In other words

I really don't know life at all ...

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30年ののちに知った真実。ルノアールで出されるお茶の意味を長い間勘違いしていた件。


十代の頃からルノアールにはよく足を運んでいた。
クラシック音楽の流れる店内の静けさ、広々としたスペースの座席は昨今のカフェとは比較にならない。

最近はあまり見ないけれど、昔はよく仕事をさぼって昼寝をしているサラリーマンを見かけたものだ。

かつては『談話室 滝沢』と共に、疲れを癒し、乾いた喉を潤す場所を求める者のオアシスであったのだ。

残念なことに『談話室 滝沢』はすべての店舗が閉店してしまった。
同じような使い方をできる店といえば、いまや『ルノアール』一択と言ってもいい。




ルノアールでは、ちょうど飲みものを飲み終えたくらいのタイミングで、日本茶が出される。何十年も前から変わらないルノアールのスタイルだ。

最近目にしたネット記事で、このお茶について書かれていた一文が気になった。

安価なカフェにお株を奪われ、閉店が相次ぐ昭和喫茶の中で、ルノアールが売り上げを伸ばしているという記事だった。

それに関しては、古くからのファンもいるだろうし、少しだけ多くお金を払ったとしても、あの落ち着いた雰囲気を得たいという人もいるだろうから特に驚きはしない。

なにが気になったのかというと、記事の中で件のお茶を「お茶のサービスまである」と表現していたことだ。

私はこれまでこのお茶に対して、サービスという捉え方をしたことがなかった。

今でもはっきりと覚えている。あれは私が18歳になったばかりの頃だった。
友達数人とルノアールにいた時のこと。
いつものように、ドリンクがなくなった頃にお茶を供された。
その時、一人の友達が言ったのだ。

「このお茶は、そろそろ帰ってくれって意味だよ」

私をはじめ、他の友人たちもまさかと思った。しかし、その友達はしたり顔でこう続けたのだ。

「うちのおばあちゃんの茶店ではね、早く帰って欲しい客には昆布茶をだすんだよ」

若かった私達にとっては、ものすごく説得力のある話だった。
実際に喫茶店を経営しているという人の話に加え、「昆布茶」という固有名詞の妙なリアリティが私達を完全に信じこませた。

以来、私達はルノアールでお茶を出されるたびに顔を見合わせたものだった。





つい最近、ルノアールへ行った時のことだった。
新型コロナの影響で客はほとんどいない状態だったため、店員さんと「困ったものよね」などという世間話をしていた。

ひとしきり話し終わると、店員さんが去り、私はほとんど人のいないがらんとしたら店内を我がものとし、コーヒーを啜り、すぐに運ばれてきたモーニングサービスのサンドイッチや茹で卵をゆっくりと食べた。

いつもほとんど席が埋まっている賑わいのある店に、閑古鳥が鳴いていた。

モーニングを食べ終えるタイミングで、例のお茶が出てきた。

なんと!

こんな誰もいない時でさえ、お帰りの催促だと⁉︎

そう思った時、

「今日はこんな感じなので、お時間がある限りゆっくりなさっていってくださいね」

先ほど、世間話をした店員さんが笑顔でお茶をテーブルに置いた。

んん?

これはお帰りの催促なんかではなく、純粋なサービスだったのだ。

このお帰り催促説に関しては、今では都市伝説化されているらしい。けれど、あの頃はそれを信じていた人の方が多かったのではないだろうか。

長い間深く心にあったものは、たやすく消えるものではない。
お店側から「これはサービスです。ごゆっくりなさってください」

そんな説明があっても、若い頃に一度刷り込まれたものを簡単に払拭することはできないというわけだ。

これからもきっと、お茶が出てくるたびに、ほんの一瞬でも気まずさを感じることだろう。これ以上長居してもいいものか?と、すこしムズムズするのは間違いない。。。