In other words

I really don't know life at all ...

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X(旧Twitter)が好きではないのに続けている理由。ブログをやめられない理由。

たまに忘れてしまうこの3rdブログの存在。
気付けば最後の投稿は6月…
なんと4ヶ月もの間放置状態だった。
しかし消滅はしていない。こうしてまた、気まぐれに舞い戻ってきたりもするから(笑)

昨年の夏から本格的にX(旧Twitter)をはじめるようになったのだけれど、三つのブログでさえキャパオーバー。さらにもう一つXが増えた事で、完全にどこかが抜け落ちてしまうようになった。
自分はまだまだマルチタスクだと思っていたけれど、歳とともに、また長きに渡る専業主婦生活で、完全に処理能力は皆無となっていたのだった…

Xはブログと違って文字数制限があるせいで逆に簡単にポストできてしまう。手軽ゆえにブログを書くよりはハードルが低いと感じて、ついつい面倒なブログは後回しになっていたのだ。
いつものように。。。

ただ、正直言ってしまうとXは好きではない。
Xに限らずSNSとはすこぶる相性が悪いのではないかとすら思っている。

結局のところブログも同じなのだけれど、その匿名性ゆえに実際の人物像とはまるで乖離した姿が垣間見えたりすると、ちょっと気味の悪さを感じてしまったりするのだ。

私はよく百貨店催事に行くのだけれど、そこでお菓子関連のフォロワーと思われる人物を見かけることがある。
人によっては顔は出さないものの、自撮りをポストしたり、時差なし投稿などをする方もいるので、なんとなくわかってしまうことがあるのだ。

先日も某催事でお菓子を買おうと順番待ちをしていたところ、そんな方がすぐ近くに立っているのに気付いた。

いつもかなりお上品。言葉の使い方もいささか大袈裟というくらいにかしこまり、どこぞの有識者かと思われるような物言いに、どんな上級国民かと思っていたものの…
初めてその方を見た時、たいそう驚いたものだ。

まるで手入れされていない色の抜けた乾いた髪にくたびれた靴を履き、ボソボソと話すような暗い感じで、やはり今回も印象は同じだった。。。

私は髪の毛と靴の手入れが行き届いていない人を見ると、ものすごい嫌悪感が湧いてくる。これは自分自身の問題なのでそれが悪いとか良いとかそういうことではない。
ただ、私自身が人を見る基準が髪と靴なのだ。
これは人によって様々であると思う。例えば手や爪が汚いや食べ方、話し方など、その人物が自分にとって合うかどうか判断する上での基準のようなもので、私はNGだからと言って人間的にどうとかいうお話ではない。
とにかく私は髪と靴が気になって仕方ないのだ。

高価な身なりなどは必要ない。たとえ安価なものを纏っていても、清潔感が感じられるならそれでいい。だだ、髪と靴だけはダメだ。その汚さは清潔感のなさを顕著に表しているように感じてしまうのだ。

X上ではあんなに威勢がいいのに、お店の方が何を言ってもボソボソ…そんな様子にもびっくりさせらた。

最初はまさかね…と、これは別人⁉︎と思ったのだけれど、足を運ぶ催事やお店がことごとく重なるため何度かお見かけし、ポストする内容からもその人で間違いないと確信したのだ。

余計なお世話ではあるが、そのようにSNS上とリアルであまりにもイメージが違い過ぎると、まるでネット上に虚構の世界を作り上げているのかと、そんなところに気味の悪さを感じるのだ。

ちなみに逆パターンもあり、それが思いもよらずお洒落なきれいなお嬢さんだったりすることもある。
そんな時は「あら素敵…あんなにお菓子を食べているのに痩せていて羨ましい!」などと、こっそりと眺めている(笑)



もう一つ、SNSが好きになれない理由がある。
私の場合はフォローはほとんど食に関するアカウントなのだけれど、とにかく同じようなものばかりがタイムラインに流れてきて、またこれか。。。と正直うんざりしてしまうのだ。
特に人気の催事がある時などは顕著で、これだけみんな同じものを求めていれば、あちらこちら行列になるのも納得だなと思うほどである。
本来なら情報収集の良きツールとなり得るものなのに、なんでこう同じもの同じ感想ばかりが流れてくるのか…
まるでSNSの情報によって人の動向が決まっているような感じだ。

もちろん私も見ていて「これは美味しそう」と思うことはよくある。
長時間並んでまでは買いに行かないけれど、簡単に買える機会があればそんなものを手に取ることもある。それが信頼している相互さんのお勧めであったりすれば尚のこと、ちょっとお味見したいなと思ってしまうのだ。
ただ、片っ端からSNSで話題になっているものを躍起になって食べまくるようなことはさすがにしない(笑)

娘達とそんな話題になると、オタクというのはどこの世界でもそんなものじゃない?と言う。
お金も時間も可能な限り、自分の好きに使うものだと。。。

それも納得でSNS上では2時間並んだ、3時間待ったなど日常茶飯事、さらに一度の買い物で何十万円使っているの⁉︎と驚くことも少なくない。
これが宝石でも買うのなら別なのだけれど、たかがお菓子にそれほどの時間とお金を費やすとは、ケチンボな私には考えられない。
常に「時は金なり…」と頭の中で唱えている私にとっては、お金はともかく時間がもったいないと感じてしまうのだ。

それもまた余計なお世話なのだけれど、問題はそんなものが日々目に入ってくると、なぜだかとてもうんざりしてしまうのだ。
Xを始めて最初の頃は物珍しさからよくのぞいていたものだけれど、今は自分がポストする時くらいしかXは見なくなった。

元々お菓子に関してはSNSで情報収集するより、友人知人からの口コミや実際に店舗へ足を運んで選ぶことが多く、ネット上の情報はあまり当てにしていないのでそれで問題はない。

もう一つ、これは自戒を込めてのことなのだけれど、行き過ぎた美味しい表現やジャッジメンタルな物言いにも抵抗を感じてしまう。

「凄まじい美味しさ!」(どんだけ⁉︎)
「美味し過ぎて震えた」(本当に震えたの?)
「実に素晴らしい見事な仕事」(職人さんですか?)
「その美味しさに打ちのめされた」(大丈夫か?)
※()は私の心の声。

まるで天地がひっくり返るかと思うほどの美味しさを語るのを見るたび、なんという美辞麗句かと失礼ながら笑いが出てしまう。
なぜならそんなもののほとんどは、普通に美味しい…それくらいのものが多いからなのだ。
ごく稀に「これがそんなに美味しい⁉︎」と思うようなものもあるけれど(笑)

美辞麗句ポストは概して人気のお店や歴史ある老舗など、一般的に「すごい」と言われているお店のものが多い。
そうしたお店のお菓子が美味しいのは承知、歴史ある老舗なら尚のこと、その年月がそれを証明してくれている。
それを今更何をそんなに大袈裟に騒ぎ立てるのか。しかも素人が味の蘊蓄など書き連ねていたりすると、あまりに滑稽だなと苦笑いが出てしまうのだ。

ちょっと毒舌が過ぎたか…
そう思いながらも、かくゆう私も然りの自戒を込めての発言であり、今はそれが本当の気持ちなのだ。



「人の振り見て我が振り直せ」ではないけれど、少し前に自分も同じようなことをしていたことに気付き、非常に恥ずかしい思いを抱いたものだ。
ブログでもXでもお菓子の紹介のようなポストをしているのだけれど、まるで公式かと思うような文言を並べて、「貴様は一体何様だ⁉︎」と思わず自分でツッコミを入れてしまいそうになった(笑)

そのお店のお菓子がどんなに好きでも、ただの客であることには変わりなく、宣伝さながらのポストをするのもおかしなものだなと思いはじめ、お菓子に関する蘊蓄語りは一切するまいと決めた。

また、自分のそれと同じような構成のポストを見ると、天邪鬼ゆえ似ていることが途端に居心地悪くなったり。。。
但し、それは自分の心の問題なので、自分が変えればいいだけ。相手に私と同じにはしないでというのは傲慢なことだと思っている。
心地悪いのなら、自分が変えることで解決できる。

しかし決してネガティヴなことだけではない。
例えば逆に自分がどんな相互さんたちに好感を持っているかと言えば、やはりSNSの情報に振り回されることなく、我が道を行く人なのだ。
たとえ「いいね」がつかずとも、自分の好きなものを日々楽しんでいる、そんな人のポストは見ていてとても興味深いものだ。
ほんの数人、片手で数えられる程度しかいないけれど。。。

とにかくそんな幾つかの理由により、SNSに関しては自分の性格上、非常に相性が悪いものだと感じている。
常にいつやめようか、もう半年くらいそう考えているくらいだ。
ついでに何の発作か病気か、ブログもなにもかも全てやめてリセットしてしまいたいなとよく思う。

それでもやめないのはなぜか?

自分でもよくわからず、惰性でやっているところはあるのだけれど、それ以外にも「やめようか」と呟くたび(発作)、「楽しみに見ているのでのんびりでも続けてみては?」など温かい言葉をくれる相互さん達もいるからというのもある。
私も人の子、楽しみしていますなどと言われれば嬉しくなるものだ。
単純なのでそこで、それならもう少しやってみよう!などと調子付いたりするだ。

そんなこんなでズルズルやっているうちに、なんの気無しにポストしたネタが何度か万バズしたりで、意図せずXのフォロワーがどんどん増えていっている。
通知欄が途端に賑やかになると、元来の面倒くさがりが顔を出し、ますますXを見る気がしなくなる。しかし、せっかくここまでやってきたのだからという無意味な執着が生まれやめる機会を逸してしまうという感じなのだ。

それはブログも同じ事で、最初のお菓子をメインとしたブログを始めてから、今年で9年目になる。
9年間毎日のように書いてきたブログをあっさりと削除してしまう勇気が出ないのだ。
これも執着というものなのだろうと思う。

もう少し歳をとってから、再びブログの楽しさを思い出し、「あの時やめてさえいなければ…」など後悔するようなこともあるかもしれない、そう思うと踏ん切りがつかないのだ。



決してミニマリストではないけれど、常に身軽でいたいと思い生活している。それはハード面だけではなくソフトも同じ。
何かに執着すると途端に何かしらの自由が阻まれることになるので、なるべく物事への執着はしないようにと心している。
しかし長く生きていると、それが澱のように溜まり、極端な事を言えば泥沼に足を取られたような状態になるだ。

そこで楽しくもがければ、それもいいではないかと思えるのだけれど、時に苦痛を感じたりすることもあり、そうなると途端に逃げ出したくなるという。。。

こんな事をつらつらと書いている事自体時間の無駄だと思いながら、なおもブログに執着するのは、きっと時間があり過ぎるというのも理由の一つなのだろう。

仕事もしておらず、子育ても終わったため、毎日家事はするものの、一日のほとんどが自分で自由に使える時間だ。

人並みに山あり谷ありの暮らしではあるけれど、とりあえず食べることには困らず、好きなことができるので今の暮らしに不満はない。
夫や子供達も私が何をしていようが、「とりあえず健康に気をつけて機嫌良くやってください」という感じなので、大変恵まれているとも思っている。

いつも「足るを知る」と家族にも口を酸っぱくなるほど言っているのに、私自身がもっと新しいもの、正確に言えば変化のようなものを求めているのかなとも思う。

何事も欲張りはいけない。
我が家の家訓「Don't be greedy 」(欲張るな)のとおり、今あることに満足し楽しく過ごすことが、結局は一番心の平穏になるのだ。

SNSもブログも本当にやめたいと思ったらいつでもやめることはできる。それならば迷っている間は続けていってもいいかなと、今はそんな心境だ。

4ヶ月ぶりに戻ったと思ったら、なんだか不満たらたら投稿で、「あらいやだ…」と自分でも呆れてしまうのだけど、せっかく6500字以上も書いたのだから消しはしない(笑)

このブログに関しては、また忘れて長らく投稿できない可能性もあるけれど、メインブログや2ndブログでは書かないような、どうでもいいボヤキを吐き出す場所として、なくてはならないとまでは言わないけれど、あればそれに越したことはないくらいの役割はあるだろう。
そんなわけで、とりあえず今後も継続していくつもりだ。


手を変え品を変えの詐欺メール、勧誘電話のなんと多いことか。

昔と違って今はほとんど電話でのやり取りということをしなくなった。
電話をするとすれば、昔ながらの和菓子屋さんなどに予約の電話をする時くらいだろうか。
家族ともお友達とも電話での連絡は、よほど緊急の時だけで、ほぼ全ての連絡はLINEを使っている。

それが最近、見知らぬ番号からよく電話がかかってきていた。2度ほど外出中で電話が取れなかったのだけれど、今朝また同じような番号からかかってきた。
こんなに何度も、しかも週末の午前中からどんな用事かと出てみれば、現在契約している携帯電話会社に関連する…とにかく聞いてもよくわからない会社からの電話だった。

そういえば、前にも同じところからかかってきたことを思い出した。その際は若い男性と思われる人で、今回はかなり若い女性のようだった。

どこか遠慮がちに以前聞いた覚えのあるセリフを話し出した。
内容はといえば全く前回と同じで、つまり現在のプランが終了になる、こちらのプランにすれば1ヶ月で3,000円安くなる。
手続きは店舗でもオンラインでも不可。この電話でのみ可能。

そんなところなのだけれど、そもそもすべてネットで完結してしまうと言っても過言ではない今の時代、電話のみでしか契約できないというのもおかしな話だ。

前回も同じように感じてあれこれ質問したのだけれど、こちらが納得するような説明は何一つなく、そちらの情報をもう少し調べてからにしますと言って電話を切ったのだった。



今回もまた一応話は聞いたのだけれど、やはり同じ疑問しか湧いてこない。
詐欺だとまでは言わないけれど、巧妙に大手キャリアの看板を目の前にちらつかせながらの勧誘はどこか釈然としない。

決して意地悪のつもりではなかったのだけれど、どんな会社で目的や相手方のメリットはなんなのだろうと素朴な疑問から、あれこれと質問をしてみた。

契約プランの内容以前に、そちら様はどんな会社?

正式に◯◯◯◯◯◯(携帯電話会社)から依頼を受けての営業電話?

なぜ電話だけなの?

なぜこちらからお問い合わせできないの?

そんな質問をするたび、沈黙、そしてしどろもどろになりながら、お得です!電話でのみと決まっています!と、同じことを繰り返すばかり…
かなり苦し紛れな感じで、この子も会社の命令で嫌な電話をかけているのだろうなと、さすがに電話の向こうにいる女の子が気の毒になってきた。

きたのだけれど。。。

そのうち明らかに不機嫌が声に出てきて、この電話でのみお得な契約ができるのよ!とばかりにかなり慇懃無礼な物言いになってきたので、同情心は泡のようにパチンと弾け、こちらもかなり不快になってきた。

自分の娘ほどの子供を怒鳴りつけるわけにもいかないので、得々とこちらからは一切連絡もとれない、一方的にかけてきた電話でのみ契約可能とは、ずいぶん都合のいいお商売なさっているのね⁉︎と、こちらも慇懃無礼に返し、最後にはそのような勝手な会社とは契約致しません!とお断りした。

一瞬沈黙、そして「わかりました」と女の子は憮然と一言言うと、電話を切った。



その間の通話時間は5分。
なんの生産性もないことに5分も費やしたのだ。
別に忙しい身の上ではないけれど、無駄にしていい時間など1分たりともない。
もう人生の折り返しを過ぎているのだ、登った山を下るだけの人生には、少しでも長くそこに留まるための努力が必要なのである。
そんな詐欺まがいの電話にくれてやる時間はないのだ。

これからは0800からかかってきた電話は着信拒否することにしよう。


電話に限らず、スマホのメールにも訳のわからないメールが毎日大量に入ってくる。

携帯電話会社、銀行、amazon、カード会社、宅急便、とにかく大手の名を語ったところから山ほどの迷惑メールが届くのだ。

それらのメールにはまず宛名がない。メールアドレスが宛名になっていて、◯◯様と個人名の記載がされていないのだ。

つまりは個人に宛てたものではなく、メールアドレスによって不特定多数の人に送られているものだと認識している。

そもそも日本という国は、いまだに超アナログと言ってもいい。ほとんどの大切な通知や手続きは郵送で送られてくるものだ。

もし、万が一詐欺メールでなかったとしても、それほど重要なことならば、また再度何かしらの連絡があるはずだ。

ネットの普及などでより複雑化し、我々若くない人間にとってはまったくわけわからんちんの社会であると実感することも少なくないけれど、実は物事というのはとてもシンプルだ。
これはなに?と思ったときこそ、原則に立ち戻ればいい。
それはごくごく当たり前のことで、まったく難しいことではない。

その原則とは何かといえば。。。

「知らない人とは話さない」

「都合のいい話には裏がある」

「ただで動くのは地震だけ」

私の場合はそんなところだ。



身に覚えのないことには近寄らない、都合のいい話には要注意。
詐欺の目的はお金を騙しとることだ。そのためには人参をちらつかせ、人の欲望を引き出し、気持ちを撹乱する。

今の時代、もう性善説などという日本人にあった美徳は期待できない。悲しいけれど、まずは疑うことが一番初めにやるべきことなのだ。

若い頃、今からもう30年くらい前に、本物の詐欺師に会ったことがある。私が詐欺被害に遭ったと言うのではなく、詐欺を生業としている人に会ったことがあるという話だ。

少し前にNetflixで流行った『地面師たち』というドラマがあったけれど、まさにそんなことをしている人達だった。

その人達と話した後に感じたのは、プロのターゲットになったら、もはや不可抗力だなというのことだった。
現在私のところに湧いてきている詐欺メールや電話などは、数打てば当たるという不特定多数を相手にしたものだ。
しかし自分にターゲットを絞られ、外堀を固められたら、もう手も足も出ないだろう。それほどプロというのは巧妙なものなのだ。

世の中にはなんの罪悪感もなく人を騙し、根こそぎ奪っていくような輩がいる。。。
若い頃にそんな意識を植え付けられたせいか、何事にも疑心暗鬼になってしまう癖がついてしまったようだ。

それもまた今の社会を生きる上では有益な経験であったと思える。
あの出会いは、のちの自分を守るために大いに役立っているのだから、どんな縁も侮れないと思う。

私はお金をすぐに遣ってしまうので、とられて困るようなものはない。
そもそもないものからはとれないのだから、心配はする必要はないのだけれど、騙されたらそれこそ気分が悪い。
頭に来て夜も眠れなくなるくらい悔しがり、免疫も下がり、健康を害することになるだろう。

今は健康を第一なので、その健康を守るためにも、詐欺師の餌食にならぬよう注意しなければと思う。

たった一本の電話で5分も無駄にした!とイラッときたけれど、これでブログ一本書けたのでチャラということで笑って済ませることにしよう(笑)


ショックだった出来事。バター騒動をきっかけにもう働くのは無理と思った件。

昨日、Xのおすすめで「◯◯乳業のバター自主回収」というポストが目に入った。
我が家は外国人(夫)がいるため、とにかくバターの消費量が多い。そのため、お安いものがあれば国産、海外産問わず、そこそこ美味しくいただけるものであれば、まとめ買いしておくことも珍しくない。
定期的に起こるバター不足への備えでもあるからだ。

確か◯◯乳業のバターも冷蔵庫にあったはず。。。
すぐにチェックしてみると、150gの加塩バターが5つあった。
◯◯乳業のホームページに記された自主回収のお知らせページを表示したスマホを片手に、早速製造番号を調べてみることにした。

「どうか該当しませんように。。。」

わざわざ梱包してクール便で送り返すのは、いくら着払いとはいえ面倒である。

しかし残念ながら、5個のうち3個が該当商品であったのだ。

さて、どうしようか?
自主回収ということは、返品するか否かは本人の決断となる。

再びホームページをよく読んでみる。

製造する際のベルト内破損により金属線が混入している可能性があるとのこと。
例えば混入していたとしても、目視できるものであれば取り除けばいいのではないか?とも思う。
これが虫や小動物だったりすると、気分的にかなり気持ち悪いので迷うことはないのだけれど、金属線とはかなり微妙だ。

比較的簡単に目視できる程度の大きさであるなら、使う際に注意して見つけたら取り除けばいけそうな気がする。

そもそも回収該当品である600万個超全てのバターに異物が混入している訳ではあるまい。異物混入バターを引き当てる確率はかなり低いと思われる。
しかし、まったくないとも言い切れない。だからこその自主回収ということなのだ。

ニュース記事などによると混入していた金属線は長さ約18mm、太さ約0.07mmだそうだ。
さすがに見つけるのは難しいのではないかと思った。これが表面に付着していればいいけれど、バターの塊の中に入っていたとしたら、バターを常に塊で使う我が家の場合はほぼ発見は困難だろう。

あれこれ考えた末、ホームページに書かれていたように、北海道の工場へ送ることにした。

今朝、早速3つのバターを保冷袋に詰め、ついでに保冷剤もつけて梱包した。
これが廃棄になるのはなんとも心苦しい思いであったけれど、万が一廃棄処分とならない可能性もあるのではないか?と思い、食品であることも考えて、できる限り丁寧に梱包した。



さて、本題はここからである。

お買い物ついでに近所にあるクロネコさんの営業所へ直接荷物を持ち込んだ。

ちょうど着払いの伝票をもらったところで、もう一人年配の女性が入ってきた。

同じく「着払い、クール便で」と言っている。

思わず振り返り「バターですか?」と尋ねると、「そうなの、たまたま一つ当たっちゃったわ。あなたも?」と。

そんな短い会話の後で、まるで徒競走のよーいドン!の如く、同時に伝票を書き始めた。

お隣の女性はもう70歳くらいだろうか、妙にこなれたテキパキとした方に見受けられたけれど、私の方がずっと若い。
お互い老眼ではあろうけれど、間違いなく私の方が早く書き終わり、営業所のお姉さんに伝票を差し出すだろうと疑うことはなかった。

ところが、先に椅子から立ち上がったのお隣の女性の方であった。

は、はやい。。。

記入する内容はほぼ同じである。
宛先や品名は全く同じ。住所も違うのは番地とマンション名くらいのものだ。
つまりは、その女性の方が処理スピードで優っていたということなのである。

完全なる敗北であった。。。

これには少なからずショックを受けた。

思えば件の女性、見た感じただの主婦という感じではなかった。
入ってきた時からずいぶん小慣れた感じで、初めて訪れた感じには見えなかった。
身なりもかなりきちんとしていたのだけれど、近隣の有閑マダムとは明らかに違っていた。

これ想像の域を出ないのだけれど、ずっと仕事を続けてきた人に違いない。
あのテキパキとした感じは、のんびり主婦のそれではなく、職業婦人をイメージさせるものであった。

考えてみれば、何十年も気を張ってお仕事をしてきた人と、自分のペースでのんびりと暮らしていた人とでは、同じ歳をとるのでも、その取り方はまったく違うのだと思う。

仕事をしていればどんな立場であろうと自分のした仕事に対しての責任というものが生じる。故に頭をフル回転させてミスのないように、効率的によりよい成果を上げるという果たすべき任務がある。

一方、私のような子育ても卒業してしまった無職の主婦はといえば、誰かに気を遣うわけでもなく、作業スピードに縛られるわけでもなく、ただ自分のペースでのんびりと過ごしているのだ。

両者では脳の鍛えられ方も身体の動きも、かなり違いが出るだろう。

一回り近くも年上の女性に負けるとは、自分の能力がいかに劣化しているかを激しく自覚したのだった。

そして思ったのが、「もう働くことはできない」ということだ。
今は老若男女問わず、とにかく働いて年貢を納めよ!という時代だ。
定年退職後もとにかくどんな雇用形態だろうが働けという空気になっている。



働くのが嫌いで働かないわけではない。どちらかと言えば家事や育児よりも仕事の方が好きだった。
しかし子供が産まれてからは、人に預けるのが嫌で仕事はすっぱりとやめた。
性格的に仕事と家事•育児を半々でという生活は無理だったのだ。
夫もまた仕事に全力投球しながら、なおかつ家事の折半などは到底無理だと言い、どうせやるならどちらかを100%で!と、珍しく夫婦の意見が一致したため、以来私は専業主婦となったのだった。

あれから25年になる。途中、知人に誘われてお手伝いで仕事をしていた時期もあったのだけれど、期間限定で半年程度の仕事を2度ほどしただけなので、ほぼ24年間は無職であったのだ。

この25年の間、学校のPTA活動、地域の活動、そして二人の子供のお稽古事や受験関連、さらにはお母様方とのお付き合いと、それなりに忙しくしていた。
仕事でなくても、そんな活動では時に頭も使うし身体も動かすものだ。

しかし3年前、次女が難関である国立大へ晴れて入学したのを機に、私の役割はすべて終わったように感じたのだった。
まだ学費の支払いなどはあるけれど、それは夫の役割だ。

思い返してみれば、子育てはあっという間に終わったようにも感じるけれど、想像した以上に大変ではあった。
その全てから解放されたと思った瞬間から、私の中に少なからずあったあらゆる能力が劣化し少しずつ消えていったのだと思う。

自分でも物忘れはよくするし、考えられないようなうっかりミスも日常茶飯事、判断力や処理能力など仕事に必要なものはことごとく失われている。

こんな状態で仕事など始められるわけがない。
人間その気になればなんでもできる!そう思える昭和世代ではあるけれど、実際に追い詰められでもしない限りは無理だ。

それなりの覚悟がなければ、周りのお荷物となり、業務を滞らせ、迷惑な存在に成り下がるのは目に見えている。
何もできないくせに、「昔は私だって!」とそれなりにプライドもあったりするものだから、余計に始末におえない。
今更苔の生えた昭和のプライドなどひけらかすようなみっともない真似もしたくない。

生活に困ったらそんなことも言っていられないけれど、幸いなことに夫が元気に働いてくれている。
何かやりたいことがあればやれば?という感じだけれど、これといってやりたい仕事があるわけでもない。
それならゆっくりしていれば?と言われるので、今はありがたくそうさせていただいている。

私は贅沢な暮らしなど望んではいない。
物欲もなく、あるのは食欲だけ。
好きなお菓子が食べられればそれで満足な生活なのである。

万が一の覚悟は必要だと思うので、とりあえず英語のブラッシュアップくらいはしておこうと思ったりするのだけれど、なにぶんブログを書くのが忙しくお勉強する時間はない(笑)

ただこれ以上、無能にならぬよう多少の努力はしたいとは本気で思っている。
もはや判断力や決断力などの衰えは自分でも頭を抱えているくらいなので、放置して重症化すれば日常生活に不便が生じることになる。

まあ、そうなった時は何かしらの方法で上手く生きていくことはできるだろうと、これまた昭和世代お得意のバブル脳で、根拠のない自信が支えてくれたりもするのだけれど…。

ブログやXに関しても、もうそろそろやめようか?そう思ったりすることもあるけれど、これも一つの脳トレだと思って、もう少し継続することにした方が良さそうだ。

今日の一件でますます働ける気はしなくなったとショックだったけれど、根が楽天家なので明日になればそんな出来事もすっかり忘れて、相変わらずのんびりやっていることだろう。