前記事を書いていた際に、3000文字を超えてきたあたりで、これは長すぎはしないか?と思い始めたのだけれど、まだまだ終わりそうにない。。。
トピックとしては、Googleのアップデートにより、思うような検索結果が出ずにつまらない。もうGoogleに見放されたので、読書に活路を見いだそうと読書熱が再燃したお話というただそれだけ。
それなのに、まだまだ続きそうなのだ。
饒舌なアラフィフにとっては、これでもかなり省略という作業を重ねているつもりなのだけれど、言いたいことを全て吐き出そうと思うと、そうそう簡潔には済まない。
そんなわけで、誰にともなく「長すぎて申し訳ない」という気持ちが湧いてきたので、それらしく〈前編〉〈後編〉などという小賢しいことをしてみた。
つまり、この前記事の正真正銘の「続き」である。
ネットから見放されたことが原因となり、最近再燃したのが読書だ。
若い頃はスマホなどという便利なものがなかったから、とにかく本をよく読んだものだ。
今の子がスマホを片時も離さず手にしているように、私が若い頃には文庫本をいつでも手にしていたような人が多くいた。
今は雑誌や書籍が売れないという話をよく耳にするけれど、ネットが普及すればそれも当然のことと想像できる。
しかし、ネットにそっぽを向かれた身としては、もはや頼みの綱は「読書」だけだ。
そこで、早速本屋さんへ行ってみた。
数年前までは週に何度も顔を出していた、駅前の本屋さんだ。
いつも無愛想な店員が、ニコリともせずにウロウロとしていて、あまり気分はよくないけれど、本屋というのは概してそんなものだ。
接客の素晴らしい本屋さんなど、これまでお目にかかったことがない。
まぁ、それはいいとして、書店へ行かなくなった理由は、面白そうだと思える本がなかったせいもある。
しかし、久しぶりに行ってみると、興味深い本が何冊か見つかり、「ああ、やっぱり本だわ!」と思った。
ところがお会計をしてビックリした。。。
雑誌1冊、新書3冊、文庫2冊。これでゆうに¥5,000を超えたのだ。
昭和感覚で言えば、本は高いものではなかった。
30年くらい前であれば、文庫本などは¥300程度。消費税なんてものもなかった時代だから、¥1,000あれば文庫が3冊は買えた。だからこそ、当時の若者は本をたくさん読んだのだろう。
経済は冷え切っているのに、こんなに物価が上がっているとなれば、よほどの本好きか、専門書を求めるでもない限り、わざわざ本を買おうと思わないだろう。
スマホなら定額の通信量だけで、あらゆることができ、本で得られるのと同じように知識を得ることも大方はできてしまう。
しかし、〈前編〉でも述べたように、Googleさまから見放された者にとって、本は救世主なのだ。
昔と比較すれば高いけれど、そこに盛り込まれた情報はそれだけの価値がある。
もしも自分の足で本の中にある知識や学びを自身の経験から得て、それを書籍としてまとめようと思ったら、それこそどれだけの時間とお金がかかるかわからない。
ブログを書くくらいしか趣味のない中年、しかもネットにも見放された者にとっては、本代に¥5,000支払うことは安いくらいだと思わねばならない。
さあ、これからはゆっくりと、読書漬けの日々を過ごすわよ!といい気分で帰宅し、買ってきた本をリビングの小さなテーブルの上に満足げに並べる。
そして、その中の一冊を手に取った。
背筋を伸ばして正しい姿勢で読みたいところだけれど、それではリラックスできないと、ソファーに深く腰掛けて読み始める。
そのうち、さらにリラックスした私は、ゴロッとソファーに横たわって続きを読み始める。
なんだか、スマホの画面やパソコンをのぞいている時よりも、集中できる気がする。。。
しかし、そう思ったのも開始30分程度だった。身体を横たえたのが大きな間違いだったようで、私はまるで何かの発作かと言えるくらいの早さで落ちた。。。
爆睡中。。。
2時間後に目覚めてみると、手にしていた本はそのままお腹の上に乗ったままだ。かなり寝相がいいところをみると、よほど深く眠ってしまうのだろう。
かれこれ15年ほどは続けている無駄な早起き生活で、朝の4時〜5時には起きるようにしている。たとえ前の晩何時に寝ようが、起きる時間は変わらない。そのせいで、多少寝不足気味ではあるのだけれど、それにしても真昼間に2時間も爆睡とは、ちょっと度が過ぎている。
目覚めてすぐにまた本を手に取る。しかし、どこまで読んだのだかわからない。
うとうとしながらページをめくっていたのだろう。読み進めてはいるけれど、内容が頭に入っていないというパターンだ。
そこで、「ここは読んだ」と記憶の鮮明な部分までページを戻すことなる。
読書を再開して以来、毎日こんな感じだ。
これを日々繰り返すというのは、まさに「一歩進んで、二歩下がる」という行為に等しい。
当然のことながら、読書スピードが恐ろしく遅い。。。
別に早く読む必要もないのだけれど、本というのは「旬」のものだ。
小説の類でさえ、時期を逃すと面白くても新鮮さを失ってしまったりする。
実用書やビジネス本、エッセイなどに至っては、まさにすぐに読んでこそ役立つというものばかりだ。
子供達が買ってきた本を置き去りにし、いつまでも読んでいる形跡がない時、
「本は読む時期を逃すと、旨味も逃すわよ!」
などと、偉そうに言っているけれど、その言葉はそっくり自分に返したい。。。と、そんな状況なのだ。
文庫や新書なら、一日あればちょこちょこと読んでいれば読み終えることは難しくない。私にはそれだけの時間がある。
しかし、たった一冊の文庫が3日あっても読み終わらないのだ。
寝落ちだけが原因ではない、加齢による視力の衰え、そして乾燥が、小さな文字を追いかけることに疲れてしまい、持久力を失ってしまう。
眼精疲労というものだろうか。。。
眼を休めようと眼を閉じようものなら、今度はまた別の敵「睡魔」に襲われることになる。
どんなに寝ても寝ても眠れないということがない「睡眠ウェルカム」な体質が恨めしい。
本を読むにも体力が必要というわけだ。
この歳になれば仕方ないと、睡魔と眼精疲労をなだめながら読書を続けている。
そして、前回買った本がまだ読み終わらないうちに、新しい本を持ち帰ってくる。
歩みは亀の如しだけれど、本を読むのはやはり楽しい。そして、本屋さんへ行き、「読みたい」と思える本が見つかることも嬉しい。
体力がなくても、本に対する期待と情熱さえあれば、もうGoogleさんに頼らなくても楽しく暮らせそうだわと思った。
はじめてパソコンを買ったのは、かれこれ25年前だ。以来、ずっとネットのお世話にはなってきた。そして、iPhoneが登場してからは、さらにデジタルに依存するようになった。
しかし、アナログな生活もいいものだ。ちょっとしたデジタルデトックスのつもりで、この読書熱をさらに再燃させるため、どんどんガソリンを注ぎ込もうと思っている。
未読の本は既に、10冊近くも積み重なっている。
ブログも韓国ドラマもほどほどにして、早く読んでしまおう。
旬を逃す前に。。。