早いもので、すでにお節の注文が始まっている。
ここ2年くらいはフレンチを基調としたお節を用意していたのだけれど、来年のお正月は和洋折衷でいこうか?などと、百貨店でもらったカタログなどを見ながら、考えていた。
全国の有名料亭やレストランなどのお節がずらりと並ぶカタログを見ている時、ある店の写真が目に止まった。
この店、行ったことがある。。。
それは京都の古い町屋風佇まいの料亭だった。
京都の料亭など、この年になっても敷居が高すぎて、そうそう行けるものではない。
知り合いに連れて行ってもらった覚えもない。
それなのに、確かにそこへ行った記憶だけはあり、その内部の様子までしっかりと覚えていた。
忘れているだけで、若い頃に行ったことがあるとか?
いや、それはない。このような料亭に行った経験を忘れるわけがない。
しばらく考えてみて、ようやく思い出した。
それは夢の中で訪れた店だったのだ。
その夢のストーリーは忘れてしまったけれど、誰と一緒にその店へ行ったか、店内の雰囲気などがわりと細かく思い出された。
なんだか不思議な感じがした。
夢の中で行った場所が実存しているだなんて。。。
京都の料亭など縁もゆかりもない私は、その店の存在すら知らなかった。それなのに、その店の門構えを見て、すぐに訪れたことのある場所だとわかったのだ。
これは記憶違いか、思い違いでないかとも思う。実際、そんなことはあり得ないから。
もしかしたら、店構えこそとても似ているけれど、内部はまったく違うかもしれない。。。
実際に確かめに行こうなどとは思わないから、その辺りは一生謎のままだろう。
他人が聞いたら、おそらく「似ているだけ」「勘違い」というだろう。
ただ、自分の中では何故か、実在するその店と、夢の中で訪れた店が同一であるという確信めいた思いがある。
まったく不思議なことなのだけれど、このようなことはこれが初めではない。
今回とはまた逆のケースで、実際に夢に出てきた場所に降り立ち、「ああ、ここはあの場所だ」と思ったことが何度かある。
デジャブか?
それは既視感という曖昧なものではない。
デジャブの感覚はわかる。それを感じた時、「デジャブだ)と判別がつく。
よく旅行へ行く人や、よく夢の内容を覚えている人ほどデジャブ現象を体験しやすいという。
若い頃はよく旅をしていたけれど、夢の内容は覚えていない。というより夢そのものをあまり見ない。
あまりそのようなことを口にすると、おかしい人と思われるので黙っているのだけれど、自分でも説明がつかない現象に、誰か答えを与えてはくれないものだろうか。
ちょっと本気でネットで調べたりしてみた。ただ、思ったような答えは得られない。
やはり「デジャブ」が最有力候補。しかし、それもしっくりこない。
さらにあれこれ見ていると、結局のところスピリチュアルな分野に行き着いてしまう。
ここで調べるのをやめた。あまり深くは考えない方がよさそうだ。
スピリチュアルを否定するわけではないけれど、それにとらわれてしまうと、どんなこともスピリチュアル的な解釈で解決してしまう。それが嫌なのだ。
不思議なことは往々にしてあるもの。説明のつかないことの一つや二つくらい、この歳になれば誰もが経験したことがあるだろう。
ん〜。。。でも、やっぱり気になる。
曖昧なままにしておくのも、気持ちが悪い。いっそのこと、確かめに行くという手もあるなと思う。
東京も来月からGO TOキャンペーンの対象となる。京都のお菓子屋さん巡りついでに、行ってみたい気もする。
しかし、料亭にお一人様というのも、ちょっと都合がよくない。さりとて、誰かと旅をしたいとも思わない。
若い頃から旅は一人で気ままにと決めている。
やはり、これはただの夢。思い違い。
そういうことにしておいた方がよさそうだ。