干前後していた。

30分経過しても、まだ私の番号は呼ばれない。。。呼ばれては次々と席を立って行く人々。番号はどうに40人くらいは追い抜かれていただろう。

しかし、私は待つ術を知っていたので問題はない。
人気のお菓子を買うために最長で2時間並んだ経験がものをいう。昔取った杵柄だ。
こんな時は、スマホはてなブログのアプリを開きさえすれば、いくらでも時間を潰すことができる。

なんと言っても3つもブログを持っているのだ。書かねばならぬことはいくらでもある。
書くのに飽きたら、今度は写真の整理と加工という作業もある。
メインのお菓子ブログのために撮った無数の写真群の中から、これぞ!というものを選び、トリミングしたり明暗調整したり、夢中でやっていると、数時間などあっという間だ。



私の番号がようやく呼ばれたのは40分ほど経ってからだった。
通常の失業保険給付を受ける方々は、カウンターで立ったまま一言二言交わし終わりのようだったのだけれど、私は椅子のあるお席に着席するように促された。

これからなにを探ろうというのか、どんなことを聞かれるのか少しワクワクしていたら、ただの身分確認だった。
夫の代わりのため、委任状を提出していたので、私が何者かを確認する必要があったのだ。
顔写真付きがいいだろうと、免許証を提示し、細かくチェックするのを見ていた。

免許証が返され、さて次はなんだ⁉︎と思っていたら、それで終わり。。。
申請は身分確認だけであっさりと受理され、「あとで書面で通知が行きますから」の一言でお開きである。
あの40分という待ち時間の間に、一体なにがなされたのだろう。
たった数枚の書類を確認するだけで、あれだけの時間がかかるということは、なにか裏取りのようなことがされていたのではないか?

徴収する時は簡単に「払いなさい。そうでなければ延滞金がつきます」で済ませるけれど、あげる段になるととたんに渋くなるのがお国の得意芸である。
どこかで粗探しでもしていての40分ではないのか?と、疑心暗鬼になる。

前もどこかで書いたことがあるのだけれど、こちらから申請しない限りは給付を受ける権利があっても、あちらからは「あげるからいらっしゃい!」などと、親切な声掛けなどはしてくれない。
それは雇用保険に限らず、一時が万事なのだ。
雇用保険を払い続けていたにも関わらず、知らなければ一銭も懐には入らないということだ。

そして、いざ申請したらしたで、今度は目を皿のようにして、8枚足らずの書類に不備がないか40分もかけて確認するのだ。

文句ではない。お金に関することはそれくらい徹底してくれたほうがいいとさえ思う。

しかしながら、安心安全な日本だけれど、ボーッと生きていては損をするばかりなのかなと思ったのも確かだ。

まだ給付の決定通常は届いていない。
どれだけ時間がかかるのか、大まかな目安だけでも聞いておけばよかった。
お役所のやることなら、きっと時間はかかるだろうけれど、それは構わない。
一番気になるのは、給付額である。

全額着服しようとは思っていないけれど、夫には「足代、お駄賃は頂きます」と伝えてある。

今月、来月と何件か旅の予定がはいっている。旅先で美味しいものが頂けるくらいのお駄賃は欲しいものだ。

初詣は氏神様へ。おみくじは今年も大吉、その意味を読み解いてみた。


明けましておめでとうございます!

今年もまた氏神様の元へ初詣に行った。
以前は神田明神明治神宮、子供達の受験年には湯島天神など、誰もが知るような神社で初詣をしていたのだけれど、ここ数年は自分が住む街の氏神様の元へ行くようになった。

大きな福を得ようと勢いのあった頃は、なんとなく大きな有名な神社に足が向いたものだけれど、そんな強い欲が落ち着き、日々の変わらない暮らしを願うようになってからは、いつも近くで見守ってくれている神様に自然と足が向くようになった。

我が街の氏神様がいるのは、住宅街の中にひっそりとある小さな神社だ。
それでも三ヶ日には近隣の多くの人が初詣に訪れ、なかなかの混雑ぶりを見せる。

昨年は次女の受験などもあったので、3日に家族で詣でたのだけれど、まだ結構な人出だった。
しかし、しっかりと願いは受け入れていただき、無事に次女は合格を頂いた。
ちなみに、その前の年は有名な某学問の神様を詣でたのだけれど不合格だった。あまりにもお願いに訪れる人が多いので、全員には手が回りませんといったことなのかもしれない。
やはり氏神様の元へ行って正解だったのだ。

今年は一人だったこともあり少し遅い4日に詣でた。

手を合わせて昨年の御礼をしたあと、小さな神社の中を一回りしてからおみくじを引いてみた。

昨年は大吉だった。
家族は皆、末吉だったので確率的には一般で言われるように15〜30%ほどの確率なのだろう。
さすがに今年も大吉を望むのは欲張り過ぎだと、中吉あたりでお願いしたいと思ったところ。。。



なんと、結果はまたしても大吉だった。

いつもはサッと手に触れたものを引くのだけれど、今年はちょっとばかりゴソゴソしてみた。
手でおみくじがたくさん入っている箱の中をゴソゴソとし、「おお!これぞ」という感触のあるものを引いたのだ。
その結果の「大吉」だった。

これで今年も安泰だとほくそ笑む自分の性格。。。実に単純である。誰でも大吉を引き当てればいい気分になるのだろうけれど、私は本気で「2年連続の大吉とは、もはや私の人生は約束されているも同然」とばかりに有頂天になる。

さらには欲を出し、「この勢いで宝くじなど買ったら、当たってしまうのではないのかしら⁉︎」とまで思う。
実際に試したことはあるけれど、残念ながら大当たりはなかった。
しかし、たとえ数百円でも当たれば「ほらほら!やっぱりついてる!」と、有頂天にさらに拍車がかかる。 

運もさることながら、実はこの能天気さこそが福を呼び込んでいるのかもしれないと思うのだった。

何事も深刻にとらえない。
いや、一応は人並みに深刻に悩んだりもするのだけれど、そんな状態が続くとうんざりして面倒になるのだ。「もうどうにでもなればいいわ」と投げ出すので、側からみるとかなり能天気に生きているように見えるらしい。
よく言えば楽天家、悪く言えばいい加減というのだろう。

そんな単純な私なので「大吉」となればすべてにおいて絶好調も同然と思っていたのだけれど、書かれている文言をよくよく読んでみると、どうやらそうでもない「大吉」があるらしい。

50年以上毎年おみくじを引いてきて、初めて知った事実。。。



「願望は後に整う」とのことだけれど、「待ち人は来らず」、「失物も出がたし」とある。商売は「買うのは損 控えよ」なのだそう。。。
なんだか「末吉」あたりで出てきそうな文言だ。

これはそのままストレートに解釈するのではなく、今の自分に当てはめ、その意味を読み解く必要がありそうだ。

「待ち人」待っている人はいないので、来るはずもない。

「失せ物」も失くしたものなどないので出てくるはずもない。

商売は「買うのは損」とある。もはや商売っ気など出さず、財布の紐をしっかりと締めて、無駄な出費はするなという節約のすすめ。

そのように都合よく考えれば、これもありがたいアドバイスだと素直に受け止めることができる。

色々と面倒くさいことを考えたけれど、結局なにが書かれていようが、「大吉」なのだ。おみくじの中で一番の大吉を引き当てたのだ!
もうそれ以外はなんでもいいではないかと思う。

神様の言いたいことも一つだ。
日々、感謝の心を忘れず祈れば、きっとご加護があるでしょう!ということなのである。
困った時は神頼みをするくせに、実際は神様の存在に対して半信半疑な私の心を、氏神様は見透かしているのだろう。

神様を信じて祈りなさいと、重ねて書かれていたくらいなので、神様も私の信心に対しては半信半疑なのかもしれない。

厳しく「凶」を与え、己の行いを顧みてその心を改めるという逆境は、この人間においては逆効果。それなら「大吉」を与えて有頂天にさせた方が、よい人間になりそうだという神様の判断なのかもしれない。

もしそうだとしたら、やはり神様はすごい。しっかりと我々の行いや心のうちを見てくれているということなのだ。

「信じるものは救われる」と言う。

今年は是非とも神様に祈ろう。

ところで、少し前にこのブログで書いた「更年期による不安症、心配症」については、年が変わってから改善されてきたように感じている。
特に初詣に行って以来、なにやらスッキリとして、寝る前に動画など観なくても平気になった。

またいつぶり返してくるかはわからないけれど、初詣というのは気持ちをリフレッシュし前向きにしてくれる効果があるのだと実感している。
よくパワースポットなどと言うけれど、あながち嘘ではなく、心身浄化という意味では意味のあることなのかも知れないと思ったのだった。。。

年末調整の還付金が1月になったことで、年末年始の支出が減った。

例年12月の給与には年末調整の還付金が加わるので、今年も給料日の朝、ホクホクと足取り軽くも銀行へ出かけた。
さてさて、今年はいかほどお返ししていただけるのか、通帳を記帳してみると、いつもと変わり映えのしない数字が並んでいた。
期待した還付金が入金されていなかったのだ。。。

なぜ?なぜ?なぜ?
それは困る!

この時まで、私は還付金なるものは必ず12月に入金されるものだと思っていた。
私が働いていた時もそうであったし、何度も転職を繰り返している夫も、常に12月のお給料には還付金が加わっていた。

軽く動揺したため、その場で単身赴任中の夫に電話をかけ「還付金が入ってない!」とやや大袈裟に訴えた。
今年は転職したばかりで、クリスマスも年末年始も返上で仕事をするという夫、12月に入ってからとにかく忙しいようだ。
毎日、朝晩欠かさずにFaceTimeで連絡してくるのは変わらないのだけれど、常に移動の車の中か、デスクに座っている。
本来なら年末調整の還付金などに構っている暇はないといった状況なのだろう。
忙しいところ申し訳ないけれど、私にとっては夫の忙しさよりも還付金なのだ。

お国というのはまったく薄情なもの、悪くいえば姑息で、徴収するときは執拗にとことん追い込んできてまで巻き上げるのに、いざ自分が返す段になると途端に静かになる。こちらが気づかず申請をしなければ、しめしめとそのまま知らん顔をするのだ。

長年に渡り専業主婦などしていると、社会の動きにうとくなるものだけれど、貰えるものは1円たりとも逃しはしないと、お金のことに関しては常に目を光らせ、守銭奴政府に対抗しているつもりでいる。



年末調整の還付金に関しては、会社にお任せできるので、キリキリせずとも還付金は給与と共に振り込まれる。毎年年末調整書類だけは細心の注意を払って記入するのみと、安心し切っていたが、いざ還付されていないと知ると、散々税金を徴収しておきながら、還付金を着服するつもりなのか⁉︎と疑惑の目を向けてしまう。
更年期ゆえ、普段よりも疑り深く、何事にも疑心暗鬼になりがちなのだ。
心身共に普通ではないので、それは仕方ない。

きっと夫もそれを承知しているのだろう。ちょっと笑いながら、「会社に確認するから」と電話を切った。

ここですぐに折り返さないと、更年期妻はますます不安に煽られ、大騒ぎするのは想定内ということで、すぐに折り返し連絡があった。

「この会社は1月なんだって」

1月のお給料と一緒に振り込まれるらしいとのことだった。

還付金が年内に振り込まれないなどということがあるのか。。。
生まれて初めて知ったことだった。

毎年、振り込まれた還付金は「元々なかったお金」と思うことにして、年末年始のご馳走にすべて投入していた。
まるで棚からぼた餅のように思える還付金だからこそ、大盤振る舞いしてきたというのに、それがないとなると、ケチンボな私は途端に消費にもストップがかかる。



私は「これから入るであろうお金」はないものと考える。自分の持っているお金だけが、私のお金なのだ。確実に入るであろうお金でも、自分の手元にこないうちは一切期待はしない。
どんなことも「一寸先は闇」と考えて、お金も遣い方を考えるようにしている。

おかげでこれまで借金とは無縁の人生だ。
数学はあまり得意ではないけれど、足し算と引き算さえできれば、お金が足りないとアタフタすることもない。
あれば遣うし、なければ遣わないだけである。

さすがにこの歳になれば、どんぶり勘定はしないけれど。お金に関しては至ってシンプルに考えるようにしている。

夫は私のことを「お金を遣い切るのが上手」だと、皮肉を言ったりする。
その通りだ。これまで夫から頂いた生活費はきれいに遣い切ってきた。
頂くお金が何十万単位で減っても増えても、多過ぎるとも足りないとも言ったことはない。

夫が転職する際、4ヶ月近く無職であったときも同じだ。
さすがに職安から支給される失業手当だけでは、家賃すら払えなかったので、その期間は貯金を取り崩して賄ったけれど、まだ賄うお金があり、普通に生活ができるのだから、問題はないと考えていた。
この時のように、なにかあったとき、多少のバックアップがないと不安なので、その分はキープしてあるけれど、基本的に入ってきたお金は遣い切ってきた。

夫が言うのは金額の大小に関わらず、しっかり遣い切っている、つまりは帳尻を合わせるのが上手ということなのだ。

しかし50も過ぎれば老後が視野に入ってくる。最近は以前のようにお金を遣い切ることはしなくなった。
むしろ、いかに頂いたお金を余らせ、自分の通帳の残高を増やすか、そんなことに喜びを見出すようになった。これを世間ではへそくりというのだろうか?

へそくりというのは、内緒に貯めたお金のことを言うから、私の場合は少し違う。
私は夫に「見て!今月はね、これぐらい増えたのよ」と、堂々と私名義の通帳を自慢げに見せているのだから。

夫はそれを見て、「我慢しないで好きなもの買って、好きなもの食べなさい」と言ってくれる。
これだけ聞くと、なんと素敵な旦那様かと思うところだけれど、夫の言う「好きなもの」とはせいぜいお菓子くらいだと思っているのだ。
これがダイヤモンドのジュエリーや高級車であったら、「一体なにを考えている?」とお叱りを受けることだろう。

それでも、「あなたは働かずに、自分の好きなことをしていればいいよ」と言ってくれるのだから、私はそれで十分だ。
毎日美味しいご飯が頂けて、好きなお菓子も楽しめるのだから、これも頑張ってくれている夫のおかげだ。ありがたいことだと、いつも感謝している。



高級品の買い物こそしないけれど、自由に過ごしていればそれなりにお金はかかる。
一つのお菓子をお目当てにデパ地下などへ足を踏み入れると、あれもこれもと結局両手に袋を提げて帰ってくる。
お友達とランチに出かければ、ついでにとあちこちのショップを見て回り、細々としたものを買う。
一つ一つの金額は数千円でも、これを繰り返すと塵も積もれば山となる。

お金は「これからいくらでも作れる」と思うから遣えるのであって、そこらへんが不安になってくると、さすがに財布の紐も固くなるものだ。
私はもう自分では働く気はない。夫はあと15年は現役で働くだろうけれど、もう50歳を過ぎているので、この先さらに上に登れるのかどうか。。。
夫本人は「まだまだこれから!頑張りますよ!」と威勢はいいけれど、気まぐれな外国人ゆえ、いつ「もうリタイアすることにしたよ」などと言い出すかわからない。

つまりは、これからを期待するのではなく、するべきは現状維持の努力なのだ。
暮らしていれば日々お金は必要になるのだから、お金が入ってこなければ現状維持も難しくなる。

年末年始はどこのご家庭でも、いつもより支出が多くなると思うのだけれど、それは我が家も同じだ。
その救世主となるのが年末調整の還付金なのである。
還付金で年末年始の支出すべてを賄ってしまえば、持ち出しをすることもなく現状維持できる。

そんな訳で、私にとってはたかが還付金でも、この時期大きな意味を持つお金なのだ。

しかし、会社が1月と言うのなら仕方ない。。。
1月は久しぶりに遠方へ旅行に行く予定だ。2月も3月もすでに旅の予約をしてあるので、ここは気持ちを切り替えて、年末調整の還付金は旅行資金に充てようと考えることにした。

ちょっとばかり動揺したものの、年末調整還付金が1月になることもあると学び、それが来年の旅行に役立つと思えば、それはそれでいいかもしれない。何よりも還付金を手にできなかったせいで、年末の支出が大幅に減ったのだ。そんなことを考えれば、すっきりと溜飲が下がったのだった。。。