In other words

I really don't know life at all ...

Sponsored Link

話を聞いて欲しい女と話を聞かない男。相手に対する思いが適当だからこその円満。

f:id:frankie17:20201027092312j:plain



我が家の夫は完全なシングルタスク人間。

一つのことに夢中になっていると、まったく他のことは目にも耳にも入らず、一点集中。

それがプラスになることもあり、もっぱらその並外れた集中力が仕事の上では強みになっているともいえる。

しかし、家庭内において、それはマイナスにしか作用しない。
そのせいで、家族は呆れ果て、もはや話しかけようなどとも思わなくなる。

私はもう何十年もそうした夫と共にいるので、当たり前のこととして受けとめている。確かに不満はあるけれど、それも我が家の生活を支える上でメリットとなっていることも否めないので、黙認している状態だ。

しかし、子供たちは違う。何かに夢中になっていると、娘が話しかけても無視同然。
ほのたびに「ダディー‼︎」っと大声で怒りをあらわにする。

子供達も勝手なもので、自分たちが話したいときは、こちらが何をしていようがお構いなしだ。
しかも話しておかなければいけない大切な要件ならともかく、そのほとんどがくだらない話だ。

「これ、すっごくおもしろいんだけど」などと、YouTubeTikTokの馬鹿げた動画を見せにきたり、「誰々がこんな変なことをしている」など、まるで自分の生活とは関係ない話を、隣に張り付いて延々としてくるのだ。

本当なら「くだらない!もっと自分のためになることに時間を費やせ!」と一括したいところだけれど、私は「うん、うん、おもしろいわね!」と、それを聞く。

明るく振る舞っていたとしても、人の心の裏側にはどんな思いが隠れているかわからないものだ。
そして話すことによって気持ちが楽になったり、気が紛れたりもする。

どんな話かが問題なのではなく、自分のところに「話を聞いて」とくることが大切で、そこで受け入れるか突き離すかで、心の在り方は大きく変わってくると思っている。

なにがあっても、どんなことであろうとも、話を聞いてくれる人がいる。

そう思えることは、心強いものだ。とくに女の場合は他者に強く共感を求める傾向にあるというから、話を聞いてあげて、共感してあげることが心のケアに繋がる。

他のことをしながら、「そうだね」と話を聞くことは、それほど難しいことではない。ほんの少しだけ、そちらに意識を傾ければいいだけなのだから。

しかし、夫はそれができない。一度に複数のことに向き合うことが苦手なのだ。

外国人である夫は徹底した個人主義だ。何事もまずは自分ありき、自分の利益を最優先して物事を判断する。

それに加えてのシングルタルクなものだから、自分が何かしていればそれが最優先。子供達のくだらない話など、耳に入らないのだ。

私は割と自己完結型なので、困ったことや悩ましいことがあってもほとんど人に相談はしない。
いいこと、悪いこと含め「聞いて!聞いて!」と相手に何かを求めることはあまりない。

その役割は大方、ブログが担ってくれてあるせいもある。
心に溜まった澱はすべてブログにグチグチと書き綴ることで、なんとなく浄化された気がするので、一人で悩んでいるには変わりないけれど、かと言って行き場のない思いを抱えるという感覚はない。

ありがとうブログ。。。





とにかく、そんな性格なので「話を聞かない」夫と長年共にいることができるのだろう。

夫が話を聞いてくれない。
夫が理解してくれない。
夫が自分に対して無関心。

そんな理由で離婚した友人もいる。

豊かな経済力、安定が約束された老後を捨て、50歳目前で家を出て、苦しい生活を余儀なくされながら、それでも話を聞いてくれない夫とは一緒にいたくなかったと言う。

それほどまでに、人に話を聞いてもらうことを求める女性もいるのだと、ちょっと驚いたものだけれど、子供達が「聞いて!聞いて!」とくるたびに、そんなものなのかなとも思う。

男だから、女だからと性別で一括りにするのはちょっと乱暴な気はするけれど、概して女の方が自分の気持ちを誰かと共有したいという気持ちが強いように思う。

我が家でもよくあることだけれど、「なんでこれをしてくれなかったの?」と言えば、「やってって言わなかったでしょ」となる。

こちらの感覚では、言わなくてもわかるでしょ?といったところなのだけれど、相手からしたらそうではないのだ。

特に外国人である夫は、なんでも口にしなくてはわからない。「忖度」などと言う感覚は欧米人には通用しない。

「想像力が足りない!相手の身になって考えればわかる!」

私がそう言えば、

「私はエスパーではない!日本人は言語を用いずに会話ができるのか?」

と、若い頃はよくそんなやりとりをしたものだ。

結婚して20年以上ともなれば、結局は水掛け論に着地すると決まっている不毛は口論は自然と避けるようになった。

話を聞がない人に「聞いて」と迫るのは所詮無理なこと。それを求めるから喧嘩になったり、イライラしたりするのだ。
最初から「この人にはできないこと」と期待しなければ怒りも湧いてこない。

人間、時に諦めも必要なのだ。

そものも男と女では生まれつき備わった能力が異なる。それに輪をかけて我が夫は究極のシングルタスク。。。そんな夫にとって、家族の戯言など存在しないも同然。

そういうものだと早々に諦めたことが、未だに離婚もせずに連れ添っている理由なのかも知れない。

よく、結婚したら相手のことは片目で見るくらいがいいというけれど、なるほどと思う。

言葉は悪いけれど、我が家のように相手に対して「適当」な思いいることが、すなわち「諦める」ということであり、円満の秘訣なのだろう。

真剣になど向き合っていたら、ストレスでおかしくなっていたはずだ。

お互いに適当な人間であることが幸いした。それも相性ということなのだろうけれど。。。