お題「#おうち時間」
ずっと家の中にいると、充実感のようなものが感じられにくくなる。
普段、毎日のように人と会い、外を歩き回っていた人にとっては、よけいにどこか時間を無駄にしているような気になり、妙な焦りを覚えたりもする。
もちろん、私は家庭の主婦なので、この自粛生活が始まってからは、家族のお世話などでいつも以上に忙しい。家事をしなければならないから。
朝からいつもの掃除や洗濯に加え、一日3食しっかり食べる家族4人分の食事とおやつやデザートを用意しなければならない。
ただ、これはいつもやっている主婦として「仕事」のようなもの。好きとか嫌いとか、得意とか苦手とか、まったく関係なく「やるべきこと」だ。
そこに充実感などというものはない。ただ、やる必要があるからやっているという当たり前のことで、それがどれだけ忙しかろうが、仕事量が増えただけで、特別に心を揺さぶられるようなことはない。
ほとんどの主婦にとって、家事はおうち時間を充実させる事柄にはならない。
そんな充実感に乏しいこの自粛生活で、私が思わずハマってしまったのが「育てる」という行為だ。
我が家の子供ももう大学生に高校生だから、私の子育てはほぼ終了しているといってもいい。
では、何を育てるかといえば、動物が植物といったところで、私の場合は植物だ。
以前からちょこっとベランダにプランターを置いて、花を植えたりしていた。でも、それはなんとなく植えていただけで、日々の水やりくらいはしていたけれど、毎日それを愛でることには熱心ではなかった。
それが、少し前に気まぐれに買ってみたビオラが思いもよらず、わさわさと色とりどりの花を咲かせ始めると、その成長のスピードに思わず目を奪われてしまったのだ。
特別なことは何もしていない。ただ水をあげているだけなのに、なんということか。
そして次によくわからない花の苗をまた買ってきた。
名前も知らないのだけれど、花屋さんの女の子が「自然交配の珍しい花ですよ」などというものだから、どんな花が咲くのかとまた植えてみた。
すると、その苗も目覚ましい成長を見せてくれ、あっという間にいくつも蕾をつけて花開いた。
調べたけれど、未だに名前がわからない花だ。多分スミレとかその辺の種類だろう。
これに気をよくして、次に買った苗はマリーゴールドだ。
あいみょんの唄う「麦わらの帽子の君」のような花だ。
これもまたあっという間に、見事な花を咲かせた。
素晴らしい!なんという生命力だろうか。
私のように肉や野菜をたらふく食べ、おまけに甘いものまでたっぷり食べているわけでもないのに、毎日グングンと大きくなる。そして小さな蕾をつけたと思ったら、あっという間に美しい花を咲かせるのだ。
そして、また新しい苗を通販で買った。
種から育てようかとも思ったが、それだと時間がかかる。
早くベランダを花だらけにしたいと、あえて苗にしてみた。
これまた「あいみょん」だ。
色と種類は前のものとはちがうマリーゴールド。
このように、次々と苗を買っては育てることに夢中になっている自分を、ふと客観視してみると、色々な要因が考えられる。
まず、私が歳をとったということだ。
人は人生をスローダウンするようになると、土いじりをするようになるという。
これは身近の諸先輩方をみていても否定できない。
私も若い頃には、花などにまったく興味はなかった。夫に花束などをもらっても「これ、食べられないわよね?どうせならお腹いっぱいになるものにお金遣ったら?」などと、平気で失礼なことを言う女であった。
それが今は「見て見て!!また新しい花が咲いたわ!」と、毎日ひつこいくらいに家族にお花をお披露目している。
人間は変わるものだ。。。
しかし、理由はそれだけではない。
私がここまで夢中になったのは、まさに「生きてる」という生命の強さを実感できるせいなのだ。
人が自分は生きている!と実感できるのは、まさに己の人生を謳歌し、充実した生活を送っている時だろう。
私の場合は、毎日お友達と会ったり、美味しいものを食べに行ったり、お買い物をしたりと、自分の好きな時に行きたいところへ行き、会いたい人に会い、欲しいものを手に入れる。
一般的な専業主婦が充実感を覚えるのは、きっとこんなことなのだ。
とても些細なことだけれど、私はそんな毎日が楽しかったし、そんな生活に十分満足していた。
しかし今回のコロナで、そんな楽しみの全ては奪い去られたのだ。
このおうち時間で、勉強したり、趣味を極めたり、何かしら自分のためになることをしよう!などという声も聞こえてくるけれど、やりたいことしかしたくない。
特別に勉強したいことや、好きな趣味でもあればいいのだろうけれど、私にはないのだ。
おうち時間でやることといえば家事だけ。。。そんな生活の中では生きているという実感すら乏しくなってくる。
そんな気持ちに光をさしてくれるのが、ベランダでぐんぐんと成長している花たちなのだ。
毎朝、起きるとベランダに出て、プランターの脇に座り込む。
昨日よりも蕾が増えてるぞ!
昨日蕾だったのが花開いた!
そんな成長を見るのが楽しい。
自分自身の成長ではないけれど、少なからず自分が手をかけたものが応えてくれるのだ。
自分のしたことが目の前で形となって現れる。それも一日単位で変化を見せてくれるというスピード感。
まるで止まった時間の中にいるような自粛生活で、花達だけはコロナなどものともせずに、成長していく。それを見ていると、まさに生きているという実感が得られるのだ。
何も趣味がなく、なにもすることがないと退屈で死にそうになっている人がいたら、「育てる」ことをしたらいいと思う。
花じゃなくてもいい。チェリートマトやハーブなど、食べらるものならなお楽しいかも知れない。
とにかく、「生きているもの」を育てるという行為は、自身も「生きている」ことを実感できるのは間違いない。
心が荒んでいる人、寂しい思いを抱えている人なんかも、育てることをしたらいい。
ちょっと自己満足と思わないこともないけれど、試してみる価値はあるだろう。
ちなみに、私の大切にしている「金のなる木」という植物も、次々と新芽を出している。
これはとってもお金持ちの知人から「大切に育てると、たくさんお金が入ってくるわよ」と、もらった鉢だ。
もちろんたくさんお金が入ってきて欲しいので、大切に育てている。
無数にニョキニョキと出てくる新芽を見ていると、下世話だけれどそれがお金に見えてきて、なんともいい気分になる。
コロナのせいで経済は停滞し、先行きが不安視されるところだけれど、こんな些細なことで、ちょっと明るい気分にさせてくれる植物というものは、やはりいいものだと思うのだ。