In other words

I really don't know life at all ...

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英語の筆記体を義務化というニュースに考えた、いかに脳を活性化されるか問題。


写真は本文とは関係のないイメージ画像で、私宛のお手紙ではありません。

かなり前になるのだけれど、アメリカで筆記体を義務化する州が増えているというニュースを見た。

タイプライター、パソコン、タブレットの普及でいつしか筆記体を使うことが少なくなったとのことだけれど、我々昭和世代では日本でも筆記体は必須だった。

私の年代(50代)では中学1年から英語の授業があり、まず最初にアルファベットを覚えることから始まる。
筆記体、ブロック体の両方を何度もノートに書き込んで覚えたものだ。

幸い小学生の時から洋楽が好きだった事で、英語への苦手意識はなく、むしろ学びたいと思っていたくらいなので、まったく苦にはならなかった。
その後、大人になってからは何十年も筆記体など使った事はなかったけれど、若い頃に学んだ事は柔らかい脳にしっかりと浸透しているせいか、使わずともいまだに筆記体で書けと言われれば書けるし、読むこともできる。

そんな筆記体もいつの頃からか、学校でも学ぶことはなくなっていった。それを知ったのは、長女が小学生になり英語学習の内容を見たときだった。
たとえ使わずとも、存在しているのならたった26文字くらい覚えさせておいてもよさそうなものをと思った覚えがある。
短い時間に多くの単元が押し込まれている状況では、省かれていくのも仕方がないのかもしれないけれど。。。

しかし、世の中、無駄なものなど一つもないというではないか。万人に必要なくとも、誰かにとっては必要であるということもあるということだ。
かくゆう私にとっての筆記体もそんな必要なものであった。

私の場合、夫が外国人のため、夫の両親、そして今は亡き祖母から届く手紙は全て筆記体で書かれていた。
今のように電子メールが普及していない時代は、手紙でのやりとりが頻繁にされていたのだ。
これが難なく読めるのも、あの中学校での学習のおかげといっていいだろう。

一方、私よりも英語力の高い子供達は、筆記体を習ってこなかったため、これらの手紙を読むことができず、私が読んで聞かせていた。

次女は筆記体に興味を持ったので、私が教えたのだけれど、まったく興味のない長女はいまだに筆記体を書いたり読んだりすることができない。

筆記体云々以前に、今はペンを持って字を書くことすら少なくなった。
メモ帳もペンも全てスマホが肩代わりしてくれる。
荷物が少なくなって便利なので、私も数年前からはスケジュール帳やメモ帳、ペンを持ち歩くことをやめ、全てスマホを活用するようになった。
こんな昭和生まれの私でさえもそうなのだから、スマホやパソコンをいじりながら育った年代では、もはや文字を書く機会などほとんどないと言っていいだろう。



日本人にとって英語は第二外国語であるから、筆記体くらい読み書きせずとも不便はないだろうけれど、英語を母国語とする国では若干の懸念も出ているらしい。
そのニュースで取り上げていたのが、歴史的文書、古い公式文書は筆記体で書かれているため、それを読めない人が増えているということだった。
それも必要な人とそうでない人がいると思うけれど、子供達の学習という点で考えればやはり読めるに越したことはないのだろう。

他にも脳を活性化させる役割もあるらしい。
活字体と筆記体では脳の別の部分が使われるため、両方を使うことで脳の活性化がより高まるということだ。

脳が活性化すれば自ずと英語以外のお勉強にも役立つ。
数学での計算はもちろん読解力なども上がり、全般的な学力向上に役立つということで、筆記体復活の動きが出てきているということだった。

そんな単純なことではないと思うのだけれど、これは面倒くさいことをわざわざやれば、それがたとえ筆記体を書くことでなくても、脳が活性化するということなのではないか⁉︎

面倒くさがり屋ゆえ、物事をいかに簡単に済ませるかを常に考え、やらなくてもいいことは極力やらないで済ませようとする。
そんなことだから、私の脳は活性化しないのではないのか?と思った。

まだ仕事をしていた頃や、子育て最盛期はやるべきことが多く、中には非常に厄介でできれば避けたいような事柄も多々あった。
しかし、そんなウェルカムでないことも、やらなければいけないことはどんなに面倒でもそれなりにこなしてはきた。

ところが次女の大学受験が終わった途端に、私には「面倒だけれど、やらなければいけない」というようなことは極端に少なくなった。

いまだ家族から投げて寄越される雑事など、厄介なことはあるけれど、それは以前の比ではない。
たまに夫が仕事関係のことやお役所関連の書類などを翻訳しろとか代筆しろなどと言ってきたり、いきなりお友達を連れてきてパーティーのようなことをしたり。。。また次女も毎週末のように大学のお友達を連れてきては、私に飯炊きおばさんをさせたり。そんな面倒はあるけれど、それも毎日ではない。



仕事もしていない専業主婦なので、時間も自由に使えるし、好きなことをしていれば一日が終わるのだ。
これでは脳も活性化するどころか、どんどん退化していくのではないか?と思う。

自覚症状も著しく、判断力や処理能力が極端に衰えていると日々感じている。
なにかを決めたら即実行!というのが当たり前だったのに、最近は一度決めてもあとからそれは最善なのか?とぐずぐずと悩むことが増えた。

大したことではないのだけれど、例えば百貨店などで面白そうな催事があれば、以前なら初日に駆けつけていた。しかし最近は「初日は混むかしら?」「翌日にあの予定もあるし、疲れちゃうかしら?」などと、先のことをあれこれ考えなかなか「行く」という決断ができない。
結局終わり頃に「やっぱり行っておかなければ!」とギリギリに滑り込んだりするのだから、最初から行けばいいものをと後から必ず思う。

そんなことばかり繰り返していたので、最近はそんな自分の優柔不断さに嫌気がさして、計画はしないことにした。

朝起きて、その時の気分で決めるのだ。
計画したことが実行されないからこそ、悶々とした気持ちになるのであって、最初から計画がなければ実行してもしなくても気分的には変わらない。

自分自身にまるで負荷を与えないことばかり考えているのだから、脳の不活性化はさらに進む。

これではいけない!と思う反面、この歳になってなぜ好き好んで面倒なことに頭を突っ込む必要がある?とも思う。

厄介事が重なるとストレスも増える。私はストレスによって引き起こされる病気は多いと考えているので、なるべくストレスのない生活を心がけているのだ。

過去、大病により二度手術を受けた。その時に「もう二度と身体にメスなど入れたくない!」心底そう思った。
幸いなことに命拾いし元気になったので、とにかく健康でいたい気持ちは人一倍強く、いかなる病気も近づけない努力はしようと思っているのだ。

そのためには常に免疫を上げていくことであると信じている。
しっかりバランスの取れた食生活と質のよい睡眠、いつも朗らかに笑って暮らすこと。これができていれば、とりあえずは大丈夫だろうと、かなり大雑把だけれど、そんな生活を心がけている。

よく眠れるし、よく笑ってはいるけれど、食に関してはとにかく甘いお菓子が大好きで、それが唯一の趣味でもあるから、そこは悩ましいものなのだけれど、昨年暮れの健診でよくない結果が出て、主治医にも注意されたので、お菓子を大幅カットし、同時に食事制限も始めた。
体感的にも次の検査ではまた正常値に戻るだろうと思う。



筆記体のお話からかなり飛躍し、もはやどう軌道修正していいのかわからなくなってきた。。。

とにかく、脳を活性化させるためにはそれなりに負荷をかけることも必要なのかもしない。
しかし、負荷をかければかけたでストレスもかかってくると思うと、そのバランスも問題になってくる。

今はまだいいけれど、あと20年も経てば私も立派な高齢者となる。その時に脳がしっかり機能しているのか、今の安穏とした暮らしの中ではいささかの不安がある。

年寄りなりに常に脳を活性化させるのは必要なことだ。そのためには今のように何も考えず刹那的に暮らしていてはダメな気がする。

ストレスなく脳を活性化させるにはどうしたらいいのか?
いまさら筆記体を繰り返し書くのもつまらない。それならば毎朝写経でもやろうか?
最近はペンを持つことも稀なので、これはいいかもしれない。手先を動かすのは脳の活性化に役立つというし。。。

そこで「脳を活性化させる方法」をネットで検索してみると、なんだかあまり難しく考える必要はないようなのだ。

規則正しい生活や好きなことを楽しむ、人とのコミュニケーションを大切にするとか、なんだか免疫を上げるために必要なことと同じようなことが書かれていた。
また脳を活性化させるためのゴールデンタイムとは起床後の2時間であるらしい。
その時間、私はだいたいブログを書いていることが多い、まだ家族も眠っているので、洗濯機を回しながらコーヒーなど飲みながら、こうしてダラダラと書いているのだ。
これも脳を活性化するために役立っているということか⁉︎

なんだか特別なことなどしなくていいようだ。
人として正しく、楽しく生活していれば、おのずと脳は活性化してくれるのかもしれない。

昨今、なんでもこねくり回し物事を難しく考える風潮にあるけれど、実はそんな難しいことではなく、ごくごく当たり前のことこそが一番の正解なのかと思った。

その「ごくごく当たり前のこと」を日々実践していくことこそが難しいのだけれど、なんとなく今の暮らしでそこそこ脳は活性化している気がしてきた。

とりあえずはブログを書くという日課をこの先も継続していこうと思ったのであった。