In other words

I really don't know life at all ...

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我が家の子供達の大学受験を思い出したセンター試験の日。

今年もセンター試験の日を迎えた。その昔は共通一次試験、そしてセンター試験になり、現在は全国共通テストとその呼び名が変わっている。
年代ごとに変わるせいか、今でも多くの人が「センター試験」と呼んでいるようだ。私もついつい「センター、センター」と連呼してしまう。。。

昨年は我が家の次女も受験生であった。その頃のことを思い出すと、受験生ご本人はもちろん、その親御さん達の落ち着かない気持ちがよくわかる。
受験が終わるまで、ずっとそんな気持ちを抱えるのだから、これは大仕事だ。さすがに能天気の私ですら、受験が終わるまでは、ソワソワとした気分で過ごしていたものだ。

「この大学以外は行きたくない」と、志望校を一本に絞った結果、浪人が決定したのが一昨年の3月。
次女は1年間の浪人生活を経て、昨年2度目のセンター試験を受けたのだった。
センター試験の後に、まだ大学での二次試験があり、そこで合格すると、その後さらに三次試験まであったため、センター試験の時はそれほどの緊張もなく出かけて行ったと思いきや、会場からLINEが入った。
時間を間違えて、2時間ほど早くきてしまったとのことだった。
遅れたのではないのだから、試験は確実に受けられる。
「近くでのんびりお茶でも飲みながら待ったら?」
そう気楽に返信をした。
さすがに会場外へお茶を飲みには行かなかったようだけれど、空き部屋でスマホをいじり時間を潰したそうだ。
最後の1分まで時間を惜しまず勉強!とならないのは、やはり私の能天気遺伝子を色濃く引き継いだ娘なのだ。。。
そんな小さな手違いはあったけれど、無事にセンター試験を終え、結果も想像通りだったそうだ。
本人は答え合わせなどをしていたようだけれど、あえて結果を聞くことはしなかった。聞いたところで結果がわかるわけではない。むしろ余計なストレスを生むだけだ。
ストレスレスな生活を心がけている私には、センターの結果を知る必要はない。
最終的に合格となるか否かだけが問題なのである。

センター試験が終わったら次は大学での受験が待っている。
1月のセンター試験から3月までがとても長く感じられた。何か対策をするには短い、かと言って何もしないのは長すぎる2ヶ月間だった。

親のできることは限られている。その中で一番重要なのは体調管理だと、私は考えていた。

とにかくしっかり食べさせ、しっかりと睡眠を取らせることを最優先とした。
「勉強しなさい」ではなく「食べなさい」「十分に睡眠とりなさい」そればかり言っていた気がする。

コロナ禍以前も、毎年受験の時期になるとインフルエンザの心配が言われていたけれど、それに加えての新型コロナだ。感染すれば数日高熱で寝込むことになり、もはや受験どころではない。



実際に中学受験の際に、長女の同級生はインフルエンザに感染し、志望の学校を受験できなかったということがあった。とても優秀なお嬢さんで、難関校の合格も間違いなしとされていたにも関わらずだ。
どんなに努力を重ねても、こうした事も起こりうるのだと、改めて思ったものだ。
以来、私にとって子供達の受験は健康管理第一となったのだった。

次女の受験があった昨年もまだコロナ禍であった。1月のセンター試験から三次試験が終わる3月末まで、とにかく長かった。
目に見えないウィルスを100%避けることは不可能だ。いつ感染するかと内心は冷や冷やだった。

「何年浪人しようが絶対にこの大学」という思いは変わっていなかったため、昨年も本命の大学しか受験しなかった。
滑り止めも受けず、何の保険もかけない一発勝負だ。
無謀ではないかとも思っていたけれど、私は浪人することに対しては否定的ではなかったし、むしろその方が面白いと背中を押していたくらいだ。
私自身もまた、そんな勝負事が好きなのであった。

幸いなことに感染する事もなく、無事に二次試験を突破し、三次試験まで万全の体制で挑む事ができた。
そして一浪の末に合格を頂くことができ、いまでは忙しくも楽しい学生生活を送っている。

ところで、1年間の浪人生活の間、次女は現在の大学の学費よりも高い受験予備校に通っていた。
そう「通っていた」と思っていたのは親だけであった。。。
後から聞けば、サボってばかりいたそうだ。親の方は、朝「行ってらっしゃい」と送り出せば、当然予備校へ行ったと思っている。探知機などつけているわけではないので、一歩家を出ればどこで何をしているのか知る術はない。
しかし、次女はストレスが溜まっては逆効果であると、銀座や表参道、秋葉原などでぶらぶらしていたそうなのだ。
本人曰く、予備校へ支払った額の半分は無駄になっていたのでは?と平然と言う。合格できたからこそ、そんな大きな口が叩けるというもので、これが二浪目突入ということにでもなっていた際には、口が裂けても真実を語ることはなかったであろう。。。

そんな風にサボってばかりいたにも関わらず、次女は合格したのだから、受験とはわからないものだと思った。
同じ予備校に通い、朝から晩まで努力し続けた友人のほとんどは不合格だった。当然、遊んでばかりいた次女に痛い視線が向けられたそうだ。
予備校の講師曰く、運もあるけれど、あの子の場合は極端なまでの自己管理と集中力によって、ここ一番で実力以上の力を出すと言う稀なケースであり、決して真似をしてはいけない事例だそうだ。
褒められているのか、貶されているのか、よくわからないと次女本人が言っていた。。。

確かに次女は集中力がある。一度部屋に籠ると食事、お風呂、トイレ以外は一切顔を見せない。
自己管理も親に似て能天気なのか、「ストレスは敵」とばかりに、やる気にならない時はすぐに散歩に出かけたり、ショッピングに行ったりと、ぶらぶらしていた。
今でもそれは変わらない。大学の課題に追い込まれると、全て投げ出してまたぶらぶらである。
心身ともに健康であるからこそ、力を出し切ることができるのだろう。

結果がよかったからこそ言えることなのかもしれないけれど、そんなことからも、今でも子供の受験に関して、親ができることは健康管理だけではないかと思っている。



長女の大学受験の時は、次女のように「絶対にこの大学に!」という強い意志は皆無であった。
とにかく大学の名前やイメージ重視で選び、保険をかけまくり、幾つかの大学を受験していたので、本人が納得すればどこへ行ってもいいと思い、私も楽観していた。
そして合格を頂いた中で、一番イメージに近い学校を選んだという、「何のために大学へ行くの?」状態の受験であった。
外国人である夫は、それに対してかなり拒否反応を示し、「学ぶ目的でないのならお金は出さない」と長女と対立したものだ。
私はといえば、大学へ行く目的が勉学以外でも構わないと思っていた。
長女がその大学へ行くのは、セルフプロデュースのためだ。
人はその人そのものを見るのではなく、時につけているバッジで評価する。大人の世界ではよくあることで、多様化が叫ばれている昨今においても、それは変わらない。

それは選択した長女自身が実感しているそうで、自分の選んだ道は間違いではなかったと言っている。
あれほど反対していた夫でさえも、今では手のひら返しをしている。
あの時、「学費は出さない」と頑固に財布の紐を開かなかった夫がだ!
結局、長女の学費は私が出した。「お金を出さぬのなら、口も出さないで下さい」と、私は自分の貯金を崩すことになったのだ。
その時の恨みはまだ忘れてはいない。

長女の大学受験で思い出すのは、そんなお金の恨みくらいで、私が受験に対してなにかお手伝いしたという記憶はない。
志望校選びも願書提出も、合格からの入学準備もすべて長女自身がやり、私はお金を渡しただけだった。
入学式には行ったけれど、あれほど反対していた夫までもがちゃっかりと参加していたのは、今でも腹立たしい。。。

無理に思い出そうとすると、あの時のムカムカが蘇り、怒りによるストレスが増殖しそうだ。これは健康に悪そうなのでやめて、話を受験に戻すことにしよう。

極端なことを言えば、子供の受験に際して私がしたことといえば、前述した健康管理以外には、お金を出したことだけだ。
学びたいという意欲を満たすだけの投資は、可能な限り惜しまなかった。
よく、子供に教育費をかけ過ぎて、老後の生活に不安を覚える人がいるというようなネガティブな話を耳にすることがある。
そんな愚かなことはしてはならぬというお話で、それはごもっともです。。。と思うのだけれど、私は自分の老後の心配よりも、子供達の未来を心配する方が辛いことだと思っていた。

子供達がしっかりと自立して暮らしていれば、あとは自分の心配をすればいいだけだ。自分のことならば、なんとでもなるけれど、これが子供のこととなると、思い通りにはいかない。
小さな子供ならいざ知らず、大人になった子供達をコントロールすることなどできない。
年老いていくなかで、いつまでも子供の心配をし、世話を焼き続けるのはごめんだ。
しっかり自立してもらうための投資と考えて、子供達にはやりたいことをさせる努力をしてきた。



学びにも格差が存在する。
知人は子供の受験のために、塾や家庭教師など月に30万以上も投資していた。
また別の人は、子供を海外の有名大学へ入れるために、何年間もかけて実績を作るため、湯水の如くお金を遣ったという。
お金をかければいいというものではないけれど、それだけ多くのチャンスを手にするのは間違いない。それが凡人であれば尚更だ。

元々地頭のいい子というのがいる。親が何をせずとも、自身で学び取ったり、一度見たものはすべて脳に刻まれてしまうなど、いわゆる天才という子たちだ。
私の知り合いの子もそうだった。幼い頃から字を覚えるのも計算もすべて独学。親が知らないうちに、年齢以上のことをすでに学んでいたという。
放っておいても難関校には合格できたそうだ。
しかし、さすがに難関校へ行くと、上には上がいて、まさに地頭と地頭のぶつかり合いとなる。
そのまま放っておいては遅れをとると、親の方も子供の望むままに学びに対する投資を余儀なくされたそうだ。
つまり最高峰の大学合格への道を目指すため、さらに教育にお金をかけることになったのだ。
私のような凡人からすれば、何もしなくてもそこまで登れるのだからいいじゃないのよと思うのだけれど、それが自分の子供ともなると、できる限りのことはして、頂上まで登って欲しいと思うのかもしれない。

とにかく、そんな天才肌の子供の世界でさえも経済格差があるのだから、つくづく私たちの生きている社会は一つではないのだと思わされる。
元々地頭のよい子が、さらにお金をかけて磨き上げられるのだから。
側で見ていても、まるで別世界のことのようだった。

さすがに私には湯水の如く注ぎ込めるほどの財力はないので、人並みにという程度ではあったけれど、子供二人を育て、望む教育を与えるために、かなり投資をしたつもりだ。
まさによく言われている、子供の教育のために自分の老後を窮地に追いやる愚かな所業をやってのけたのだ。

夫は無駄なお金を遣うことはよしとしない人だけれど、たとえ自分が我慢を強いられようが、その理由に納得さえすれば、子供達に関してお金を遣うことは厭わなかった。
長女の大学受験のときのように、なんとしてでも納得しないことはあったけれど、それも途中で気持ちが変わったのか、学費を負担してくれるようになった。
それでも、受験の費用や入学金、途中までの学費など、支払ってもらえなかった恨みは、何度も言うけれど、私は決して忘れはしない。



話を戻すと、とにかく子供達の受験に際し、私がしたことは、健康管理とお金を出すこと。。。

それだけだと思っていたのだけれど、いま思い出した。もう一つだけあった。

それは次女の浪人が決定した際に、予備校を変えたことだ。
次女はそれまでお世話になっていた予備校に通い続け、合格してその予備校に実績を残してあげたいと、なにやら優しいことを言っていたのだけれど、私は別の予備校へ移るようにと提言した。
提言というよりは命令に近かった。私なりにリサーチをした結果、合格率の高い予備校はそれなりのパイプなり、蓄積されたノウハウがあるに違いないと、当たり前のように考え、それに素直に従うが合格の道だと思ったのだ。
我が家では「お金を出さぬ者は口も出すべからず」という暗黙の了解があるゆえ、次女は渋々と私の言う通り予備校を変えたのだった。

結果よければ全てよしで、私の読み通りに合格したものだから、当たり前のことをしたにも関わらず、私の家族内ヒエラルキー第1位という座は、これで揺るぎないものとなった。
そう思っていたけれど、実際にその予備校をサボってばかりいたそうなので、予備校選びがどれだけ合否を左右したのかは謎だ。
結局のところ、本人次第だったと言うことなのかもしれないと、今は思うのだった。。。

小学校受験や中学校受験なら、親子二人三脚でと、親の持つ役割は大きくなるけれど、さすがに大学受験になれば、本人を信じて見守るしかない。
逆を言えば、その歳になって親に指示されなければできないのでは困る。

心身ともに健康で過ごすために生活を整え、ストレスがたまらないように最低限の気遣いをする。そして求められた時だけアドバイスをする程度でいいのではないだろうか。

親があまり神経質になっていても、いいことはない。
受験をする子供のみならず、親もまたしっかりとおいしい物を食べ、よく眠り、楽しく過ごしていればいいのだと思う。

努力が実ることもあれば、非情にも報われないこともある。人生とはそんなものだ。
受験で人生が変わることはあるかもしれないけれど、悪い方へ転がるとも限らない。それはまた本人の生き方次第なのだろうと思う。
とって大切な日ではあるけれど、長い人生の中ではその一幕にほかならないのだ。
そんなおおらかな気持ちで、受験という一幕を乗り切って欲しいと、我が子の受験を思い出しながら思ったのであった。