In other words

I really don't know life at all ...

Sponsored Link

マウンティングする人との付き合い。金メッキと銅を比べることの愚かさを知る。

f:id:frankie17:20201102134417j:plain

今朝、友人から長いLINEメッセージが届いていた。

若い人の間では、単純に連絡ツールとして活用されているらしいLINEだけれど、我々の年齢になると、まるで井戸端会議でもするような、長いメッセージのやりとりをすることも珍しくない。

これは日記か?というように、日々の出来事を送ってくる人もいれば、悩み相談のような内容のこともある。

今朝届いていたのは、悩み相談というよりは、愚痴やボヤキといった類のLINEだった。

そこには気乗りのしない友達とのランチに行かなければいけない憂鬱な気持ちが切々と綴られていた。

そんなに嫌なら適当な理由をつけて断ればいい。
このコロナ禍なら、尚更断りやすいだろうにと思う。

そう言うのは簡単だけれど、人によっては、断ることができない人もいる。。。

「私なら」会って憂鬱になるような相手とは、最初から約束しない。
緊急事態宣言中にみんなで集まりましょうよ!という招集をかける無神経な人間なら尚更のこと。

本心はそんなところだけれど、「私なら」というのは、ほとんどの場合、良いアドバイスにはならないものだ。

その人は私ではないのだから。。。





ラインを送ってきた友人は、かねてからそのランチのお相手を快く思っていない。
もう何度もその話は聞いているので、よくわかっていた。

気を遣う相手であるとか、マウンティング好きとか、人に対して過干渉であるとか、聞いているだけで、面倒になるような人で、愚痴りながらもよくぞ長年お付き合いをしているものだと、友人の辛抱強さに呆れているのも正直なところ。

しかし、10代や20代の若い子供ではない。私達はもはや50を超えた立派な大人だ。
それしきのことで、人間関係に波風を立てるようなことをする必要もないと思うのは理解できる。

私には無理だけれど。。。


いくつになっても、他人に対して余計なことを言ってくる人は多いものだ。

ネット上でもそうだけれど、どうでもいいことに突っかかってくる人もいるし、リアルでもまた、人の言動にやたらと干渉してくる人も少なくない。

友人のランチの相手もまさにそんな人らしい。

とても幼稚なところでは、着ている服やバッグなどがブランドものではない量産品というだけで、「人からみっともないと思われるわよ」などと忠告してきたりするという。
そのため、着ていく服一つとっても、難癖つけられないかと気を遣うそうだ。

ならばご当人はハイエンドのブランドで全身固めているかと思えば、そういうわけでもないらしい。。。

せいぜい1万円程度のセーターを着ている人が、5千円のセーターを着ている人を見下げるといった具合だ。

それ以外にも、子供の学校についても、公立に行かせるなど考えられないなどと、子供を公立校に通わせる親の前で言うというからすごい。。。

何かというと、「みっともない」という言葉を発するのに、友人は辟易としているのだとか。。。

「みっともない」とは、「見たくもない」が語源になっているというから、その人にとっては、「そんな友達は見たくもない」ということなのだろうか?

余計なお世話だ。
それなら、見なくてよろしい。

しかし、それを言ったら話が終わってしまう(笑)





私も以前、ある集まりで同じような次元の余計なお節介を頂いたことがある。
娘の大学受験について聞かれた際、滑り止めを受けずに本命一本勝負で、もしもダメなら浪人する。
そう言ったところ「女の子で浪人なんてみっともない」と言われた。

「みっともないって、誰が誰に対して?」

そう尋ねたら、「周りの人や世間」という、ありきたりな言葉が返ってきた。

まったくもって余計なお世話である。

「世間様が我が子の幸せを保証してくれるわけではないので、本人の好きなようにさせます」

そう言ったところ、黙ってしまった。
他の方の手前もあったのか、揉めるのが嫌だったのだろう。

「みっともない」も結局のところ自分の思いではなく、世間が勝手に作り上げたものを基準になぞっているだけなのだと思う。


人生はこうでなければ、成功とは言わない。

そんな世間の作り上げたロールモデルを本気で信じて、それを信奉している人もいるのだ。。。

こんな学校を卒業して、こんな会社に就職して、こんな服を着て、こんな店で食事をして、こんな交友関係の中で生きる。

そんな世間の決めた事柄が基準であるなら、なんと無責任で儚いものだろう。

50を過ぎた立派な大人でさえも、そんな幻想を信じている人が多いのが解せない。

そんな人達と一緒にいると、私はモヤモヤしてたまらなくなるのだ。

自分の直接の友人にそのような人はいないけれど、時折友人の知人などという方とご一緒する機会があったりする。
そんな時、運が悪いとそんな人達と同じ時間を過ごすという拷問に遭うのだ。

件の娘の受験に対して、「みっともない」発言をした人とご一緒したときのように。。。

受験のみならず、ことごとく私とは意見が異なることを察知したのか、面倒なことにチャチャを入れてくる。

本当に面倒くさい。。。

ムキになるのもバカらしい、しかし言われるままでいるのも癪だ。

口論をしたところで、その場を白けさせ、他の方にも嫌な思いをさせることになる。

本当に厄介な人種である。

私ごときにマウントを取ったところで、何の得にもなりはしないのに。。。





「マウンティング」という言葉が出てきて久しいけれど、私はこれまでそれを実感したことがなかった。
自分と他人に優劣をつけて、お山の上に立つなどという行為は、砂場で遊ぶ園児のお楽しみだと思っていたからだ。

しかし、大人になっても存在することを知り、ちょっと驚いたと同時に、絶滅危惧種のレアな動物にでも会ったような衝撃を同時に覚えたものだ。

ある人が著名人である知人の話をしだすと、覆いかぶさるように「あら、私の知り合いの友人も◯◯さんなんだけどね」と、追いすがる。

私の履いている靴を見て、「素敵ね」と一人のお友達がいえば、「それ、もっと新しいの出てるわよ。私の友達がこの前買ってたわ」と。。。

受験に関しても、慶應はね、立教はねと、さも自分の子供がそこの学生であるかのように言うのだ。

ここでは必ず東大や京大ではなく、慶應、立教あたりが出てくるのは、勉学のみならずその経済力の誇示も目的としているからだろう。

このような方々は、なぜそんなに頑張るのだろうか?

見ていてとても不思議な気持ちになった。

そこに集っていたのは、富裕層の奥様方がほとんどで、私のような庶民は張り合う気にもなれない。
それよりも、世のセレブとはどんな生活をし、どんなことを考えているかを知る方がよほど楽しい。

そして、そんな富裕層の奥様方は概して自分と他人を比べるようなことはしない。
比べる必要がない人生を幼少の頃から送ってきた人達にとって、マテリアルはそれほど大きな意味を持たないからだ。

一方で人との間に優劣をつけたがる人は、きっと自分がお山の下の方に位置付けされるかもしれないという危機感をいつも抱えて生きているのだろう。

話を聞いていて思ったのは、他人事が気になり、常にマウンティングをとろうとする人は、その交友関係に問題があるようだ。

つまり、そういう人達に囲まれているということ。
常に自分が上になろうと競い合っている中では、誰もが自分を守るために人を攻撃するようになる。そして、やがてそれは当たり前のこととして習慣になってしまうのだ。

それが当たり前になっているものだから、どこで誰と会っても戦闘態勢で挑んでくるといった具合に。。。

そう思うと、気の毒になってくる。
あるがままの自分を認めてくれる人がおらず、常に甲冑をまとうように全身ガチガチで戦闘状態でいなければいけないのだから、どれほどストレスの多いことだろうと。

「私はこんなにすごいの!」とギラギラと光線を出してくるのも、ある種の目くらませなのではないか?

忍者が投げる煙幕の光線版みたいなものか?

眩しい光を放つことで、見せたくない部分を隠す。
加齢のため容姿の衰えが見えてきた女優さんなんかが、強いライトを浴びて真っ白にすることでシワやたるみなどを隠すのとよく似ている。。。

そんな風に先制攻撃をかけることで、自分の中にある劣等感を隠そうという心理だとも考えられる。

よくわからないけれど。。。





突き詰めれば、そこには常に他者との関わりがあって、つまりは「人から見えている自分」を強く意識した言動なのだということがわかる。

「生きづらい」と言われている現代だけれど、そう感じるのも他人に必要以上に干渉したりされたり、それに対して悶々としてしまう結果であるのかもしれない。

それならば、他人の目など気にしなければいいと思うところだけれど、人によってはそれが難しいことらしい。

持って生まれた気質の問題で、他人の言動がいちいち気になって仕方がないという人もいるのだそうだ。

気質の問題であれば、どうしようもないといったところだろうけれど、回避する方法がないわけではない。

極端に言えば、人と会いさえしなければ、余計な影響を受けることもなければ、自分への評価を受けることもない。

しかし、現実的に考えれば、それもなかなか難しいものだ。
人と関わることを避けるためには、引きこもりにでもなるほかないのだから。


「人のことなど気にするな」

これが無理ならば、せめて比べることをやめることだろう。

一見お山のてっぺんにいるような人でも、それを誇示してマウンティングするような人は、メッキを貼り付けている人が多いものだ。

たとえ自分がなんの輝きも持たない銅だとしても、所詮相手もメッキ。それが禿げれば同じ銅が隠れているだけ。

そんな争いなど愚かであることを知り、人よりも自分を見つめて生きていくことだと思う。

私は他人の言動はあまり気にならない方だけれど、それはある種の強さではなく、自分のことで精一杯、周りを「見ない」のではなく、「見ていない」からなのかも知れない。

誰がどんな服を着ていたとか、どこの誰が何をしたとか、ほとんど覚えていないくらいだ。

頭の中に比較するものが入っていないのだから、マウントもなにも取りようがない。

それでも、前途したように他者に対して無関心な人間ばかりではない。
気になる人は気になるものなのだ。

ただ言えることは、どんな人間にも光と影があるということ。
他人の光の部分と自分の影の部分を比べたところで意味がない。

他人の言動を気にする前に、もっと自分の心に注意を払ってあげることだ。
そうすれば、他人がどう振舞おうが、自分にとってはどうでもいいことになる。

自分を放っておいてくれない人も、時に現れたりすることもあるけれど、そんなときはマウント星という別の星から流れてきた人とでも思っておけばいいだろう。

この世にいない人の夢をみるのは、不安だったり寂しかったりするからなのか。

f:id:frankie17:20210202232502j:plain

昨夜、亡くなった父の夢をみた。
もう亡くなってから15年以上も経つけれど、今でも時々父が夢に出てくる。

亡くなってから数年は、病院のベンチに座っていたり、なんだか辛そうな感じで夢に現れていたものだけれど、今は違う。

昨夜は父の家を訪れ、帰ろうとすると、

「食事もしないで帰るのか?その前に藪でも行って蕎麦でも食べてこよう」

そう言って笑っていた。

「藪」とは子供の頃から父と何度となく訪れた『神田藪蕎麦』のことだ。

夢は続いていたけれど、その場面以外は覚えていない。起きた瞬間は覚えていたけれど、いつの間にか忘れてしまった。
多分、蕎麦は食べていない。


父の夢をみるのは、いつも決まって具合の悪い時だ。
体調が悪くなると、父が夢に現れる。私だけでなく、子供達が病気になったりしたときも、父の夢を見る。

夢の中で父が「大丈夫だから」と言うのがいつものパターンだ。

夢の中でも父に「大丈夫だ」と言われると、とても安心する。

なにがあろうとも、私のことを守ってくれる絶対的信頼をもっていた唯一の存在であった父だ。

父が亡くなったとき、悲しみよりも「これからは独りなのだ」という寂しさの方が強く感じられた。

もちろん母や兄弟、夫も子供達もいるのだけれど、彼らは私が保護する立場だ。
私を守ってくれるのは唯一父だけだった。

今でもつらい時になると父を夢をみるのは、きっと「守られている」と感じたいからなのかもしれない。

たとえ夢の中でも、父の存在を確認することで、私は安心したいのだろう。
そんな深層心理が父の夢を見させるのだと思う。


父が亡くなった時、私はまだ30代だった。
子供達も幼く、海外で暮らしたりしていたので、とても大変な時期だった。
日本に戻ってからも、父の残した会社や不動産の整理など、2人の幼児を抱えて、駆けずり回っていたのを思い出す。

その頃は、毎晩のように父が夢に現れた。
しかし、少しずつ生活も落ち着くに従って、父の夢をみることが少なくなっていき、今では本当にたまにしか夢に現れなくなった。

今の私は50代となり、安全な日本で安定した生活を送っている。
子供達は大きくなり、外国人の夫もすっかり日本の生活に馴染んでいる。

40代で大病を経験したものの、運良く命拾いし、それ以来は特に問題もなく過ごしている。

毎日、のんびりと家事をして、あとは自由に好きなことをしていればいいだけの生活だ。
何をしても咎める人はいない。夫や子供達も私を自由にさせてくれている。

しかし、食べること以外はたいした欲もない。
ただ、毎日健康でおいしくご飯やお菓子が食べられる生活であれば、御の字だと思っている。

せめて夢の中だけでも父に会えたら、そう思っていたけれど、今は夢でさえも会わないことが幸せなのかも知れない。

穏やかな暮らしの中にも、日々いろいろなことがある。
いいことばかりではなく、時に悩ましいと心暗くなるようなこともあるけれど、きっと誰もが同じなのだろうと思う。

健康であること、日々同じように暮らせることこそが幸せだと、笑って過ごそう。

そうすれば、きっと父の夢も見なくなるだろう。

マスクのおかげで元彼との再会という面倒を免れた出来事。

f:id:frankie17:20210130213431j:plain

先日、娘の大学入学共通テストがあった際、会場まで娘を送って行ったときのこと。
娘と二人、最寄りの駅から地下鉄に乗った。コロナ禍のせいか、朝の通勤時間であっても車内は空いていて、私と娘は空いている席に腰を下ろした。

コロナ禍においては、これまでのようにパブリックスペースで話すことすら躊躇われる。大声でなく、ごくごく普通の声で話していても、時に人の視線を感じることもあるからだ。

知人などは電車の中で友人と話していたところ、「非常識だ!」と注意を受けたことがあるそうで、そんな話を聞いてしまうと、余計に神経質になってしまう。

車内も空いていたので、私と娘は額を寄せ合って、時折コソコソと小声で話をしていた。

ふと気づくと、向かいの男性がじっとこちらを見ているのに気づいた。

年齢は50代くらい。海外のアウトドアブランドのダウンジャケットにジーンズ。赤茶色をしたレッドウィングのブーツを履き、膝の上にはオロビアンコのリュックを抱えていた。

サラリーマンというスタイルではなさそうだけれど、朝の通勤時間に乗っているので、フリーランスとも言い切れない。
いずれにしても、ちょっとくだけた職種の人なのだろうと思った。





最初は私と娘がコソコソとお喋りをしているのが気に入らないコロナ自警団ではないかとも思った。

それにしてもの一点凝視。。。

視線は完全に私に向かっている。

娘と一緒にいる場合、老若男女問わず、人々の視線は娘に注がれる。
白人遺伝子からなる真っ白な肌と、長い睫毛に縁取られた大きな眼、高い鼻梁はマスクをしても人々の視線を集めてしまう。

しかし、この時はそんな若い娘ではなく、男性が見ているのは完全に私だった。

この歳になれば、「あら、この方は私に気があるのかしら?」などという勘違いは皆無だ。
このようなシチュエーションの時は、「どこぞの敵か?」と思うのが普通だ。

思い切り、睨みを効かせて見返すと、男性は視線を自分の手元に落とした。
すっと伸びた綺麗な手をしていた。

これはコロナ自警団ではないだろう。
視線を外したと言うことは、何かを言ってくる危険もない。

そう判断して、私は睨むのをやめ、持っていたスマホに視線を落とした。

程なくして顔を上げると、また男性がこちらを凝視していた。

ここまでくると、かなり不快な気分になる。

しかし、敵に飛びかかる前に、運良く電車は目的地に到着したので、私と娘はそのまま電車を降りた。


あの男性はなぜ、あんなに人のことを穴が開くほど見ていた?

ついさっきの情景を思い浮かべてみた。

そこで、はたとその男性の手が、どこかで見覚えのあるものであるのに気づいたのだ。

そして、マスクからのぞく目元を思い出して、「ああ!」と、ここでようやく合点がいった。

あれは、30年以上前、私が10代の終わりに付き合っていた元彼だ!

間違いない。。。

あの目元、服装のセンス、そしてあの手。





あの頃、私たちは若かった。
私は今よりも7キロも痩せていて、髪も肌もツヤツヤ最盛期だった。

男性の方は、当時とあまりイメージは変わっていなかった。大学生の頃とさほど変わらないファッションと髪型。
そのまま歳をとったといってもいいだろう。

なぜ気づかなかったのだろう。。。
とうに記憶の彼方に消えた人だから、すぐには思い出せなかったのかもしれない。

なによりも、私たちは大きなマスクで顔の大半を覆っていた。

こんなに変わってしまったのに、相手はなぜ私に気づいていたのだろう。

小声とはいえ、私は娘と話をしていたから、声が聞こえたのかもしれない。

そして、その男性は私が外国人と結婚して、二人の女の子を出産したことも知っている。

共通の友人から聞いた話では、私がのちに海外へ行った話をしたところ、

「あいつもようやく自分の殻を破ったな」

そう遠い目をしていたそうだ。

私って殻の中にいたの⁉︎
あれだけ好き勝手できる殻って、どれだけ大きいの⁉︎

そもそも、殻を破って海外へ行くって、私は海亀かい?と大爆笑したものだった。

ものすごい勘違いだ。。。

とにかく、そんなこともあり、聞き覚えのある声、娘と思われるハーフの女の子と一緒にいるというヒントが与えられていたのだ。

なによりも、睨みを効かせた私の眼は、たるみによってシャープさは失われているものの、まだ感じの悪さでは天下一品だ。

懐かしさよりも、謎が解けてホッとしたこと、なによりも話しかけられなかったことに安堵した。

特に嫌な思い出があるわけではないから、話しかけられて困るようなことはない。しかし、逆を言えば特に話すこともないし、話したいとも思わない。





別れた原因は自然消滅だった。
よく覚えているのは、当時元彼の通っていた大学は青山にあり、その近くのバーで友人たちとともによく集っていた。

長いソバージュヘアの女の子たちが、思い切りお洒落をして、蝶が鱗粉を撒き散らすように愛想を振りまいていたのを思い出す。

そんな中で、ブルージーンズに白いTシャツ姿の私はちょっと浮いた存在だった。
そして、なによりも私はよく食べた。
お酒よりも食べることに興味があったので、あれやこれやと注文しては「美味しい!」と食べまくり、バーのキッチンを喜ばせたのだ。

元彼の学友達も、初めて突然変異種の人間を見た面白さからか、常に周りに集まってきては、楽しい話をしてくれた。

ある日、その中の一人が私をテニスに誘ってきた。それが、自然消滅の原因だったのだろうと、今なら思う。

毎年、そのグループでは親が所有する軽井沢の別荘で、テニス合宿をしていた。
サークルでもクラブでもないのに、合宿と勝手に名付けて、仲良しクラブの面々とテニスとドンちんん騒ぎをするのだけが目的の、ボンボン達のお遊びだ。

夏休みに軽井沢でテニスやるからおいで。

そんな誘いを「いやだ。テニスできないし」と、私は断ったが、その男はしつこく誘ってきて、挙句に周りの鱗粉女達までもが、「楽しいわよ」「一緒に行きましょうよ」「テニスなんてできなくてもいいのよ」「あなたがいなくちゃつまらないわ」などと、本気か嘘かわからぬ誘い文句をかけてきた。

当時の私はそのような遊びには全く興味がなかった。
すでに社会人の友人と遊ぶことが多かったせいで、テニスよりもお金儲けの方に興味があったのだ。

バイトなどをせずに、フリーランスでお金を稼ぐ術を、周りの大人達が教えてくれた。
時はバブル期で、大人の世界ではそんな話がコロコロと転がっていたのだ。

貴重な夏休みをテニスとどんちゃん騒ぎで過ごすなど、もったいないと、「興味がないから、行かないわ」と、私はテニスのお誘いを断った。

後から元彼に言われたのが「せっかく誘ってくれてるのに、なんでみんなに合わせられないの?」
そんな言葉だった。

みんなに合わせられる女がいいのなら、そういう人を選べばいいと、私はその出来事をスルーした。

それからだろうか、元彼からはほとんど連絡が来なくなった。
私も他の社会人の友人達との付き合いに忙しくしていたので、こちらからもまったく連絡をしなかった。

そして、そのまま自然消滅したのだった。。。

その数年後、街で偶然会ったときに、少し話をした。

元彼は「なんで連絡してこなかった?」と、責めるような口調で言ったので、「それお互い様では?」といったところ、「電話したけれど、お父さんが出て怒られた」と。。。
よくよく話を聞くと、私の留守中、夜遅くに酔って電話をかけてきたらしく、たまたま電話をとった私の父に怒られたらしい。

父は私にそのことを伝えなかったけれど、それはとてもありがたいことだった。
酔わなければ電話もかけられない男との縁が、それで切れたのだから。

私にとっては、何一つ悪い思い出ではないかった。
正確にいえば、良くも悪くもない、どうでもいい青春の一コマだ。





きっと元彼も「もしや?」と確信に近い思いを持ちながらも、顔を覆うマスクのせいで、声をかけることができなかったのかもしれない。

元彼の性格上、私だとわかれば必ず声をかけていたはずだからだ。

相変わらず、意識高い系なのか、50を過ぎても30代男子のような格好をしている。
そのうわついた姿を見ればわかる。。。

元彼の家庭はごくごく普通だったけれど、周りに集うボンボン達に感化されてか、財力では到底敵わないのに、同じようにブランド物を身につけ、帰国子女に対抗して英語を学んだり、とにかく何者かになりたかった男性だった。

きっと今も中身はそう変わっていないのかもしれない。
変わったのは、歳をとってしまったこと、そして色々なことを諦めてきたという、枯れてしまった表情だ。

人のことは言えない。。。
ビジネスだなんだと息巻いて、若さが永遠のものであるかのような勘違い女だったけれど、私もすっかり若さを失い、結局はただの「お母さん」になったことを認めている。

幸せだから、きっと歩いてきた道は間違っていないのだろうけれど。

マスクのおかげで、どうでもいい相手との昔話や近況報告をするという無駄な時間を過ごさなくて済んだ。

本当に会いたいと望んでも会えない人がいる一方で、どうでもいい人との偶然を持ってしまう皮肉。。。

人生とはまったくうまく行かないものだと思いながらも、今回はマスクに救われた。

ポジティブに考えれば、コロナ禍だからこその「不幸中の幸い」であった。