In other words

I really don't know life at all ...

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土いじりが楽しくなったら、歳をとった証拠という話は本当だった。

暑い日が続いている。暑さのみならず、日本特有の湿度にすっかり体力を消耗し、ここ数年は自分の体調を気遣うことも多くなった。
年齢と共に暑さよりも寒さが堪えるようになってきたため、寒いよりはマシだと思っていたのだけれど、さすがにここまでムシムシと暑いと、体調が悪くなったりすることもある。

気遣うのは自身の体調だけでなく、ベランダで育てている植物もだ。
春になって花の種を蒔き、発芽からどんどん成長する様を見たり、あれこれ並べた多肉植物がどんどん葉を増やしていくのを見て、嬉しくなったりと、ベランダにしゃがみ込んでいる時間が楽しみになっている。最近は暑いので早朝の短い時間だけにしているけれど、それでも十分癒しになる。

独身時代は家にはほとんど寝に帰るだけ、結婚して子を持ってからは、家事と育児に明け暮れる。そんな生活をしていたものだけれど、このように穏やかな暮らしを楽しめるようになったのは、ここ数年のことだ。

子供が産まれてから今に至るまで、私はほとんど専業主婦として暮らしてきた。仕事をしていない無職の身の上ではあったけれど、さすがに子育てには手間も時間もかかり、のんびり植物などを眺めている暇はなかった。
家事育児の合間にできた隙間時間にしか好きなことに目を向けることができなかった。
子供達が幼稚園や学校に通う歳になっても、それは時間制限ありきだったので、単身であった頃のように心底一つのことに没頭することも難しかった。

そんな20数年を経て、ようやく二人の子供達は成人し、長女は一人暮らしのために家を出た。同居の次女も大学のお勉強とバイトがかなり忙しいようで、ほとんど家にはいない。
子供以上に手のかかる夫はいるけれど、実際には自立した大人なので、これまでのように子供に手をかけるのと同じようにお世話をする必要もない。

子育てから卒業した今、専業主婦としての仕事は大幅に軽減された。
専業主婦の主な仕事は家事育児であるけれど、まず育児がなくなったことで、家事の方も必然的に仕事量が激減したのだ。
お洗濯物も少なくなり、食事にしても買い物の頻度も作る量も半分になった。お掃除も人が少なければ少ないだけ、汚れは少なくなるもので、以前のように一日中あちらこちら片付けて回らなくて済むようになったのだ。

そうなると、かなり時間的な余裕ができる。今は50代でも多くの主婦が働いているけれど、私は一旦そのレールから外れてしまったので、今更戻る気にもならない。余程のことがない限りは、生涯専業主婦でいる予定だ。

子育てから卒業した専業主婦となると、よほど暇を持て余しているだろうと想像していたけれど、幸いなことにそうではない。
相変わらず子供達や夫から雑用を頼まれること度々で、そのために常に身体を空けている必要があるくらい、ちょこちょこと雑事を投げて寄越されている。
新型コロナが一段落してからは、お友達とのランチの機会も増えた。趣味のお菓子を求めて出かけたり、これでなかなか忙しい毎日だ。

とはいえ、やはりお仕事をしている方に比べれば、まだまだ時間的に余裕があると言っていいだろう。

なにも用事がない日は、日がな一日のんびりと植物を愛でる時間もできた。

都心のマンションゆえ、ベランダは猫の額ほどしかないのだけれど、今はそこで植物を育てることが趣味になっている。

季節の花を楽しむために種蒔きをして、苗が育つのを楽しんだり、多肉植物がムクムクと増えていくのを観察したり、桜をはじめ木瓜ジャスミンなどの小さな木、アボガドは数年前に食べ終わった種から育てたもので、すでに1メートル以上も伸びている。
そんな植物達を眺めるのが、今は何よりも楽しい。

あれほどアクティブに動き回っていたのだから、テニスやダンスなどもう少し体を動かすようなことをやるとか、手芸などクリエイティブな趣味を持つとかすればいいと思うところだけれど、なぜか私は土に向かったのだ。



思い返してみれば、それはかつて見た亡き父の姿そのままだ。
仕事人間で次々に新しいビジネスを起こしては、お金を作ることを楽しみ、趣味もビジネスに付随したゴルフのお付き合いなど、常に仕事中心に忙しく動き回っていた。

そんなアクティブな人間が、ある時期からいきなり野菜を作ることに精を出し始めたのだ。
空いた土地を買い、そこを平地にして耕し、一つの畑を作ったと思ったら、あらゆる野菜を植えて朝に夕にとその畑で作業を始めたのだった。
一度ハマるととことんやり尽くすというマニアックな性格のまま、農具のみならずトラクターのようなものまで運び込み、夏には麦わら帽子をかぶり、悠々とトラクターに跨っていた。

それは父がちょうど還暦を過ぎた年齢になった頃だったと記憶している。

私は海外で暮らしており、一時帰国でそんな父の変化を見て、たいそう驚いたものだった。
当時は一体どうしたことか?そのうち仏門にでも入ってしまうのでは?と思ったくらいだ。

当時、友人にその話をしたところ、「それは歳をとった証拠」であるという意外な答えが返ってきた。
その話をしたのはかなり昔のことなので、話の内容は詳しく覚えていないのだけれど、「人は歳をとると土に向かう」という言葉だけは鮮明に覚えている。

「土に向かう」とは、より自然に歩み寄るということなのだろうか。

父の場合、若い頃からの友人もいたけれど、現役時代の人付き合いはビジネス絡みがほとんどだったように見えた。趣味もまたその延長のようなことばかりであった。
40年近くもそのように走り続けできたのは、父自身も言っていたとおり「家族のため」だった。

家族に安心して豊かな生活を送らせることだけを考えてきた人間が、その役目を終えた時に求めたのは自然から得られる安らぎだったということなのだろうか。

もう一つ、父にとっての転機があった。それは還暦を過ぎた頃、若い頃から仲良くしていた仲間が一人、二人と旅立っていき、心許せる仲間がいなくなってしまったことだった。
これにはかなり気落ちしたようで、それまでの勢いが影を潜めたのを私も感じたくらいだった。

同世代の友人達が一人、二人と冥土へ旅立つのを見送るたび、自身の老いを実感しているようだった。
父自身も病を抱えていたこともあり、いつ自分があちら側へ行くことになるかという不安もあったのだろう。

完全に仕事から退いたわけではなかったけれど、その頃になると会社の経営は他の人に任せ、半隠居生活に入っていった。

しかし、元々何かしていなければ気が済まない性格だったせいか、家でじっとはしていなかった。
そこで興味を持ったのが野菜作りだったのだ。

カボチャとスイカを交配させてみた!とか、新種の野菜を作ってやろう!などと嬉々として語っていたものだ。

たくさんの野菜を作っては、友人知人に分け与え、守銭奴の母は「人様にあげるために作ってるのかしらね」と苦々しく嫌味を呟くことも多かった。

そんな風に命尽きるその日まで「あの、真桑瓜はどうなった?」と、育てていた野菜の心配をしていた。



私が植物を育てることに楽しみを見出したのは、50歳をいくばか過ぎた頃だった。父より10年早い年齢だ。
たまたま表参道にある新潟のアンテナショップに並んでいた苔丸つきの桜と梅の木を買ったのがきっかけだった。
青々と葉が茂り、蕾をつけ綺麗な花を咲かせるのを見ていると、自分が日々世話をしてきた結果を見たようで嬉しくなった。

以来、季節の花の種を蒔いては、やれ芽が出た!蕾がついた!花が咲いた!と次第にベランダで過ごす時間が増えていった。

程なくして、今度は近所の花屋さんで、多肉植物が並んでいたのを見て、お花みたいだわと興味を持ち、一つ買ってみた。
それは知らないうちに肉厚な葉を増やし、ポロリと落ちた葉からも根や芽が出てくるという生命力を見せてくれた。
それが楽しくて、出かけた先で多肉植物を見つけては一つ二つと持ち帰ってくるようになり、今に至る。

多肉植物は毎日の水やりも必要ないので、旅行などで家を空ける際もそれほど気を遣うこともない。

鉢自体も小さいので、置く場所に苦労することもなく、これはいい!と思ったものだ。
しかし、見つけるたびに買ってくるものだから、次第に置き場所に困るようになり、横に並べることができないのなら、縦にとベランダに棚を置くことにした。
あれから何年経つのか、すでにベランダには3つの棚が並んでいる状態だ。

父のように植物を育てるためだけに、その場所を用意するところまではいかないけれど、植物のためにもっと広いベランダのある家に引っ越しをしようかと、たびたび考えるほどには夢中になっている。

同じように子育てを終えた友人達からは、さまざまなお稽古事や趣味のクラスなどのお誘いをいただく。
類は友を呼ぶで、友人達も仕事をしていない専業主婦なので、暇を持て余しているのだろう。
お料理教室やヨガ、陶芸からダンスやバレエクラスまで、やり散らかそうというくらいの勢いで誘ってくる。

しかし、私はそうしたことには一切興味を惹かれない。
ただ思うのは「みんな、元気ねぇ」ということだけだ。
新しいことを学ぼうとすれば、それなりの準備や勉強、努力が必要となる。それだけではなく時間やお金はもちろん、気力体力も相応に必要になるということなのだ。
それを考えると、なんだか億劫になる。
興味のあること、好きなことならいいけれど、お友達とのお付き合いで何かを始めるほど、私は付き合いのいい人間ではない。
元々、ものすごく面倒くさがり屋の人間なのだ。

それよりも、家のベンダにしゃがみ込んで、ゆっくりと成長していく草木を愛でている方がよほど楽しい。

これがまさに歳をとったということなのだろうかと思う。
植物の成長はとてもゆっくりで、一日二日で変化は見られない。早くて数週間、数ヶ月、大きな変化を楽しむには数年かかる。
このゆったりとした時の流れを楽しむことこそが、歳をとるということなのかも?と思い当たった。

同世代の友人達は、きっとまだ気持ちが若いのだろう。日々新しい変化を求め、その結果をすぐに見たい!という勢いが感じられる。
そうしたことに興味が持てず、あえて土に向かったのは、やはりわたしが歳をとった証拠なのだろう。

土いじりだけでなく、パン作りも一つの趣味なのだけれど、それもドライイーストを使用し、短時間で作るものではなく、生地を作るのに半日はかかるサワードウブレッドに夢中になっている。
これもまたゆっくりと生地を発酵させるプロセスを楽しむものだ。

私の時間は確実にスローダウンし、全てがのんびりモードになっているようだ。
若い頃のように次々と目まぐるしく居る場所もやる事も変わるということに楽しみを見いだせなくなっている。

土いじりをはじめ、「歳をとった証拠」はその暮らしの至る所にあったのだ。

歳はとりたくないものだと思うけれど、あえてアンチエイジングのようなことを意識するつもりもない。
なにかに抗うよりは、自然に過ごすことのほうが心地よい。

あと数年もすれば、還暦という赤いちゃんちゃんこを着る歳になると思えば、歳をとった、とらないなど考えるのも愚かなことだ。

誰にでも同じように時間は流れる。歳をとるのは自然なことなのだから、それを認めて好きなことを楽しめばいい。
好きなだけ土いじりをしようではないか!

最近、ベランダがあまりにも手狭なので、夫にもっと広いバルコニー付きのマンションに引っ越しをしようと持ちかけている。
もしもそれが叶えば、私はさらに土に向かうことになるだろう。。。


バスに素通りされてモヤモヤ。人にはそれぞれ都合があるのだと思うことにした件。

こんなことを書くと、クレーマーではないかと思われそうで躊躇してしまうのだけれど、私はクレーマーではないと思っている。ただ、少しだけ「ん?」と思うようなことがあると、なぜなのか問わなければいられない性格なだけだ。

お友達などからは、「黙ってスルーして忘れてしまえばいいじゃないの」と言われるけれど、それができれば世話はない。
一時が万事、自分の中でスッキリしない出来事があると、ついつい口が動いてしまうのだ。

最近、またそんなことがあった。
都心を走るバスにまつわる出来事で、私にとっては因縁の路線でもある。

車を運転しない私は、普段徒歩で移動することが多いのだけれど、徒歩で行けないところへは電車、バス、タクシーを使う。
最近は運動と節約を兼ねてなるべくタクシーを使わないようにしているので、近隣の街へ行くときはバスを使うことが増えた。

その日、大通り沿いにある最寄りのバス停に向かって歩いていると、遠くにこちらへ向かって走ってくるバスが見えた。
小走りでバス停に辿り着くと、PASMOを手にバスに乗る準備を万端に整え、心もち身を乗り出すようにして待った。
しかし、どうも様子がおかしい。いつもならバスはバス停より少し前に車線変更をする。ところがそのバスは車線変更することなく中央車線を走り、そのまま私の立つ停留所の前を通り過ぎて行ったのだ。

回送バスだったのかと思い、走り去ろうとするバスの中を見ると、普通に乗客が席を埋めていた。
長年この路線を使っているけれど、このようなことは初めてで、まるで鳩が豆鉄砲を食ったようにポカンとしてしまった。



比較的頻繁にバスが来る時間帯だったため、後続のバスは5分と待たずにやってきた。
バスに乗ってからも、停車せずにバス停を素通りしていったバスのことが気になって仕方なかった。

バス停で待っていたのは私一人だったので、おばさん一人くらいスルーしてもいいと思われたのか?

定刻よりも遅れていたせいで、急いでいたのか?

後続のバスもすぐ後ろにいるから、そちらにお任せしようと思ったのか?

ただ単にボーッとしていて通り過ぎてしまったのか?

あらゆる説を考えたのだけれど、正解がわかるはずもない。

これは運転手さんに聞くしかない!

運良く私が降りる停留所が終点だったので、全てのお客さんが降りてから、運転席へ行き、運転手さんに素通りされた旨を説明し、なぜなのかと尋ねてみた。

最初は「回送のバスではありませんでしたか?」と聞かれた。
乗客が乗っていたのは、この目でしっかり見たので、そのように伝えると、
「もしかしたら、お客様がバス停にいるのが見えなかったのかも知れません」
そう答えた。

PASMOを手にバスに乗り込むのを今か今かと身を乗り出していたのだ。見えないはずはない。

「そんなことってあるのですか?」
思わず聞き返した。

「よくあることではないですが、見えずらいことはあります」

そう言ったあと、運転手さんが「本当に申し訳ありません」「すみませんでした」と、本当に申し訳なさそうに繰り返すので、なんだかこちらの方が申し訳なくなってきた。

素通りしていったのは、その運転手さんではないのだから、責めているつもりはなく、ただどうしてこんなことが起こるの?と思って尋ねただけなのに。。。

結局のところ、該当のバスを運転した人にしか、本当の理由はわからないのだなと判断した。

余計な時間を取らせたこと、対応してくれたことにお礼を言ってバスを降りた。

バスの運転手さんも様々だ。正直、この路線にはかなり悪い印象がある。しかしこの時の運転手さんはとても親切に対応してくれて、それだけで素通りされたモヤモヤも消えた。



冒頭で「因縁の路線」と書いたけれど、ある出来事がきっかけで、以来あまりよい印象を持たなくなったのだ。

あれはまだ子供達が幼い頃だった。長女は小学校の低学年、次女はまだ幼稚園生だった。
時刻は夕方。習い事か何かの帰り道、二人の子供の手を引いて、バス停に並んでいた。
私たちの前には80歳くらいの小柄なお婆さんがやはりバスを待っていた。

到着したバスのドアが開くと、次々と人が乗り込んで行った。そしてお婆さんの番になったときだ。
かなりお年を召していた方なので、動きはゆっくりで、よっこいしょとバスに乗り込んだ後、料金箱の前で少しもたついているようだった。

少しくらい待ったところで、どうと言うことはない。
お年寄りのそんな動作は「自分もいつか行く道」と思えば、寛容に受け止められる。

その時だった。。。

「チッ!」と舌打ちが聞こえた。
舌打ちの主は運転席にいたおばさんだった。女性のバスドライバーというのも珍しいけれど、その態度の悪さにかなり驚いた記憶がある。

さらには「バスが遅れるんだよ。なにをモタモタと。。。」と、お婆さんを睨みつけながら呟いた。
「すみません」と俯くお婆さんにさら聞こえよがしに大きなため息で攻撃するおばさんドライバーに、堪忍袋の緒を切ったのは、お婆さんではなく、後ろにいた私だった。。。

「あなたね、目上の方、しかもお客様に向かってその態度は酷いのでは?」

思わずお婆さんの前に躍り出て、大きな声が出てしまった。

するとおばさんドライバーは私をジロリと睨みつけ、「バスが遅れるの!」と声を荒げてきた。

「時間、時間というけれど、しょっちゅうバスは遅れますよね?
そもそも客に対する態度じゃないでしょう?」

当時の私はまだ血気盛んな30代だ。バス中に聞こえるような大声を上げていた。いま思い出すと、とても恥ずかしい。。。

私とおばさんドライバーが言い争いをしているうちに、ようやくおばあさんはパスを取り出し、めでたく乗車完了。

たくさんのオーディエンスがバスの発車を待っていたので、これ以上その状況を続けるのはよくないと、さすがの私も判断した。

「あなたのような方とはお話にならないので、後ほど責任者の方とお話しをさせていただきます」
そう言ったところ、憎らしいことにおばさんドライバーは「どーぞ、どーぞ」とバスのドアを閉めた。

もちろん怒りがおさまらない私は、帰宅してからすぐにそのバスの管轄である営業所に連絡を入れた。



一連の出来事を努めて冷静に説明すると、責任者の第一声が、「またですか」だった。
よくよく聞いてみると、そのおばさんドライバーに関してはとにかくクレームが多く、一度や二度ではないという。

「一方通行ではなんなので、当人にも話しを聞き、処分に関しては後ほど連絡させていただきます。」

そう言ってその日は終わった。

再度連絡があったのは翌日だった。

「本人に問いただしたところ、一連の出来事は認めました。
上からかなり厳しい指導をしたところ、辞めますということなので、辞職する形になりました」

きっと上司から叱られて逆ギレしたのだろう。。。

辞めるというのなら、もうどうでもいいことだ。二度と会わない相手なのだから、これ以上クレームをいう必要もない。
対応してくれた方に非はないのだから、その話はそれで決着がついた。

そう思っていたのだけれど。。。

それから一年以上たったある日、同じ路線のバスに乗ったところ、なんとハンドルを握っていたのはあの憎たらしいおばさんドライバーだったのだ。

これはどういうことなのか?

一年以上も姿を見なかったのは、辞めたのではなく、ほとぼりが覚めるまで、他の路線に回されていたのか?

または一度は辞めたものの、人員不足で仕方なく再雇用したのか?

色々な可能性が思い当たるけれど、結局は利用者の声など届いてはいないだと、とても残念な気持ちになった。

おばさんドライバー曰く、バスの運行はサービス業ではなく、運輸業ということだから、人ではなく物でも運んでいる認識なのかも知れない。



おばさんドライバーはきっと私の顔など覚えていないだろうけれど、私はしっかりと覚えている。
20年以上経ったいまでも忘れはしない。

また一悶着あるかと身構えていたのだけれど、予想に反しておばさんドライバーはかつての憎らしい態度は鳴りをひそめ、乗ってくるお客さんにはごくごく丁寧な対応をしていた。
もしかしたら、あのら一件の後にとんでもない事でも起こったのかも知れない。

自然の法則として、3つの小さなミスの後には、必ず取り返しのつかないような大きなことが起こると聞いたことがある。
おばさんドライバーはそんな大きな災いに遭い、言動を改めたという可能性もある。
いずれにしても、勤務態度が良くなったのだから、これ以上言うことはない。

「なぜ、辞めたはずのおばさんドライバーが仕事をしてるのよ!」
などと、再びクレームをつけるほど、執念深くもなければ、暇でもないのだ。
いまならいざ知らず、30代はとにかく子育てで忙しくしていたので、余計な厄介事に自分から飛び込んでいくのは真平ごめんだった。

とはいえ、一度でも不愉快な思いをしたら、負のイメージを払拭するのは難しいものだ。
もちろんそんな運転手さんばかりでないことは承知している。
心がほっこりと温まるような言動をする運転手さんもたくさんいる。
それでも、一人でもこのおばさんドライバーのような人がいると、全ての印象が変わってしまうのだ。

サービス業だ、運輸業だ、そんなことよりも、人間としてどう振る舞うかなのだと思う。
便利に利用させてもらっているからこそ、不適切な対応があれば物申したくなるのである。

ただバスの時間が遅れたら、それに対してクレームを入れてくる人もいるだろう。反対に定刻運行にこだわるあまり、利用者にぞんざいな態度を取れば、それはそれで私のように噛みついてくる客もいる。

考えてみれば、あちらを立てればこちら立たずと、何事においても万人を満足させることは不可能に等しい。

未熟であった私は、当時そこまでは考えなかった。いま思えば、おばさんドライバーに噛みつくよりも、もっと他にできたことがあったかもしれないと、今になって思う。

今回の素通りしたバスにも、私には想像し得ない事情というものがあったのかもしれない。

これからも「ん?」と思うような事があれば、口を閉ざしていることはできないと思うけれど、「地球は私中心に回っているわけではない」
まずは、そう考えてから行動しようと思った次第である。


行列の合流、割り込みにモヤモヤ。マナーや常識を共有できない人とは分かり合えない。


※写真は本文とは関係のないものです。

少し前までは欲しいお菓子があれば、行列に並んだり、ネット通販なら販売の時間前にはスタンバイしアクセスするなど、かなり熱心にやっていたのだけれど、コロナ禍を機に、そんなことの一切をやめた。

理由は単純に、競争相手が激増して購入ハードルがとんでもなく高くなったからだ。
SNSの普及によって、同じもの(お菓子)に向かう人の数が桁違いに増えたと言ってもいい。

人気店の販売などでは開店前から並ぶのだけれど、その時間がどんどん早まってきたように感じる。
ネット通販にしても、それまでは販売開始時間にアクセスすれば割と簡単に手に入ったものが、今はアクセスを試みるもアクセス集中でサーバーダウン、うんともすんとも言わない画面を見続けた挙句、「完売」の文字を目にするといった具合だ。

そんなことを繰り返すうちに、そこに費やす時間や体力がいかに無駄かを考えるようになった。
「時は金なり」と常日頃から言っているくせに、お菓子のこととなると盲目的に時間も労力も無駄にしてきたことに、ようやく気付いたのだ。

人気店のお菓子というのは、美味しいから人気があるというのも一つの理由で、特に好きなお菓子だった場合はとても残念なのだけれど、それすらも買うことを諦めた。

世の中には数えきれないほどのお菓子が溢れている。その中にはたとえ脚光を浴びずとも、本当に美味しくて大好きなお菓子もまだまだたくさんある。
わざわざ時間を無駄にするような真似をせずとも、日々のおやつには事欠かないのだ。

そのように考えを変えてから、ほとんど行列に並んでお菓子を買うようなことはなくなったのだけど、先月だったか久しぶりに某百貨店の催事に並んだ。

わざわざ並びに行ったのではなく、たまたまその近くで用事があったので、ついでにお買い物でもして行けたらと、時間もあったので列に着くことにしたのだ。



かなり時間が早かったため、百貨店の入口にはまだそれほどの行列はできていなかった。

入口近くに50過ぎくらいの男性が持参した小さな椅子に座っていてその人が先頭のようだった。
よく見るとその後ろにはもう一つ椅子が置かれていた。
行列並ぶ際、そこに無人の椅子などで場所取りをされていると、なぜか嫌な気持ちになる。しかし人の置いたものを勝手に投げ捨てるわけにも行かない。
戸惑いながらも、それ以降の人は皆その椅子の後ろに行列を作ることになるのだ。


場所取りでもしているのかなと、私も少し後ろからその様子を注視していたのだけれど、一向に来る様子はなかった。

開店5分前になり、ようやく現れたのはやはり50代と思われる女性と80代くらいの老婆だった。
どうやら先頭の男性とは家族のようで、つまりは合流という名の割り込みであったのだ。

こんな時、その後ろに並ぶ人は当然のことながらモヤモヤするものだ。

「このような年齢になっても、平気で割り込みをするような人がいるのだな〜」と驚いたものの、よくよく考えてみればこのような年齢だからこそ、図々しくもなれるかと思ったりもした。

割り込みをした2人の女性は、うつむき加減で、かなりばつが悪そうに行列におさまった。
その様子から少なからず罪悪感を持っているの感じられた。
コソコソするくらいならしなければいいのに。。。
そこまでして欲しいものがあるのだろうか?

3人も大人が揃っていて、誰か一人でも「割り込むような真似はしない方がいいのでは?」と、この合流割り込みに意を唱える人はいなかったのだろうかと思うところだけれど、夫婦や家族などは長年一緒に暮らしていると、価値観や道徳心も似通ってしまうものだ。
そう考えると、似たもの同士なのかなとも思う。

犯罪行為かどうかはともかくとして、道義的に考えれば普通ならできないことだ。
しかしその3人はコソコソと小声で話しながら、一切後ろを振り返ることはしなかった。

もしも後ろに並んでいる人に一言あったらどうだろうか?
並んでいた男性が、「少し席を外していますが、あとから2人戻りますから」と言ったとしたら、そこまでモヤモヤはしなかったはずだ。
当たり前のように椅子だけ置いて場所をキープし、後は知らん顔だ。

後から来た2人の女性が、コソコソとうつむき加減でいるのではなく、後ろの人に「すみません」と軽く会釈でもしたら、もっと感じ方は変わっていたのではないかと思う。

「図々しい人ね!」と余計な怒りを誘うこともあるだろうけれど、少なくとも私はその一言で少しはモヤモヤが薄くなるように思うのだ。



最近はこんなケースが少なくないという。百貨店だけではなく、行列ができるような飲食店でも、この合流による割り込みが原因でトラブルに発展することもあり、お店側もしなくていい苦労をしているそうだ。
小さな子供を含む家族総出での割り込みなどもあるというから、それを当たり前と育った子供もまた同じことをするようになるのだろう。
割り込み予備軍の誕生だ。

「人の振り見て我が振り直せ」というけれど、見るまでもなくそんな真似はできないなと思う。
人に不快な思いをさせてでも自分が利を得たいという強欲さは、醜いものだ。

ただでさえ歳をとって外見的な美しさからは見放されているというのに、その行為までもが醜いとなると目も当てられない。

若い頃はこのようにモヤモヤするような行いをされたら、必ず物申さなければ済まなかったけれど、今は割り込みたければそうすればいいと思うだけだ。その分、自分の品位が落ちるだけなのだからと。
文句を言ってそんな行いを阻止しようなどという正義感は必要ない。
同じ列に並んでいても、同じ土俵に上がっては、同類になってしまう。
まるで出会わなかったように、まるで目に入っていなかったように、心で透明人間化させるのだ。

世の中、分かり合えない人というのはいるものだ。価値観の違いという言い方をよくされるけれど、価値観ではなくモラル、マナーもまた異なる。
そこが厄介なところで、人によっては自分が人にご迷惑をかけたり、不快にさせるような真似をしていることに気づいていないということもある。

モラルやマナーの共有ができない人となると、これはもうどうしようもない。
幼い子供なら諭してきかせることもできるかもしれないけれど、これが立派な大人ともなると、長い年月をかけて培われ、身につけてきたものなのだ。

どうしようもないことに時間や体力を費やすのは、行列に並ぶよりも無駄なことだ。マイナスのエネルギーというのは、心身共に消耗する。

ムキになって目くじらを立てるよりも、憐憫をもって静観することが双方にとって平和なことである、そう思った出来事だった。