In other words

I really don't know life at all ...

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「やったつもり…」で4万円失う。サブスク契約の管理を怠った故の失敗。

過去に書いたけれど投稿しなかった記事があったので、今回は第二弾として連投。

ちなみに、いつもこのブログの最初に写真を掲載しているのだけれど、この記事に限らず全て本文とは無関係。イメージ無視でなんとなく自分のアルバムから選んでいるだけなのであしからず。


以下、昨年の秋ごろに書いたもの。

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ちょっとばかりショックなことがあった。大したことではないのだけれど、お金に関することなので、かなり落ち込んでいる。

ことの発端は昨年、映画館で某サブスクを1ヶ月だけ無料お試しすると映画のクーポン券がもらえるとの話に乗り、その場でそのサブスクのお試しに契約した。
必要がなければ1ヶ月経つ前に解約すればいい、それでも映画のクーポンはもらえます!
そんな言葉に従い、映画一本無料で観られるのならと契約したのだった。

無事に映画のクーポンをいただきお得に鑑賞。あとは1ヶ月後に解約手続きをすればいいだけ。それで解決するはずだった…


話はとんで数日前、クレジットカードの請求書がきたので明細を見ていると、見慣れたある数字が急に気になり出した。
これは携帯電話会社を通してクレジットカード会社に請求される所謂「まとめて支払い」によって請求されていたものだ。

サブスク契約とちょうど同時期にスマホの機種変をし、ついでにPayPayの登録もした。
なぜなら月に4000円もポイントがつくよ!との、こちらもまたお得を仄めかされたからだった。
実際使ってみれば本当にみるみるポイントが貯まりかなりお得なので、それは登録してよかったのだけれど、このPayPayが勘違いの原因になった。

さて、その気になっていた数字、なぜかPayPayと混合していたのか、おかしな思い込みと怠惰によって放置していたのだった。

しかし、毎月送られてくるクレジットカードの支払い明細をよくよく見てみれば、まとめて支払いの額に覚えがない。
そこでお買い物ついでに最寄りの携帯電話会社の支店へ行ってみたところ、いつの間にか閉店していた。

貼り紙を見ると、他の近い支店に行ってくれという。時間だけはたっぷりあるので、そこから一番近い銀座の支店へ行ってみることにした。

受付で支払いに関する確認をしたいと言ったところ、予約なしだと夕方の案内になりますというではないか。。。
まだ昼前だったので最低でも5時間は待つことになる。
いくら銀座とはいえ、さすがに5時間もぶらぶらする気はない。
そこで翌日の予約をして帰ってきた。

その夜、予約した支店から電話がかかってきた。要件の確認をしたいとのことだったので経緯を説明したところ、それは携帯電話会社の管轄ではないのでわかりかねると言う。

困ったものだと思っていたら、その電話のお姉さんが「心当たり」について探るべく質問を繰り出してきた。
そこではたと思い出したのが、件の映画のことだった。
それを電話のお姉さんに伝えたところ、携帯電話会社のアプリからここへ入って、ここの項目を確認して〜と詳しく説明してくれたのだった。

「では、そのように致してみます」と希望を持って電話を切ったあと、すぐにアプリの操作をしてみた。

すると、お姉さんの言っていた通り、毎月引き落とされているのが某ザブスクの額と一致したのだった。

文明の力に明るければわざわざ店舗に足を運ぶこともなかったのにと、己の無能さに落胆しながらも、すぐにそのサブスクのホームページに飛び、無事に解約手続きができたのであった。

普通ならその某サブスクに速攻電話をしてしまうところだったけれど、あの携帯電話会社のお姉さんが「今はほとんどの手続きはネットでできますよ」という一言を信じてトライしてみたのだ。
わざわざ電話連絡をしてくれ、一緒に解決への道を探ってくれたお姉さんには感謝しかない。

「今は何でもかんでも予約しろ!予約しろ!ってサービス低下してるわ!」などと心の中で悪態をついたことを詫びたい。

無事に解決し、めでたし、めでたしと思ったものの、これまで垂れ流しにしていたサブスクの月額を思うと、かなりショックではあった。

まったく使わないサブスクにトータルすると4万円も支払ってしまったのだ。
これも全て自分の不注意。毎月しっかりと明細のチェックはしていたものの、思い込みでスルーしていたのだ。

いま思えば「なぜ⁉︎」と思うところだけれど、思い込みというのは怖いものだと思う。
当たり前でないことが、当たり前に思えるのだから、これからますます注意しなければと改めて思った。

4万円あれば、一体何本の映画が観られたことかと、かなり悔しい思いをしたけれど、これもお勉強代と思って潔く諦めることにしよう。
過ぎたことを悔やんでいてもいいことはないのだから。。。

人を育てられない人間。仕事をしていなくてよかったと思う時代になった。

いま3つあるうちの、この3rdブログ。
6年ほど前に開設したものの、これまでかなり傍へ押しやってきた。
しっかり投稿しようという気持ちだけはあったので、数ヶ月に一回ペースで細々と存続させてきたものの、ずっと気になってはいた。

ここらで、3つのブログを可能な限り書いていこうと一念発起。
そこで下書き欄を確認すると、すでに投稿できる状態の記事がちらほら見つかった。
最初の頃はやる気満々であったのだ。その割には投稿し忘れているけれど(笑)

今と数年前とでは、私を取り巻く環境も多少変わってきている。そのため、最近投稿した内容と矛盾する点も散見される。
リライトしようかとも思ったけれど、その当時の心境をそのまま残すのも悪くないかもしれないと思い、リライトはせずにそのまま投稿することにした。

誰が困るわけでもないので…
以下、2年前に書いたものになる。

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昨年の2月に一人暮らしをしていた長女が一匹の猫と共に帰ってきてから早いもので一年以上が経過した。
猫の方もすっかり我が家の環境に慣れ、毎日うちで一番陽当たりのいいリビングでお昼寝をしたりと今では我が家の主然とし、リラックスして過ごしているようだ。

動物は好きだけれど、私自身は飼うつもりはまったくなかった。
ペットのいる生活はきっと楽しいのだろうけれど、命あるものなのでお迎えしたら責任を伴うもの。
私は旅行が好きなので、ペットがいては家を空けられなくなるというのが一番の理由だった。

夫や次女がいくら欲しがっても、私が「飼うのは反対しないけれど、私は一切面倒みません」と宣言していたため、自分達だけではどうにもならないと、諦めていたようだった。

そんな時、長女が一人暮らしを解消し、猫連れで再び戻ってきたのだった。家を空けることの多い長女は、泊まりの用事ができるたび私にヘルプを求めてきていた。その度に私もいそいそとお世話に通っていたのだけれど、あまりに度重なると負担も大きい。

そして私の都合がつかないときは、ペットホテルへ預けることになり、長女はしきりと「かわいそうだから、なるべく預けたくないの」と言っていた。
そうは言っても、一人で面倒が見られないのならそれも仕方ないしといったところだ。
ところが長女は、一人では限界があると思ったのか、結局我が家に戻り、家族メンバーみんなで面倒を見ようではないか!との思いに至ったのだそう。

勝手に決められては困る。。。
しかし、帰ってくるというものを拒む理由もない。
そして「しっかりお家賃と生活費も払います」の一言に、私は玉砕したのだ。

そのお家賃+生活費は丸々私のお小遣いになる!
その臨時収入を遣い、毎月のように旅行へ行こう!などと密かに計画していた。

ところが、いざ猫と同居をはじめてみると、旅行どころではなくなった。
これがとにかく可愛いのである。情がうつるとはまさにこのことなのだろう。
猫の方はもちろん口はきけないけれど、私が話しかけると鳴き声で応えてくれたり、お腹が空くと甘い声で擦り寄ってきたりするのだ。

小さきものは人間でも動物でもなんでも可愛いものだけれど、いつもそばにいることで余計に愛おしさがつのるのだった。
相変わらず長女は外出が多く、ほぼ私がお世話をしているので余計だ。

もう毎月旅行どころではない。
私が家を空けてしまったら、この子の面倒は誰がみる?と、心配でたまらない。

ペットホテルに預けるという選択肢は余程のことでもない限りは除外だ。
とにかく我が家で守るべき家族メンバーなのだ。もしも人間であったら総領息子(オスなので)になる!



我が家に来たからには、万全の体制でお世話をしよう、決して寂しい思いはさせてなるものかと、自分の予定もすべて猫ありきとなった。
本来なら飼い主である長女が餌やトイレなどお世話をする約束だったのだけれど、今ではトイレのお掃除以外はすべて私の仕事になった。

忙しい長女は生活スタイルも不規則のため、彼女に任せておくと猫に皺寄せがいく。
そんなことは許さない!と、私が全てのお世話を奪ったのだ。

猫に限らず、私はなんでも自分でやらなければ気が済まない性分なのだろう。

長女が留守ならば次女もいるのだから、お世話を教えて分担することも可能だ。
できる人ができる時にやればいいものを、もはや人には任せられない!という心境になっている。

思えば昔、まだ私が仕事をしていた頃も、よく上司から「人を育てられない人間だな!」と苦言を呈されていたものだ。

タイトルの通り、私は昔から今に至るまで、人を育てられない人間なのだ!

実際は二人の子供を産み成人まで育てたので、そういう意味では育てることはできたと思っているけれど、それはある意味時間が解決するという誰にでもできる所業と言ってもいい。

子供に何かを教えるときも、とにかく辛抱がきかない。
料理のお手伝いもモタモタとやっていられるともどかしさで気が狂いそうになる(笑)
そして結局はお手伝いという行為を取り上げてしまうのだ。

その点、夫は非常に辛抱強くいつでも子供達と一緒に料理をしたり、物作りを楽しんだりと、さまざまなことを教えてあげていた。

子育てすらそんな調子なのだ。仕事ならなおさら手とり足とりの指導など無理だ。

仕事が遅く、何度説明しても理解してくれない人がいれば、「時間がかかるようだから、私がやるわ」と仕事を取り上げてしまう。
暴言を吐くわけでも、叱責するわけでもない。ただ、「やらなくていいわよ」といって、仕事を取り上げてしまうだけなのだけれど、今思えばそんな言動に傷ついた人もいたかもしれない。
昔々の話なのでそれも問題になることはなかったけれど、今の時代であったら、きっとパワハラなどと騒がれていたかもしれない。

当時でさえも、魑魅魍魎とした同僚のおばさんから「訴えてやる」などと物騒なことを言われたこと数知れずだ。
すべての原因はハッキリとものを言い過ぎることのようなのだけれど。。。



元々、なにか心にわだかまるような事柄があると、すぐにそんなモヤモヤを抱えていることに耐えられず、口から出てしまう。
それが相手によっては激しい口論に発展することもあるのだけれど、モヤモヤを抱えているよりは戦いの末に傷ついた方がずっといいと思っていた。

とても怖いお局のおばさん達に対してもそうだったものだから、とにかく目の敵にされていたようなこともあった。
相手が自分を嫌っていれば、自然と自分も相手を嫌うようになる。
嫌いな相手なら遠慮はいらないとばかりにやり合うものだから、時には行き過ぎた発言なども出てしまい、挙げ句の果てに「名誉毀損で訴えてやる〜!」などと言われたりするのだ(笑)

魑魅魍魎おばさん達は逞しいので問題ないだろうけれど、もし相手が今時の若者達であったら、かつてのように自分のペースを乱すことを許さない姿勢や、発言は当然のことながらパワハラ認定されることだろう。
慇懃無礼な態度すら、相手が「傷ついた」と一言言えばハラスメントになる時代だ。

実際、私は長らく仕事をしていないので正直なところよくわからないのだけれど、夫や友人知人の経営者などの話を聞いているとなんとなく想像はつく。

とにかく否定してはいけないのだそうだ。何事もまずは理解が最初に来なければいけないという。
夫も最初は部下の教育に頭を悩ませていたようだけれど、元々順応性が高く優しい性格なせいか、なんとかうまくやっているようだ。

たまに昭和オヤジな面が顔を出し、「最近の若い男は根性がないなぁ」などとこぼしていることはあるけれど、それすらも会社では口にできない。
パワハラのみならず、男だ女だのと口にすれば今度はジェンダー問題も加わってくる。

私が仕事から離れている間に、想像以上にセンシティブな社会になっている。

もしも私が仕事をしていたら、きっと物申せないことでものすごいストレスを抱えて病気になっていたかもしれない。

我慢というのは度を過ぎると精神を蝕むものだ。
私の場合、上司に怒鳴られるのは、頭にはくるけれどそれほどのストレスにはならない。大概の場合クビになってもいいやと楯突くからだ。
何が一番ストレスを感じるかと言えば、言いたいことも言えずに我慢することなのだ。

上司にしろ部下にしろ、同僚にしろ、「これを言ったらハラスメントになるかも」と気を遣いながら口をつぐんでいることこそがストレスになる。

想像しただけで身震いしてしまうくらいなので、今働かずに済むことは非常に幸せだと思う。
私を遊ばせておいてくれる夫には感謝しかない。



歳を重ねたことで少しは辛抱強さも身についたと思うれけど、結局のところ「三つ子の魂百まで」で、持って生まれた性分は変わらないものだ。

若い時よりも思慮深くなった分、グッと言葉を飲み込む術も覚えたけれど、飲み込んだ分だけストレスという毒を身体に蓄積させることになるのだ。
これは健康にも非常によくない。

健康を維持するためにも、私はやはり仕事をしていなくてよかったと心底思う。
パラサイトな専業主婦だろうがなんだろうがどうでもいい。
世間様の迷惑にならないのが一番だ。


家庭内においては、ある程度の配慮は必要なものの、そこまで気を遣わなくても済む。
夫はそんな私の性格を知りつつ結婚し、30年近くも一緒にいるのだ。子供達も生まれた時から20年以上も、こんな母のもとで育っているので、それが普通であると思っていて、いいのか悪いのか私のようになってきている。。。

猫の世話に関しても、私が乗り出したからには、下手に手を出さない方がいいという彼らなりの処世術により、平和を保っているだろう。

ただ、困ることがある。
旅行へ行けないのだ。。。
行こうと思えば行けるのだけれど、留守にしている間に家族の誰かがきちんとお世話をするのか?
それが気になって、なかなか腰が上がらない。

昨年は年明けから今の時期までの間に、すでに3〜4回は旅行に出かけていたはずだ。
今年は0である。

夫や子供達からは「大丈夫だから、どこか行ってきたら?」と言われているのだけれど、きちんと猫の面倒が見られるのか心配で仕方ない。
まさに人に任せられない性格全開だ。

実際に経験させなければ成長はしない。
様々な経験によって学び慣れていくものなのに、その機会を奪っているのは私であり、それが自分の首を絞めているのだ。

まさに仕事をしていた頃と同じ状態だ。
自分のペースで物事を進めたいがために、人の成長の機会を奪っていたのだと今ならわかる。
同時に全て抱え込むものだから、とにかく忙しさで毎日大変だった。
とりあえず体力気力は若さで補えたし、勢いのある時代だったおかげで、そんな雰囲気にのることもできた。

しかし今はもう若くない。少しの寝不足も途端にダメージとなるし、一日中あちこち動き回った日などはグッタリと何もやる気が起きないくらいに疲弊してしまう。

そろそろ、なんでも自分一人で抱え込むことはやめなければいけないと思ってはいるのだけれど…。

これも一つの慣れであると考え、いま夏の一人旅を計画中である。
夫も1週間でも2週間でも好きなだけどうぞ!と言ってくれているし、子供達ももう私が世話を焼くような年齢ではない。猫のことさえなければ1年でもふらふらしてきたいくらいの気持ちだけれど、まずは1週間ほど家を空けるところから始めたい。

テーブルにマップを広げ、計画を立てていると、猫がすかさず擦り寄ってくる。
小さな頭を撫でながら、こんな可愛い子をどうして置いていけようか…そんな風に気持ちがまた逆戻りしてしまうのだけれど、それはダメだと打ち消す。

とにかく今後の目標はなんでも抱え込まずに人に託すことも覚えよう!だ。
そのためにも、まずは実例を作ることなのである。
今年こそはなんとか実現したい。。。

今となってはもう働く予定もないし、子育ても終わったので、人を育てるなどということは考えなくてもよくなったけれど、幾つになっても、悪いところは改善していこうという気持ちはある。

それが自分をより楽にしてくれることなら尚更だ。
今年こそはそんな自分を変えていこうと思っている。


言葉を文字にする音声入力機能は便利か否か。実際に記事を書いてみた。

ブログを書くときは、いつもスマホを使用している。小さな文字盤に人差し指を置き、フリック入力でサクサクである。

私にとってそれは全く苦になることではないのだけれど、夫にとってはかなり面倒に思えるらしい。それと言うのも夫は常に音声入力を使用しているからだ。

「わざわざぴこぴこ指を動かさなくても、ただ話すだけで文章が入力できるんだから、それを使わない手はないでしょう」などと、鬼の首でも取ったような顔をして言う。

それならどんなものかしら?と、私もやってみることにした。

実際、このブログ記事は音声入力によって書いている。
自分でやってみると、正確性も問題なく、入力も私のフリックと同じくらいのスピードはあるようだ。
夫がお勧めするのもまぁ納得ではある。

自分で好きなことを話し、それがそのまま記事になると言うのは、それはそれで便利なものではあるのだろう。なんでもやってみなければわからない事はあるので、こんな方法もまた試してみる価値はある。
実際にやってみると、使ってみても良いのではないかなとさえ思う。
ただ懸念点としては、こんなことをしていたら普段ほとんど使わない脳を、さらに怠惰にさせるのではないかということだ。
一応将来的にこのブログの目的もボケ防止になるはずなので、少し心配になってくる。

考えるという点では一緒。ただ口を使うか指を使うかその違いだけなのだと思うけれど、よくボケ防止には指先を使えなどと言うから、考えながら指先を使った方が、実際は脳を使うことに貢献しているんではないかと、思わないでもない。その辺脳の専門家でもないので、何とも言えないのだけれど、あまり簡単すぎるような気がしてならない。。



これは私がいまだに昭和脳のせいだろうか。
より簡単にスピーディーに、余計なアクションを省いた効率化を図る、それが今の世の中の流れなのだろう。
その流れに乗れないものは、どんどん淘汰されていくのだろうか。
しかしなんでもかんでも効率化すればいいというものでもない。またそう考えるのも、私が昭和脳の上に天邪鬼のせいかもしれないけれど。。。

そもそも、スマホの登場によって、私たちの生活は大きく変わった。これはスマホのみならず、タブレットやパソコンを使用するという点では同じだ。

個人的なことに限って言えば、スマホのない時代と比較すると、時間の使い方が全く変わったと言ってもいい。
ただ、単に情報を収集するという点では非常に便利ではある。オピニオン的な事以外で一般的なインフォメーションを得るという点では、スマホは非常に便利で、どこにいても外出先であっても、ちょっと検索をすればすぐにその情報が得られる。これは非常に便利なことではある。そして天邪鬼な私でさえも多用している。

例えば、あるお店のお菓子を買いに行きたいと思うとする。スマホのない時代であれば、雑誌の掲載記事を見るなり、番号案内で連絡先をゲットして問い合わせたりと、なかなか手間も時間もかかったものだ。
それが今は家のソファーに寝転がったまま、人差し指一本使うだけである。

普段「時は金なり…」とうるさいほど言っているのだから、この時代の変化を喜ぶべきは私なのだ!



慣れないせいなのだろう。なんだかとっても疲れた。心なしか文脈もおかしい…

これなら自分の指先でフリックフリックして書いた方が楽な気がする。多分音声入力も普通にフリック入力するのも脳を使うという点では変わらないような気がする。
ただ音声入力の場合は考えるということを、ことさら意識しながら書いているような気がする。自分の指でフリックフリックしているときは、考えることと、書くことのスピードが同じでよりスムーズな気がする。
しかし、不自由ながらもこれを続けていれば、もしかしたら音声入力の方がずっと楽じゃないかと思える日が来るのだろうかとも思う。ただ、そこまでやる根拠があるかどうかわからない。

トグル入力からフリック入力に変えたときのような不自由さを感じつつも、それを継続していくことによってやがて慣れ、そちらの方が楽になるというパターンもあるから、試してみる価値はあるのかもしれない。
ついつい簡単な方、慣れた方に手を出しがちだけれど、せっかく備わった便利な機能ならば思いっきり活用し、さらにブログを書きまくる。それもいいかもしれない。
きっと慣れれば、自分の指でフリックフリックするよりも、ずっと早くブログ記事を書き上げることができるだろう。そして、誤字脱字などちょっとした記入ミスからも解放されるかもしれない。

ただ、この音声入力も万能ではない。日本語というのは同じような意味を持つ漢字がたくさんある。自分がこっちの漢字を使いたいと思っても違う漢字が表示されたりする。
そう、今まさに「感じ」と表示されるけれど、私が描きたいのは「漢字」だ。
ほら、また「書きたい」と「描きたい」がごっちゃになっている。
一気に音声入力をして、最後に推敲することが必要という点では、多少なりとも自分の脳を使うことになるということだ。
それならば書く楽しみという点でも、全くの無ではなさそうだ。

完成されたものはつまらない、そう感じる私にも、これは多少興味を持つ要素になる。
何事も自分で実際にやってみないとわからないものだ。
もしかしたら、音声入力いいかもしれない…



文明の力に頼ること、すなわち時代の流れに乗ることはよりよく生きていくための一助にはなることだろう。
なんでもものは使いよう、適材適所自分に合った使い方ができればそれに越した事はない。
慣れているからといって、いつまでも古いやり方に固執していては損をするばかりか、自分の成長という点でもマイナスになると思っている。

20代のネット環境下で育った子供たちと一緒に暮らしていると、時にアナログな私は笑われたりする。そこで腹を立てるのではなく、では何ができるのかと向き合うことで新しい世界を垣間見ることができる。
一定期間トライしてみて、これは自分にとって具合が悪いと思えばまた元に戻せばいい。
もしかしたら音声入力に慣れて、こちらの方がずっと効率的だ。ずっと使いやすい!そう思う可能性だってある。

いくつになっても柔軟性は必要だ。ネット環境下の生活を続けると、考えることをしなくなるためよくないなどということも聞く。けれど、私のような年代になれば、これもまた頭の運動になるのかもしれない。


これからいくつか音声入力で書いてみようかな…
それにしても、疲れる…
今日のところは、この辺で終わり。