私の生活はとても地味なものだとつくづく思う。
1ヶ月くらい前に、このサブブログとは別に、もう一つ日記代わりになるような第二のサブブログを作ったのだけれど、それを読み返していると、特別なことが起こることもない、同じような日々の繰り返しであることがわかる。
仕事もしていない、子育ても終了間近、ただ家事と自分なりの楽しみを細々としているだけの毎日。。。
きっと側から見たら、ものすごくつまらなそうな生活だろうと思う。
それでも、今の生活は割と気に入っているし、かなり満足度の高い毎日を送っていると自分では納得している。
いや、むしろこの生活は上々だろうと。
女性が輝く社会。。。
よく聞く言葉だけれど、
同時に「女性が生きづらい世の中」
そんな声も聞こえてくる。
しかし、50代となった私にとっては、どちらもまるで響かない。
「年齢なんて関係ない!」
「いくつになっても輝いていたい!」
そんな声があちこちから聞こえてくるけれど、老も若きもなぜみんなそんなにキラキラしたいのだろう。
だからこそ、「生きづらい」のではないのか?
そもそも「輝く」とはどんなことを言うのか?あまりに漠然としている。
お仕事をバリバリやって、社会と濃密に接している生活か?
やり甲斐のある仕事、理解のある夫、可愛い子供、余裕ある生活、全部得ることか?
ブランド物をまとい、港区あたりの素敵なレストランでステイタスのある男性と過ごすことか?
そもそも光を放つのはエネルギーが必要だ。人よりも輝きたければ、それだけ消耗することになる。
一見、輝いているように見えても、バックステージではまったく違う姿を見せていることも珍しくない。
水面を優雅に進む水鳥が、水面下では必死に足を動かしているように。。。
この歳になってまで、まだそんなエネルギーを放出し続けねばならないなど、考えただけで疲れてしまう。
私は別に輝いた人生ではなくてもいいと思っている。
外で花よ蝶よ!ともてはやされるよりも、自分の好きなこと、やりたいことだけに目を向けている方が幸せだ。
私はあまり家に引きこもっているのは好きではないけれど、仮に家でテレビやゲーム三昧することが何よりも楽しい!と思えるのなら、きっと毎日思う存分に引きこもってそうしていることだろう。
たまたま出歩くのが好き、食べることが好き、人と会うことが好きだからこそ、そんな毎日を楽しんでいるだけ。
そこには「輝きたい」などという思いは微塵もない。
人から見て輝いていたって、その芯が真っ黒に炭化していたら意味がない。
たとえ人からはくすんだような人生を生きていたとしても、自分のしていることが好きならいいじゃないのと思う。
日本というのは個人に対して相対的な評価を下させることが多い。
人と比べて、自分の位置はどこなのか?
学校の成績も受験も、仕事においても常に数字がつきまとう。
数字から解放されたとしても、今度は所有するマテリアルによってさらなる相対評価を受けることになる。
社会から半ば切り離されたような生活をしていても、その呪縛から逃れられない人は多い。
人と違うことで被る強い風を避けようと、自分の意思とは無関係に、安泰を求めようと人と同じ列に並ぶ。。。
挙句、安泰を求めたつもりが、余計な競争に巻き込まれたりで、さらに過酷な状況に自分をおいこむことになるというのに。
「女性も輝く社会」も同じようなものだと思う。
人と同じように「輝く社会」の一員になることを望んだがために、さらに強風吹き荒ぶ中を歩かねばならない状況になることもあるのだ。
ただ、本当に輝きたいと望むなら、それも一つの生き方だ。
どれだけ過酷であろうとも、自身がそれを望み、努力することは意味のあることだと私も思っている。
一番無意味なのは、世間の言うままに「輝かなくちゃ」と無理矢理にでも、自分というものを合わせようとすることだろう。
だからこそ「女性の生きづらい社会」などという声が出てくるのだと思う。
女性だろうが男性だろうが関係はない。
自分の意思に反した生き方をしていたら、誰もがつらいはずだ。
逆に、どんな険しい道であろうが、本当に行きたい場所があれば、苦しみながらもそのプロセスで学びながら、充実感を持って進んでいけるはずだ。
私はもう険しい道を歩いてまで辿り着きたい場所はない。
ただ、あらゆる苦悩から遠ざかり、心穏やかな毎日を送ることを望んでいる。
若い人たちは、自分が輝くために試行錯誤する時間がまだたっぷりと残されているのだから、いろいろな道を歩いてみるのもいいと思う。
その経験がやがて将来なんらかの役に立つこともある。
成功も失敗もどんなことも未来の糧になることだろう。
しかし、50も過ぎればそうも言っていられなくなる。この年齢の失敗は命取りだ。
起死回生する時間、体力、気力、それらが残り少ないのだから。
キラキラと輝くことよりも、絶対評価として自分自身が満点をつけられる暮らしを目指したい。