写真は銀座空也さんの「空也もなか」です。大好きなお菓子の一つなだけで、本文とはまったく関係ありません。
「和菓子離れ」などという言葉が出て久しい。実際に老舗が暖簾を下ろすというニュースを、このコロナ禍でも見聞きしてきた。
しかし、その一方では和菓子、洋菓子問わず、近年はお菓子ブームと言ってもいいくらいの状況ではないのかという賑わいを見せている。
あくまでも私感としてではあるのだけれど、数年前と比較すると、今の方がずっとお菓子を買うことが難しくなっていると感じる。
私はこのブログの他に2つのブログを書いていて、そのうちのメインブログはお菓子に特化したブログで、2017年の今頃に開設したので、丸5年になる。
始めた当初は雑記ブログであったのだけれど、ほぼお菓子ネタになった時点で、お菓子に特化することにしたのだ。
その頃と比較すると、昨今は本当に食べたいお菓子を入手するのも苦労するようになった。
これはSNSとコロナ禍の影響が大きいのかなと思っている。
SNSなどで、これまで「隠れた人気商品」だったものが周知され、新たな客層を開拓したといえる。加えてコロナ禍で通販化が急速に進んだことで、誰もが全国どこにいてもお買い物ができるようになった。
私も例外ではなく、詳細が知りたい時などは、SNSなどから調べたり、新たなお菓子を見つけることも少なくない。
使いようによってはとても便利で、今となってはなくてはならないツールとなっている。
しかし、人間とはまったく身勝手なもので、便利に使っている一方で、これまで自分が楽しんできたお菓子が人気となり、入手が困難になってくると、「SNSで拡散されたせいで、買えなくなったじゃないのさ!」などと、不満を持つのだ。
作り手のお菓子屋さんにとっては、常に完売御礼状態はウェルカムなはずだ。地味なおばちゃん客ばかり相手にしていては、ビジネスは成り立たないのだから。
お菓子屋さん界隈も世代交代している。SNSを多用する若い層を取り込んでこそ、暖簾を守ることにも繋がるのだと思う。
最近は和菓子屋さんなどへ足を運ぶと、明らかに客層が変わったように感じる。年配の方よりも若い方が目立つようになっているのだ。
これは大変喜ばしいことで、この先も変わらずこの店のお菓子を楽しめるのだと安心できる。なんだかんだ言ったところで、ビジネスなのだから、利益が上がらないことには始まらない。
若者が和菓子屋さんのショーケースをのぞき込んでいる光景を見るたび、「和菓子離れ」というのは、本当なのだろうか?
そう思うのだ。
最近、茶道を嗜む友人と会った時も、そんな話題が出た。
私は裏千家、表千家などとは全く無縁のただのお菓子好きのおばさんなのだけれど、その友人は若かりし頃からその道にいるため、和菓子にはとても詳しい。
時折、東京では手に入らないような、京都の珍しい和菓子をお裾分けしてくれたりと、その友人を通してたくさんの美味しい和菓子を知ることもできた。
そんな友人も、これまではお茶席に上がるようなお菓子が、最近はどうしたことか人気急上昇で、時に手に入りづらくなったものもあると話していた。
百貨店なども、これまでは電話で予約できたものが、ネット予約のみになったりと、お買い物の形も変わってきた。
ネットの使えない老人は、もはや好きなお菓子もいただけないという時代になったのだ。
たとえネットが使えたとしても、秒を争う争奪戦では、若い人に勝てる気がしない。。。
ネットだけではなく、店頭での販売でも、早朝から長い行列に何時間も並ばなければ入手できないようなこともあったりする。
私も食べたいと思ったお菓子があれば、頑張って行列に並んだり、ネットでアクセス集中する中、ジリジリとお取り寄せを頑張ったりしていた時期があった。
しかし、ある時から「もう無理だわ。こんなことはやめなくちゃ。。。」と思うようになり、なるべくそのような場には参戦しないことに決めたのだ。
私にとってのお菓子とは、日々のホッと一息つく時のお供だ。もちろん心から「美味しい」と思えるお菓子というのが前提なのだけれど、それと同じくらいに癒しの時間になっている。
それが長時間行列に並んでクタクタになったり、戦場さながら混み合う売り場で我れ先にと手を伸ばし心身共に消耗したり、はたまたアクセス集中でいつまで経っても石のように繋がらないネットを前にジリジリしたり、挙句の果て、そんな頑張りが功を成さず「買えませんでした」となった時の落胆。。。
癒しどころか、ストレスにしかならない。
このコロナ禍で疲弊しきっているお店は多い。そんな中、秒で売り切れるとなればお店にとっては喜ばしいことなのだと思う。
ただ、そんなお店ばかりではないのもまた現実で、いわゆるSNSなどで認知されていないお店などはコロナ禍の煽りを受け、暖簾を下ろしたところも少なくないと想像できる。
そんなことを考えていて、昨年から一切人気店の争奪戦には加わらないようにしようと決めた。
本当に好きで食べたいお菓子があっても、購入のハードルが高いと判断したものは諦めた。
その代わり、身近にあるお菓子屋さんをリピートするようになった。
SNSなどで脚光を浴びずとも、丁寧に美味しいお菓子を作っているお店はまだまだたくさんある。
ただ、私の住む都心部では、素朴なお菓子屋さんよりも、お使い物に向いた、ちょっと高級路線なお菓子屋さんがほとんどで、手土産などを購入するときは、たくさんのチョイスがあっていいのだけれど、自分が楽しむための「日々のおやつ」となると難しい。。。
遊んでばかりいる専業主婦の分際で、一口¥500の菓子を頬張るというのは、いささか贅沢すぎではないだろうかと、葛藤することになる。
そのため、デパ地下でおやつを調達することも多くなった。お買い物ついでに、地下へ降りて、お饅頭2つ買うくらいなら、楽チンな上にお金もかからない。
まさにデパ地下は主婦の味方だ!
デパ地下も便利だけれど、最近は特に、幼い頃から慣れ親しんだ我が東京のお菓子を、以前にも増してリピートするようになった。
SNSやメディアで話題になるようなことは稀の古くからある定番だけれど、変わらない味にホッとできる。おまけにそうした昔からある庶民のお菓子は、概してリーズナブルなものが多い。
つまり、日々のお菓子にはもってこいなのだ。
今日も船橋屋さんのくず餅を買ってきた。幼い頃からの大好物だ。
長きに渡り定番として庶民に愛されているお菓子というのは、それなりの理由がある。
いつでも簡単に買うことができ、お値段も負担にならない、なおかつ変わらぬ味という信頼。
そんなお菓子がいくつかあれば、もはや行列してまで新しいお菓子に手を出さずとも事足りる。
ただ、そのせいでメインブログの更新頻度は少なくなっている。
おやつは毎日のように楽しんでいるけれど、同じお菓子ばかり食べていては、ネタ切れするのだ。
昔は一度でもブログでレビューしたお菓子は、二度と登場させないとしていた。よくわからないこだわりというものだ。
けれど、最近は好きなお菓子なら時期を空けて、何度でも掲載するようになった。
とはいえ、あまり頻繁だと面白くない。自分でも飽きるので、食べても書かないという判断になることも依然としてあったりする。
そして、それだけが原因ではないのだけれど、メインブログのアクセスもかなり減少している。
やはり、この国は新しいものが好きなのだ。話題のもの、新しいもの、そうしたものを追いかけていかなければ、弱小ブログにアクセスは集まらない。
Googleさんの評価(アルゴリズム)も変化が著しく、以前に比べると個人ブログに対する評価が低くなり、検索順位が下がったのだ。
加えて、素晴らしく作り込まれた素敵なお菓子ブログが増えたこと。
私のように何年も雛形そのままのブログデザインで、ただ「美味しい〜」とお菓子の詳細と、自分語りしか記していないブログは、人様の役には立たないのだ。
若い方々の作るお菓子ブログは、とにかくデザインも凝っていて、写真の技術もすごい。
お店の歴史から店舗の情報まで、至れり尽くせりで記されており、それはそれはよく作り込まれている。
私も「すごーい!美味しそう!」と思い切り楽しく読ませていただいている。
ここ最近は、そんな素敵なブログにすっかり検索順位を明け渡し、後ろの方へ追いやられているので、当然アクセスも下がるのだ。
ただ、それでいいと思っている。
どんな世界も弱肉強食。弱い者は淘汰されていく。
なにより、アクセスが下がろうが上ろうが、始めた当初から私のブログは「自己満足ブログ」として一貫している。
そうでなければ5年もの間、毎日のようにブログを書くなどということはできなかった。
何事も目的が達成できなければ、モチベーションを保ち続けるのは難しい。
その点、私のブログは「自己満足」が目的だ。自分さえ気分がよければ、結果を出していることになる。
好きなお菓子があれば、それがどんな素材を使ったお菓子か、どこが美味しいと思ったのか、どんなところが好きなのか、自分のための備忘録として残しておければ満足。そんな思いで書いているからアクセスに一喜一憂することない。
ブログを継続したいと思ったら、自己満足を追い求めるに限る。かなりの確率で継続するという目的は達成できるはずだ。
ブログを書く目的は人によって違う。
アクセスを追い求め、収益化を図ろうとするのなら、話題のお菓子を追い求めることも必要なのかもしれない。
実際に入手が困難だったお菓子のレビューには、いまだに少なくないアクセスがある。
ただ、私の場合はそもそもブログありきのお菓子ではなく、お菓子あってのブログなのである。その上、アクセスも関係ないとなれば、疲労困憊してまで流行にのる必要もない。
SNSなどで流れてくる膨大な情報に振り回されていては、キリがない。
ある程度時代の流れに沿って生きていくことは大切だけれど、躍起になる必要はない。
人間の欲というのは際限がない。どこかで冷静にならないと、この時代はいつの間にかその流れにさらわれてしまうものだ。
贅沢をすることに異論はない。私も贅沢なものは好きだ。
ただ、その贅沢を求めたがために、自分が疲れ切ってしまっては意味がない。
屋根のあるところで眠ることができ、清潔な衣服を纏い、毎日3食の食事が頂ければ御の字だ。
迷ったときは、いつも自分にそう言い聞かせている。
「足るを知る者は富む」の精神だ。
そこに、一日のうち、ホッと一息つける憩いの時間、美味しいお菓子があればそれでいい。
それこそが贅沢な生活であると心して、情報に振り回されることなく、自分軸で生きていくが、幸せなのだと思っている。