最近、夫がよく若い頃に聴いていた音楽をリビングで流している。
もはや新しいものに手を出すよりは、慣れ親しんだもので癒しを得ようとしているのか、50にもなれば保守的になるものだ。
そんな中、久しぶりにあの曲を聴いた。
そして思い出した。。。
若い頃にロンドンで生活し始めた頃のことを。
今ほど海外へ出ていく日本人が多くはない時代だった。とりわけアメリカではなくイギリスを選んだ時点で、ちょっと覚悟は必要だったのかと、今なら想像はつく。
好き好んで海を超えたのだけれど、英語もろくに話せなかった20歳そこそこの女の子にとって、ロンドンという街はあまりにも冷た過ぎた。
イギリスでがめつい店員にお釣りをちょろまかされたり、
通りすがりの見ず知らずの人からFワードを投げつけられたり、
異国の地でようやく知り合った同じ日本人から詐欺まがいの話を持ちかけられたり、
言葉がわからないというだけで、虫ケラ扱いされたり、
ハイエンドのブランドショップではまるで相手にされなかったり、
成金扱いされ馬鹿にされたり、
(当時の日本はバブルで大金持ち)
おまけにいつも天気が悪いし。。。
最初の1年は世界中の悪意が自分に向かってきているの⁉︎というくらい、腹の立つことばかりだった。
それは私の身にだけ起こっていることではなく、多くの日本人がそうだったのだ。その証拠に当時イギリスで出会った多くの日本人は早々に帰国してしまったり、他の国へ逃げ出していった。
とにかく、ことが起こるたびに、いっそのことこの良心の欠片もないような輩がもう二度と悪事を働こうと思わなくなるくらいに大暴れしてしまおうかと思ったのも一度や二度ではなかった。
しかし、沸点ギリギリのところでSTINGの『Englishman in New York 』のメロディーが頭の隅で流れ出す。
oh I'm an alien , I'm a regal alien
そうなのだ。私はこの国では外国人。
自分の国ではない、よその国で生きている。
その国の法律を詳しくは知らないというのは、想像以上に恐ろしいものだ。
大暴れし、ことを荒立てたらどうなる?
強制送還されるくらいならまだラッキーだ。
万が一牢獄にでも投獄されたらと思うと、さすがに怖い。。。
昔、アメリカ映画で見た刑務所が目に浮かぶ。自分の背丈の倍はあろうかという赤毛の大女、歯が一本もない口でニッと笑う初老の女、目の下を真っ黒にした何十年も髪を梳いていないような金髪女。。。
そこで瞬間湯沸器のスイッチがパチンと切れて、今度は北極に置き去りにされたやかんのように心が冷え冷えとしてくる。
一瞬にして沸いた怒りが消えた後、いつもその燃えかすの捨て場に困った。
こんな理不尽を容認する自分が弱い人間になったようで、怒りと自己嫌悪が鳴門海峡の渦潮のように、いつまでも頭の中でクルクルと回り続けていた。
それは日本にいるときには感じたことのないほどのストレスだった。
そんな時、唯一私の中に溜まった真っ黒な燃えかすをどこかへ持ち去ってくれるものがあった。
今ではすっかり名前を聞くこともなくなったけれど、80年代に活躍したスコットランド出身のアコースティックポップグループ『Fairground Attraction 』の『The Moon Is Mine』という曲だ。
But the moon is mine
この曲のフレーズを頭の中で繰り返し唱える。
なにがあっても、
どんな嫌なことがあっても、
あの月は私のもの。。。
そう思うとどんな出来事も途端に些細なことのように思えてきたものだった。
ものすごい浄化作用。。。
今ではあの頃の自分のメンタリーはちょっと理解不能なのだけれど。。。
私はこうして、どんよりと一年中暗いロンドンの曇り空や、よそ者を阻害しようと悪意を投げつけて来る人、自分の下手な英語にさえも傷つかないくらいのK Y力を身につけた。
「ああ、あの月は私のものよ!」
そう、声に出したなら、まるで頭のおかしくなった東洋人の女の子だ。
もちろん誰にも言わない。言えるはずもない。
ただ、心の中で頭上の月を我がものとしていただけ。
人にはなにか拠り所が必要な時があるのかもしれない。
倒れそうになったときに支えてくれるもの。つっかえ棒になったり、時に暗い気持ちを追い払ってくれるものが。
それは人である必要はない。
美味しい食べ物をお腹がはち切れるほど食べたり、月末のお財布事情を考えることなく散財することであったり、フルマラソンを走ってしまったり、なんでもいいのだと思う。
そんな中、私にとっての拠り所が「あの月は私のもの!」というあの曲だったのだ。
いま、あの頃の自分を思い出す。
もう30年も前のことだ。未熟で青くて、無知で恥ずかしくなってくる。
それでも月を見上げて「あの月は私のもの!」と自分を励ましていた若かりし頃の自分自身を笑うことはできない。