In other words

I really don't know life at all ...

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節約はしない、けれど倹約はする。我慢せずに老後に備える暮らし。

夫が前職を退職し、再就職するまで数ヶ月間、無職の時期があり、その際に住民税や保険、年金などの納付書が自宅に送られてきた。

普段は月々のお給料から天引きされているため、それほど気に留めることもなかったのだけれど、一度に何十万も払うことになると、さすがに「え、え、え?こんなにも年貢を納めていたのね。。。」と、改めてビックリしたということがあった。

国民の義務であることは承知の上で、ものすごく「払いたくない」と思ってしまった。
自営の方々などが、必死に節税に勤しむのも当然である。どうにかできるものなら、どうにかしたいと思う。

私は無職なので、このすべては夫の収入に対するものだけれど、家計を預かる主婦としては、「これだけのお金があれば、子供の学費も余裕で払えるてしまえるのに。。。」と、どうにか知らん顔できないものかと、一応は無駄に考えたりする(笑)

結局、銀行の窓口でしっかり納税したのだけれど、頑張って稼げば稼ぐほど、税金は重くなり、負担が増えるばかりだと感じる。

納税することによる恩恵も、普通に生活していれば多少はあるのだと思うけれど、それもちょっぴりしか実感できない。
ある程度の所得があると「所得制限」によって、数々の恩恵から排除されてしまうためだ。
例をあげれば子供の学費。我が家は子供二人とも大学生なので、すでに蚊帳の外だけれど、在学中も満額払い続けた。

「稼いだのなら、自分のことは自分で。ついでに他にも使わせてもらいますからね」

そう言われて続けてきたように感じる。

頑張ったことに対する対価は、ご褒美ではなく納税ということだ。
なんとも働く意欲が削がれる。そう言いたいところだけれど、私は働いていないので、夫の代わりに言おう。
一応は一艘の船に相乗りしているので、自分のことのように語ってしまうことにする。





物価の高騰は止まらない。
最近、スーパーなどでお買い物をしていると、本当に高くなったなと実感するようになった。
一つ一つは数十円の値上がりでも、これがカゴいっぱいに買い物をすると、塵も積もれば山となるで、お会計は予想した額をはるかに上回り、「お会計間違っていない?」とレシートを見返すこともあったりするほどだ。

景気の良い時代を知っている昭和世代ゆえ、お金に関してはそれほど神経質になることはなかった。遣ったらまた稼げばいいじゃないのよと、呑気に考えていたのだけれど、こうも経済が立ち直らないと、さすがに呑気にもしていられないと焦りを覚えるようになってきた。


最近、我が家は夫が単身赴任となり、長女が一人暮らしを始めたことで、私と次女との二人暮らしとなった。

先日、ポストに入っていた光熱費の使用量のお知らせを見て、これまでの半分以下になっていて、驚いたということがあった。
使用する人間が少なくなれば、それだけ使用量も減るのだから当然なのだけれど、ちょっと嬉しくなった。

ガス、電気、水道だけでも、毎月5万円以上かかっていたものが、その半分の2万数千円だ。

これはすごい!

これまでなら、「さて、この浮いたお金を何に遣おうか?」とルンルン百貨店へ向かうところなのだけれど、ふと考えた。。。

生活費全般、このように少しずつかかるお金が減ると、一体1ヶ月にするとどれだけの節約となるのだろうかと。

お金を遣うのは好きだけれど、それと同じくらい自分の口座にお金を積み重ねていくのも好きだ。
元々、好きではないことには1円たりともお金を払いたくないケチンボでもある。

それがこの10年ばかり、子供達の教育費は嵩み、加えて物価上昇、納税と、積み重ねるどころか、貯蓄は目に見えて目減りして行っている状態。。。

そんな事を憂いている時の生活費軽減だ。これはチャンスと捉えて、しっかり節約し挽回してやろうではないか!
そう思った。

これまで何度か「節約しよう」と心に誓いながらも、喉元過ぎればで、自身の節約ブームが去れば、また元通りという感じてきた。

そこで、どこを節約すればいいのか、じっくりと家計簿を眺めてみることにした。





私はもう長い事、家計簿をつけている。
ただ、それは家計管理のためではなく、ただの記録好き。つまり趣味のようなもので、記録したものを過去の日記を読むような感覚で、あとから見返すのが楽しいからつけていたようなものなのだ。

しかし、これはいざという時に強い味方となる。
自分が何に対して、どれだけのお金を遣っているか、固定費から税金まで全て自分がいくらどこに支払ったか、詳細がバッチリ記録されているのだから、家計を見直すときは大いに参考となる。

家計簿を見ていて気づいたのは、無駄遣いもしていないけれど、節約もしていないといったお金の遣い方をしているという事だった。

自分にとって価値のないもの、使わないものは、たとえどんなに安くても手を出さないという点では、無駄遣いはしていない。

しかし節約をしているのかといえば、そんなこともない。
欲しいもの、必要なものはしっかりと買っている。実際に趣味のお菓子に関しては、月に何万円も散財している。
これは過去にメインブログでも書いた覚えがある。自分がどれだけお菓子にお金を遣っているか、検証したことがあったのだ。
ただ、お菓子に関しては、メインブログから得られる収益で賄っているので、家計への負担はほぼない。

日々の食事に関しても、好きなものを買っている。お菓子を買うついでに、デパ地下のお惣菜もたくさん買うし、一家の主人が外国人なので、肉やチーズは多少高価でも冷蔵庫の中にはいつでも食べられるように用意していた。

エンゲル係数は異常に高いものの、それ以外はこれと言って贅沢はしていない。

洋服は滅多に新しいものを買わず、あるものを手入れしながら何年でも着ているし、宝飾品も同じだ。日々身につけるジュエリーも若い頃に買ったものや、母から譲り受けたものだけで新しく買うことはない。
バブルの遺産で生きている、時代錯誤な出立というわけだ(笑)

化粧品も年齢的に安価なものは使わないけれど、買ったら使い切るまで新しいものは買わない。
エステなどにも行かず、美容といえば月に一度のヘアーカットと、二度の白髪染めだけ。

周りにいる友人マダム達と比べると、はるかに質素な暮らしぶりだと思っている。

興味のないこと以外、好きなこと以外には、最低限の支出しかしていないのが、家計簿を見るとわかるのだ。

つまり、私がしているのは、「節約」ではなく「倹約」なのではないのか?





その辺、確信がなかったので、Googleさんに聞いてみることにした。何かあるとすぐGoogleさんに頼る。

【節約】無駄を省き切り詰めること。

【倹約】費用を切り詰めて無駄遣いしないこと。

同じではないのか⁉︎

さらに調べてみると、「節約」はお金だけでなく電気やガス、お水の節約という使い方もするけれど、「倹約」はお金にのみ使われる言葉のようだ。。。

どちらも結局のところ、似たような意味であり、それにいちいち理屈をつけていても意味がない。

光熱費に関しては、それこそ「節約」という意識はない。寒ければ床暖房をつけ、暑ければ冷房をつける。
お水も好きなだけお風呂に入るし、洗濯も毎日ジャブジャブしている。
つまり「節約」はしていないことになる。。。

しかし、それは生活に必要なものだからだ。ストレスなく暮らすためには「節約」することは難しい。

ただ、ここでも無駄はしない。
ここのところ猛暑が続き、東京でも電力逼迫警報が出されたなんてことがあったけれど、その前から一人の時は冷房以外の電気は消してある。
普段、TVも観ないので、全て電源オフだ。
明るいリビングでソファーに寝転がり、スマホ片手にブログを書いているか、ネットフリックスを観ているか、本を読みながらまったりしているか、そんなエコライフ。
光熱費が激減したのも納得の暮らしである。
ただ、それは節約のためではなく、必要がないから使わないだけである。必要があれば家中の電気をつけることも厭わない。

やはり、私は「節約」はしないけれど、「倹約」はしているようだ。





日々の生活の中で、我慢はしないようにしている。
若い頃から、するべき我慢とするべきでない我慢があると思っていた。
我慢することによって、より自分に力がつき向上できる、そんな我慢なら喜んでしようと思う。
ただ、なんのメリットもない我慢を強いられるようなことも世の中には少なくない。
ほとんどの場合は他人目線ありきで、自分のための我慢ではない。

元々我慢を甘受できる人間ではなかったのだけれど、海外暮らしで「自分第一、自分が一番大事!」そんな人々を見てきて、我慢すればいいというものではないと学んだ。
さらには外国人と結婚したことで、「自分が一番大事」な夫と暮らすようになり、輪をかけて我慢することは馬鹿らしいとさえ思うようになったのだ。

著しく我慢耐久のない人間になってしまったので、日々の暮らしの中でも、我慢はしっかり排除するようになってしまった。

暑かったり、寒かったりしても、我慢して光熱費を節約などというのは、無理なことだ。健康面を考えてもデメリットの方が大きい。

使っていない部屋の電気をつけていたり、必要のない電化製品を使ったりと、そのような無駄は一切ないので、節約はしないでよしとしよう。


では、倹約はどうか。。。
自分が思っているほど倹約しているのだろうか。
前述したように、無駄な買い物はしていないつもりだ。必要なもの、好きなものにしかお金はかけない。

ただ、必要なものはいいとして、「好きなもの」に関してはかなりゆるゆるだ。

必要でないものでも「好きだから」という理由でお財布を開いていては、お金はどんどん出て行く。
世の中、私の好きなものは山ほどある。

高額なものは、いくら好きでもさすがにポンポンと買うことはない。数万円もするようなものは、衝動買いを改め、しっかり熟考するようになった。
問題は数百円、数千円のものだ。お菓子を含め、そんな価格帯の「好きなもの」に関しては、ポンポンと散財していた。

家計簿を見ていて気づいたのが、最近はそんなポンポン買いがとても少なくなり、出て行くお金も少なくなっていることだった。

特に倹約を意識していたわけでもないのに何故だろうか?

考えて思い当たったのは、現金支払いだ。
先月くらいから、高額の支払いでなければ、クレジットカードを使わず、全てお財布に入っている現金で支払いをするようにしていた。

財布にはだいだい一万円札1枚、五千円札1枚、千円札10枚を入れておく。
合計すると二万五千円。
これだけ入っていれば、お買い物もお友達とのランチでも十分だ。一日遊んでこられる。

何か買い物をしたりするたびに、この財布の中のお札が出ていく。
つまり、自分のお金が減っていっていることがその都度実感できるのだ。

これはケチンボな私にとっては、とても効果があったようだ。

例えば、お友達とちょっとお高いランチを頂き、その後にお茶を飲みながらケーキーを頂き、帰りにはデパ地下へ寄ってお買い物をする。
そんな時も、財布の中が寂しくなっていくのがわかるせいか、「今日はたくさんお金を遣ったから、サラダくらいは買わずに作ろうか」などと惣菜フィーバーにストップがかかるのである。

「私のお金が減っていっている。。。」そう実感することこそが、倹約に繋がっているだ。

そうすることによって、ストレスはあるかと言えば、まったくない。
好きなものを買わないことによるストレスと、お金が減っていくことのストレスを天秤にかければ、圧倒的に後者の方が重たい。

基本的に「ストレスのない生活」を目指しているので、ストレスにならない道を選べれば満足なのである。
「好きなもの」はたくさんあるけれど、結局のところ、一番すきなのは「お金」ということみたいだ(笑)

キャッシュレス決済が当たり前となった令和の時代に、現金主義とはいささか時代錯誤ではあるけれど、私にとってはこれが一番の倹約法なのだとわかった。

ネットや雑誌でも、よく「節約、倹約方法」などの記事を目にするけれど、私にはあまり参考にはならない。実際、かなりの我慢を強いられるような例も少なくなく、ストレスが溜まるのは目に見えている。

お金の遣い方は人それぞれだ。何に使うのか、限度額はどれほどか、決済方法はどれが使いやすいかなど。。。

自分の性格を知り、自分の暮らしや行動パターンと照らし合わせた上で、自分に合った方法を模索していくのが一番だ。

私の場合は、ストレスになるような節約はしないけれど、お金が減ることによって生まれるストレスを回避できる程度に倹約する。
それが一番向いているようだ。





夫が定年退職となり、年金が受給できるようになるまで、まだ15年近くある。
子供の教育費も終盤戦。私大へ通う長女はあと半期分で60万ほど払えばめでたく卒業だ。
次女はあと3年半、幸いなことに国立なので、卒業までに納める学費は残り210万である。トータル270万で我が家の学費の支払いは終了となる。
授業料の他に入学金や予備校の費用など、湯水の如く垂れ流されてきた教育費が終わるのだ。

これまで払い続けてきた教育費が、定年までの15年は丸々我が物となるのだから、まさに貯め時の到来である。

すでに残りの教育費は確保してあるので、これからまた挽回していこうと思う。
そのためには、やはりお金の出入りをしっかり把握し「倹約」に勤しむことだ。

自分なりに「理想の老後」というものがある。
健康で、好きなものを食べて、時々旅行へ行ったり、疲れたら温泉湯治に行ったり。あとはブログを書くことを楽しみながら、本を読んだりNetflixを観ながらのんびり。
今と変わらない、ささやかな暮らしが老後も続けばいい。それが私の「理想の老後」だ。

「倹約」はするけれど、自分のしたいこと、欲しいものを我慢してカリカリするような「節約」はしない。

毎日「幸せだな」と感じながら生きていくこと。そのために何をすればいいかを考えれば、自ずと答えは出てくる。
巷に溢れる情報や、他人と比較するのではなく、自分軸で考えた暮らしを作っていくことだと思っている。