In other words

I really don't know life at all ...

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ベートーヴェンの『運命』で心が不安になった朝。音楽とは、これほどまでに人のメンタルを左右する効果があるのだ。

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音楽のもたらす効果というのは絶大だ。

少し前のこと。朝、駅を抜けるためだけに通過する商業施設の中で、突然ベートーヴェンの『運命』が耳に飛び込んできた。
それもかなりの大音響で響いたものだから、私の心にも「ジャシャジャジャーン!」と、何か起こるのではないかという不安が瞬時に広がった。

何故、朝っぱらから『運命』なのだろう。
その場所は、普段からBGMはある。ただ、聴き逃せる程度のもので、それは通りを走る車のクラクションと同じ程度、そこまで気に留めることはなかった。


『運命』は人を不安な気持ちにさせる。
一粒万倍日という縁起のいい朝に、悪天候をものともせず、意気揚々と歩いているときに、いきなり『運命』をぶつけられ、私のポジティブは空気の抜けた風船のように、萎んでしまった。

萎んだだけでなく、さらには頭上に暗い雲が垂れ込めてくるようなイメージさえ心に広がり、ちょっと驚いたと同時に、ものすごく不安な気持ちになった。
なにが不安なのかはわからないのだけれど、とにかくポジティブがネガティヴに変わってしまった。

さすが、歴史に名を残すだけの人物が作曲した名曲だ。
今なお、市井の人々の感情を揺さぶるとは、ベートーヴェンはやはり凄い人なのだ。





音楽の果たす役割は大きい。

映画やドラマ、CMなども、音楽がなければ、福神漬けのないカレーライスのような、味気なさを感じることだろう。

今や、ゲームやYouTubeなどの動画でさえ、そんな音楽は不可欠と言っていい。
音楽というよりも効果音といった方がいいのかもしれないけれど、大雑把に括れば音楽は音楽だ。

あの朝の『運命』は私を不安な気持ちにしたけれど、時に音楽で心癒されることもある。

昔々、海外で暮らしていた頃のこと。人生はあまり上手くいっていなかった。それでも、そこで勝つことにこだわって心身共にクタクタになっていた。

そんな時、唯一心を癒やしてくれたのが、イタリア映画音楽の巨匠である、エンニオ・モリコーネの楽曲を、世界的チェリストであるヨーヨー・マが弾いたCDだった。

真夜中に大音量で美しい音楽を流しながら車を走らせていると、何故かガチガチになった気持ちが少しずつほどけていくのを感じた。

ポリスにストップされることもあったけれど、そんな時もこの音楽が助けてくれた。
嫌なことがあって辛いから、癒されているとわかると、その曲の美しさはポリスの心も動かすほどだった。
とはいえ、違反はしていない。ただの挙動不審による職質。

あの頃、どれだけあの音楽に助けられただろうか。。。
今でも、そのCDは大切に持っている。

どんな音楽でもいいのだと思う。自分がその音楽によって癒されたり、心を強く持てたり、慰められたり。。。

もしかしたら、ベートーヴェンの『運命』だって、誰かにとっては、ポジティブに向かうための音楽かもしれない。

音楽とは、人によって作用が違うと言えるのだろう。





若い頃に比べると、音楽を楽しむ時間は激減した。子供達などは、どこへ行くにもイヤフォンをしていくけれど、私はそれが苦手だ。

家から一歩外に出たら、なるべく五感をフル稼働しておきたいので、時にイヤフォンから流れる音楽が邪魔になる。

最近は、ウォーキングの際、片耳だけイヤフォンで音楽を聴き、もう片方の耳に聴覚アンテナを立てるようにして歩いている。

好きな音楽を聴きながらのウォーキングは楽しい。今日はどんな音楽を聴きながら歩こうかと考えることも楽しい。

昭和の女なので、どうしても古い音楽に偏りがちになる。もう時が止まったかと思うほど、若い頃に聴いていた洋楽ばかりだったのだけれど、数年前から少しは新規開拓するようにもなった。

エミネムを聴きながら歩くのは好き。
ブルーノ・マーズも聴く。
これが私の「新しい」の精一杯。

そして、最近は日本の若いシンガーの歌も聴くようになった。

ウォーキングに最適なのはテンポのいいyoasobi 、あいみょんだって聴く。
King Gnuや髭弾も。

そこに共通するのは「希望」だ。

私は希望のある曲が好きだ。
たとえ辛い内容でも、そこに一筋の光を見出すことのできるメロディーや言葉があると、救われた気持ちになる。

音楽によるメンタルへの影響は、ポジティブな部分にだけしか作用しないと思っていたけれど、ベートーヴェンのおかげで、その逆もまたありと知った。

街で流れるBGMからは逃れられないけれど、せめて自分で選ぶ音楽はポジティブに作用するものにしたい。

ベートーヴェンのような重厚さはなくても、希望があればそれでいい。