In other words

I really don't know life at all ...

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たかが卵を全部使われたくらいで腹を立てるのは、人間として未熟なのだろうか。

我が家ではよくあることなのだけれど、使おうと思っていた食材が一つ残らず姿を消すということがある。

例えば卵。冷蔵庫のケース一杯に卵が並んでいるのを確認し、よしよし今夜と明日の朝食分くらいは十分にあるわと安心する。

しかし、いざ晩ご飯を作ろうと冷蔵庫を開けると、一杯に並んでいた卵は一つ残らず姿を消している。

神隠しにでもあったように消えている。。。

この現象が起こるのがいつも決まって土曜か日曜なのだ。

そこから推察するに犯人は言わずと知れた夫なのである。

「使い切るときはちゃんと言って」

「使ってしまったら、もうないと報告して」

「できることなら、卵は1個か2個、残しておいて」

結婚して以来20年以上、何度この台詞を口にしただろうか。おそらく何千回とはいかないまでも、何百回は言っているはずだ。

私はそれほど難しいことを言っているのだろうか?
卵の有無を申告することは、それほど骨の折れる行為なのだろうか?

そもそも一度に10個もの卵を必要とするほど我が家は大家族ではない。
家族皆んなが揃って食事をすることばかりではないし、多く見積もっても半分くらいで済むはずだ。

いくら大食漢の外国人であろうと、夫はもう50歳だ。それほどの卵は必要としていないはずなのである。

思えば、これは卵に限ったことではない。
ひとたび夫がキッチンに立つと、あらゆる食材が一瞬で消える。

もちろん食事を作ってもらえるのはありがたい。しかし、先のことを考えれば明らかにありがた迷惑だ。

予定していた献立を作るのに必要だからこそそこにあるのに、それを全部さらわれてしまうのだから。

それならば、献立を変えればいいと思うところだけれど、たとえばAとBとCが必要なのに、AとBだけなくなりCだけ残るといった具合になると、献立の変更は時にCを無駄にすることにもなり得る(消費期限の問題もあるので)。

さて、今夜はこれを作ろう!
そう思っていたところ、冷蔵庫の中にたっぷりとあるはずの食材がなくなっている。。。これは激しくやる気を削がれる。
まるで目の前でいきなり梯子を外されたような気分になるのだ。

話を卵に戻そう。

いざ食事の支度をしようと立ち上がり、冷蔵庫の中に一つの卵も残されていないのをみて、私はいつも無性に腹が立つ。
本当に溜息をつくくらいでは収まりがつかないくらいに腹が立つ。

だからと言って怒鳴り散らすほど子供ではない。

「どうして全部使っちゃうの?」

「いつも言ってるわよね?」

不機嫌をチラッとだけ見せながら、そう言うに留める。

肝心の夫はと言えば、「使うなんて知らなかった」と、平然としている。

その「大したことじゃない」といった素振りがよけいに腹立たしい。

子供のように、「卵なきゃ嫌だー!」と、寝転がって両手両足をバタバタさせてやりたいくらいの気持ちになってくる。

「だからいつも言ってるでしょ?なんでアンタはそれがわからないんだ?」

ここまでくると、怒りを隠そうとも思わなくなってくる。バタバタ暴れないだけまだ大人だ。

「卵くらいでそんなに腹を立てるなんておかしいよ」

「買ってくれば済むじゃないか」

夫はこともなげにそう言う。

そうなのだろうか。。。

たかが卵がないくらいで腹を立てるなんて、私はおかしいのだろうか。。。






いま夫が卵を買いに行っている。

きっと卵以外にもお酒や柿の種、チョコレートなど、よけいなものを山ほど買ってくるだろう。これもまた腹が立つ。

卵プラスαの怒り。。。

夫の買い物は家計度外視、いつでも己の胃袋のみを見ている。
自分の稼いだお金で好きなものを買っても何も悪いことはない。それは自由だ。
しかし、家計が破綻しないよう管理を任されているのはこちらだ。

周到にとまでは言わないけれども、ある程度の節度をもって家計管理をしているこちらとしては、それもまた腹の立つことなのだ。

いや、やはり散財よりも卵がない方が私にとってはよほどストレスだ。

夫の言うように買ってくれば済むことなのだろう。しかも夫自身が買いに行ってくれるのだから、少し待てば卵はやってくる。

それでもなぜか腹の虫が治らない。
これは私が人として未熟なせいなのだろうか。

20年以上、同じことで腹を立てる私は成長していないということになる。そして、何度もその原因を作る夫もまた然り。

似たもの同士という絶望を直視して、腹立たしさの代わりに虚しさが押し寄せてきた。。。