
その土地に呼ばれる…
そんな言葉を耳にするたび、一度でいいから呼ばれてみたいものだと思っていた。
旅は好きだけれど、いつも呼ばれるではなく、勝手にこちらから押しかけるというのが常で、行きたいところは自分で選ぶ…すなわち美味しいお菓子のあるところというのが、私にとっての旅だった。
昨年の終わり頃からだろうか、なぜかわからないけれど、頭の中に「出雲大社には一度行かなければ…」そんな思いが頭の中に頻繁に浮かぶようになった。
出雲といえば、寝台列車のサンライズ出雲での旅は楽しそうだと以前調べてみたことがあったのだけれど、そうそう簡単にチケットが取れる訳でもないと知り、いつもの面倒くさがりが顔を出し、あっけなく諦めてそれきりになっていた。
しかしここまで出雲、出雲と思い浮かんでくるのだから、これはやはり行くべき?と、今一度チケットをゲットすべくサンライズ出雲のチケット争奪戦にトライしてみたものの、予想通りダメだった。
やはり出雲は遠い、また今度にしようか。
そう思ったとき、夫からあるリゾートの宿泊券をもらった。
調べれば出雲大社からほど近い風光明媚な場所にも宿泊券の使えるホテルがあった。
正直言えば、あまり好みの系列ホテルではなかったのだけれど、宿泊費が無料となれば話は別だ。
この宿泊券を使って、出雲へ行ってみようかとホテルの予約サイトを見ると、ちょうど行けそうな日程で空きがあり、すんなりと予約が取れてしまったのだ。
こうなったら、何がなんでも出雲へ行かねばならない。
次は交通手段だ。サンライズ出雲は見事に玉砕したので、残るは飛行機で出雲空港へ降り立つか、新幹線で岡山まで出てそこから特急やくもで出雲まで行くかだ。
飛行機の方がずっと早い。普通なら飛行機で行くべきたけれど、搭乗前のチェックインやら荷物検査など一連のプロセスがどうも面倒に感じてしまう。
そう思ったら、時間はかかるけれど新幹線と特急を乗り継いでの列車旅の方がいいように思えた。
昔から列車の旅は好きだった。車窓から普段見ることのない景色を眺めたり、本を読んだり、うとうとと居眠りをしたり。。。
列車の旅を退屈だと思ったことはない。
移動でほぼ丸一日とられてしまうというデメリットはあれど、移動もまた旅の楽しみと思えば気にならなかった。
家族の誰かが猫の世話さえしてくれれば、帰る日を決めずに気ままな旅をするくらいに時間はたっぷりある。
東京から岡山までは東海道・山陽新幹線で3時間20程度。そこから特急やくもで出雲市駅まではさらに3時間と少し。
約6時間半程度の旅だ。
途中岡山で1時間程度休めば、問題ないだろうと、とりあえず行きのチケットだけ確保することにした。
長旅ゆえ移動は全てグリーン車に限定した。
若い頃は同じ目的地に行くのならお金などかける必要はないと思っていたけれど、この歳になると「疲れない」ことが重要になる。
いかに快適に体に無理なく旅を楽しむか。それを考えると、移動にお金をかけるのも決して無駄ではない。
簡単にスケジュールを決め、都合のいい時間帯のチケットをネットで探してみると、丁度いい時間の席が空いていた。
運がいい時というのは、なんでもとんとん拍子に運ぶもので、あっという間に出雲への往路とホテルの手配が済んでしまった。
その土地に呼ばれている時というのは、何もかもがトントンと整うというけれど、まさにそんな調子で出雲大社詣の旅が現実となった。
この旅では勢いづいて、出雲のみならず他の街にも立ち寄り、その過程では些細なことではあるけれど、普段では体験できないようなこともあったりと、なかなか興味深い旅となった。
冒頭の「土地に呼ばれる」ということに関しては、正直なところわからない。
まったく興味のなかった所ではないし、もしかしたらずっと昔から頭のどこかで「いつか…」と思っていたのかもしれない。
旅の手配が順調に進んだのも、閑散期の平日を選んだおかげでもあるだろう。
それでも、東京に戻ってみれば、なにか一仕事終えたような、すっきりとした気分になったのは、やはり私にとっては、「いま行っておくべき土地」だったとも言えるのだろう。
何事も物は考えようだ。自分から押しかけたと思うよりは、神様から呼んでいただいた。
そう思うことにしたい。