昨夜、亡くなった父の夢をみた。
もう亡くなってから15年以上も経つけれど、今でも時々父が夢に出てくる。
亡くなってから数年は、病院のベンチに座っていたり、なんだか辛そうな感じで夢に現れていたものだけれど、今は違う。
昨夜は父の家を訪れ、帰ろうとすると、
「食事もしないで帰るのか?その前に藪でも行って蕎麦でも食べてこよう」
そう言って笑っていた。
「藪」とは子供の頃から父と何度となく訪れた『神田藪蕎麦』のことだ。
夢は続いていたけれど、その場面以外は覚えていない。起きた瞬間は覚えていたけれど、いつの間にか忘れてしまった。
多分、蕎麦は食べていない。
父の夢をみるのは、いつも決まって具合の悪い時だ。
体調が悪くなると、父が夢に現れる。私だけでなく、子供達が病気になったりしたときも、父の夢を見る。
夢の中で父が「大丈夫だから」と言うのがいつものパターンだ。
夢の中でも父に「大丈夫だ」と言われると、とても安心する。
なにがあろうとも、私のことを守ってくれる絶対的信頼をもっていた唯一の存在であった父だ。
父が亡くなったとき、悲しみよりも「これからは独りなのだ」という寂しさの方が強く感じられた。
もちろん母や兄弟、夫も子供達もいるのだけれど、彼らは私が保護する立場だ。
私を守ってくれるのは唯一父だけだった。
今でもつらい時になると父を夢をみるのは、きっと「守られている」と感じたいからなのかもしれない。
たとえ夢の中でも、父の存在を確認することで、私は安心したいのだろう。
そんな深層心理が父の夢を見させるのだと思う。
父が亡くなった時、私はまだ30代だった。
子供達も幼く、海外で暮らしたりしていたので、とても大変な時期だった。
日本に戻ってからも、父の残した会社や不動産の整理など、2人の幼児を抱えて、駆けずり回っていたのを思い出す。
その頃は、毎晩のように父が夢に現れた。
しかし、少しずつ生活も落ち着くに従って、父の夢をみることが少なくなっていき、今では本当にたまにしか夢に現れなくなった。
今の私は50代となり、安全な日本で安定した生活を送っている。
子供達は大きくなり、外国人の夫もすっかり日本の生活に馴染んでいる。
40代で大病を経験したものの、運良く命拾いし、それ以来は特に問題もなく過ごしている。
毎日、のんびりと家事をして、あとは自由に好きなことをしていればいいだけの生活だ。
何をしても咎める人はいない。夫や子供達も私を自由にさせてくれている。
しかし、食べること以外はたいした欲もない。
ただ、毎日健康でおいしくご飯やお菓子が食べられる生活であれば、御の字だと思っている。
せめて夢の中だけでも父に会えたら、そう思っていたけれど、今は夢でさえも会わないことが幸せなのかも知れない。
穏やかな暮らしの中にも、日々いろいろなことがある。
いいことばかりではなく、時に悩ましいと心暗くなるようなこともあるけれど、きっと誰もが同じなのだろうと思う。
健康であること、日々同じように暮らせることこそが幸せだと、笑って過ごそう。
そうすれば、きっと父の夢も見なくなるだろう。