In other words

I really don't know life at all ...

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言葉を文字にする音声入力機能は便利か否か。実際に記事を書いてみた。

ブログを書くときは、いつもスマホを使用している。小さな文字盤に人差し指を置き、フリック入力でサクサクである。

私にとってそれは全く苦になることではないのだけれど、夫にとってはかなり面倒に思えるらしい。それと言うのも夫は常に音声入力を使用しているからだ。

「わざわざぴこぴこ指を動かさなくても、ただ話すだけで文章が入力できるんだから、それを使わない手はないでしょう」などと、鬼の首でも取ったような顔をして言う。

それならどんなものかしら?と、私もやってみることにした。

実際、このブログ記事は音声入力によって書いている。
自分でやってみると、正確性も問題なく、入力も私のフリックと同じくらいのスピードはあるようだ。
夫がお勧めするのもまぁ納得ではある。

自分で好きなことを話し、それがそのまま記事になると言うのは、それはそれで便利なものではあるのだろう。なんでもやってみなければわからない事はあるので、こんな方法もまた試してみる価値はある。
実際にやってみると、使ってみても良いのではないかなとさえ思う。
ただ懸念点としては、こんなことをしていたら普段ほとんど使わない脳を、さらに怠惰にさせるのではないかということだ。
一応将来的にこのブログの目的もボケ防止になるはずなので、少し心配になってくる。

考えるという点では一緒。ただ口を使うか指を使うかその違いだけなのだと思うけれど、よくボケ防止には指先を使えなどと言うから、考えながら指先を使った方が、実際は脳を使うことに貢献しているんではないかと、思わないでもない。その辺脳の専門家でもないので、何とも言えないのだけれど、あまり簡単すぎるような気がしてならない。。



これは私がいまだに昭和脳のせいだろうか。
より簡単にスピーディーに、余計なアクションを省いた効率化を図る、それが今の世の中の流れなのだろう。
その流れに乗れないものは、どんどん淘汰されていくのだろうか。
しかしなんでもかんでも効率化すればいいというものでもない。またそう考えるのも、私が昭和脳の上に天邪鬼のせいかもしれないけれど。。。

そもそも、スマホの登場によって、私たちの生活は大きく変わった。これはスマホのみならず、タブレットやパソコンを使用するという点では同じだ。

個人的なことに限って言えば、スマホのない時代と比較すると、時間の使い方が全く変わったと言ってもいい。
ただ、単に情報を収集するという点では非常に便利ではある。オピニオン的な事以外で一般的なインフォメーションを得るという点では、スマホは非常に便利で、どこにいても外出先であっても、ちょっと検索をすればすぐにその情報が得られる。これは非常に便利なことではある。そして天邪鬼な私でさえも多用している。

例えば、あるお店のお菓子を買いに行きたいと思うとする。スマホのない時代であれば、雑誌の掲載記事を見るなり、番号案内で連絡先をゲットして問い合わせたりと、なかなか手間も時間もかかったものだ。
それが今は家のソファーに寝転がったまま、人差し指一本使うだけである。

普段「時は金なり…」とうるさいほど言っているのだから、この時代の変化を喜ぶべきは私なのだ!



慣れないせいなのだろう。なんだかとっても疲れた。心なしか文脈もおかしい…

これなら自分の指先でフリックフリックして書いた方が楽な気がする。多分音声入力も普通にフリック入力するのも脳を使うという点では変わらないような気がする。
ただ音声入力の場合は考えるということを、ことさら意識しながら書いているような気がする。自分の指でフリックフリックしているときは、考えることと、書くことのスピードが同じでよりスムーズな気がする。
しかし、不自由ながらもこれを続けていれば、もしかしたら音声入力の方がずっと楽じゃないかと思える日が来るのだろうかとも思う。ただ、そこまでやる根拠があるかどうかわからない。

トグル入力からフリック入力に変えたときのような不自由さを感じつつも、それを継続していくことによってやがて慣れ、そちらの方が楽になるというパターンもあるから、試してみる価値はあるのかもしれない。
ついつい簡単な方、慣れた方に手を出しがちだけれど、せっかく備わった便利な機能ならば思いっきり活用し、さらにブログを書きまくる。それもいいかもしれない。
きっと慣れれば、自分の指でフリックフリックするよりも、ずっと早くブログ記事を書き上げることができるだろう。そして、誤字脱字などちょっとした記入ミスからも解放されるかもしれない。

ただ、この音声入力も万能ではない。日本語というのは同じような意味を持つ漢字がたくさんある。自分がこっちの漢字を使いたいと思っても違う漢字が表示されたりする。
そう、今まさに「感じ」と表示されるけれど、私が描きたいのは「漢字」だ。
ほら、また「書きたい」と「描きたい」がごっちゃになっている。
一気に音声入力をして、最後に推敲することが必要という点では、多少なりとも自分の脳を使うことになるということだ。
それならば書く楽しみという点でも、全くの無ではなさそうだ。

完成されたものはつまらない、そう感じる私にも、これは多少興味を持つ要素になる。
何事も自分で実際にやってみないとわからないものだ。
もしかしたら、音声入力いいかもしれない…



文明の力に頼ること、すなわち時代の流れに乗ることはよりよく生きていくための一助にはなることだろう。
なんでもものは使いよう、適材適所自分に合った使い方ができればそれに越した事はない。
慣れているからといって、いつまでも古いやり方に固執していては損をするばかりか、自分の成長という点でもマイナスになると思っている。

20代のネット環境下で育った子供たちと一緒に暮らしていると、時にアナログな私は笑われたりする。そこで腹を立てるのではなく、では何ができるのかと向き合うことで新しい世界を垣間見ることができる。
一定期間トライしてみて、これは自分にとって具合が悪いと思えばまた元に戻せばいい。
もしかしたら音声入力に慣れて、こちらの方がずっと効率的だ。ずっと使いやすい!そう思う可能性だってある。

いくつになっても柔軟性は必要だ。ネット環境下の生活を続けると、考えることをしなくなるためよくないなどということも聞く。けれど、私のような年代になれば、これもまた頭の運動になるのかもしれない。


これからいくつか音声入力で書いてみようかな…
それにしても、疲れる…
今日のところは、この辺で終わり。