In other words

I really don't know life at all ...

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ある婚活記事で考えた、3年前の自分との比較、成長はあるのか⁉︎ 50代主婦の答え。

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東京に大雪警報の出た朝、地下鉄に乗って買い物へ出かけた。
行き慣れた場所であるにも関わらず、乗り換えの駅を通り越し、乗り過ごしてしまった。
たった一駅だったので、すぐに次の駅で降りて、向かいの反対方向行きの電車に乗った。
予定が大幅に狂うことがなかったのは、幸いだった。

都心の地下鉄は一駅の区間が短いので、要注意なのだけれど、ある記事に釘付けになっているうちに、乗り過ごしてしまったようだ。

降りる駅についたことすら気づかぬほど、何をそんなに夢中になっていたかといえば、「婚活」についてという、私にはまったく無縁の事柄についての記事を読んでいたせいだった。





それは、婚活しているものの、うまくいかない女性について、「年齢に見合った成長をしていない」という危機感について書かれた記事だった。

「3年前と比較して、成長がないという危機感を知れ」と、そんな内容だったと理解している。

具体的に「3年」という数字を出しているところに、読み手が危機感を感じるのは、まさに言葉のマジック。

長いようで短い。生活を変えることが可能な長さであると同時に、ボーッとしているうちに矢の如く過ぎ去ってしまう短い時間でもある。

すでに結婚し、そろそろ第二の人生をと考えているアラフィフには、まったく関係がないようなことなのだけれど、ふと「私はどうだろう。。。この3年で私は成長しているのだろうか」そう考えていたら、乗り過ごしてしまったのだ。

これは婚活女子だけの問題ではない気がした。
成長することに対し、無自覚に生きている自分への危機感を大いに煽られた。

変化と言ってもかなり漠然としているのだけれど、その記事には具体的にいくつかの基準が示されていた。

「着る服」「私生活」「仕事内容」「給料」、この4つの変化だ。





婚活女子ではないけれど、私も自分の変化について考えてみよう。

まず、着る服。
婚活中のお若い女子であれば、ある程度流行をなぞることは必要なのかもしれない。
しかし、中年ともなると、流行を追うことよりも、清潔感が第一。つまりいかに小綺麗に見えるかが勝負だ。

とはいえ、例えば50歳と53歳では大した違いはない。47歳と50歳でも同じようなものだろう。3年で着る服を変えるには、趣味嗜好が大幅に変化する以外は難しい。

ここで結論を「変化なし」とするのはまだ早い。
結果から言えば、この3年で私の着る服は変わった。
このコロナ禍でのおこもり生活ゆえか、それまで着ていた服は入らなくなり、もはやお洒落どころではなくなった。
フィットした服よりも、贅肉を隠すデザインの服を選ぶようになったのだ。

見事に変化ありということで、合格。

次に、私生活について。
3年前はまだ下の娘が高校生だったので、毎日お弁当を作り、時に保護者会やらPTA、イベントなどの手伝いで、家族中心の生活をしていた。

今はどうかと言えば、3年前と比較すると、ずいぶんと自分時間が増えて、趣味のお菓子やブログにさく時間が増えた。

10割のうち半分は家族のための時間だったのが、今は8割くらいは自分の時間。

つまりは変化ありで、ここもクリアー。


続いて、仕事内容。
無職の専業主婦という立場は変わっていない。
仕事と言えば、日々の家事くらいのものだ。

つまり変化なし。。。
危機感が襲ってくる。

最後に、給料。
無職なので、お給料はないけれど、微々たるアドセンス収益があり、それは変わった。
5年前に始めたブログは、亀の歩みながら、少しずつアクセスも増え、3年前と比較すると、確かに変わった。
とはいえ、微々たる変化。

給料の変化に関しては、「成長」というくらいだから、アップしていなければいけない。
上がったり、下がったりしているということは、つまりは変化なしということか?

これはGoogleさんの意向もあるので、不可抗力と言いたい。

以上、4項目を基準に、3年前の自分と比較して、私に成長はあったのか⁉︎

その答えは、イエス

ただ、それは「暇になり、太った」という、あまり喜ばしくない変化だった。

これを成長と呼んでいいものか?
身体に張り付いた贅肉は確かに成長しているけれど。。。(笑)





この年齢になると、成長の幅は途端に狭くなる。それは新しいことにトライする気力が激しく減退するからだ。他の人はどうかわからないけれど、私個人としては、確実に変化を好むよりも、変わらないことの安心感を選ぶようになった。

変わらないことがいいのか、変わることが素晴らしいのか、正直わからない。

新しいということにワクワクするような気持ちは失われていないけれど、そこにはリスクもある。リスク承知で「失敗も学び」と思えた若い頃と違うのは、やり直しのハードルが高いのがわかっていることだ。

それに引き換え、慣れきったヌクヌクとした毎日は安心感がある。
なにもアクションを起こさなければ、リアクションもこないのだ。
もしも今の暮らしが居心地いいものなら、リスクを負ってまでアクションを起こそうとは思わない。

そもそもリスク承知で物事に挑みたいと思うような夢もない。

婚活女子の場合は、きっと夢があるのだろう。あるからこそ、自分が変わり、成長することが大切な要素になるのかもしれない。

しかし、人生をすでに折り返した私には、成長よりも安穏とした生活を送ることの方が大切に思える。

つまりは、変化しなくてもいいのではないの?

そんな結論。。。

電車を乗り過ごしてまで、心奪われる必要はなかったということなのだ。

めでたし、めでたし。