In other words

I really don't know life at all ...

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40代〜50代女性に向けた「人生でやり残したこと」アンケートの結果について。老後の生きがいや生活について思うこと。

以前、ネットで某美容系会社の行った「第二の人生に対するアンケート調査」なるものを読んだことがあった。

これまで実感もなく口にしていた「第二の人生」という言葉。
コロナ禍による生活の変化は、のんびりと過ごしてきた専業主婦にさえも、決して少なくはない影響を及ぼした。
社会が丸ごと変わってしまったような予期せぬ出来事に、心境の変化といったものが芽生えたのだろう。第二の人生について、現実味を持って真剣に考えるようになった。

件のアンケート調査の中に「これまでの人生でやり残したこと」が具体的に挙げられていた。

「やり残した」ということは、できなかった、またはやりきれなかっということで、もう時すでに遅しという意味と理解してもいいのだろうか。

オリンピック選手を目指す!などという夢のような願いでなければ、まだまだこれからだってできることはたくさんあるでしょ?と思わないでもない。
しかし、同じことをしても、それが20代の時か50代かではやはり大きな違いがあるのは否めない。そう考えると、やはり「やり残した」ということは、物事によっては「できなかった」という意味にも等しいと考えられる。


では、一体何をやり残したのかといえば、以下のようなアンケート結果が記されていた。

1位 旅行

2位 貯金

3位 自分磨き

4位 趣味

5位 ダイエット

6位 恋

この結果を見て、「は?」と思ってしまったのは私だけではないはずだ。

なんだか、あまりに平々凡々とした事柄ばかりで、これって本当なのかしら?とちょっと疑った。なんでもすぐに疑うのは悪い癖だ。
やめよう。。。

それもしても「やり残したこと」というからには、もっとすごいことを想像していたのに、この誰でも一度はやったことのあるようなことが結果なのか⁉︎

よくよく記事を読んでいくうちに解ったのは、実際に「やったことが」あるということではなく、そこに納得する結果が伴っていない場合、それは「やり残したこと」と解釈されるようだった。
つまりは「もういいです。お腹いっぱいです」というくらい、経験しなければいけないことのようだ。

経験こそしてきたけれど、ロクな結果を残さなかった私としては、「なんという欲張りな!」というのが正直な感想で、一度でも経験すれば御の字ではないの⁉︎と思うのだけれど、世の中のアラフィフ世代は志高く生きてきたようだ。。。





自分は何をやり残したのだろう?と考えてみた。相変わらず意味のないことを考えるのが好きだ。

アンケートの結果に沿って見ると、まず1位の旅行。これは若い頃から国内海外問わず、かなりあちらこちらふらふらとしていたので、やり残したとは思わないので◯である。

2位の貯金。ここは少し難しい。時代がよかったおかげで、若い頃は貯金するという意識を持たずとも、自然と残高は増えていった。
そこは◯なのだけれど、後々子供の教育費がかさんだりと、かなり目減りした。
もっとあったらよかったのにな。。。くらいは思う。
されど、「やり残した」と後悔するほどではない。
若いときはお金よりも、さまざまな経験をして、人生の春を楽しむことのほうが価値があると思っているからだ。
お金を蓄えるよりも、経験値を上げることに投資したと考えれば、結果的に◯なのだろう。

3位の自分磨き、4位の趣味に関しては、あまり求めていなかったのか、ほとんど記憶にない(笑)
この歳になって、ようやく「趣味が欲しい」と切実に思うようになり、最近はパン作りをしたり植物を育てたり、ブログを書いたり、温泉行ったりと、趣味とも言えるようなことを始めたりもしているので、まだまだ新しい趣味を楽しむチャンスはある。
やり残したとは言わない。

自分磨きに関しては、そもそも興味がないので、今後も目を向けることはなさそうだ。
あわよくば加齢による劣化を少しでも遅らせるために、美容液を奮発するくらいのことはするだろうけれど。。。

5位ダイエット。この回答は少し疑問だ。若い頃と今を比較すると、今の方が断然その必要性を感じるからだ。
見てくれだけでなく、それは健康に直結する重要課題なのである。
つまりは「やり残した」などとションボリしている場合ではなく、今もなお現在進行形の問題というわけだ。

6位の恋。数は多くも少なくもなく、人並みに恋愛を楽しんだ末、好きな相手と結婚でき、子供まで授けてもらったので、これも◯と言っていいだろう。
それで十分。やり残したなどとは露ほども思わない。
50代になってまで、「もっと恋がしたかった」などと思うほど色ボケはしていない。
恋などという一時の気の迷いに心を砕いていては時間がもったいないとすら思っている。


振り返ってみれば、そこそこ満足できる程度にしてきかたと。。。
あくまでも自分基準でのお腹いっぱい度である。





「やり残した」と感じるのは、やりたくてもできなかったという後悔を残したこと。
自分がこれまで生きてきて、そう感じるのはどんなことなのだろう?と改めて考えたとき、これといった具体的なことが浮かばなかった。
そうかといって、やり切りました!と言えるほどでもない。。。

そこで思い当たるのが「努力」だった。
時代や生まれ育った環境が恵まれていたせいで、努力せずともやりたいと思ったことはほとんどできた。欲しいものも手に入るような生活で、実に安穏と暮らしてきた気がする。

ただ、そのせいで努力しなくてもなんとかなると、自分にとって楽な生き方しかしてこなかったという後悔はないと言ったら嘘になる。

もう少し欲を持って、高みを目指す「努力」ができたのなら、のんびり韓流ドラマを観ながら過ごすような専業主婦にはならなかっただろう(笑)
確実に今とは違う人生だったはずだ。

それでも、この人生も悪くないと思ってしまうのは、やはり根っこの部分で努力や辛抱が苦手な人間なのだろう。

細かいことを言えば、もちろんやれば良かったなと思うような事はあるけれど、その当時の自分が、これはなくてもいいかなと決め、自分が選択してきたことなので後悔というのはない。
今の自分は全て自分自身の選択によってあるものだ。そう考えれば、今あるこの生活に不満の持ちようもない。

不満など口にしようものなら、すぐさま「自業自得」という言葉がこだまのように繰り返し、これでもか!というくらいに返ってくるだろう。

40代で大病をしたとき、初めて自分はあとどれくらい生きられる?と、自分の人生を振り返る経験をした。
冗談ではなく、生存確率が非常に低い病だったため、真剣に残りの人生でやり残したことはないか?、これからなにがしたいか?そう考えたのだ。

その時に思ったのは、「まぁ、やりたいことはやってきたし、いい人生だった」ということだけだった。
残された人生で特別やりたいと思うこともなかった、普通の日常を家族と過ごせればいいというくらいで。

そこには後悔などなく、「色んなことができたし、楽しかったな」という思いがすごく大きかったのを覚えている。

あんまり無欲なのは考えものだけれど、欲張りすぎるのもよくないし、他人との比較も意味がない。

自分の身の丈で考えて、楽しい人生だったと思えれば、結局はそれが一番幸せなことなのだと思う。





そんなサバイバーな私も、第二の人生をどう過ごしたいか?
せっかく命拾いしたのだから、それを無駄にしてはバチがあたるというもの。
人生後半戦というリングに立たせて頂いたからには、しっかりと戦わなければいけない。
50代となってもまだまだ終わりではないのだ。

今後の人生になにを求めるか、それに対するアンケート結果も出ていた。

1位 健康
2位 パートナー
3位 住まい選び、ひっこし、移住

こちらの結果、まず1位は同意しかない。
若い頃は健康であって当たり前と過ごしてきたけれど、40代になり立て続けに病気をしたことで、健康のありがたみを実感したと同時に、どんなことも「健康があってこそ」と思うようになった。

ただ、2位はピンとこなかった。。。
夫と共に生きる?別に離婚などを考えているわけではないけれど、私は基本的には自分一人の単位で考えた方がいいと思っている。
今はなんの問題もなく良好な関係であっても、1年後にどうなっているかなど誰にもわからない。

なによりも、自分がやりたいことと夫のやりたいことが同じとは限らない。それぞれが好きなことをして、どこかで接点があれば一緒にというくらいがストレスもなく、一番いいかなと思っている。

3位の住まい選びに関しても、あまり深刻には考えていない。
本当はもう少し深刻になったほうがいいのだけれど。。。

今は都心暮らしが快適だと思っているけれど、田舎暮らしへの憧れもある。そのうちもっと静かなところへ行きたいと思うかもしれない。

国際結婚のメリットで、日本が住みづらくなれば、海外へという選択肢もある。


ただ、美味しいものがすぐ手に入ること、病院があること、これだけはマストなのだけれど(笑)
そうなると、やはり東京にいるのが一番楽かなと思ったり。





理想の老後。。。
これからどう過ごしたいかといえば、ありきたりだけれど、いつまでも健康で、気が向いた時にはふらっと一人で旅行したり、あとは家で美味しいお菓子でも食べながら韓流ドラマなどを楽しみ、たまにお友達と会って。。。
想像できるのはそれくらいだ。
すっかり欲が抜け落ちているようだけれど、これほど贅沢な暮らしはないと、自分では思っている。


基本的には自由でありさえすれば、他に求めるものはない。ただ、この自由というのが、そもそもすごく欲張りだとは思うのだけれど。

行動する自由だけでなく、好きなことをするための経済的自由というのもあるし、家族という繋がりにおいても自由でいたいとなれば、介護だとか、そうした言葉は悪いけれど、足枷となるようなことに縛られるのは嫌だとか。
結局、すごくわがままなことを求めている。

わかりやすく言えば、私の理想は『男はつらいよ』の「風天の寅さん」や『ムーミン』に出てくる「スナフキン」みたいな生き方だ。

これはひとりでなければ叶わないことだ。
私には家族があるので、それは無理だろうけれど、妥協しつつも子供達が独立したら、そんなふうに生活してきたいなとは夢見ている。

つまりはこれまで通り専業主婦として、欲を言えば、家事なし専業主婦として生きていければ満足ということだ。
欲があるような、ないような。。。

これはあくまでも理想なので、10年後どうなっているかはわからない。
途中でガラリと考え方が変わる可能性もある。自分の気まぐれな性格からいっても、十分に考えられることだ。

性格上、なんでもかんでも無理矢理にでもポジティブに転換しようとするせいか、過去も未来もとりあえずは明るい(笑)

能天気だとか刹那主義だとか、周りの人達からは、これまでも色々と言われてきた。50を過ぎた今でさえ「あなたは呑気ね」などとお友達を呆れさせることもあるけれど、それでも人並みに楽しい人生を送ることができているのだから、これも一つの幸せな生き方と言ってもいいのかなと思っている。
我ながら、本当にポジティブだ。。。

人生の春はとうに通り過ぎてしまったけれど、秋もまたいいものじゃないかと、最近は思えるようになってきた。

やり残したことを思うより、これからやりたいことに目を向けていこうと思う。