先日のこと、仕事から帰宅した夫が激しく息巻いていた。
喜怒哀楽の激しい外国人ゆえ、それは珍しいことではない。
いつものようにつらつらと「なにか美味しいものはないかな〜」などとインスタの写真を眺めながら、話を聞いていた。
どうやら他人の噂話らしい。我が夫は男のくせに人様のゴシップには過剰に反応するという癖を持っている。
私がどんな態度で話を聞こうが大した問題ではなく、ただ自分の中に生まれた感情を吐き出せば満足な人なのだ。
そうは言っても、私だって一応妻の役目として夫の話には片耳くらいは傾けるようにしている。
しかし話の内容はただの噂話ではなく、私も知る共通の知人の離婚話だった。
離婚自体は昨今珍しいことではない。問題はその離婚原因だ。
その知人は我々と同年代の50代。若い頃はそれなりのお付き合いもあったけれど、私はもう長いことその夫婦には会っていなかった。
夫の話によると、元気だったはずの妻が当然病に倒れ、検査の結果癌であることがわかったそうで、気づいた時にはかなり深刻な状況になっていたという。
とても気の毒な話ではあるけれど、癌に罹患した経験のある私からすれば、誰に同情されようとも病気が治るわけではなく、逆にそっとしておいて欲しいと思うから、そのことに対しては「大変ね」としか言えない。
しかし話はそれだけでは終わらなかった。
妻の病気が発覚したと同時に、夫の方が妻に離婚を申し入れたという。理由はすでに交際している別の若い女性と一緒になりたいからだという。
これに対して我が家の夫は激しく憤っているのだ。
長年連れ添った病気の妻を捨てて離婚、しかも若い女と再婚とは酷すぎる!
私のような大和撫子の対局にあるような女と結婚してしまった後悔からか、若くて素直な女の子と再婚するという知人に多少の羨ましさや嫉妬があるのかもしれない。
それほどまでに、夫は激しくその知人を非難していた。
20年近く連れ添った妻、それも重い病を抱えた妻をどうして見捨てられようか、もし自分がそんなことをしたら、世界中を敵に回すことになる。そして自分自身の中にある良心は最大の敵となるはずだと。
夫の言う酷いは「病気の妻を捨てる」というところに集約されているのだけれど、私のとはちょっと違う。
そこまでどうでもいい相手、恐らく恨みを抱えていたであろう妻に、長年もなにも言わず裏でこそこそと恋愛をし、相手が弱った途端に乗り換えるという姑息さが酷いと感じたのだ。
そんな嫌な相手であれば、なぜもっと早く離婚してしまわなかった?
もっと早ければ、妻は妻で別の人生があったはずだ。
そう思いはしたけれど、やっぱり夫婦のことは当の2人にしかわからないこともあるのだろうとも思う。
別の夫婦の話になるけれど、表向きは優しく献身的な妻が、家の中では夫に対して容赦ない言葉を投げつけているという人も知っている。
「稼げない男は犬以下だ」
「私はなんて頭の悪い男と結婚したのか。後悔しかない」
「目障りだから消えてくれ」
もしも相手に日々、そんな言葉を投げつけられていたらどうだろうか?
普通の人間なら耐えられないところだけれど、我慢してしまう人もいる。また我慢せざるを得ない状況の人もいるだろう。
件の夫婦がどうであったかはわからない。
夫婦の仲は一見すると普通に見えたけれど、その実どうだったのか。
家の中のことは誰にもわからない。
嫌な相手でも離婚に踏み切れなかった理由も、妻が病に倒れた瞬間に別れを決めた理由も。
なにもかも他人にはわからないのだ。
子供がすでに成人していることで、その夫は養育費や慰謝料の支払いはするつもりはないと言っているらしい。
妻の方はと言えば、突然発覚した病に戸惑い、夫の予期せぬ言動に打ちひしがれているため、子供達がそんな母親の面倒を見ているという。
高額医療制度を使ったとしても、現実問題として闘病にはお金がかかる。感情の問題だけでは済まないのだ。
そうは言っても、やはり他人にできることは限られている。力になると言ってくれる人がいたとしても、それを素直に受け入れられないこともあるのだ。
私がそうだったからわかる。他人に「大変ね」「お大事に」「きっと良くなるわ」そんな好意的な言葉をもらっても、素直に聞けない自分がいた。
全ての人がそうだとは言えないけれど、少なくとも私は「もう放っておいて」というのが正直な気持ちだった。
病を克服して、元気でいられるいまだからこそ、こうして話題にもできるが、しばらくは病気のことを口にするのも嫌だった。
もしかしたら、その妻もいまは病気のことも離婚のことも、他人は黙っていて!という心境かもしれない。
知人達が今回の件で代わる代わるその夫に気持ちを変えるようにとさとしているようだけれど、私は夫に「あなたは黙っているべきだ」と言った。
「夫婦のことは他人には分からないし、病気のこともその辛さは本人にしかわからないから」と。
夫はみんなと同じように、その知人に何やら言ってやるつもりだったのかもしれない。
「あなたが病気になったとき、私は全面的なサポートしたし、それがあたりまえじゃないのか?」
そう言って過去の話を持ち出してきたりもした。
いやいや、それは完全に記憶が都合よく塗り替えられている。
当時、夫はといえば、サポートどころ「大丈夫!大丈夫!大したことないさっ!」と、鸚鵡のように繰り返していただけなのだ。
今から思えば、その脳天気な明るさに救われたのかもしれないが。。。
もしもあの時、私がその妻と同じことをされたていたら、きっと劣化の如く怒り狂っていたであろう。
そして、こんな男はいらん!いるのは金だ!もう根こそぎ奪ってやるわ!とアドレナリン全開、メラメラと燃える怒りの炎でガン細胞すら消滅させてしまっていたかもしれない。
そう考えると、知人の妻の状況はとても辛いものだと想像できるけれど、それでも他人に口出しできることはないという気持ちには変わりない。
人の人生はどう転がるかわからない。とりわけ他者との関係においては自分の思惑どうりにことが進まないのが常だ。
悲しいけれど、人生とはそんなものなのだ思う。