In other words

I really don't know life at all ...

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バレンタインのチョコレート価格に驚愕する昨今。加熱するお菓子商戦に背を向けて老後に備える決意。


写真は本文とは関係ございません。こちらは私の大好きなリーズナブルで美味しい普段のおやつチョコレートです。

今年もバレンタインを前に、チョコレート商戦が至るところで繰り広げられている。
帝国データバンクの価格調査によると、今年はさらにチョコレートの価格が7%アップし、1粒の平均価格が¥365から¥390と¥25上昇しているという。

¥365でも「高い!」と感じていたのに、もはや1粒¥400に迫ろうという価格になっている。

洋菓子、和菓子問わず毎日のおやつを楽しみにし、それをブログにアップするという趣味を持っている私にとっては、由々しき事態である。

先日もある商業施設の中で長い行列ができていたので、「どんなに美味しいものが?」とのぞいてみると、海外の某人気チョコレートの販売だった。
ここ数年、いつでも百貨店催事などで、この時期長い行列を作っているチョコレートの有名ブランドだ。

そんなに美味しいのかしら?と、チラリ一応は見るものの、毎年その値段にギョッとさせられる。
それでも懲りずにまた今年も気になり、ショーケースをのぞいてはギョッとして後退りするのだった。

それは一番少量サイズでも、とても手を出そうという価格ではなかった。小さな丸いトリュフチョコレートが手のひらにおさまるくらい小さな箱の中、お上品に鎮座している。その価格たるや2粒で¥1,500近くもするのだ。

いつものように「おひとつおいくら万円かしら?」と単価計算をしてみれば、なんと1粒軽く¥700を超えている。
原材料の高騰や技術力、希少価値、輸入品であるということを考えても、すごいお値段がついたものだと思った。

驚くのはそんな高価なチョコレートを買おうと長蛇の列ができていることだ。しかも、並んでいるのは若い方ばかり。私のような中年のおばさんはほとんどいない。

昨今の暗いニュースの影響か、今時の若者は将来の経済的不安から節約傾向にあると思っていたのだけれど、必ずしもそうではないようだ。

思えば、チョコレートだけではなく、ハイエンドのブランドショップにも、昨今では行列ができている。
ブランド物のバッグも昔と違って、とんでもない価格になっていて、私などはその価格差になんとなく損をした気分になり買う気にもなれない。
一昔前に比べると、何十万単位での値上がりがされていて、100万円もするようなバッグも珍しくない。
そんなショップに長蛇の列ができているのを、百貨店へ行くたび目にするのだ。

日本経済は本当に冷え切っているのかしら?と思うような光景だ。



お金の遣い方は人それぞれだ。周りの友人達を見ていても、エステや化粧品など美容系に注ぎ込む人、お酒に注ぎ込む人、洋服やバッグなどファションに注ぎ込む人と、千差万別だ。
私の場合は日々のおやつ代と年に何度か行く旅行でお小遣いはほとんど消える。

あの高価なチョコレートの列に連なる人々も、きっと一点集中でチョコレートに財を注ぎ込んでいるのかもしれない。

なにに対して価値を見出すかということなのだろう。

たとえとんでもない金額のチョコレートだとしても、そこにそれだけの価値があると考える人は、「高い」とは思わないのかもしれない。
しかし私は違う。お菓子とはどんなものであろうと、私にとっては「日々のおやつ」なのだ。採算度外視して好きなものを買っていては、一体いくらかかることになるのか。
お菓子だけではなく、私は旅行へも行かなければいけない。そしてお小遣いは無限ではないのだ。

ところで、バレンタインデーといえば、私が若い頃から、女性が好きな男性に贈るものとされていたものだけれど、最近は「自分へのご褒美に」と購入する人が多いという。
これは百貨店のチョコレート売り場にいた店員さんに聞いたので、かなり信憑性の高い情報ではないかと思っている。

ここで若い人との感覚の違いを感じた。
一般論ではないかもしれないけれど、私は贈り物を選ぶ際は、「贅沢だから」と自分のためには買わないようなものを選ぶようにしている。
まさに1粒何百円とするようなチョコレートの類いだ。

ちょっとしたお土産や気軽なプレゼントなら別だけれど、お誕生日やお祝い事、それこそバレンタインデーなど行事関連でのプレゼントには、「これは自分のおやつには買わないだろう」という価格のものを選ぶ。

これは私自身がそんなプレゼントをいただくと、たいそう嬉しく思うからだ。自分で普段買っているようなものよりも、ちょっとばかり贅沢なものを贈った方が遥かに喜ばれるのである。
元来ケチンボなのだろう。人には贅沢なものを贈るけれど、自分のおやつに散財しようとは考えない。

バレンタインデーなど昔から興味がないので、男性に高価なチョコレートなど買おうと思わないのだけれど、夫から仕事関係の方に渡すプレゼントなどを頼まれることがある。そんな時は「これも投資だと思うことにしよう。。。」と、少しばかりのリターンを期待しつつ、あえて贅沢品を選ぶのだ。

夫が持ち帰ってくるバレンタインデーの贈り物も、やはり高価なものが多い。
それらはほとんどが同年輩の方からの贈り物で、若い人達から頂くチョコレートは、低価格なものがほとんどだ。中には手作りしたものを自分で袋詰めにしたようなものも珍しくない。
義理チョコなので、貰えるだけありがたいことだと思っているけれど、同時にそこまでして義理チョコを配る必要があるのだろうか。。。とは思う。

贈り物の概念も今と昔では変わってきているのだろうけれど、いまだに会社などで義理チョコが振舞われているというのが理解できない。

理解できないからといって、頂いたからにはお返しは必要だ。
毎年、ホワイトデーのお返しを用意するのは私の仕事になっている。ここでも「贈り物は普段自分では買わないもの」が基準になるものだから、とんだ散財をすることになる。
夫の年齢(50過ぎ)を考えても、若い子達にそうそう安価なものは渡せないという見栄も手伝って、毎年ホワイトデーでは結構な支出となっている。
そして、憂さ晴らしのように、ついでに「自分へのご褒美」も一つ二つ加えている。自腹でないと途端に図々しくなるのだ(笑)

「自分へのご褒美」というのは、とても便利な言葉だ。贅沢の理由が見つからない時でも、そう言えばなんとなくしっくりとくるから不思議だ。
私の場合はご褒美を貰うようなことはなに一つしていないので、そんな言葉を口にすること自体、かなり図々しいことなのだけれど、便利な言葉なのでさりげなく使わせていただいている。



ここ十年くらいだろうか、お菓子熱がすごいことになっている。特にコロナ禍以降の加熱具合には目を見張るものがある。
バレンタインデーに限らず、人気店のお菓子が発売されるとなると、どこもかしこも長蛇の列ができる。
まさにお菓子の過渡期と言っていいだろう。

約20前から某百貨店で開催されているチョコレートイベントがあるのだけれど、そちらも現在はかなり様子が変わっている。
開催が始まってしばらくは百貨店の催事場で行われていて、私もよく夫と連れ立って毎年足を運んでいたのだけれど、ここ10年くらいはご無沙汰している。
それというのも、気軽に行ける雰囲気ではなくなったからだ。
百貨店の催事場で行われていたのが、いつからか別の大きな会場で行われるようになり、お買い物ついでにチョコレートの祭典へとはいかなくなった。

コロナ禍以降はまた百貨店の催事場に場所が戻ったようなのだけれど、チケットが必要だとか整理券がないと入場できないだとかで、購入はおろか入場するのだけでかなりハードルが高くなった。

あれだけのチョコレートが国内外から集まるのだから、誰もがいってみたいと思うような夢の祭典であることは間違いない。
私もまた行きたい。。。
しかし、その加熱ぶりにはどうもついていけなくなった。

ショコラティエと話をしたりするのは楽しかったし、これは貴重な経験だとも思っていたけれど、さすがにサインを求めたり、一緒に記念撮影をするほどのファンではない。
私にとっては有名ショコラティエも、毎朝あんこを炊く老舗の和菓子職人と同じ。
スターではなく「美味しいお菓子を作る職人」と思っている。

スターに会うために行くのではなく、おやつを買いに行くという目的なので、昨今のチョコレートイベントには温度差を感じてしまうのだ。

それに加えての価格高騰である。。。
これからいっぱい働いて、どんどん稼ごう!という若い世代ならいいのだけれど、私のように50を過ぎた中年の専業主婦は今や守りの時期にきた。お金を作るよりも、老後のためにそれを守ることに力を注がねばならない。
どんなに美味しくても、どんなにレアでも、1粒¥700のチョコレートなどを買っている場合ではないのだ。


しかし、そんな私でも気持ちが揺れることはある。
私が先日お取り寄せしたぼた餅は12個で¥3,600、送料込みで¥5,000ほどだった。
お菓子自体の価格からぼた餅1個いくらかと計算してみると¥300ほどだ。
私の大好きな老舗和菓子店『とらや』などに比べれば、安価な方ではあるのだけれど、これもポチッとする前には大きな葛藤があった。ぼた餅12個に果たして¥5,000は妥当なのか?と。

店舗に足を運べば、少量パックを送料なしで購入でき、数百円の出費で済むと考えると余計にケチケチ根性が頭をもたげてくる。
結構長い間、「食べたい。しかしこの価格は妥当か?」と悶々としていた。
そのうち旅行に行った時にでもと思ったけれど、店舗は新幹線にのり、さらにはそこから特急で2時間以上もかかるのだ。旅のついでとはいえ、「おやつ」を買いに行くにはかなりハードルが高い。

そんなことを考えながらも、結局はポチリとお取り寄せしたのは、どうしても味わってみたかったからだった。
たかがぼた餅、されどぼた餅で、あんこの誘惑には抗えなかったというわけだ。



最近よく耳にする「推し活」という言葉がある。
好きなアイドルや俳優などを追いかけて応援することをいうそうなのだけれど、これはかなりお金がかかる活動のようだ。

私達の年代だと韓流おばさんなどがいい例で、韓流スターのファンクラブに入り、国内外のファンミーティングに参加したり、ドラマの聖地巡りをするために韓国まで足を運んだりと、考えただけでもお金がかかりそうだ。
私も韓流ドラマは大好きだけれど、その俳優さんが素敵だと思うのは、ドラマの役柄を演じているからこそであり、ドラマの枠から出た彼らにはまったく興味が湧かない。

私は若い頃から、花より団子なのだ。

しかし、対象は違えど、お菓子好きもまた同じことをしているのかもしれない。
応援ではなく、自分の舌と胃袋を満たすための活動だけれど、「好き」を追いかけ散財するという点では同じだ。

今は昭和の時代とは違って、SNSなどで膨大な情報を得ることができる。
これは私にとって「目の毒」でもある。日々世の中に誕生している無数のお菓子が、ひとたびネットを開けば、いやでも目に入ってくる。その度に心はグラグラと大きく揺れるのだ。

そんな美味しそうな情報に振り回されていたこともあったけれど、今は少し冷静になっている。
そんな情報に片っ端からからのっていてはキリがないと気付いたからだ。もちろん美味しい思いもできるのだけれど、果たしてそこに投資した金額が見合っているのかと考えると、胸を張ってYES!とは言えない。
ほとんどが「一度お試しすれば十分」くらいのものだったのだ。

一昨年末だっただろうか、1年間に自分がおやつにいくら散財したか、計算してみたことがある。これが結構な額で、かなり愕然としたものだ。
お菓子代はすべてブログ収入で賄うようにしていて、夫から渡される生活費には手をつけることはないので罪悪感はない。けれど、だからだろうか、自分のお金だと思うと余計に惜しくなるのだ。
このお菓子代のせめて半分でも貯金しておけば。。。その時、改めてそう思った。

ニュースなどで最近しきりに言われている物価の高騰や光熱費の値上げ、また知人の外国人投資家などのボヤキをきいていると、もはや50代の私はバレンタイン商戦にうつつを抜かしている場合ではないということがわかる。
1粒¥700のチョコレートは未来のあるお若い方にお任せし、私は老後に備えてお金の遣い方にも慎重になろうと思ったのである。

今後はリーズナブルで美味しいお菓子を探すことにしようと、そんなチョコレートを楽しみながら改めて思ったバレンタインデー前夜なのだった。。。

保険会社の外交員との攻防。担当が変わるたび会うまで止まない連絡の解けない謎。

契約している保険会社のうち、一社だけなのだけれど、コロコロと担当者が変わる会社がある。
大した額の保険でもない、半分積立てのつもりでかけているようなシンプル保険だ。今更担当が変わったところで、なにが変わるわけでもないので問題はない。
問題は担当が変わるたびに鬼のように連絡がくることだ。

変更なども特にないため、改めてお話しすることもないのに、担当者が変わるたびに「担当が変わったので、一度お会いしたい」と言われる。

仕事もしていない、子育ても終わった専業主婦なので、時間は作ろうと思えばいくらでも作れる。それでも無駄を省きたいのは忙しい人と同じだ。必要でない面倒な用事はなるべく作らないにこしたことはない。

担当が変われど、保険の契約内容が変わるわけではない。名刺の一枚でもポストに放り込んでおいてくれればいいと思うのは、こちらの勝手なのだろうか?
そんな私の希望が聞き入れられることはないのだ。

「お会いしたい」と言われるタイミングがまたよろしくない。
12月や1月のちょっとばかり用事が立て込んでいる時に限って、矢継ぎ早に「会いたい」と連絡が来るものだから、都合が合わず何度もお断りすることになる。

何度もお断りしていれば、代替案も出てこようかと思うのだけれど、こちらがどんな提案をしようが、とにかく直接会うまではあちらも引かない。



1年前だったか2年前だったか記憶が定かではないのだけれど、当時の担当者は若い男性だった。
この時もまた、何度「時間を作るのは無理です」と伝えても、連絡が止まない。
もしや、新しい保険のご紹介(勧誘)でもしたいのかしら?とは思ったものの、私は過去に大病をしているので、入れる保険は限られている。前任者からその辺りの引き継ぎがしっかりなされているとすると、ますますなぜそんなに会いたがるのかしら?と疑問に思う。
この連絡の頻度が尋常ではなく、側で見ていた夫が「私が会ってみましょうか?」と心配するほどであった。

これは何かあるのか?少しばかり興味が湧いたのと、電話攻撃にいい加減辟易としていたので、とうとう会うことにした。
長々とかかると嫌なので、玄関先での対応にした。

ドアの外に出て、お決まりのご挨拶と担当が変わりましたという報告を受け、さて次はなにが出てくる⁉︎ と思ったら、やはり出てきた。

コロナ保険なる、予想を超える私にとっては斜め上案件だった。

「新型コロナに感染したら日額1万円給付されるという、とってもお得な保険です!いま入らなければ損です」
担当の青年は嬉々としてパンフレットを広げながら説明し始めた。
新型コロナになど感染する予定もなかったし、担当者が豪語するほどお得とも思えなかったので、お断りしたのだけれど、「興味がないので加入はしません」と伝えると、「あっ。。。」という表情になり、「パンフレットだけ置いていきますね」と、あっさりと帰っていった。
あれほど「会いたい」と会うまで連絡をし続けてきた割には、かなりあっさりとした終わりで正直あまりのわかりやすさに驚いたものだ。
さらに驚いたのは、その後1ヶ月もしないうちに、すぐにまたしても担当者が変わったことだった。
あの青年は新型コロナ保険の契約ノルマが達成できず、どこか移動になってしまったのだろうか。。。いらない心配をしてしまった。

それからさらに2人担当が変わり、昨年末にまた新たな「担当者」が現れた。一体どれだけ変わるのか?

以前、年配のいかにもベテラン外交員といったおばさんは、何年も何年も変わらなかったのに、その方が定年となってからはとにかく短いスパンで担当者が変わるようになった。
保険業界のことは全くわからないのだけれど、昨今人の入れ替わりが激しいのは確かなようだ(多分。。。)。



1月、松の内が明けた頃だろうか、また保険屋さんから頻繁に連絡が来るようになった。
なぜか連絡が来るのは私が外出している時や、人と会っていて電話が取れない時ばかり。留守電のメッセージには「担当が変わったので、一度お会いしたい」と何度も同じメッセージが残されていた。
折り返しかけようと思ったものの、非通知でかかってきていたため連絡先がわからない。
保険会社に直接連絡をすればいいだけの話なのだけれど、そこまでするのは面倒なので、いつか電話を取れるだろうとそのまま折り返すことはなかった。

今回の担当は30代くらいの女性だった。
この方の場合は電話だけでなく、直接家にもきて突撃ピンポンを仕掛けてきた。
我が家のインターフォンは、すべて動画で訪問者が記録されるようになっている。帰宅してから、「お知らせ」のランプがついていれば、訪問者があったとわかる。
ほとんどは宅配業者のお兄さんなのだけれど、そんな中に紛れるように時折保険会社の女性が写っていたのだ。
電話では埒があかないと、ノーアポで突撃してきたのだろうか。。。
この担当者は突撃ピンポンが得意技のようで、その後何度となくインターフォンに姿を見せた。

今年、ようやく電話をとりお話しすることができたのだけれど、その際にこちらの都合は伝えてあった。
予定が立て込んでいて、出たり入ったりなので、落ち着くまで待って欲しいということになっていたのだけれど、帰宅後インターフォンを確認すると、その女性担当者だったりするものだから、またしても「なぜなのだ?」と疑問がムクムクと湧き上がってきた。
電話で話した限り、「担当が変わったのでご挨拶をしたい」ということだったので、突撃ピンポンするほどの必要があるわけではなさそうだ。

もしかして、私の「忙しい」という言葉が信用できずに、裏どりしにきたとも考えられる。
「あの人、本当は暇なくせに、面倒くさくて居留守使ってるんじゃないのかしら?」と。。。
私もなにかと疑心暗鬼になるタチなので、なんとなくわかる気もするのだ。
良心的に考えれば、近くまで来た際にダメ元で寄ってみたくらいなのでしょうけれど。

それからも度々突撃ピンポンを仕掛けてきていたので、終日在宅日を選んでお会いする約束をした。

そして当日、現れた女性担当者さんはインターフォンの画像で見るよりも若くて綺麗な方だった。
いつもの「担当が変わりました」の自己紹介のあと、今回は「確認事項があります」と、取り出したのは「家族登録制度」のチラシだった。
今は個人情報保護のため、たとえ家族でも本人以外には契約内容などの説明できないらしい。

以前、病院でも同じような登録をしたことがあった。主治医の転職に合わせ、私もまたその病院へ転院したのだけれど、その際に病気のことを話していい方を一人だけ選んで登録して下さいと言われた。
生死に関わる病気の場合、家族に話すのは当たり前と思っていたのだけれど、聞いてみればそんな人ばかりではないらしい。
きっと有り余るほどの財産を持っていて、その人の生死が家族で泥沼の遺産争奪戦の火種になると予想されるような人なのかもしれないと勝手に想像している。
ないのも辛いものだけれど、逆にお金がありすぎるのも厄介なものなのだ。
私の場合はそんな心配は露ほどもないから、家族の誰に話してくれても問題はない。
しかし決まりだというので、長女の名前を書いておいた。夫は日本語が読めないので、契約ごとなどは危なくて任せることはできない。次女は将来日本を出ていく可能性が高いので、しっかり者でずっと日本で暮らすという長女が適任なのだ。
ゆくゆくは手間賃として、少しばかりでも残ったお金は長女にあげよう。残ればの話だけれど(笑)

もしかしたら、保険の家族登録制度も同じようなことなのかもしれないと、ここで思い当たった。
保険はなにかあれば、保険金がおりるのだ。ここでもまたお金が大いに関係してくるとなると、やはり信頼できる人を一人だけ選んでおくことを必要とする人もいるのかもしれない。

なんでもかんでも個人情報、個人情報と面倒な世の中になったものだと思っていたけれど、よくよく考えてみれば、それによって守られるケースというものもあるのだろう。



私のかけている保険は老後満期になれば、少しまとまったお金が戻る。子供達にあげるつもりはないので、満期になるまでは元気に長生きをし、その保険金を自分で使うつもり満々だ。
しかし、万が一の時のために、しっかりそんな制度に従っておこうと、ここでもまた長女の名前を書いておいた。

これは大切な手続きだわ。何度も突撃ピンポンをしてきたのも納得できる!と思ったものの。。。
よくよくお話を聞けば、この登録はネット上で簡単にできるというではないか。
それなら早くそう言ってくれれば、ブログのついでにパソコンを開きチャチャっとやってしまうこともできたのに。。。と思ってしまった。

前述したように、私は保険業界や外交の仕事内容などはわからないのだけれど、担当が変わるたびに「会いたい」と、実際に会うまでは繰り返される電話や突然の来宅ピンポンを考えると、何か理由がありそうだ。
会社から契約者とは必ず顔を合わせて挨拶するようにといった指導でもあるのだろうか。

人によっては非常に丁寧な対応と思う方もいるのだと思うけれど、私にはあまり嬉しくはない。その必要性がいまだに理解できないのだ。
時間がある生活ゆえに、いつも気まぐれに出かけたり、家でのんびりするので、すぐに変わってしまう担当者とわざわざお約束してまで顔合わせするのは酷く面倒に感じてしまう。なによりもその必要性を感じないのだ。
担当者とて、たとえそれが仕事だとしても、余計な時間と手間が省ければその分他の仕事ができるのではないかとおもうのだけれど。。。
私にはわからないような事情があるのだろうか。

ようやく顔合わせが終わって、今は一仕事終えたようにホッとしているのだけれど、これでまた担当が変われば再び電話攻勢と人によっては突撃ピンポンが繰り返される可能性がある。
それを考えると、少し憂鬱になる。。。

いまは保険の外交員を通さずにネットで契約する人も多いと聞く。理由の一つに外交さんとのやりとりが面倒というのもあるそうだけれど、なるほどそれも納得できる。
実際に私もそれを煩わしく思っているのだから、保険を変えればいいだけのことなのだけれど、その保険会社は私が10代の頃からお付き合いがある。

元々は父の友人であった外交員さんとのお付き合いで入ったもので、その当時かけた保険は数十年後の大病でしっかりと保険金満額支給された。
当時の外交員さんはとうの昔にいなくなってしまったけれど、いま加入している保険は、その後担当となった方から「大病した方でも入れる保険を」とご紹介していただいたものだ。
万が一の時に保険金をいただけたこともあり、できることならこのままお付き合いを続けていきたいという気持ちで加入した保険だった。

保険の契約内容はとても満足のいくものだし、これからわざわざ新しい保険を探して加入するのも、私の場合はかなり面倒なことになるように思う。
そう考えると、このまま契約を継続する方がメリットはあるだろう。

結局のところ、煩わしさはあるけれど、電話攻撃と留守中のピンポン攻撃を我慢すればいいだけということなのかもしれない。
外交員さんにしても、そこまでするからには、きっと私が知り得ない理由があるのだろう。ここはブログで愚痴るくらいにして、今後もお付き合いを続けていくことにしようと思う。

今年も豆まきなし、恵方巻きも食べない節分。天邪鬼ではなく老後の生活を考えた賢い選択ということで。


恵方巻きの代わりに巻いてるイメージで桜餅の写真を無理矢理(笑)

今日は2月3日で節分だけれど、私は豆もまかないし、恵方巻きも食べない。
子供達がまだ幼い頃は、普通のご家庭並みに夫を鬼にして、盛大に豆まきを楽しんだものだけれど、さすがに子供が成人した今は例え私がその気でも、誰も付き合ってはくれないだろう。
私も豆まき後の掃除をしなくて済むので幸いだ。

では、恵方巻きくらいは食べるのではと考えるところだけれど、これもまたパスだ。
私は生まれてこの方、一度たりとも節分に恵方巻きを食べたことがない。
いたずらに恵方巻きまがいのキンパ(韓国海苔巻き)などを作ってみたことはあるけれど、それとてどっちの方角を向いてなど面倒なことはしなかった。細く切って、一口ずつお上品に食べただけだ。

節分のたびに書いている気がする恵方巻きだけれど、いつから東京の人間が恵方巻きで大騒ぎするようになったのだろうか?
少なくとも子供の頃は、恵方巻きなど聞いたこともなかった。

これは周りの友人にも確認してみたことがあるのだけれど、誰一人として子供の頃に恵方巻きを食べた経験を持った友人はいなかった。

最近、友人と会った際、恵方巻きの話題になった。数人いた友人達は全員生まれも育ちも東京で、恵方巻きを知らずに育ってきた面々だ。
しかし、その中の数人は恵方巻きを食べるようになったと話していた。

「ここ、5年くらい?あちこちに並んでるから一応流行にのって食べることにしたわ」

「願いが叶うらしいから、一応食べておくことにしたわ」

「自分だけに福が来ないは損するから、一応食べているわ」

みんな、「一応」食べるようにしているらしい(笑)



そもそも恵方巻きがこれほど騒がれ始めたのはいつだったのか、少しだけググって調べてみた。

元々大阪発祥の風習で全国区となったのは、コンビニのセブンイレブンが仕掛けたことからだそう。
西の方から徐々に販売エリアを拡大し、全国展開されたのは1998年とのことだ。
今から25年も前に全国区となっていたとは。。。
当時、私は結婚はしていたけれど、まだ子供もおらず、海外と日本を行ったり来たりしていた時期だ。そのせいで恵方巻きなるものが東京まで進出してきたことを知らなかったのかもしれない。

さらに調べてみると、本格的な流行は2004年頃になってかららしい。今から19年前だ。
私の記憶はこの頃になると、常に子供を連れての行動が中心になる。何かを思い出そうとすると、必ず子供の行事などに照らし合わせることになるのだ。

その当時、長女はちょうど小学生になったばかり。いよいよ我が家も日本に落ち着こうといった時期だった。
思い出してみれば、確かにこの頃から恵方巻きをちらほら見かけるようになったかもしれない。

ただ、私は恵方巻きを知らずに育っていたので、自分がすべき行事ではないと思っていたのだろう。恵方巻きを買うことはなく、まったく注意を払うこともなかった。

さすがに昨今はデパ地下でもコンビニでも、さらにはお菓子屋さんですら恵方巻きを模したお菓子を販売するようになったので、多少は目を向けるようになった。
常に美味しそうなお菓子を探しているので、たとえどんな形をしていようが、それがちっともお菓子らしくなくても、一応は凝視してみることにしている。
ここでもまた「一応」だ。

結局、目を向けるも、私はいまだにお菓子も含めて恵方巻きに手を伸ばしたことはない。

しかし、もはや節分といえば、豆まきよりも恵方巻きの方がメインになりつつあるくらいだ。
友人の言うように、もしかしたら食べてみたところ、とんでもない福を呼び寄せ、願いが叶ってしまった!
そんな事態になる可能性も完全には否定できない。何事も試してみないことには、結果はわからないものだ。

今年はもう遅い。今日の東京は朝からどんより曇り空であり、とても寒い。
今からわざわざ支度をして、デパ地下などに乗り込む気力もないので、今年もまた豆まきも恵方巻きもない節分確定だ。



もしも来年の節分で、この「もしかしたら福がくるかも」という気持ちを忘れなければ、お試ししてみようかなという気持ちもあるけれど、先のことはわからない。

元来の天邪鬼なので、周りがみんな「恵方巻き!」と騒げば騒ぐほどその逆をいきたくなるのだ。
こんな性格は、実はとっても損をしているのではないかと思うことがしばしばある。

バレンタインデーに向けて、各百貨店で開催されているチョコレートイベントなどもそうだ。
毎年楽しみにしていたものだけれど、昨今の人気ぶりに、ぶらりと買いに行けなくなったこともあり、すっかり背を向けている。
珍しいチョコレートが一堂に会する絶好の機会に、自ら背を向けるとは、実は損をしているような気にもなる。
どんなに流行しようが、自分が好きで求めるものであれば足を運べばいいものを、それをよしとしないのは、やはり損をしているのかもしれない。。。

そうしたお菓子関連の催事が行われるたびに、ウズウズとしてしまうのだけれど、やはり今年も背を向け、背中で泣いているのだ。

こんな時に効果的なのは、節約効果を強く意識することだ。
一歩でも足を踏み入れれば、財布の紐は全開になる。昨今、お菓子の価格は一昔に比べて高騰している。「こんな機会はないから」と欲張ると、諭吉さんがひらひら〜と何人も旅立つことになる。

日本経済が冷え切ったいま、老後の暮らしを想像すると、高価なお菓子を買い漁っている場合ではないのだ。
もしも私が「これからもバリバリと働いて、いくらでも稼げるわよ!」と言える若者であるなら、どんどん消費行動に精を出したいところだけれど、もうそんな機会も気力もないおばさんだ。

美味しいお菓子よりも、老後の生活を考えよ!

そう自分に言い聞かせれば、損をした気持ちもどこかへ飛んでいくものだ。

恵方巻きも然り。

流行に乗らないのは、天邪鬼だからではなく、老後の生活を考えた賢い選択だと思えば、気持ちよく自分を納得させることができるのであった。。。