In other words

I really don't know life at all ...

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「今どきの若い人は…」と、若かりし頃、絶対になりたくなかった大人になっていた件。

自分が「大人」と呼ばれる年齢になったと自覚するまで、ずっと大人が嫌いだった。一生大人になどなりたくないと、子供の頃からずっと思っていた。
学校で「将来の夢は?」という質問を何度も受けてきたけれど、その度に「ずっと子供でいること」などと書いていたくらい、大人にはなりたくなかった。

それは私がとにかく言うことをきかない子供だったせいもあるのだろう。こうしなさいと言われても、はいと言える素直さがなかったのだ。
何かにつけて「どうして?」「なんでなの?」と、とりあえずは口にして、あわよくばやりたくないことを回避しようという、少しばかりズル賢い子供だった。

私が「どうして?」と問うたびに、大人はいつだってわけ知り顔で、もっともらしいことを自己満足さながらに語る。
あれこれと語られれば語られるほど、疑心暗鬼になり、ますます背中を向けたくなったものだ。

どんな時代においても、若者はその時代の最先端にいる。大人はなんとかその変化に順応しようと努力はしているけれど(しない人もいると思うが)、同じ速度で走り続けることは難しい。

そのせいで、時代に乗り遅れたことにすら気づかないことがある。
時代は変わっているのに、老いのせいかその価値観が過去のものとなったことにも気づかない。
そして「あの頃は今よりももっと大変な時代だった」などと的外れな比較をした挙句に「苦しかった自慢」を始めたりするのだ。

求めてもいないありがた迷惑なアドバイスを散々聞かされた挙句、最後には「あなたも大人になればわかるわよ」というお決まり台詞で陶酔の幕を落とすのである。

そんな中で出てくる「今の若い人は。。。」という言葉は、かつてどれだけ聞かされたかというほど満開の花盛りだった。桜のようにパッと潔く散ってくれれば多少は響いたのだろうけれど、一年中花盛りでは面白みも半減だ。

とにかく、大人が「あなたのためよ」と、ご親切にしてくれる助言という説教を聞かされるたび「大人にはなりたくないなぁ。。。」と思っていたのだ。


先日、同じ50代の友人達とランチ会を開き、楽しくお喋りに花を咲かせたのだけれど、ふと気づいた。。。

ちょうど日本経済の傾斜は救いようのないところまできた!という、お金の話をしている時だ。

「若い人にもっと頑張ってもらわないと」という言葉に、他の人が「でも、今の若い子達は弱いから期待薄ね」と言った。
それを皮切りに、「今時の若者は、忍耐力がない」「根性がない」「野心がない」「覇気がない」と、「今時の若者は」という言葉の花を満開に咲かせたのだ。

そして、私自身もそれに意を唱えることなく、完全に共感して言葉を重ねていたのである。

かつて自分がなりたくなかった大人に、しっかりとなっていたと自覚した瞬間だった。

歳のせいで物忘れが酷くなったのか、かつて自分が通ってきた道はすっかり忘れている。。。



外国人である夫がよく家でオンラインミーティングをしているのだけれど、先日もオジサン達がこぞって「今の若い人は」という言葉を連発していた。
このオジサン達はみんな外国人の50を過ぎた、経営者なりそれなりのポジションを持っている方々だ。
そんな外国人のオジサン達でさえも「今の若い人たちは」というワードを連発するということは、この「老化現象」はどうやら全世界共通のようだ。
興味深い。。。

私の場合しっかりと神経を研ぎ澄まして聞いていないと、英語が頭に入ってこない。難しいビジネス用語など専業主婦の私にはわからないのだけれど、「今の若い人」の話題になると、全集中して耳を傾け、オジサン達の嘆きに聞き耳を立てる。

「少し仕事がハードになると労働基準がどうのと言う」

「少し厳しい物言いをしただけでパワハラだと騒がれる」

「報酬アップと休暇の要求はセットでやってくる」

これらは人材育成の難しさに関して出てきた言葉だ。

どこのオジサンも若手の扱いに疲労困憊している様子だった。

私のように何十年も家庭におさまっていると、社会の変化には無頓着になる。もちろん子供達を育てる中で、今の子供達と昔の子供達の様子は大きく変わったと実感していて、それに伴い環境や社会情勢が変わっていることくらいは気づいている。

自分の子供達を見ていても、若いのになんだかゆるゆるとしているなと感じる。
寝る間も惜しんで好きなことに邁進していた自分の若い頃に比べると、なんとものんびりとしているのだ。

世の中が便利になった分、頑張る必要がなくなったからだろうか?
頑張ってもその見返りが少ないとわかっているから、頑張るだけ損だと思うのか、はたまたこの世知辛い世の中に疲弊しているのか?

理由はよくわからないけれど、若いのだからもっとガツガツしていてもいいのに。。。などと思うことがよくある。



先日も長女から近所にできたサウナがよかったから、こんど一緒に行く?と誘われた。
現在は空前のサウナブームらしい。サウナのみならず、温泉なども若い人の間で人気だ。

私のイメージからすると、それらはかつておじさん、おばさん達の行き着く先だった。
疲れた身体と心を癒すために、のんびり温泉に浸かり、美味しいものでも食べてこようといった感じだ。
私もアラフィフの歳になってから、そんな旅を好むようになった。

それまではどこか旅へ出ても、お宿でのんびりすることはなかった。新しい土地へ出かけたのなら、あれも観たいこれも観たいと貪欲に動き回っていた。

仕事も遊びもかなり忙しかったけれど、寝る時間を削ってでもさらに好きなことを楽しもうと躍起になっていたのだ。
ただ、遊ぶためには時間だけでなくお金も必要だ。
働いたらその分だけ美味しい思いができた昔と、日本経済の傾きを無視できなくなった今を比較するのは無理がある。

納税額や物価を考えると、今はそんな風に遊んでばかりでは先行きが不安になるのはわかる。それは我々中年も若い人も同じだろう。
自分の将来を考えたら、呑気に遊んでばかりはいられないと思うのが普通なのだろう。
そんな中、必死に自分の暮らしを充実させようと思えば、いかに若い人でも疲弊する。
温泉やサウナが流行するのも、時代に合った「遊び方」の一つなのかもしれない。

そんな風に理解しているつもりでいても、ついつい「若い人は。。。」とかつての自分達と比較し語ってしまう。

失った若さを羨んでみるけれど、それはもう絶対に取り戻せないものだとわかっている。だからこそかつて自分が謳歌した若さを邂逅しては、その輝きに再び浸ることをしたくなるのかもしれない。

自分の思い出だけに浸っていればいいものを、嫉妬かもどかしさからか、ついつい「今の若い人は」と比較することで自己満足を得ているけれど、若者にとったらとんだとばっちりだ。

自分だけはそんな大人にならないと思っていても、それを忘れてしまうのが大人になるということ、そして歳をとるということなのかも知れない。

誰もが「なりたくない大人」になるという可能性があるということだ。
かつての私のように、「絶対にあんな大人にはなるまい」と思っている若い方々も、30年後にどうなっているかわからない。時代は変わり今ある価値観はその時代にそぐわないものとなっているだろう。しかしそんな変化に気づかず、「今時の若者は本当の大変さがわかっていない」などと言っているかもしれない。

何事も繰り返されるのがこの世の常だ。心しておかないと、なりたくなかった大人になってしまった自分にショックを受けることだろう。。。

わかっていながらも、私は相変わらず子供達相手に、「若いのだからもっと色々なことを経験しようと思わない?いまの若い人は。。。」と口にしてしまうのだった。。。

ただ、これはすべてのおじさん、おばさんがそうであるということではない。中にはその辺りをしっかり理解している人も多いだろう。
ただ、そんな「大人」が私も含めて多いのは肌感覚として事実であるのは間違いない。

ああ、嫌だ。。。