昨年末のこと、病院へ行く途中に横断歩道で信号待ちをしていたら、隣に小柄な女性が並んだ。
チラリと横顔を見た時、「どこかで見たことのある人だわ」そう思った。
病院の近くということは、かつて病院内で出会ったことのある人かもしれない。
記憶を巡らせていると、ある一人の女性を思い出した。
もう10年くらい前、私が大病のために入院した時に同室だった人だ。歳は私よりも10歳くらい上だったと記憶している。
4人部屋の私は右奥、その人は入口すぐの隣りのベッドだった。
私が入室した時にはすでにいたのだけれど、いつでもぐるりとカーテンでベッドを覆い、顔を見ることはほとんどなかった。
その部屋は4人とも同じ病気を抱えていて、深刻度から言えばその人は中ぐらい。すでに余命宣告を受けている人もいる病室の中では、まだ希望が持てる状態であると、向かいのベッドのおばさんが言っていた。
生存率の低い病ゆえ、その人が常に悲観的になり、周りとの交流を断ちたいという気持ちになるのも理解できた。
ただ、私はその病の深刻度から言えば、十分に生きられる希望があったので、悲観はすれど心を閉じることはしなかった。
人は死の可能性を目の前にしたとき、その受け止め方が違うのは性格によるものなのだろうか。それとも置かれている環境なのか、私にはよくわからなかったし、当時はそんなことすら深くは考えたくなかった。
その人はいつもカーテンの中にこもり、独り言を呟いていた。
「私はもうダメ」
「もうどうなってもいい」
「なにをしても無駄」
そんな言葉を日がな一日呟いていた。
時折、私の向かいにいた威勢のいいおばさんが、カーテンの中のその人に声をかけていた。
「病は気から!そんなんじゃダメよ」
「病気に勝つのよ!」
「そうそう簡単には逝くものか!」
普通なら「余計なお世話よ。あなたになにがわかる?」と言いたいところだけれど、深刻度から言えば、そのおばさんが一番死に近いところにいたのだ。
その病室の中で一番若く(とは言え40代)、新参者だった私はそんなやりとりをいつも黙って聞いていた。
その人には娘さんが一人いて、週に一度着替えを持って病院へ来ていた。
誰にも挨拶することなく、下を向いてスッとカーテンの中へ入っていくのが常だった。
娘さんが来るたびに二人は小声で口論していた。その発端はいつも経済的なことで、お金に関することで娘さんが不満を言えば、その人は娘さんが働かないことを責め、最後には「もういいよ」と、娘さんが怒って帰ってしまうというのが毎度のパターンだった。
聞き耳を立てていたわけではないけれど、カーテン越しとはいえ、すぐ隣なので会話は筒抜けだった。
一度、娘さんが帰ったあとに、その人がカーテンを開けて声をかけてきたことがあった。
「私がこんな病気になっても、娘はちっとも優しくしてくれないの」
「あなたみたいに、いつも一人の方が楽でいいわね」と。
私は一人ではなかったけれど、誰もお見舞いにこないので、独身の独り者と思ったのだろう。
当時、次女は小学生で長女は中学一年生だった。
私が入院する際、夫には「子供達にはこれまでと同じ生活を」とお願いしていた。病院への見舞いにも、決して連れてこないでほしいと。
病院というネガティブな空気の蔓延する場所に、子供達を触れさせたくはなかった。
夫にも、私のお見舞いに来る暇があるのなら、仕事と子供の世話に集中してくださいと話した。
夫は「せめて手術の立ち合いだけでも」と言ったけれど、それもやめてほしいと言った。
夫が手術室の外で待っていたからと言って、私がよくなるわけではない。何か不測の事態にでもなれば、必ずあなたに連絡がいくはずだから心配はないと。
その時間をどうか子供達のために使ってくれとお願いしたのだった。
嘘をつくわけにもいかないので、一応私にも家族がいることは伝え、「お見舞いには誰もこないでと言ってあるので」と、本当のことを話した。
「私は娘にどんなに酷いことを言われても、こないでは言えない。一人では怖くてたまらない」
その人から、あなたの強さが羨ましいと言われたけれど、私は強いわけではなかった。もちろん病気も怖かったし、夜になり色々なことを考えていると、ひとり涙がこぼれることもあった。
それでも一人で大丈夫と思えたのは、希望を持っていたからだ。
元気になって退院すれば、好きなだけ家族と過ごすことができると、以前と同じ暮らしに戻ることだけを考えていた。
病とはそんな精神論で治癒できるものではない。それを重々承知の上で、ポジティブな未来を信じる努力をしていた。
幸いにも私の病は完治し、あの時に信じた未来を生きることができている。
それは自分の力ではないだろう。お医者様と神様が治してくれたのだと思っている。
当時はギスギスと言うほどに痩せていたその人は、顔も丸く身体もふくよかになっていた。
なによりも驚いたのは、その表情の明るさと穏やかさだった。
検査の順番を待つ間、顔見知りの女性と笑顔でお喋りをしていたのだ。
毎日カーテンの中で呪いのような言葉を吐いていた人と同じ人物とは思えないほど、その人は朗らかに見えた。
病気というのは、身体が蝕まれれば心もまた同じように崩れるものなのだろう。そしてその逆も。。。
他の顔見知りの女性と話している内容から、その人の病気が完治しているのか否かはわからなかった。
ただ、受ける検査がことごとく私と同じだったので、もしかして私のように完治したあとも、引き続き先生の元へ通い、検診のようなことをしてもらっているのかも知れない。
声をかけるほど親しくはしていなかったので、あえて確認するようなことはしなかった。
5年生存率の著しく低い病気ゆえ、もうあの人はいないのだろうなと、時折あの頃のことを思い出しては漠然と同室であった人達の顔を思い浮かべることもあった。
しかし10年近くも経ったいま、その人はまだ生きていて、むしろ以前よりもお元気そうだったのだ。
なんだか無性に嬉しかった。。。
向かいのベッドにいた威勢のいいおばさんとは、5年くらい前にバッタリ病院で会ったことがあり、その時も「この人は自身が言っていた通り、病気に打ち勝ったのだな」と嬉しかったものだ。
それ以来、お姿は拝見していないけれど。。。
袖触り合うも多生の縁という。
人生のほんのひととき、生死をかけて共に過ごした人達だ。
知っている人とも言えないほどの関わり合いで、文字通り「どこかで見た人」と、記憶の引き出しの奥の奥にいる人だ。
それでも、生きていていてくれたこと、そしていま自分もこうして生かされていることに感謝したい気持ちだ。