In other words

I really don't know life at all ...

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花の色はうつりにけりな。。。ブログに日記を書くのは承認欲求があるせいかと思いきや、まったく違う理由だった。

今の時点でこのブログは「非公開」設定にしてある。
別に誰に読まれて困るものではないのだけれど、公開するほどのものでもない。

しかし、いざ書き始めるとやっぱり「公開」設定にしようかしら?などと思い始めてもいる。

なんなのだろう。別に誰かに自分の思いを知ってもらおうとか共感してもらおうなどという気持ちは微塵もない。
それでも公開しようと考えるのは、やはり心のどこかでこんなことを考えている女がいますと知らせたいのだろうか?

日頃から他人のあからさまな承認欲求を目にしては、ふふんと鼻で笑っていたというのに、結局自分も誰かに認められたいという気持ちがあるのか。。。

自分の年齢を考えれば、もうそんな歳ではないでしょう。。。と思う。
誰かに認められたところで、自分が若返るわけでもいきなり億万長者になるわけでもない。

若返る?
億万長者になる?

そうなれるのなら、人から認められるよう努力できるというのか。







これはなんなのかしら。。。

思えば若い頃から、女としての若さやお金というものに価値を置いてきた。
こんなことを言うと、バブル世代の馬鹿女と顰蹙を買いそうだけれど、女は若いというだけで花よ蝶よとチヤホヤされ、そこにいるだけで得をする生き物だと思っていた。
そしてそんな生き物に密接な繋がりを持つのがお金だった。

自分が楽しむためのお金、自分を飾るためのお金、自分の夢を実現させるためのお金。。。
とにかくお金がなければ人生は楽しくないとさえ思っていた。

さすがに今はそうは思わない。お金以外にも幸せを感じる術はいくらでもあることが経験からわかったから。

それでも、どこかに若さやお金に対する気持ちが残っているのだろう。

時々、ふと虚しくなることがある。

別に誰かにチヤホヤして欲しいわけでない。どちらかと言えば放っておいて欲しいくらいだ。

それならば、なにをそんなに憂うのか。

花の色は
うつりにけりな
いたづらに
わが身世にふる
ながめせしまに

百人一首に出てくる小野小町の和歌だ。

「若い頃は私もちょっとばかり綺麗だってチヤホヤされたけど、ボケっとしてるうちにすっかり歳をとってしまったわよ」

と、ものすごく簡単に言ってしまえば、そういう意味のことだと理解している。

小野小町のような絶世の美女でなくても、女性であれば誰でもこの心情は共感できるだろう。

つまりは、ふとこんな気持ちが押し寄せてきた時に、虚しさを覚えるのだ。

二度と取り戻すことのできない若さや過去の自分。どんなに手を尽くして手に入らないものへの未だに残る執着。。。

ここでようやく自分の気持ちがぼんやりと見えてくる。。。

これは承認欲求ではなく嘆きだ。
自分の存在を認めて欲しいのでも、共感して欲しいのでもない。
ただ、このどうにもならないと憂う気持ちを晒したいだけなのだ。

我ながらいい歳をしてなにを言っているの?と思う。

それでも公開すれば誰かがそんな嘆きに目を向けてくれるかもしれない。
そんな思いがあるのだろう。

このブログを公開にしても非公開にしても、今世間を騒がせているコロナ不安は解消しないだろうし、マスク不足も続くのだろうけれど、そんな時だからこそ、こっそりと公開して日陰でグタグタと何かを呟くのも悪くないと思うのだ。