In other words

I really don't know life at all ...

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夫の転職と単身赴任。「亭主元気で留守がいい」の本当。第二の人生に訪れたバラ色の日々。

最近、夫が人生で何度目かわからない転職をした。

外国人にとっては終身雇用などというのは、あまり魅力的ではないらしい。これまでもより面白い仕事、より高い報酬を求めて何度も転職してきた。

そんな夫も50代となり、そろそろ安定に向かうかと思いきや、雇用の安定しないコロナ禍で、いきなり前職を辞したのだ。

晴天の霹靂とはまさにこのこと。
正直なところ、タイミングの悪さに空いた口が塞がらなかった。
しかし、仕事ををするのは私ではない。決定権は常に働く夫にあるのだ。

このようなことは、もう何度も経験しているので、免疫はついている。

職場にも報酬にも不満があった訳ではなかったと言うのだけれど、何かしら考えるところがあったのだろう。
これもコロナ禍が与えた影響なのかも知れないと思えば責めることはできない。

基本的に夫の仕事に関しては、手伝いを命じられたとき以外は関わらないようにしている。
どんな決断にも「お好きなようにしてください」と、反対したことはない。

ただ、家族4人が不足なく暮らせるだけのお金さえ持って来ればいい。
そんな条件付きでだ。

前職を退職してから数ヶ月は、あちこちでちょこちょこと単発の仕事をしながら、のんびりしていた夫だけれど、さすがに貯金を切り崩しての生活が長くなれば不安になってくる。

そんな時、ようやくやりたい仕事に巡り合ったようだった。





夫は日本に本格来日してから何十年も、ずっと東京で働いてきた。
その間には、面白そうな仕事のオファーなどもあり、東京の外で働くチャンスはたくさんあったようだけれど、子供達と過ごすためにと諦めてきた。

そんな子供達も成人した。まだ大学生だけれど、親がついていなければいけないという年齢は過ぎた。学費の支払い以外、自分の役割は終わったと判断したのか、自由に好きな仕事を選びたいと思ったようだ。

これはもしや更年期障害ではないか?
男性にも更年期は訪れるというから、可能性がないわけではない。

いずれにしろ、もちろん私に依存はなかった。
その仕事をするのは夫自身だ。私はこれまで通り、家族を養うことができるのなら、好きな仕事を好きなだけして下さいと伝えた。

これまでは東京の中に閉じこもり、毎日毎日同じ場所で仕事をしていたけれど、もっとアクティブに東京以外でも仕事がしたいというのが夫の希望だった。

そしてそんな仕事のオファーが運良く舞い込んできたのだ。

これまで家族よりも友人知人を最優先して培ってきた人脈が功をなし(嫌味です)、夫の退職を知った方々から色々な話が持ち込まれていたようだ。

東京にはたくさんの外国人がいるけれど、そのソサエティは案外狭いもので、在住が何十年と長くなればなるほど人脈も広がっていく。

異邦人故なのか、そこに集う外国人達は日本では決して得られない癒しのようなものを、互いに感じているのかもしれない。

我が家の夫だけかもしれないけれど、家族がうんざりするほど密な付き合いをしている。

とはいえ、再就職のお気遣いをしてくれるとは、まったくありがたいことである(これは嫌味ではなく本心です)。





「是非この仕事がしたい。ただ、東京ではなく地方拠点になるから、家族と過ごす時間は短くなる。子供達も成人したし、どうだろうか?」

夫からそんな話があった時、もちろん「やるべき!今やらずにいつやる⁉︎」と、まるで林先生のような自信に満ちた態度で強く勧めた。

報酬の面では前職と比較するとかなりダウンするけれど、やり甲斐が感じられ、心からこの仕事がしたい!そう思える仕事と巡り合えるのは幸運なことだ。

とにかくやってみたらいいと言ったところ、夫は嬉々として新しい仕事に飛び込んでいった。

めでたし、めでたしである。

週のうちほとんどは地方で仕事をし、ミーティングが東京で行われる時と、休日だけは東京で過ごすという生活が続いていた。

飛行機や新幹線で行き来し、東京に戻る時間のないときの滞在はビジネスホテルだ。もちろんそれらの経費は会社から支給されるのだけれど、移動に費やされる時間と体力は支給外だ。

まだまだ働き盛りの50代とはいえ、さすがに若い頃のようにはいかない。
時に疲労を感じることもあるようで、今の生活を続けるのは不効率だと、単身赴任という形にしてはどうかと話し合った。

仕事の拠点となる場所に住居を借りて、これまで通り、東京で仕事がある時と時間的に余裕がある時だけ帰宅してはどうかという、「単身赴任」という名の「2拠点生活」に近い形での提案だ。

報酬が減った上に、二重生活となると、当然のことながら家計にも影響が出てくるだろう。
それでも、健康第一だ。
疲れたときはゆっくり身体を休める。そのために2拠点生活が最善であると判断した。

賑やかなことが好きな夫は、一人で暮らすことがつまらないと感じていたようで、頻繁な地方と東京の往復も苦ではないと言っていたけれど、会社側も単身赴任という形の方がいいだろうという判断だった。





私も一緒にという話も当然あった。
しかし、そこはNo Thank you (笑)

これを機に私も便乗して2拠点生活に突入するのもいいかも。。。そう考えると多少なりとも心が揺れる。
ただ、行き先は自分で選びたい。地方ならどこでもいいわけではないのだ。
よくよく考えた結果、旅行で訪れる分にはいいけれど、そこで暮らすことはイメージできなかった。

夫の方も自分のやり甲斐のために、私を巻き込むのは申し訳ないと思ったのか、言っても無駄と思ったのか、どちらでも好きにしてくれていいということだったので、私は東京に残ることにした。

まだ下の娘は大学生になったばかり。末っ子のせいか、どうも一人にするのが心配だ。
長女が「何かあれば私がいるから、行きたければ行けば?」と言ってくれたけれど、私は行きたくない。。。

そんな訳で、夫はめでたく単身赴任となった。

めでたし、めでたし。

そう思ったのも束の間。。。私は今、あまりめでたくない事態に見舞われている。

それは夫によるFaceTime攻撃だ。
毎日のように、日に何度も連絡してきては、入居したマンションや街の景色、入ったレストランなど、ありとあらゆることを写して見せては実況してくる。

夫にとって東京以外の場所は、かなりエキサイティングなのだろう。見るもの見るもの珍しいらしい。。。

同居しているときは、朝仕事へ行く前と、帰宅後に話し相手になっていればよかった。日中は用事でもない限り連絡してくることはなかった。
それが今は、朝、昼、夜と、暇さえあればFaceTimeだ。。。

最初は「いいところね!頑張ってね」などと労っていたものの、こう頻繁に連絡が来ては正直なところ鬱陶しくなる。

こちらだって、いつもダラリンと寝てばかりいる訳ではない。
夫がいてもいなくても、やるべき家事はあるし、好きなことを自由に落ち着いてやる時間も欲しい。

しかし、夫は私の都合などお構いなしだ。
昨日も私が美容院で白髪染めをしている時にFaceTimeが鳴った。

自分がどんな姿でいるか、すっかり忘れていて、条件反射で思わず応答してしまった。

頭に岩のりのような黒い液体をくっつけ、さらにラップで頭を覆ったという、決して人様には見せられないような姿だった。

「ヘアーサロンですか!」

夫はそんな姿を見ても動じることなく、そばにいた同僚に「奥さんだよ」などと話している。頭にラップを巻いた妻を紹介する夫がどこにいるだろう⁉︎
無神経もはなはだしい。
とんでもない醜態だ。腹立たしいことこの上ない。





「いまは忙しいから」
そう言って憎っくきFaceTimeをカットすればいいだけなのだけれど、そこは新天地で頑張っている夫へのリスペクトがある。
どんなに面倒でも、どんな姿でいようとも、かかってきたら可能な限り応答する。これが専業主婦というものなのだ。

そんな日に何度かくるFaceTimeは、非常に煩わしいことではあるのだけれど、それさえ我慢すれば快適なことばかりだ。

「亭主元気で留守がいい」と最初に言ったのは誰だろう?

これ以上の共感はない!というくらいの日々を送らせて頂いている。


部屋を荒らす人がいないので、室内は常に整理整頓された状態が保て、お掃除も楽々。

毎日運動で汗をかいた服を、ランドリー籠に山ほど放り込んでくる人もいないので、洗濯物が減って楽々。

夫の好む高い洋食材を買わなくて済むので、お買い物の負担も減り、とても経済的になり食費の点ではかなりの節約。

なによりも、いつもそばで自分本位のお喋りを続ける人がいないので、とても静かだ。
自分のやりたいことに集中できる。

なんというストレスフリーな生活だろうか⁉︎

夫よりも一足お先に長女が一人暮らしを始めたため、現在我が家は私と次女の二人暮らしとなった。

そんな次女も大学の課題とバイトで忙しく、朝家を出ると、夜遅くまで帰宅しないことがほとんどだ。

つまり、私は一人で伸び伸びと静かな時間を過ごすことができるのである!

夫の単身赴任によって、家事は半分以下に軽減され、代わりに自分だけの静かな時間はこれまでの何倍にも増えた。

こんな素晴らしい日々が訪れようとは⁉︎
単身赴任バンザイだ!





小さな頃から「あなたは大器晩成型。歳を重ねるごとに暮らし向きはよくなる」

そんなことを周りの大人から言われてきた。
私のことを知らないどこかの占師が言った言葉なのだろう。信じてはいなかったけれど、悪い気はしなかった。

元々楽天的な性格ではあるのだけれど、幼い頃からの洗脳とも言える「大器晩成」の言葉により、さらに人生を楽観視してこられたのは否めない。

そうとはいえ、もはや50代。すっかり人生のんびりモードの私には、残りの人生で大それたことを成し遂げる予定も可能性もない。

もしかしたら、70代、80代になってから、何か大きなぼた餅でも棚から落ちてくるとか⁉︎
それはそれで浪漫である。

しかし、あまり現実的でないことにフォーカスし過ぎると、足元がぐらつくのでやめよう。

現実的に考えてみると、この「大器晩成」とは夫の単身赴任により得られた夢のような生活を指しているのではないだろうか?

成功すること、経済的に人一倍豊かになることではなく、私に訪れた「大器晩成」とは、これまでコツコツと重ねてきた外国人である夫との苦労の日々が実り、甘い果実となってもたらされたご褒美なのではないのか⁉︎

これは何某の人物として人々から崇められるよりも、大金持ちになることよりも、私にとってはもっとも喜ばしいことだ。





若い頃から、人生で一番重要視してきたのは「自由」だった。

「自由」はすべてに通じる。

物事を選択する自由
時間を使う自由
お金を遣う自由

それこそすべてのことに「自由」をつけてしまえば、まさに薔薇色の人生であると考えていた。

もちろん「自由」には責任が伴う。これが一番重要なところで、それ故に自由を諦めたりしなければならないこともあった。

結婚をして子供を産んでからは、自分自身納得した上で家族第一の人生を歩んできた。

しかし、子育て終了と共に、そろそろ「第二の人生の幕開けだ」、そう思った時に降って沸いた夫の転職と単身赴任だった。

自分が望んだのではなく、自然と周りからもたらされた恩恵だ。
これをご褒美と言わずしてなんと言おうか。

今もこうしてのんびり、長々とブログを書いていられる。一人なので、誰に中断されることも、邪魔されることもなく、私はまったくの自由だ。

夫が一生懸命に働いてくれているからこその自由であり生活だ。
それは重々承知の上で、感謝と共に「亭主元気で留守がいい」の毎日をエンジョイしている。

ちょっと心配なのは、この極楽生活が当たり前となった頃に、夫が再び東京に戻った時の副反応だ。

想像しただけでも、それはかなり重たいものとなることだろう。

比較的長いプロジェクトに関わっているらしいので、最低1年間くらいは大丈夫だろう。
そんな先のことを心配するのは意味のないことと、亭主が留守の今を思い切り楽しむつもりである。