In other words

I really don't know life at all ...

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バレンタインのチョコレート価格に驚愕する昨今。加熱するお菓子商戦に背を向けて老後に備える決意。


写真は本文とは関係ございません。こちらは私の大好きなリーズナブルで美味しい普段のおやつチョコレートです。

今年もバレンタインを前に、チョコレート商戦が至るところで繰り広げられている。
帝国データバンクの価格調査によると、今年はさらにチョコレートの価格が7%アップし、1粒の平均価格が¥365から¥390と¥25上昇しているという。

¥365でも「高い!」と感じていたのに、もはや1粒¥400に迫ろうという価格になっている。

洋菓子、和菓子問わず毎日のおやつを楽しみにし、それをブログにアップするという趣味を持っている私にとっては、由々しき事態である。

先日もある商業施設の中で長い行列ができていたので、「どんなに美味しいものが?」とのぞいてみると、海外の某人気チョコレートの販売だった。
ここ数年、いつでも百貨店催事などで、この時期長い行列を作っているチョコレートの有名ブランドだ。

そんなに美味しいのかしら?と、チラリ一応は見るものの、毎年その値段にギョッとさせられる。
それでも懲りずにまた今年も気になり、ショーケースをのぞいてはギョッとして後退りするのだった。

それは一番少量サイズでも、とても手を出そうという価格ではなかった。小さな丸いトリュフチョコレートが手のひらにおさまるくらい小さな箱の中、お上品に鎮座している。その価格たるや2粒で¥1,500近くもするのだ。

いつものように「おひとつおいくら万円かしら?」と単価計算をしてみれば、なんと1粒軽く¥700を超えている。
原材料の高騰や技術力、希少価値、輸入品であるということを考えても、すごいお値段がついたものだと思った。

驚くのはそんな高価なチョコレートを買おうと長蛇の列ができていることだ。しかも、並んでいるのは若い方ばかり。私のような中年のおばさんはほとんどいない。

昨今の暗いニュースの影響か、今時の若者は将来の経済的不安から節約傾向にあると思っていたのだけれど、必ずしもそうではないようだ。

思えば、チョコレートだけではなく、ハイエンドのブランドショップにも、昨今では行列ができている。
ブランド物のバッグも昔と違って、とんでもない価格になっていて、私などはその価格差になんとなく損をした気分になり買う気にもなれない。
一昔前に比べると、何十万単位での値上がりがされていて、100万円もするようなバッグも珍しくない。
そんなショップに長蛇の列ができているのを、百貨店へ行くたび目にするのだ。

日本経済は本当に冷え切っているのかしら?と思うような光景だ。



お金の遣い方は人それぞれだ。周りの友人達を見ていても、エステや化粧品など美容系に注ぎ込む人、お酒に注ぎ込む人、洋服やバッグなどファションに注ぎ込む人と、千差万別だ。
私の場合は日々のおやつ代と年に何度か行く旅行でお小遣いはほとんど消える。

あの高価なチョコレートの列に連なる人々も、きっと一点集中でチョコレートに財を注ぎ込んでいるのかもしれない。

なにに対して価値を見出すかということなのだろう。

たとえとんでもない金額のチョコレートだとしても、そこにそれだけの価値があると考える人は、「高い」とは思わないのかもしれない。
しかし私は違う。お菓子とはどんなものであろうと、私にとっては「日々のおやつ」なのだ。採算度外視して好きなものを買っていては、一体いくらかかることになるのか。
お菓子だけではなく、私は旅行へも行かなければいけない。そしてお小遣いは無限ではないのだ。

ところで、バレンタインデーといえば、私が若い頃から、女性が好きな男性に贈るものとされていたものだけれど、最近は「自分へのご褒美に」と購入する人が多いという。
これは百貨店のチョコレート売り場にいた店員さんに聞いたので、かなり信憑性の高い情報ではないかと思っている。

ここで若い人との感覚の違いを感じた。
一般論ではないかもしれないけれど、私は贈り物を選ぶ際は、「贅沢だから」と自分のためには買わないようなものを選ぶようにしている。
まさに1粒何百円とするようなチョコレートの類いだ。

ちょっとしたお土産や気軽なプレゼントなら別だけれど、お誕生日やお祝い事、それこそバレンタインデーなど行事関連でのプレゼントには、「これは自分のおやつには買わないだろう」という価格のものを選ぶ。

これは私自身がそんなプレゼントをいただくと、たいそう嬉しく思うからだ。自分で普段買っているようなものよりも、ちょっとばかり贅沢なものを贈った方が遥かに喜ばれるのである。
元来ケチンボなのだろう。人には贅沢なものを贈るけれど、自分のおやつに散財しようとは考えない。

バレンタインデーなど昔から興味がないので、男性に高価なチョコレートなど買おうと思わないのだけれど、夫から仕事関係の方に渡すプレゼントなどを頼まれることがある。そんな時は「これも投資だと思うことにしよう。。。」と、少しばかりのリターンを期待しつつ、あえて贅沢品を選ぶのだ。

夫が持ち帰ってくるバレンタインデーの贈り物も、やはり高価なものが多い。
それらはほとんどが同年輩の方からの贈り物で、若い人達から頂くチョコレートは、低価格なものがほとんどだ。中には手作りしたものを自分で袋詰めにしたようなものも珍しくない。
義理チョコなので、貰えるだけありがたいことだと思っているけれど、同時にそこまでして義理チョコを配る必要があるのだろうか。。。とは思う。

贈り物の概念も今と昔では変わってきているのだろうけれど、いまだに会社などで義理チョコが振舞われているというのが理解できない。

理解できないからといって、頂いたからにはお返しは必要だ。
毎年、ホワイトデーのお返しを用意するのは私の仕事になっている。ここでも「贈り物は普段自分では買わないもの」が基準になるものだから、とんだ散財をすることになる。
夫の年齢(50過ぎ)を考えても、若い子達にそうそう安価なものは渡せないという見栄も手伝って、毎年ホワイトデーでは結構な支出となっている。
そして、憂さ晴らしのように、ついでに「自分へのご褒美」も一つ二つ加えている。自腹でないと途端に図々しくなるのだ(笑)

「自分へのご褒美」というのは、とても便利な言葉だ。贅沢の理由が見つからない時でも、そう言えばなんとなくしっくりとくるから不思議だ。
私の場合はご褒美を貰うようなことはなに一つしていないので、そんな言葉を口にすること自体、かなり図々しいことなのだけれど、便利な言葉なのでさりげなく使わせていただいている。



ここ十年くらいだろうか、お菓子熱がすごいことになっている。特にコロナ禍以降の加熱具合には目を見張るものがある。
バレンタインデーに限らず、人気店のお菓子が発売されるとなると、どこもかしこも長蛇の列ができる。
まさにお菓子の過渡期と言っていいだろう。

約20前から某百貨店で開催されているチョコレートイベントがあるのだけれど、そちらも現在はかなり様子が変わっている。
開催が始まってしばらくは百貨店の催事場で行われていて、私もよく夫と連れ立って毎年足を運んでいたのだけれど、ここ10年くらいはご無沙汰している。
それというのも、気軽に行ける雰囲気ではなくなったからだ。
百貨店の催事場で行われていたのが、いつからか別の大きな会場で行われるようになり、お買い物ついでにチョコレートの祭典へとはいかなくなった。

コロナ禍以降はまた百貨店の催事場に場所が戻ったようなのだけれど、チケットが必要だとか整理券がないと入場できないだとかで、購入はおろか入場するのだけでかなりハードルが高くなった。

あれだけのチョコレートが国内外から集まるのだから、誰もがいってみたいと思うような夢の祭典であることは間違いない。
私もまた行きたい。。。
しかし、その加熱ぶりにはどうもついていけなくなった。

ショコラティエと話をしたりするのは楽しかったし、これは貴重な経験だとも思っていたけれど、さすがにサインを求めたり、一緒に記念撮影をするほどのファンではない。
私にとっては有名ショコラティエも、毎朝あんこを炊く老舗の和菓子職人と同じ。
スターではなく「美味しいお菓子を作る職人」と思っている。

スターに会うために行くのではなく、おやつを買いに行くという目的なので、昨今のチョコレートイベントには温度差を感じてしまうのだ。

それに加えての価格高騰である。。。
これからいっぱい働いて、どんどん稼ごう!という若い世代ならいいのだけれど、私のように50を過ぎた中年の専業主婦は今や守りの時期にきた。お金を作るよりも、老後のためにそれを守ることに力を注がねばならない。
どんなに美味しくても、どんなにレアでも、1粒¥700のチョコレートなどを買っている場合ではないのだ。


しかし、そんな私でも気持ちが揺れることはある。
私が先日お取り寄せしたぼた餅は12個で¥3,600、送料込みで¥5,000ほどだった。
お菓子自体の価格からぼた餅1個いくらかと計算してみると¥300ほどだ。
私の大好きな老舗和菓子店『とらや』などに比べれば、安価な方ではあるのだけれど、これもポチッとする前には大きな葛藤があった。ぼた餅12個に果たして¥5,000は妥当なのか?と。

店舗に足を運べば、少量パックを送料なしで購入でき、数百円の出費で済むと考えると余計にケチケチ根性が頭をもたげてくる。
結構長い間、「食べたい。しかしこの価格は妥当か?」と悶々としていた。
そのうち旅行に行った時にでもと思ったけれど、店舗は新幹線にのり、さらにはそこから特急で2時間以上もかかるのだ。旅のついでとはいえ、「おやつ」を買いに行くにはかなりハードルが高い。

そんなことを考えながらも、結局はポチリとお取り寄せしたのは、どうしても味わってみたかったからだった。
たかがぼた餅、されどぼた餅で、あんこの誘惑には抗えなかったというわけだ。



最近よく耳にする「推し活」という言葉がある。
好きなアイドルや俳優などを追いかけて応援することをいうそうなのだけれど、これはかなりお金がかかる活動のようだ。

私達の年代だと韓流おばさんなどがいい例で、韓流スターのファンクラブに入り、国内外のファンミーティングに参加したり、ドラマの聖地巡りをするために韓国まで足を運んだりと、考えただけでもお金がかかりそうだ。
私も韓流ドラマは大好きだけれど、その俳優さんが素敵だと思うのは、ドラマの役柄を演じているからこそであり、ドラマの枠から出た彼らにはまったく興味が湧かない。

私は若い頃から、花より団子なのだ。

しかし、対象は違えど、お菓子好きもまた同じことをしているのかもしれない。
応援ではなく、自分の舌と胃袋を満たすための活動だけれど、「好き」を追いかけ散財するという点では同じだ。

今は昭和の時代とは違って、SNSなどで膨大な情報を得ることができる。
これは私にとって「目の毒」でもある。日々世の中に誕生している無数のお菓子が、ひとたびネットを開けば、いやでも目に入ってくる。その度に心はグラグラと大きく揺れるのだ。

そんな美味しそうな情報に振り回されていたこともあったけれど、今は少し冷静になっている。
そんな情報に片っ端からからのっていてはキリがないと気付いたからだ。もちろん美味しい思いもできるのだけれど、果たしてそこに投資した金額が見合っているのかと考えると、胸を張ってYES!とは言えない。
ほとんどが「一度お試しすれば十分」くらいのものだったのだ。

一昨年末だっただろうか、1年間に自分がおやつにいくら散財したか、計算してみたことがある。これが結構な額で、かなり愕然としたものだ。
お菓子代はすべてブログ収入で賄うようにしていて、夫から渡される生活費には手をつけることはないので罪悪感はない。けれど、だからだろうか、自分のお金だと思うと余計に惜しくなるのだ。
このお菓子代のせめて半分でも貯金しておけば。。。その時、改めてそう思った。

ニュースなどで最近しきりに言われている物価の高騰や光熱費の値上げ、また知人の外国人投資家などのボヤキをきいていると、もはや50代の私はバレンタイン商戦にうつつを抜かしている場合ではないということがわかる。
1粒¥700のチョコレートは未来のあるお若い方にお任せし、私は老後に備えてお金の遣い方にも慎重になろうと思ったのである。

今後はリーズナブルで美味しいお菓子を探すことにしようと、そんなチョコレートを楽しみながら改めて思ったバレンタインデー前夜なのだった。。。