In other words

I really don't know life at all ...

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嫉妬というネガティヴな感情をポジティブに変えて向上する人生を選びたい。

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最近、娘が人間関係の難しさみたいなことを今更ながら言っていたのだけれど、よくよく聞いてみれば、それはリアルではなくネットの世界のお話だった。

どこの誰とも、何をしている人かもよく知らないネットの中の誰かと、どんな人間関係が結べるというのだろうと、昭和アナログ世代の私は思う。

ただ、リアルでもネットの中でも、そこには感情というものは確かに存在していて、多分娘が言う「人間関係」とは、そうしたことを漠然と言っているのだろうと思った。

「人間関係の難しさ」というくらいだから、それは当然ポジティブな意味ではなく、つまりは「面倒くさい人もいるものだ」というお話なのだけれど、私からすれば、そんなことに頓着する娘の方も、また面倒くさい人間だなと思う(笑)

どこの誰か知らない相手の悪意に振り回されているほど、人生は長くない。
あっという間に歳をとり、さまざまな面で限界が見えてくると、人の言動よりも自分の生き方に気持ちを傾けるようなる。

それでも10代の若者にとって、それは無視できないくらいの、少し気になることだったりするらしい。

客観的に聞いていると、そこに渦巻く多くは、妬み嫉みのようなものであることが多い。

これはネットに限らずリアルでもそこら中に落ちている、ありふれた感情で、自分も含め、だれもが嫉妬したり、されたりしながら生きていると言ってもいい。





嫉妬という感情にかられたとき、ほとんどの人は、自分の嫉妬心を自覚しても、特別な感情と思わず、そのまま通り過ぎる。つまり忘れてしまうのだ。
嫉妬したところで、自分にとっては何のメリットもないと判断できる冷静さと健康的な思考があればそうなる。

しかし、そんな人ばかりではない。
中には嫉妬から必要以上に悪意を向けてくる人というのもいるから面倒くさい。

嫉妬した相手のどこかしら悪いところを見つけて、こき下ろしたり、悪質なケースではありもしないことをでっち上げて、ふれ回るなんてこともする。

こんな人は面倒ではあるけれど、ある意味単純だなと思う。
昨今ではネット上の誹謗中傷なども問題になっていて、開示請求が認められるケースもたくさんあるので、行き過ぎれば処罰の対象になる可能性もある。

それよりももっとも厄介なのは、「悪意を持った無視」だ。
今回初めて次女が遭遇したのもそんなケースだった。

ある趣味を通したネット上のコミュニティーで、意見交換がなされる中、中心人物よりも有益な情報を提供したところ、他の人達からは結構な賞賛を受けたという。
しかし、その中心人物は自分の提言を無碍にされたとでも思ったのか、娘の意見は完全に無視し、以降は何をどう言おうが完全にいない者として扱われたという。

文字通り、まるで目にも入らないように振る舞う。若者風に言うとすれば「シカト」という状態だ。

これはネットよりもむしろリアルでよくあることかもしれない。学校や職場でもよくある陰湿なイジメの一種と言ってもいい。





悪口をふれ回る者も、無視もどちらも酷いものだと思うけれど、私はどちらかと言えば、浅はかに悪口を触れ回る人間よりも、無視をする人の方に気持ち悪さを感じる。

自分のプライドを守ることしか考えていないのか、自分の承認欲求を満たさない存在、自分よりも優れていると認める相手は「無」とする。。。

こちらにはなんの痛みもないけれど、そんな消極性がとても狡猾に思えて仕方ない。

私の経験から言えば、このような人は普段ニコニコと愛想をふりまいている人が多い。
だから余計に好きになれないし、恐ろしさを感じる。

自分の気に入らない相手と戦うのではなく、一方的に排除し、自分の自尊心を守ることだけを考えているように見えるからだ。
その自己愛の強さが薄気味悪い。

嫉妬心からあからさまに人の悪口を言うという行為は、自分の評価を落としかねない。だからほとんどの人は、嫉妬していることに気づいても、そっとその黒い感情に蓋をする。。。

しかし、それができない人は、自分を褒めそやす人に対しては、ニコニコと善人の顔を見せる一方で、自分が嫉妬する相手に対しては、涼しい顔で「悪意のある無視」という蓋をする。
これはネットでもリアルでも同じだと思う。





心の闇というのは、誰もがその心の奥底に抱えているものだ。それを自覚している人もいれば、していない人もいる。
なにかの拍子に顔を出すことはあるけれど、ほとんどの場合はそれに気づかず過ごしているのだろう。

相手を無視することで自分の自尊心を守ろうとする人は、もしかしたら、そんな自分の闇を自覚できていないのかもしれない。

自分より優れた存在を、自分を脅かすものとして、見ないふりをし、やがてそんな行為が慣れになる。当たり前の行為になる。

心の奥底どころか、闇に支配されたようなイメージしかわかない。。。

嫉妬は自身に対するコンプレックスの表れ。

そう思えば、たとえ自分に向けられた感情であっても、相手の心の問題だから不可抗力だ。嫉妬された側になすことはなにもない。

ネガティブな行動をする人とは距離をとるに限る。
よく「運気が下がる」というけれど、これはスピリチュアルなこととは関係がない。
実際にネガティブ思考の人がそばにいると、それが伝染するのだ。
物事がうまくいかない、人生がうまくいかないことでネガティブになると、行動もネガティブになる。するとさらに物事はうまくいかなくなるという負のループに陥ることになる。
そんな人のそばにいていいことはない。それは誰もが想像できることだろう。





嫉妬心を覚えるほどすごいと思う相手なら、学べることはたくさんあるはずだ。
自分がたどり着けないからこそ嫉妬するのだろうから、少しでも近づいてその秘訣とやらを盗もうと、私なら思う。
嫉妬するほどに能力の高い人間と一緒にいれば、自分もその場所へ行ける確率は上がる。

それはこれまでの経験から考えても確かなことだ。
常に自分よりも優れた人といることで、新しいことを知ることができる。

例えば、嫉妬する相手がとても綺麗な人であれば、美の磨き方を学ぶことができる。美しい人は、人一倍の努力をしているので、その知識も豊富なことが多い。

相手が羨むほどのお金持ちなら、一緒にいることでどうやってお金を増やしているのか、どんなお金の遣い方をし、管理しているのかなど知ることができるかもしれない。

一つ一つは小さなことだけれど、この積み重ねが、自分を向上させてくれる。

嫉妬をして意地悪をしたり、無視をして遠ざけることは、自分にとってとても損なことをしているのだ。

わかっていても、私だって時に嫉妬もするし、モヤモヤっと心に暗雲が立ち込めそうになることもある。

そんな風に、嫉妬という感情は誰もが抱えるものだけれど、そのネガティブな気持ちをどうやってポジティブに変えていくか、大袈裟に言えばそれによって人生は変わる。

一度きりの人生であるなら、黒い嫉妬心で自分の人生を暗いものにしてはいけないと思っている。

冒頭の娘が言った「人間関係の難しさ」に対しては、自分が嫉妬するような相手からは学びを得る努力をして、嫉妬される側になった時は不可抗力と思え。

そう話した。

それが正しいのかどうかは、わからないけれど。。。