In other words

I really don't know life at all ...

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瞳孔全開体験。加齢による飛蚊症という診断を受けて。。。

自分にとって衝撃的な出来事があると、すぐにブログに書きたくなってしまう。
誰かに話すよりも、ブログに書きながら自身の心境とやらを追った方が、はるかに冷静になれるからだ。

今朝、眼科へ行った。

3日ほど前から時折視界を遮るように、黒い何かが私の目の中を飛び回っていることに気づいた。
昨日の午後になると、黒い物はさらに大きくなり、煙のように時折現れては視界の中でゆらゆらと動く。
痛くも痒くもないけれど、鬱陶しいことこの上ない。

さらに朝になると、なんとなく視界がぼんやりとしているように感じられた。
元々ひどい近視なので、裸眼ではいつもぼんやりとしか見えないのだけれど、なんとなく明度が違うというのか、普通でない気がしたのだ。

これはなにか眼の病気にでもなったのか?
さすがに心配になってきた。

たとえ眼科といえど、病院と名のつくところへは、なるべく足を踏み入れたくはない。これまで散々お世話になってきたのだ。もう十分ですと言った心境なのである。
しかし、異常を感じる以上は放置しておくわけにはいかない。
ネットで調べてみたところ、その症状にはさまざまな病気とも言える可能性があった。

これまで罹患した大病も、早期発見したおかげで急死に一生を得たのだ。
人間、好むと好まざると、やらねばならぬことはある。

幸い予定は何もない。

そんなわけで眼科へ行くことにした。





相変わらず早起きで、朝は時間があり余っている。眼科の診療開始時間に合わせて家を出た。

最近は母親の付き添いで、また子供達が幼い頃にも何度か来たことのある眼科である。
受付の感じの良いお嬢さんなどは、すでに顔見知りだ。

とても人気のある眼科で、近隣住民のみならず、かなり遠くから来ている人も少なくない。
手術でも受けるのだろう、スーツケースを持って家族で来ている人もよく見かけた。

いつもかなり混雑しているので、待つこと覚悟できたものの、たまたまいつものような混雑はなかった。

少し待ったところで名前を呼ばれ、まずは検査。視力や眼圧など詳しく調べてもらいながら、症状について述べた。

そこで言われた看護師さんの一言に震え上がった。。。

「もしかしたら、これから瞳孔を開くお薬を使って調べるかも知れません」

「瞳孔開かせるんですか⁉︎」

恐怖に慄いた。

生きているのに、無理矢理お薬で瞳孔を開かせるなんて怖すぎる。。。

開いた瞳孔は大人しく閉じてくれるのだろうか?
猫なんかも昼間は黒目が小さいけれど、夜になると全開になるから、瞳孔は伸縮自在なのか?

疑問に思うことは多々あったのだけれど、問題があるから眼科に来たのだ。もはやまな板の上の鯉である。
必要だと言われた検査を拒んでは、なんのために来たのかということになる。

言われるままに、大人しく診察室に入り、医師に右眼を委ねた。





強い光を当てられて、右眼のみならず、いたって元気な左眼までも何やら調べているようだった。
こんな小さな目の玉のどこに、そんな見るところがあるのか、考えたらおかしくなり笑いを堪えた。
真面目にしていなければいけない時に、突如笑いの発作が起きるのは、幼い頃からの悪い癖だ。

きちんとした大人にならねば。。。


「今日はお車ですか?」

医師から突然尋ねられ、「歩いてきました」と答える。

「この後、予定はありますか?」

さらに医師は尋ねてきた。

なぜそんなことを聞く?
まさかランチのお誘いをするわけではなかろう。

「予定はありません」

思惑もわからぬまま答えた私に医師が一言。

「では、瞳孔開きましょう」

前述の質問の意図とは、つまり瞳孔を開くとその後数時間は開きっぱなしのため、とても眩しくて視野が悪くなるからだという。

やはりランチのお誘いではなかった。

瞳孔を開くのはとても簡単だった。
知る前は恐怖に思っていたけれど、ただポツンと目薬のようなものを一滴、目の中に垂らしただけである。

そのまま30分ほど待つように指示をされた。

眼科の帰りに好きな和菓子屋さんで期間限定の和菓子を買って帰ろうと計画したので、時間が気になる。

私が瞳孔を全開にしている間に売り切れていたらどうしよう。。。そう思うと、ソワソワと落ち着かない気持ちになった。





途中、夫から電話が入ったのだけれど、病院の中なので取れない。
今朝の電話で「目の調子がすこぶる悪いので、今日は眼科へ行く。電話はとれない」と言っておいたのに、またかけてきた。

相変わらず人の言うことを聞いていない。自分の感情最優先で生きるアングロサクソン

電話に出ないとわかると、LINEを送ってきた。
見ると、「眼科での診察結果を知らせてね」といった内容だった。

途中経過を返信しておこうと思ったけれど、「瞳孔を開く」と日本語で書いても、外国人の夫には理解できないだろう。

重要なことはすべて英語でなければならない。

しかし、「瞳孔を開いているところです」などというボキャブラリーは私にはない。

Googleに聞いてみた。

瞳孔 英語で検索すると「pupil」と出た。
なかなか可愛らしい名詞だ。

瞳孔が開くの「開く」は直訳でopenではなく、dilaitを使うらしい。。。

なるほど勉強になるものだ。
英語など日常生活に支障ない程度にできればそれでいいと思ってきたけれど、そんな怠慢がいま支障をきたしている。
どんな単語もいつ必要になるかわからない。しっかり勉強しておくべきであった。

瞳孔=pupil

心の単語帳にしっかり記した。





夫にLINEの返信しようと思ったその時、右眼の異変に気づいた。。。

これは。。。

なんだ。。。

右眼が次第に霞み、たくさんの光が私の右眼に差し込んでくる。

黄金色に輝く輪のようなものまで見えてきた。

これがまさかの瞳孔全開状態⁉︎

死の間際、その眼に映るものとは、案外美しい世界なのかも知れない。。。

そんなことを考えながら、これまで見たことのない光に満ちた世界を体感したのだった。

ふと、開いた瞳孔はどんな状態なのだろうか?と興味がわいてきた。瞳孔全開のチャンスなど、今後あるかわからない。もしかしたら最初で最後から二番目になるかもしれないのだから、開いているうちに見ておかねば!
最後の時は自分では見られないのだから。

こんな時に限って手鏡を持ってきていなかった。仕方がないのでスマホのカメラを反転させ、自分の眼を映すことにした。

しかし、これはダメだった。光の反射や角度が定まらず、きちんと見えない。なんとなく左眼の方が黒目が大きく愛らしくなった気もしたけれど、あくまでも気がしただけだ。。。

はや夫にLINEの返信をするどころではない。

あれこれと角度を変えたり、微妙に場所を移動したりしながら、スマホに映る左眼を観察していたら、名前を呼ばれた。

再び診察室に戻った私に待っていたのは、光による容赦なき攻撃だった。

検査台に顎を乗せ、眼をこれ以上開かないくらいに見開く。
私に許されたのは一点凝視のみだ。

全開になった瞳孔が丸裸になったところで、繰り出される光の攻撃。

ま、眩しい。。。

角度を変えては、強い光が無防備になった瞳孔をこれでもか、これでもかと刺してくる。

もはや一点凝視は限界。。。

そう思ったところで、医師は「右を見て、次は右上、はい左、左下〜」と、私の眼球をくるくると回していく。

10分ほどそんなことをしていただろうか。

ようやく診断結果が出た。





「恐らく、加齢による飛蚊症でしょう」

安堵とショックが同時に押し寄せてきた。

飛蚊症に関しては昨夜ネットで検索済みだ。
加齢によって硝子体が収縮し、奥の網膜が剥がれ、その影が視界に映るという、よくある現象らしい。

そして、これは治療で治るものではなく、加齢による自然現象と捉えるがいいというものらしい。つまり黒いチラチラは慣れるしかないのだ。

加齢による現象を思い切り自覚して、かなりショックであった。

稀に網膜裂孔といった深刻な事態になっているケースもあるとのことで、瞳孔を開いてまで検査をしたのだけれど、結果そのような兆候はなしとのことだった。

ただ、眼のかすみに関しては、少量の出血がある可能性も拭いきれないので、来週また来るようにと言われた。

瞳孔を全開にしたとて、眼の奥の奥まではさすがに見えないらしい。実際のところ、見えない病気が隠れていることもある。

眼科に限らず、どんな症状で病院へ行っても、病名を断言されることは案外稀だ。
人は各人違った体質や遺伝を持っている。これまでの症例が全て自分に当てはまるわけでないということは、これまでの通院でよくわかっていた。

安心していいのかダメなのかわからないけれど、ただ一つ確かな事は「歳をとった」ということなのだ。
それを改めて突きつけられ、少しだけ気落ちした。

つける薬もなければ、治る可能性もない。そんな老化現象という診断を抱え、眼科を後にすると外は霧のような細かい雨が降り始めていた。





つい最近まで、夫の単身赴任に「バラ色の人生だわ!」と浮かれていたけれど、一転して暗い気持ちになった。

しかし、人生とは良いこと、悪いこと、同じようにやってくるものだ。
いいことばかりが続くと、必ず天はバランスを整えるべく、悪いことも連れてくる。

この老化現象によるショックによって、うまくバランスがとれたと思えば、この程度で済んでよしと、むしろ喜ぶべきなのだろう。
私は幸せ過ぎたのだ。。。

まだ開ききった瞳孔に入り込んでくる光が眩しかった。夏のギラギラとした晴天でなくて幸いだ。
 
気分を変えようと、予定通り好きな和菓子屋さんへ寄った。
片眼が光に塞がれた状態でも、お目当てのお饅頭はすぐに見つかった。
瞳孔全開の労をねぎり、ついでにお店のおすすめ、限定羊羹も買った。
これらの味を想像するだけでもテンションは上がってくるものだ。


帰宅すると次女が家に居た。大学はお休みして、家で課題をやっていたようだ。

洗面所で手を洗っている時、鏡を見ると黒目がとんでもなく大きくなっているのがわかった。

これが瞳孔が開いた状態か⁉︎ すごい!

すぐさまスマホ片手に次女の部屋に飛び込んだ。

「見てみて!瞳孔全開だよ!」
「記念に写真撮って」

私の眼を見た次女。。。

「すごい!キモっ!」

心配するどころか、興味津々で覗き込み、パシャパシャと写真に撮っては、ケラケラと笑っている。

そして最後に、、、

「いつまでそんな魚みたいな眼なの?」

彼女の目には「魚の目」に映ったようだった。。。

医師によると、元に戻るには3〜4時間くらいはかかるという話だった。
つまり、夕方近くならないと戻らないというわけだ。

視界に明るすぎる光が入り込み、ぼんやりな状態でいたら、頭が痛くなってきたので、眼を閉じることにした。

昨夜はたっぷりと睡眠をとったけれど、老眼を休ませるための昼寝である。

いくらでも眠れるのは、若い頃から変わらない取り柄の一つだ。
ソファーに横になり、瞳孔様が落ち着くのを待ったのであった。。。





それから3時間ほどして目覚めた。
しかし、まだ瞳孔は開いたままだ。

あの瞳孔全開目薬を点眼して5時間くらい経過した頃、ようやく眩しさが和らぎ、瞳孔が若干小さくなってきた。
とはいえ、夕方の時点でもまだ魚の目だ。
完全復活からはほど遠い状態である。
医師は3〜4時間くらいと言っていたけれど、これは個人差があるのだろう。
6時間経過した時点で、まだ私の瞳孔は黒々と開いていた。

9時間後、かなり小さくなってきたものの、まだ一回りほど大きい。しかし、眩しさは無くなり、明度も左眼と変わらないくらいに回復してきた。

ここは備忘録として、しっかり記しておきたいところだ。

楽しみに準備していたパン作りもできず、パソコンもスマホも本すらも見づらく、無理をすれば頭痛。。。
なんとも不自由なものだ。

普段、身体の方は多少なりとも気遣っているけれど、眼に関しては視力の悪さ以外はまったく問題がなかっただけに、ノーマークであった。

中年期になったら、自身の健康には決して楽観するべきではないと、改めて感じた。

来週、経過観察として再び診察に行く予定だ。
その頃までには瞳孔は完全に閉じていることと思うけれど、「老化」による飛蚊症とは一生のお付き合いとなるのだ。

10時間経過した今、ようやく普段通りの視力に戻ったようだ。なにはともあれ、瞳孔が元通りになってなにより。

医師の言うように、自然現象だと割り切って、黒いモヤモヤと戯れながら明るく生きていこうと思う。

夫の転職と単身赴任。「亭主元気で留守がいい」の本当。第二の人生に訪れたバラ色の日々。

最近、夫が人生で何度目かわからない転職をした。

外国人にとっては終身雇用などというのは、あまり魅力的ではないらしい。これまでもより面白い仕事、より高い報酬を求めて何度も転職してきた。

そんな夫も50代となり、そろそろ安定に向かうかと思いきや、雇用の安定しないコロナ禍で、いきなり前職を辞したのだ。

晴天の霹靂とはまさにこのこと。
正直なところ、タイミングの悪さに空いた口が塞がらなかった。
しかし、仕事ををするのは私ではない。決定権は常に働く夫にあるのだ。

このようなことは、もう何度も経験しているので、免疫はついている。

職場にも報酬にも不満があった訳ではなかったと言うのだけれど、何かしら考えるところがあったのだろう。
これもコロナ禍が与えた影響なのかも知れないと思えば責めることはできない。

基本的に夫の仕事に関しては、手伝いを命じられたとき以外は関わらないようにしている。
どんな決断にも「お好きなようにしてください」と、反対したことはない。

ただ、家族4人が不足なく暮らせるだけのお金さえ持って来ればいい。
そんな条件付きでだ。

前職を退職してから数ヶ月は、あちこちでちょこちょこと単発の仕事をしながら、のんびりしていた夫だけれど、さすがに貯金を切り崩しての生活が長くなれば不安になってくる。

そんな時、ようやくやりたい仕事に巡り合ったようだった。





夫は日本に本格来日してから何十年も、ずっと東京で働いてきた。
その間には、面白そうな仕事のオファーなどもあり、東京の外で働くチャンスはたくさんあったようだけれど、子供達と過ごすためにと諦めてきた。

そんな子供達も成人した。まだ大学生だけれど、親がついていなければいけないという年齢は過ぎた。学費の支払い以外、自分の役割は終わったと判断したのか、自由に好きな仕事を選びたいと思ったようだ。

これはもしや更年期障害ではないか?
男性にも更年期は訪れるというから、可能性がないわけではない。

いずれにしろ、もちろん私に依存はなかった。
その仕事をするのは夫自身だ。私はこれまで通り、家族を養うことができるのなら、好きな仕事を好きなだけして下さいと伝えた。

これまでは東京の中に閉じこもり、毎日毎日同じ場所で仕事をしていたけれど、もっとアクティブに東京以外でも仕事がしたいというのが夫の希望だった。

そしてそんな仕事のオファーが運良く舞い込んできたのだ。

これまで家族よりも友人知人を最優先して培ってきた人脈が功をなし(嫌味です)、夫の退職を知った方々から色々な話が持ち込まれていたようだ。

東京にはたくさんの外国人がいるけれど、そのソサエティは案外狭いもので、在住が何十年と長くなればなるほど人脈も広がっていく。

異邦人故なのか、そこに集う外国人達は日本では決して得られない癒しのようなものを、互いに感じているのかもしれない。

我が家の夫だけかもしれないけれど、家族がうんざりするほど密な付き合いをしている。

とはいえ、再就職のお気遣いをしてくれるとは、まったくありがたいことである(これは嫌味ではなく本心です)。





「是非この仕事がしたい。ただ、東京ではなく地方拠点になるから、家族と過ごす時間は短くなる。子供達も成人したし、どうだろうか?」

夫からそんな話があった時、もちろん「やるべき!今やらずにいつやる⁉︎」と、まるで林先生のような自信に満ちた態度で強く勧めた。

報酬の面では前職と比較するとかなりダウンするけれど、やり甲斐が感じられ、心からこの仕事がしたい!そう思える仕事と巡り合えるのは幸運なことだ。

とにかくやってみたらいいと言ったところ、夫は嬉々として新しい仕事に飛び込んでいった。

めでたし、めでたしである。

週のうちほとんどは地方で仕事をし、ミーティングが東京で行われる時と、休日だけは東京で過ごすという生活が続いていた。

飛行機や新幹線で行き来し、東京に戻る時間のないときの滞在はビジネスホテルだ。もちろんそれらの経費は会社から支給されるのだけれど、移動に費やされる時間と体力は支給外だ。

まだまだ働き盛りの50代とはいえ、さすがに若い頃のようにはいかない。
時に疲労を感じることもあるようで、今の生活を続けるのは不効率だと、単身赴任という形にしてはどうかと話し合った。

仕事の拠点となる場所に住居を借りて、これまで通り、東京で仕事がある時と時間的に余裕がある時だけ帰宅してはどうかという、「単身赴任」という名の「2拠点生活」に近い形での提案だ。

報酬が減った上に、二重生活となると、当然のことながら家計にも影響が出てくるだろう。
それでも、健康第一だ。
疲れたときはゆっくり身体を休める。そのために2拠点生活が最善であると判断した。

賑やかなことが好きな夫は、一人で暮らすことがつまらないと感じていたようで、頻繁な地方と東京の往復も苦ではないと言っていたけれど、会社側も単身赴任という形の方がいいだろうという判断だった。





私も一緒にという話も当然あった。
しかし、そこはNo Thank you (笑)

これを機に私も便乗して2拠点生活に突入するのもいいかも。。。そう考えると多少なりとも心が揺れる。
ただ、行き先は自分で選びたい。地方ならどこでもいいわけではないのだ。
よくよく考えた結果、旅行で訪れる分にはいいけれど、そこで暮らすことはイメージできなかった。

夫の方も自分のやり甲斐のために、私を巻き込むのは申し訳ないと思ったのか、言っても無駄と思ったのか、どちらでも好きにしてくれていいということだったので、私は東京に残ることにした。

まだ下の娘は大学生になったばかり。末っ子のせいか、どうも一人にするのが心配だ。
長女が「何かあれば私がいるから、行きたければ行けば?」と言ってくれたけれど、私は行きたくない。。。

そんな訳で、夫はめでたく単身赴任となった。

めでたし、めでたし。

そう思ったのも束の間。。。私は今、あまりめでたくない事態に見舞われている。

それは夫によるFaceTime攻撃だ。
毎日のように、日に何度も連絡してきては、入居したマンションや街の景色、入ったレストランなど、ありとあらゆることを写して見せては実況してくる。

夫にとって東京以外の場所は、かなりエキサイティングなのだろう。見るもの見るもの珍しいらしい。。。

同居しているときは、朝仕事へ行く前と、帰宅後に話し相手になっていればよかった。日中は用事でもない限り連絡してくることはなかった。
それが今は、朝、昼、夜と、暇さえあればFaceTimeだ。。。

最初は「いいところね!頑張ってね」などと労っていたものの、こう頻繁に連絡が来ては正直なところ鬱陶しくなる。

こちらだって、いつもダラリンと寝てばかりいる訳ではない。
夫がいてもいなくても、やるべき家事はあるし、好きなことを自由に落ち着いてやる時間も欲しい。

しかし、夫は私の都合などお構いなしだ。
昨日も私が美容院で白髪染めをしている時にFaceTimeが鳴った。

自分がどんな姿でいるか、すっかり忘れていて、条件反射で思わず応答してしまった。

頭に岩のりのような黒い液体をくっつけ、さらにラップで頭を覆ったという、決して人様には見せられないような姿だった。

「ヘアーサロンですか!」

夫はそんな姿を見ても動じることなく、そばにいた同僚に「奥さんだよ」などと話している。頭にラップを巻いた妻を紹介する夫がどこにいるだろう⁉︎
無神経もはなはだしい。
とんでもない醜態だ。腹立たしいことこの上ない。





「いまは忙しいから」
そう言って憎っくきFaceTimeをカットすればいいだけなのだけれど、そこは新天地で頑張っている夫へのリスペクトがある。
どんなに面倒でも、どんな姿でいようとも、かかってきたら可能な限り応答する。これが専業主婦というものなのだ。

そんな日に何度かくるFaceTimeは、非常に煩わしいことではあるのだけれど、それさえ我慢すれば快適なことばかりだ。

「亭主元気で留守がいい」と最初に言ったのは誰だろう?

これ以上の共感はない!というくらいの日々を送らせて頂いている。


部屋を荒らす人がいないので、室内は常に整理整頓された状態が保て、お掃除も楽々。

毎日運動で汗をかいた服を、ランドリー籠に山ほど放り込んでくる人もいないので、洗濯物が減って楽々。

夫の好む高い洋食材を買わなくて済むので、お買い物の負担も減り、とても経済的になり食費の点ではかなりの節約。

なによりも、いつもそばで自分本位のお喋りを続ける人がいないので、とても静かだ。
自分のやりたいことに集中できる。

なんというストレスフリーな生活だろうか⁉︎

夫よりも一足お先に長女が一人暮らしを始めたため、現在我が家は私と次女の二人暮らしとなった。

そんな次女も大学の課題とバイトで忙しく、朝家を出ると、夜遅くまで帰宅しないことがほとんどだ。

つまり、私は一人で伸び伸びと静かな時間を過ごすことができるのである!

夫の単身赴任によって、家事は半分以下に軽減され、代わりに自分だけの静かな時間はこれまでの何倍にも増えた。

こんな素晴らしい日々が訪れようとは⁉︎
単身赴任バンザイだ!





小さな頃から「あなたは大器晩成型。歳を重ねるごとに暮らし向きはよくなる」

そんなことを周りの大人から言われてきた。
私のことを知らないどこかの占師が言った言葉なのだろう。信じてはいなかったけれど、悪い気はしなかった。

元々楽天的な性格ではあるのだけれど、幼い頃からの洗脳とも言える「大器晩成」の言葉により、さらに人生を楽観視してこられたのは否めない。

そうとはいえ、もはや50代。すっかり人生のんびりモードの私には、残りの人生で大それたことを成し遂げる予定も可能性もない。

もしかしたら、70代、80代になってから、何か大きなぼた餅でも棚から落ちてくるとか⁉︎
それはそれで浪漫である。

しかし、あまり現実的でないことにフォーカスし過ぎると、足元がぐらつくのでやめよう。

現実的に考えてみると、この「大器晩成」とは夫の単身赴任により得られた夢のような生活を指しているのではないだろうか?

成功すること、経済的に人一倍豊かになることではなく、私に訪れた「大器晩成」とは、これまでコツコツと重ねてきた外国人である夫との苦労の日々が実り、甘い果実となってもたらされたご褒美なのではないのか⁉︎

これは何某の人物として人々から崇められるよりも、大金持ちになることよりも、私にとってはもっとも喜ばしいことだ。





若い頃から、人生で一番重要視してきたのは「自由」だった。

「自由」はすべてに通じる。

物事を選択する自由
時間を使う自由
お金を遣う自由

それこそすべてのことに「自由」をつけてしまえば、まさに薔薇色の人生であると考えていた。

もちろん「自由」には責任が伴う。これが一番重要なところで、それ故に自由を諦めたりしなければならないこともあった。

結婚をして子供を産んでからは、自分自身納得した上で家族第一の人生を歩んできた。

しかし、子育て終了と共に、そろそろ「第二の人生の幕開けだ」、そう思った時に降って沸いた夫の転職と単身赴任だった。

自分が望んだのではなく、自然と周りからもたらされた恩恵だ。
これをご褒美と言わずしてなんと言おうか。

今もこうしてのんびり、長々とブログを書いていられる。一人なので、誰に中断されることも、邪魔されることもなく、私はまったくの自由だ。

夫が一生懸命に働いてくれているからこその自由であり生活だ。
それは重々承知の上で、感謝と共に「亭主元気で留守がいい」の毎日をエンジョイしている。

ちょっと心配なのは、この極楽生活が当たり前となった頃に、夫が再び東京に戻った時の副反応だ。

想像しただけでも、それはかなり重たいものとなることだろう。

比較的長いプロジェクトに関わっているらしいので、最低1年間くらいは大丈夫だろう。
そんな先のことを心配するのは意味のないことと、亭主が留守の今を思い切り楽しむつもりである。

多肉植物に思う、都会暮らしか田舎暮らしか。メリット、デメリット共にありで揺れる心。

今年になってから、突然多肉植物の面白さに目覚めた。

その前から梅や桜、木瓜沈丁花などの小さな植物は育てていた。また食べ終わったアボカドの種を植えたら元気に成長し、1メートルを超えた鉢もある。他にも同じくらい大きな金木犀の木もある。

緑ばかりでは楽しくないと、一年草の苗を買い、毎年さまざまな花を楽しんだりもしていた。

そこに多肉植物が加わったのだ。ついでにカレーにフレッシュな唐辛子を使いたい!と、唐辛子まで仲間入りだ。

我が家は都心のマンション暮らし。しかも部屋の面積を広く取るためか、ベランダがとても狭い。
洗濯物を干すには支障ない程度だけれど、ベランダガーデニングをするにはまったく広さが足りない。

それでも、多肉植物が仲間に加わるまでは、まだなんとか整理できていた。
しかし、小さかった多肉植物は想定外の成長を見せ、我が家のベランダを埋め尽くす勢いだ。

小さいからと侮っていた。。。

まず、多肉植物には中毒性がある。とにかく個性豊かな姿形をしたものが無数にあるものだから、「これ可愛い、欲しいな〜」と、次々と収集したくなる。

これまで収集癖などなかった私、しかも目的は多肉植物コレクションではなく「成長を楽しむ」ことだった。そんないくつもある必要はない。にも関わらず、気がつけば数十鉢も買い集めてしまっていた。

よくタニラーと呼ばれる、多肉植物を趣味とする人のブログなどを見るのだけれど、もうすごいのなんの!
みなさん、何百鉢あるの?というくらいの多肉祭だ。
そんな方々に比べれば、私などまだ可愛いものだと思う。

それでも、我が家のベランダは、もうこれ以上の新参者はお断りというくらいに満員御礼状態なのだ。





多肉植物は放っておいても増える。。。
茎から落ちた葉が、いつのまにか根を出し、芽を出し、気がつけば小さな多肉植物が一つ出現しているといった具合だ。

この素晴らしい生命力に興味を持った私は、さらに増殖させてやろうと、よせばいいのに「葉挿し」に手を出した。

素人のやることだから、そう上手くはいくまいと思っていたのだけれど、意外なことに葉挿しした多肉の葉は面白いように根を張り、新しい芽を出してきたのだ。

元々育てること、その成長を見て楽しむことが目的だ。毎日眺めるのが楽しくて仕方ない。

こんな風に夢中になっているうちに、我が家のベランダはジャングルと化した。。。

もはや限界である。
私が育てることを楽しめば楽しむほど、ベランダは密林と化す。
かと言って、この楽しみを放棄する気にはなれない。

ここで考えたのが引越しだ。
賃貸マンションなので、出ようと思えばいつでも出られる。
ちょうど今年は更新がある。いっそのこと、広いベランダのあるところに引越しをしようか?

早速ネットで物件を探してみた。
今住んでいるエリアで、大きなベランダや庭のある物件となると、おそらく今の倍以上の家賃を払うことになるだろう。
これは無理なので速攻却下。

少し下れば少しはいい物件があるかも?
地下鉄で30分も下れば、若干家賃は安くなるようだ。。。
しかし、あくまでも「若干」なのが問題だ。

同じような条件、平米数で探すと、たとえ下っても10万も安くならない。
これでは何のために引っ越すのか。。。
家族の了承さえもらえないだろう。
植物のために好物件をみすみす出て、不便なところへ行くのは、どう考えてもおかしい。

そこで考えた。
中途半端に都内などではなく、いっそのこと田舎へ行ったらどうか⁉︎

子供達も成人したことだし、東京で一人暮らしくらいはできる。

どこか温泉のある田舎町で、小さな一軒家でも借りて、植物を育てる暮らしを満喫するのだ。もう多肉植物も増やしたい放題だろう。





2拠点暮らしは考えたことはあるけれど、完全なる移住は無理だと思っていた。

しかし、それは私が生まれ育った東京という街にこだわってのことだ。
若い頃、海外で暮らしていたのだけれど、東京に戻った時、「やっぱりここが一番。ここが私の終の住処だ」と感じた。
そんなこだわりが、心の隅にあるせいか、東京を完全に離れるという選択肢はなかった。

一方で田舎暮らしに対する憧れも、どこかに持っていた。
美しい景色に囲まれ、温泉三昧、晴耕雨読の日々を想像しては、なんとか老後はそんな生活ができないものかと、あれこれ調べたりもした。

しかし、田舎暮らしは簡単ではない。
私は海外で田舎暮らしをした経験が少しだけあるのだけれど、正直とても大変だった。
最初はすべてが目新しく、それなりに楽しかったけれど、慣れてくるにしたがい、その不便さがストレスになってきた。

子供がまだ小さかったので、お休みの日に山や海に出かけたり、バーベキューをしたりと、エンタメには事欠かなかったけれど、遊んでばかりいられるわけではない。その前に暮らしがあるのだから。

あの頃は、私もまだ若かったから、田舎暮らしが退屈に思えたのかもしれない。
今ならどうだろう?
もう、夜の街で遊ぶこともない。素敵なレストランやカフェにも行きたいと思わなくなった。
何が楽しみかといえば、家でベランダの植物を眺めたり、パンを焼いたり、ブログを書いたり、それだけだ。
たまにデパ地下をぶらぶらしたり、お友達と会ってランチがてらお喋りしたりすることはあるけれど、毎日ではない。

つまり、ほとんどの時間、家で一人で楽しんでいる生活なのだ。
これなら東京でなくても、どこでも同じだ。

しかし、憧れだけで安易に田舎暮らしを始めても、あっという間にUターンという話はよく聞く。

ここはしっかりと考えてみる必要がある。





まずメリット。
・冒頭の多肉植物問題の解決。
・移住地を温泉地に近い場所にすれば、毎日温泉三昧。
・知らない地で暮らす新鮮さを味わえる。
・お金を遣える場所が減る=節約生活

他にもあるのだろうけれど、今は思い浮かばない。。。

次にデメリット。
・病院が遠くなる。
若い頃、大病をして以来、定期的に病院へ通っている。
10年にわたり診てくれている主治医のそばを離れるのは、正直不安だ。
何かあれば駆け込める、そんな場所がある安心感は何事にも変えられない。

・車での生活
田舎暮らしで不安なのが車だ。聞くところによると、一家に一台ではなく、一人一台が普通だという。つまり、マイカーがなければ移動できないということだ。
私は運転免許はあるけれど、自分では運転をしない。
運転がとても下手で注意散漫なので、海外の広い道路では問題ないのだけれど、日本ではリスクが高いと運転しないことにしている。
自他共に認める走る凶器だ。このように適正のない人間は、ハンドルを握るべきではないと思っている。

都心にいれば運転する必要はない。バスや電車は数分おきにくるし、タクシーもビュンビュン通る。
運転免許証が身分証明書代わりのみの役割しかせずとも、なんの不都合もない。

・お友達と気軽に会えなくなる。
今お付き合いのあるお友達は、ほとんどが都心住まい。ご近所さんも多く、買い物の途中で出くわしては、お茶を飲んだりランチをしたり、気軽に会うことができる。
これが遠く離れてしまったら、これまでのようなお付き合いはできなくなるだろう。

・虫が多い。


非常に魅力的な幾つかのメリット、それを思うと今すぐにでも東京を引き払いたくなる。

しかし、同時に移住を思い止まらせるほど不安なデメリットを併せて考えると、やはり田舎暮らしは簡単に決めては後悔すると思わされる。





最近、田舎町の温泉宿に2泊して、のんびり過ごしてきたのだけれど、そこで「もしここで暮らしたら?」と、想像してみた。
実際に東京を離れ、山々に囲まれた土地に身を置けば、少しは現実を感じられるのではないかと思ったのだ。

素晴らしい温泉と雄大な景色、心染み入るような静けさ。なんとも心地よく、気分は最高である。

しかし、一歩外へ出ると車なしで行動する難しさを感じたり、旅館の部屋に虫が歩いていて悲鳴をあげたり。。。


結局、想像できたのは上記にあげたメリット、デメリットで、決定打となるようなアイデアは湧いてこなかった。
湧いていたのは、源泉掛け流しの素晴らしいお湯だけだった。。。

東京に戻り、いつものようにベランダにズラリと並ぶ小さな多肉植物たちを眺めては、未だ心はゆらゆらと揺れている。

こんなに揺れるのなら、やはり田舎暮らしは無理なのかと、かなり弱気になってきた。

とりあえず、ベランダのジャングル化を食い止めることに尽力し、田舎暮らしに関してはペンディングすることにした。