明日、ようやく緊急事態宣言が発令されることになった。最低でも1ヶ月間は、この東京も本格的な自粛生活となる。
一足先に引きこもり生活をしているので、あまり外の様子はわからないのだけれど、近所のスーパーでは少し前から入場制限していると聞いた。物資を買い集める人で殺伐とした雰囲気らしい。
そんな様子を想像すると少し怖くなる。。。
子供のころ、幽霊を怖がる私に今は亡き父が言った。
「生きている人間の方がずっと怖い」
その時はまだ幼かったから、どうして人間が怖いのだろうと思っていたけれど、今ではその言葉に大きく頷くことができる。
大勢の人が申し合わせたように、同じ心理で乱暴に動くこともそうだし、誰かから悪意を向けられて酷い仕打ちを受けたりするのもそう。
さらにはこんなこともあった。20代の頃、ものすごく治安の悪い国で短期間暮らしたことがあった。その時、初めて心底人間が怖いと思った。
東京などで夜間歩いているときは、人がいないことの方が怖かったけれど、その国ではまるで違っていた。
街には犯罪者が溢れていて、いつどこで何があってもおかしくない状況だった。
そんな中では、周りに人がいるだけで恐ろしくて、一人になると妙な安心感を覚えたものだった。
まさに、「生きている人間が一番怖い」
そう思って生きてきたけれど、今回の新型コロナウィルスでは、目に見えないものの恐怖というものを感じることになった。
このウィルスはなんだか嫌な感じ。。。
写真を見れば毒々しい真っ赤なきのこみたいなものがぶつぶつくっついていて、ものすごく性悪な顔つきだ。
目に見えさえするなら、どんなに小さくても一つ一つ除菌スプレーなどを噴射して退治してやろう!と思うけれど、見えないとなるとそれも難しい。
世界中が危機的な状況になっているいま、まさに目に見えない得体の知れないものにまとわりつかれ、私達は恐怖に怯えている。
インフルエンザどころか普通の風邪ですら、ほとんど無縁な私だけれど、決して頑強な身体を持っているわけではない。
生まれつき気管が細くて弱いのに加え、過去には消化器系の病気で手術をしたり、それよりもさらに重篤な病気になり、人生で2度目の手術と入院も経験した。
幸いなことに、今は運良く普通の生活が送れているけれど、いつ何時また病に伏せるかと心の隅ではいつも不安なのだ。
だからこそ、風邪などひかぬようにと注意して暮らしている。
新型コロナウィルスにしても、もし感染でもしたら、きっとそれほど軽くは済まないだろうなどとも思う。
私が早々に引きこもり生活に突入したのはそのせいだ。
目に見えないウィルスはどこに実態があるのかわからない。
そういったことを考えれば、目に見える人間の方がよほど安全ではないかと思える。
この人間は要注意だと信号がピコピコしたら、近寄らなければいいのだから。目に見える危険を避けながら暮らすことは、少なくとも目に見えないものを相手にするよりはマシだと思える。
一方で、連日マスクやトイレットペーパーを求めてドラッグストアの前に列を成す人々や、スーパーで山ほどの商品をカートに積み上げ、長い行列に並んでいる様子を見ると、それもまた怖いと思う。
もしも物資がなくなったら?
そんな不安を覚えるのはよく理解できる。私も同じだ。
それでもあの行列に身を置こうとは思わない。
マスクの取り合いで小競り合いが起きたり、お店の店員さんが悪態をつかれたりなんてこともあるらしい。
人は自分の身を守るためなら、他人をも容易く傷つける生き物なのだ。
自分の身が可愛いのは誰もが同じ。しかし、それほど可愛い我が身なら、何故に普段から備えておかないのだろうとも思う。
脅威は新型コロナウィルスだけではない。依然として日本は大地震のリスクも抱えていることを忘れてはいけない。
地震はなんの前触れもなく起こる。その後にどうなるかは過去の大地震でよくわかっているはずなのに。。。
それでも、自粛要請や緊急事態宣言が出るとなると、大慌てで皆んな同じ場所に殺到するのだ。
あれほど多くの人が同じ心理で同じ行動をとることがとても怖いし、加えてそこに蔓延するだろうウィルスを想像すると、さらに恐怖が増す。
もう生きてる人間も、目に見えないウィルスも、どちらも強烈に怖い。。。
それにしても、みんなどれほどの備蓄をしようとしているのだろう?
まさか何ヶ月も流通が滞るなんてことはないでしょうとのんびりと構えている私は、楽観し過ぎなのだろうか?
いくら備えはしているとはいえ、大きな蔵を持っているわけではない。数週間なら問題ないけれど、これが長引けばやがて備蓄は尽きる。
まぁ、来週あたりになれば少しは落ちつくと思うから、それから考えればいいかしらね。。。
明日は緊急事態宣言だけでなく、スーパームーンが見られる日。
空を見上げると、すでに美しく大きなお月様が見える。こんな時だからこそ、ちょっと空を見上げてみよう!