In other words

I really don't know life at all ...

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X(旧Twitter)が好きではないのに続けている理由。ブログをやめられない理由。

たまに忘れてしまうこの3rdブログの存在。
気付けば最後の投稿は6月…
なんと4ヶ月もの間放置状態だった。
しかし消滅はしていない。こうしてまた、気まぐれに舞い戻ってきたりもするから(笑)

昨年の夏から本格的にX(旧Twitter)をはじめるようになったのだけれど、三つのブログでさえキャパオーバー。さらにもう一つXが増えた事で、完全にどこかが抜け落ちてしまうようになった。
自分はまだまだマルチタスクだと思っていたけれど、歳とともに、また長きに渡る専業主婦生活で、完全に処理能力は皆無となっていたのだった…

Xはブログと違って文字数制限があるせいで逆に簡単にポストできてしまう。手軽ゆえにブログを書くよりはハードルが低いと感じて、ついつい面倒なブログは後回しになっていたのだ。
いつものように。。。

ただ、正直言ってしまうとXは好きではない。
Xに限らずSNSとはすこぶる相性が悪いのではないかとすら思っている。

結局のところブログも同じなのだけれど、その匿名性ゆえに実際の人物像とはまるで乖離した姿が垣間見えたりすると、ちょっと気味の悪さを感じてしまったりするのだ。

私はよく百貨店催事に行くのだけれど、そこでお菓子関連のフォロワーと思われる人物を見かけることがある。
人によっては顔は出さないものの、自撮りをポストしたり、時差なし投稿などをする方もいるので、なんとなくわかってしまうことがあるのだ。

先日も某催事でお菓子を買おうと順番待ちをしていたところ、そんな方がすぐ近くに立っているのに気付いた。

いつもかなりお上品。言葉の使い方もいささか大袈裟というくらいにかしこまり、どこぞの有識者かと思われるような物言いに、どんな上級国民かと思っていたものの…
初めてその方を見た時、たいそう驚いたものだ。

まるで手入れされていない色の抜けた乾いた髪にくたびれた靴を履き、ボソボソと話すような暗い感じで、やはり今回も印象は同じだった。。。

私は髪の毛と靴の手入れが行き届いていない人を見ると、ものすごい嫌悪感が湧いてくる。これは自分自身の問題なのでそれが悪いとか良いとかそういうことではない。
ただ、私自身が人を見る基準が髪と靴なのだ。
これは人によって様々であると思う。例えば手や爪が汚いや食べ方、話し方など、その人物が自分にとって合うかどうか判断する上での基準のようなもので、私はNGだからと言って人間的にどうとかいうお話ではない。
とにかく私は髪と靴が気になって仕方ないのだ。

高価な身なりなどは必要ない。たとえ安価なものを纏っていても、清潔感が感じられるならそれでいい。だだ、髪と靴だけはダメだ。その汚さは清潔感のなさを顕著に表しているように感じてしまうのだ。

X上ではあんなに威勢がいいのに、お店の方が何を言ってもボソボソ…そんな様子にもびっくりさせらた。

最初はまさかね…と、これは別人⁉︎と思ったのだけれど、足を運ぶ催事やお店がことごとく重なるため何度かお見かけし、ポストする内容からもその人で間違いないと確信したのだ。

余計なお世話ではあるが、そのようにSNS上とリアルであまりにもイメージが違い過ぎると、まるでネット上に虚構の世界を作り上げているのかと、そんなところに気味の悪さを感じるのだ。

ちなみに逆パターンもあり、それが思いもよらずお洒落なきれいなお嬢さんだったりすることもある。
そんな時は「あら素敵…あんなにお菓子を食べているのに痩せていて羨ましい!」などと、こっそりと眺めている(笑)



もう一つ、SNSが好きになれない理由がある。
私の場合はフォローはほとんど食に関するアカウントなのだけれど、とにかく同じようなものばかりがタイムラインに流れてきて、またこれか。。。と正直うんざりしてしまうのだ。
特に人気の催事がある時などは顕著で、これだけみんな同じものを求めていれば、あちらこちら行列になるのも納得だなと思うほどである。
本来なら情報収集の良きツールとなり得るものなのに、なんでこう同じもの同じ感想ばかりが流れてくるのか…
まるでSNSの情報によって人の動向が決まっているような感じだ。

もちろん私も見ていて「これは美味しそう」と思うことはよくある。
長時間並んでまでは買いに行かないけれど、簡単に買える機会があればそんなものを手に取ることもある。それが信頼している相互さんのお勧めであったりすれば尚のこと、ちょっとお味見したいなと思ってしまうのだ。
ただ、片っ端からSNSで話題になっているものを躍起になって食べまくるようなことはさすがにしない(笑)

娘達とそんな話題になると、オタクというのはどこの世界でもそんなものじゃない?と言う。
お金も時間も可能な限り、自分の好きに使うものだと。。。

それも納得でSNS上では2時間並んだ、3時間待ったなど日常茶飯事、さらに一度の買い物で何十万円使っているの⁉︎と驚くことも少なくない。
これが宝石でも買うのなら別なのだけれど、たかがお菓子にそれほどの時間とお金を費やすとは、ケチンボな私には考えられない。
常に「時は金なり…」と頭の中で唱えている私にとっては、お金はともかく時間がもったいないと感じてしまうのだ。

それもまた余計なお世話なのだけれど、問題はそんなものが日々目に入ってくると、なぜだかとてもうんざりしてしまうのだ。
Xを始めて最初の頃は物珍しさからよくのぞいていたものだけれど、今は自分がポストする時くらいしかXは見なくなった。

元々お菓子に関してはSNSで情報収集するより、友人知人からの口コミや実際に店舗へ足を運んで選ぶことが多く、ネット上の情報はあまり当てにしていないのでそれで問題はない。

もう一つ、これは自戒を込めてのことなのだけれど、行き過ぎた美味しい表現やジャッジメンタルな物言いにも抵抗を感じてしまう。

「凄まじい美味しさ!」(どんだけ⁉︎)
「美味し過ぎて震えた」(本当に震えたの?)
「実に素晴らしい見事な仕事」(職人さんですか?)
「その美味しさに打ちのめされた」(大丈夫か?)
※()は私の心の声。

まるで天地がひっくり返るかと思うほどの美味しさを語るのを見るたび、なんという美辞麗句かと失礼ながら笑いが出てしまう。
なぜならそんなもののほとんどは、普通に美味しい…それくらいのものが多いからなのだ。
ごく稀に「これがそんなに美味しい⁉︎」と思うようなものもあるけれど(笑)

美辞麗句ポストは概して人気のお店や歴史ある老舗など、一般的に「すごい」と言われているお店のものが多い。
そうしたお店のお菓子が美味しいのは承知、歴史ある老舗なら尚のこと、その年月がそれを証明してくれている。
それを今更何をそんなに大袈裟に騒ぎ立てるのか。しかも素人が味の蘊蓄など書き連ねていたりすると、あまりに滑稽だなと苦笑いが出てしまうのだ。

ちょっと毒舌が過ぎたか…
そう思いながらも、かくゆう私も然りの自戒を込めての発言であり、今はそれが本当の気持ちなのだ。



「人の振り見て我が振り直せ」ではないけれど、少し前に自分も同じようなことをしていたことに気付き、非常に恥ずかしい思いを抱いたものだ。
ブログでもXでもお菓子の紹介のようなポストをしているのだけれど、まるで公式かと思うような文言を並べて、「貴様は一体何様だ⁉︎」と思わず自分でツッコミを入れてしまいそうになった(笑)

そのお店のお菓子がどんなに好きでも、ただの客であることには変わりなく、宣伝さながらのポストをするのもおかしなものだなと思いはじめ、お菓子に関する蘊蓄語りは一切するまいと決めた。

また、自分のそれと同じような構成のポストを見ると、天邪鬼ゆえ似ていることが途端に居心地悪くなったり。。。
但し、それは自分の心の問題なので、自分が変えればいいだけ。相手に私と同じにはしないでというのは傲慢なことだと思っている。
心地悪いのなら、自分が変えることで解決できる。

しかし決してネガティヴなことだけではない。
例えば逆に自分がどんな相互さんたちに好感を持っているかと言えば、やはりSNSの情報に振り回されることなく、我が道を行く人なのだ。
たとえ「いいね」がつかずとも、自分の好きなものを日々楽しんでいる、そんな人のポストは見ていてとても興味深いものだ。
ほんの数人、片手で数えられる程度しかいないけれど。。。

とにかくそんな幾つかの理由により、SNSに関しては自分の性格上、非常に相性が悪いものだと感じている。
常にいつやめようか、もう半年くらいそう考えているくらいだ。
ついでに何の発作か病気か、ブログもなにもかも全てやめてリセットしてしまいたいなとよく思う。

それでもやめないのはなぜか?

自分でもよくわからず、惰性でやっているところはあるのだけれど、それ以外にも「やめようか」と呟くたび(発作)、「楽しみに見ているのでのんびりでも続けてみては?」など温かい言葉をくれる相互さん達もいるからというのもある。
私も人の子、楽しみしていますなどと言われれば嬉しくなるものだ。
単純なのでそこで、それならもう少しやってみよう!などと調子付いたりするだ。

そんなこんなでズルズルやっているうちに、なんの気無しにポストしたネタが何度か万バズしたりで、意図せずXのフォロワーがどんどん増えていっている。
通知欄が途端に賑やかになると、元来の面倒くさがりが顔を出し、ますますXを見る気がしなくなる。しかし、せっかくここまでやってきたのだからという無意味な執着が生まれやめる機会を逸してしまうという感じなのだ。

それはブログも同じ事で、最初のお菓子をメインとしたブログを始めてから、今年で9年目になる。
9年間毎日のように書いてきたブログをあっさりと削除してしまう勇気が出ないのだ。
これも執着というものなのだろうと思う。

もう少し歳をとってから、再びブログの楽しさを思い出し、「あの時やめてさえいなければ…」など後悔するようなこともあるかもしれない、そう思うと踏ん切りがつかないのだ。



決してミニマリストではないけれど、常に身軽でいたいと思い生活している。それはハード面だけではなくソフトも同じ。
何かに執着すると途端に何かしらの自由が阻まれることになるので、なるべく物事への執着はしないようにと心している。
しかし長く生きていると、それが澱のように溜まり、極端な事を言えば泥沼に足を取られたような状態になるだ。

そこで楽しくもがければ、それもいいではないかと思えるのだけれど、時に苦痛を感じたりすることもあり、そうなると途端に逃げ出したくなるという。。。

こんな事をつらつらと書いている事自体時間の無駄だと思いながら、なおもブログに執着するのは、きっと時間があり過ぎるというのも理由の一つなのだろう。

仕事もしておらず、子育ても終わったため、毎日家事はするものの、一日のほとんどが自分で自由に使える時間だ。

人並みに山あり谷ありの暮らしではあるけれど、とりあえず食べることには困らず、好きなことができるので今の暮らしに不満はない。
夫や子供達も私が何をしていようが、「とりあえず健康に気をつけて機嫌良くやってください」という感じなので、大変恵まれているとも思っている。

いつも「足るを知る」と家族にも口を酸っぱくなるほど言っているのに、私自身がもっと新しいもの、正確に言えば変化のようなものを求めているのかなとも思う。

何事も欲張りはいけない。
我が家の家訓「Don't be greedy 」(欲張るな)のとおり、今あることに満足し楽しく過ごすことが、結局は一番心の平穏になるのだ。

SNSもブログも本当にやめたいと思ったらいつでもやめることはできる。それならば迷っている間は続けていってもいいかなと、今はそんな心境だ。

4ヶ月ぶりに戻ったと思ったら、なんだか不満たらたら投稿で、「あらいやだ…」と自分でも呆れてしまうのだけど、せっかく6500字以上も書いたのだから消しはしない(笑)

このブログに関しては、また忘れて長らく投稿できない可能性もあるけれど、メインブログや2ndブログでは書かないような、どうでもいいボヤキを吐き出す場所として、なくてはならないとまでは言わないけれど、あればそれに越したことはないくらいの役割はあるだろう。
そんなわけで、とりあえず今後も継続していくつもりだ。