In other words

I really don't know life at all ...

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節約はしない、けれど倹約はする。我慢せずに老後に備える暮らし。

夫が前職を退職し、再就職するまで数ヶ月間、無職の時期があり、その際に住民税や保険、年金などの納付書が自宅に送られてきた。

普段は月々のお給料から天引きされているため、それほど気に留めることもなかったのだけれど、一度に何十万も払うことになると、さすがに「え、え、え?こんなにも年貢を納めていたのね。。。」と、改めてビックリしたということがあった。

国民の義務であることは承知の上で、ものすごく「払いたくない」と思ってしまった。
自営の方々などが、必死に節税に勤しむのも当然である。どうにかできるものなら、どうにかしたいと思う。

私は無職なので、このすべては夫の収入に対するものだけれど、家計を預かる主婦としては、「これだけのお金があれば、子供の学費も余裕で払えるてしまえるのに。。。」と、どうにか知らん顔できないものかと、一応は無駄に考えたりする(笑)

結局、銀行の窓口でしっかり納税したのだけれど、頑張って稼げば稼ぐほど、税金は重くなり、負担が増えるばかりだと感じる。

納税することによる恩恵も、普通に生活していれば多少はあるのだと思うけれど、それもちょっぴりしか実感できない。
ある程度の所得があると「所得制限」によって、数々の恩恵から排除されてしまうためだ。
例をあげれば子供の学費。我が家は子供二人とも大学生なので、すでに蚊帳の外だけれど、在学中も満額払い続けた。

「稼いだのなら、自分のことは自分で。ついでに他にも使わせてもらいますからね」

そう言われて続けてきたように感じる。

頑張ったことに対する対価は、ご褒美ではなく納税ということだ。
なんとも働く意欲が削がれる。そう言いたいところだけれど、私は働いていないので、夫の代わりに言おう。
一応は一艘の船に相乗りしているので、自分のことのように語ってしまうことにする。





物価の高騰は止まらない。
最近、スーパーなどでお買い物をしていると、本当に高くなったなと実感するようになった。
一つ一つは数十円の値上がりでも、これがカゴいっぱいに買い物をすると、塵も積もれば山となるで、お会計は予想した額をはるかに上回り、「お会計間違っていない?」とレシートを見返すこともあったりするほどだ。

景気の良い時代を知っている昭和世代ゆえ、お金に関してはそれほど神経質になることはなかった。遣ったらまた稼げばいいじゃないのよと、呑気に考えていたのだけれど、こうも経済が立ち直らないと、さすがに呑気にもしていられないと焦りを覚えるようになってきた。


最近、我が家は夫が単身赴任となり、長女が一人暮らしを始めたことで、私と次女との二人暮らしとなった。

先日、ポストに入っていた光熱費の使用量のお知らせを見て、これまでの半分以下になっていて、驚いたということがあった。
使用する人間が少なくなれば、それだけ使用量も減るのだから当然なのだけれど、ちょっと嬉しくなった。

ガス、電気、水道だけでも、毎月5万円以上かかっていたものが、その半分の2万数千円だ。

これはすごい!

これまでなら、「さて、この浮いたお金を何に遣おうか?」とルンルン百貨店へ向かうところなのだけれど、ふと考えた。。。

生活費全般、このように少しずつかかるお金が減ると、一体1ヶ月にするとどれだけの節約となるのだろうかと。

お金を遣うのは好きだけれど、それと同じくらい自分の口座にお金を積み重ねていくのも好きだ。
元々、好きではないことには1円たりともお金を払いたくないケチンボでもある。

それがこの10年ばかり、子供達の教育費は嵩み、加えて物価上昇、納税と、積み重ねるどころか、貯蓄は目に見えて目減りして行っている状態。。。

そんな事を憂いている時の生活費軽減だ。これはチャンスと捉えて、しっかり節約し挽回してやろうではないか!
そう思った。

これまで何度か「節約しよう」と心に誓いながらも、喉元過ぎればで、自身の節約ブームが去れば、また元通りという感じてきた。

そこで、どこを節約すればいいのか、じっくりと家計簿を眺めてみることにした。





私はもう長い事、家計簿をつけている。
ただ、それは家計管理のためではなく、ただの記録好き。つまり趣味のようなもので、記録したものを過去の日記を読むような感覚で、あとから見返すのが楽しいからつけていたようなものなのだ。

しかし、これはいざという時に強い味方となる。
自分が何に対して、どれだけのお金を遣っているか、固定費から税金まで全て自分がいくらどこに支払ったか、詳細がバッチリ記録されているのだから、家計を見直すときは大いに参考となる。

家計簿を見ていて気づいたのは、無駄遣いもしていないけれど、節約もしていないといったお金の遣い方をしているという事だった。

自分にとって価値のないもの、使わないものは、たとえどんなに安くても手を出さないという点では、無駄遣いはしていない。

しかし節約をしているのかといえば、そんなこともない。
欲しいもの、必要なものはしっかりと買っている。実際に趣味のお菓子に関しては、月に何万円も散財している。
これは過去にメインブログでも書いた覚えがある。自分がどれだけお菓子にお金を遣っているか、検証したことがあったのだ。
ただ、お菓子に関しては、メインブログから得られる収益で賄っているので、家計への負担はほぼない。

日々の食事に関しても、好きなものを買っている。お菓子を買うついでに、デパ地下のお惣菜もたくさん買うし、一家の主人が外国人なので、肉やチーズは多少高価でも冷蔵庫の中にはいつでも食べられるように用意していた。

エンゲル係数は異常に高いものの、それ以外はこれと言って贅沢はしていない。

洋服は滅多に新しいものを買わず、あるものを手入れしながら何年でも着ているし、宝飾品も同じだ。日々身につけるジュエリーも若い頃に買ったものや、母から譲り受けたものだけで新しく買うことはない。
バブルの遺産で生きている、時代錯誤な出立というわけだ(笑)

化粧品も年齢的に安価なものは使わないけれど、買ったら使い切るまで新しいものは買わない。
エステなどにも行かず、美容といえば月に一度のヘアーカットと、二度の白髪染めだけ。

周りにいる友人マダム達と比べると、はるかに質素な暮らしぶりだと思っている。

興味のないこと以外、好きなこと以外には、最低限の支出しかしていないのが、家計簿を見るとわかるのだ。

つまり、私がしているのは、「節約」ではなく「倹約」なのではないのか?





その辺、確信がなかったので、Googleさんに聞いてみることにした。何かあるとすぐGoogleさんに頼る。

【節約】無駄を省き切り詰めること。

【倹約】費用を切り詰めて無駄遣いしないこと。

同じではないのか⁉︎

さらに調べてみると、「節約」はお金だけでなく電気やガス、お水の節約という使い方もするけれど、「倹約」はお金にのみ使われる言葉のようだ。。。

どちらも結局のところ、似たような意味であり、それにいちいち理屈をつけていても意味がない。

光熱費に関しては、それこそ「節約」という意識はない。寒ければ床暖房をつけ、暑ければ冷房をつける。
お水も好きなだけお風呂に入るし、洗濯も毎日ジャブジャブしている。
つまり「節約」はしていないことになる。。。

しかし、それは生活に必要なものだからだ。ストレスなく暮らすためには「節約」することは難しい。

ただ、ここでも無駄はしない。
ここのところ猛暑が続き、東京でも電力逼迫警報が出されたなんてことがあったけれど、その前から一人の時は冷房以外の電気は消してある。
普段、TVも観ないので、全て電源オフだ。
明るいリビングでソファーに寝転がり、スマホ片手にブログを書いているか、ネットフリックスを観ているか、本を読みながらまったりしているか、そんなエコライフ。
光熱費が激減したのも納得の暮らしである。
ただ、それは節約のためではなく、必要がないから使わないだけである。必要があれば家中の電気をつけることも厭わない。

やはり、私は「節約」はしないけれど、「倹約」はしているようだ。





日々の生活の中で、我慢はしないようにしている。
若い頃から、するべき我慢とするべきでない我慢があると思っていた。
我慢することによって、より自分に力がつき向上できる、そんな我慢なら喜んでしようと思う。
ただ、なんのメリットもない我慢を強いられるようなことも世の中には少なくない。
ほとんどの場合は他人目線ありきで、自分のための我慢ではない。

元々我慢を甘受できる人間ではなかったのだけれど、海外暮らしで「自分第一、自分が一番大事!」そんな人々を見てきて、我慢すればいいというものではないと学んだ。
さらには外国人と結婚したことで、「自分が一番大事」な夫と暮らすようになり、輪をかけて我慢することは馬鹿らしいとさえ思うようになったのだ。

著しく我慢耐久のない人間になってしまったので、日々の暮らしの中でも、我慢はしっかり排除するようになってしまった。

暑かったり、寒かったりしても、我慢して光熱費を節約などというのは、無理なことだ。健康面を考えてもデメリットの方が大きい。

使っていない部屋の電気をつけていたり、必要のない電化製品を使ったりと、そのような無駄は一切ないので、節約はしないでよしとしよう。


では、倹約はどうか。。。
自分が思っているほど倹約しているのだろうか。
前述したように、無駄な買い物はしていないつもりだ。必要なもの、好きなものにしかお金はかけない。

ただ、必要なものはいいとして、「好きなもの」に関してはかなりゆるゆるだ。

必要でないものでも「好きだから」という理由でお財布を開いていては、お金はどんどん出て行く。
世の中、私の好きなものは山ほどある。

高額なものは、いくら好きでもさすがにポンポンと買うことはない。数万円もするようなものは、衝動買いを改め、しっかり熟考するようになった。
問題は数百円、数千円のものだ。お菓子を含め、そんな価格帯の「好きなもの」に関しては、ポンポンと散財していた。

家計簿を見ていて気づいたのが、最近はそんなポンポン買いがとても少なくなり、出て行くお金も少なくなっていることだった。

特に倹約を意識していたわけでもないのに何故だろうか?

考えて思い当たったのは、現金支払いだ。
先月くらいから、高額の支払いでなければ、クレジットカードを使わず、全てお財布に入っている現金で支払いをするようにしていた。

財布にはだいだい一万円札1枚、五千円札1枚、千円札10枚を入れておく。
合計すると二万五千円。
これだけ入っていれば、お買い物もお友達とのランチでも十分だ。一日遊んでこられる。

何か買い物をしたりするたびに、この財布の中のお札が出ていく。
つまり、自分のお金が減っていっていることがその都度実感できるのだ。

これはケチンボな私にとっては、とても効果があったようだ。

例えば、お友達とちょっとお高いランチを頂き、その後にお茶を飲みながらケーキーを頂き、帰りにはデパ地下へ寄ってお買い物をする。
そんな時も、財布の中が寂しくなっていくのがわかるせいか、「今日はたくさんお金を遣ったから、サラダくらいは買わずに作ろうか」などと惣菜フィーバーにストップがかかるのである。

「私のお金が減っていっている。。。」そう実感することこそが、倹約に繋がっているだ。

そうすることによって、ストレスはあるかと言えば、まったくない。
好きなものを買わないことによるストレスと、お金が減っていくことのストレスを天秤にかければ、圧倒的に後者の方が重たい。

基本的に「ストレスのない生活」を目指しているので、ストレスにならない道を選べれば満足なのである。
「好きなもの」はたくさんあるけれど、結局のところ、一番すきなのは「お金」ということみたいだ(笑)

キャッシュレス決済が当たり前となった令和の時代に、現金主義とはいささか時代錯誤ではあるけれど、私にとってはこれが一番の倹約法なのだとわかった。

ネットや雑誌でも、よく「節約、倹約方法」などの記事を目にするけれど、私にはあまり参考にはならない。実際、かなりの我慢を強いられるような例も少なくなく、ストレスが溜まるのは目に見えている。

お金の遣い方は人それぞれだ。何に使うのか、限度額はどれほどか、決済方法はどれが使いやすいかなど。。。

自分の性格を知り、自分の暮らしや行動パターンと照らし合わせた上で、自分に合った方法を模索していくのが一番だ。

私の場合は、ストレスになるような節約はしないけれど、お金が減ることによって生まれるストレスを回避できる程度に倹約する。
それが一番向いているようだ。





夫が定年退職となり、年金が受給できるようになるまで、まだ15年近くある。
子供の教育費も終盤戦。私大へ通う長女はあと半期分で60万ほど払えばめでたく卒業だ。
次女はあと3年半、幸いなことに国立なので、卒業までに納める学費は残り210万である。トータル270万で我が家の学費の支払いは終了となる。
授業料の他に入学金や予備校の費用など、湯水の如く垂れ流されてきた教育費が終わるのだ。

これまで払い続けてきた教育費が、定年までの15年は丸々我が物となるのだから、まさに貯め時の到来である。

すでに残りの教育費は確保してあるので、これからまた挽回していこうと思う。
そのためには、やはりお金の出入りをしっかり把握し「倹約」に勤しむことだ。

自分なりに「理想の老後」というものがある。
健康で、好きなものを食べて、時々旅行へ行ったり、疲れたら温泉湯治に行ったり。あとはブログを書くことを楽しみながら、本を読んだりNetflixを観ながらのんびり。
今と変わらない、ささやかな暮らしが老後も続けばいい。それが私の「理想の老後」だ。

「倹約」はするけれど、自分のしたいこと、欲しいものを我慢してカリカリするような「節約」はしない。

毎日「幸せだな」と感じながら生きていくこと。そのために何をすればいいかを考えれば、自ずと答えは出てくる。
巷に溢れる情報や、他人と比較するのではなく、自分軸で考えた暮らしを作っていくことだと思っている。

「和菓子離れ」に思う、SNSによる昨今のお菓子事情とお菓子ブログについて。


写真は銀座空也さんの「空也もなか」です。大好きなお菓子の一つなだけで、本文とはまったく関係ありません。


「和菓子離れ」などという言葉が出て久しい。実際に老舗が暖簾を下ろすというニュースを、このコロナ禍でも見聞きしてきた。
しかし、その一方では和菓子、洋菓子問わず、近年はお菓子ブームと言ってもいいくらいの状況ではないのかという賑わいを見せている。

あくまでも私感としてではあるのだけれど、数年前と比較すると、今の方がずっとお菓子を買うことが難しくなっていると感じる。

私はこのブログの他に2つのブログを書いていて、そのうちのメインブログはお菓子に特化したブログで、2017年の今頃に開設したので、丸5年になる。
始めた当初は雑記ブログであったのだけれど、ほぼお菓子ネタになった時点で、お菓子に特化することにしたのだ。

その頃と比較すると、昨今は本当に食べたいお菓子を入手するのも苦労するようになった。

これはSNSとコロナ禍の影響が大きいのかなと思っている。
SNSなどで、これまで「隠れた人気商品」だったものが周知され、新たな客層を開拓したといえる。加えてコロナ禍で通販化が急速に進んだことで、誰もが全国どこにいてもお買い物ができるようになった。

私も例外ではなく、詳細が知りたい時などは、SNSなどから調べたり、新たなお菓子を見つけることも少なくない。
使いようによってはとても便利で、今となってはなくてはならないツールとなっている。

しかし、人間とはまったく身勝手なもので、便利に使っている一方で、これまで自分が楽しんできたお菓子が人気となり、入手が困難になってくると、「SNSで拡散されたせいで、買えなくなったじゃないのさ!」などと、不満を持つのだ。

作り手のお菓子屋さんにとっては、常に完売御礼状態はウェルカムなはずだ。地味なおばちゃん客ばかり相手にしていては、ビジネスは成り立たないのだから。

お菓子屋さん界隈も世代交代している。SNSを多用する若い層を取り込んでこそ、暖簾を守ることにも繋がるのだと思う。

最近は和菓子屋さんなどへ足を運ぶと、明らかに客層が変わったように感じる。年配の方よりも若い方が目立つようになっているのだ。

これは大変喜ばしいことで、この先も変わらずこの店のお菓子を楽しめるのだと安心できる。なんだかんだ言ったところで、ビジネスなのだから、利益が上がらないことには始まらない。

若者が和菓子屋さんのショーケースをのぞき込んでいる光景を見るたび、「和菓子離れ」というのは、本当なのだろうか?
そう思うのだ。





最近、茶道を嗜む友人と会った時も、そんな話題が出た。
私は裏千家表千家などとは全く無縁のただのお菓子好きのおばさんなのだけれど、その友人は若かりし頃からその道にいるため、和菓子にはとても詳しい。

時折、東京では手に入らないような、京都の珍しい和菓子をお裾分けしてくれたりと、その友人を通してたくさんの美味しい和菓子を知ることもできた。

そんな友人も、これまではお茶席に上がるようなお菓子が、最近はどうしたことか人気急上昇で、時に手に入りづらくなったものもあると話していた。

百貨店なども、これまでは電話で予約できたものが、ネット予約のみになったりと、お買い物の形も変わってきた。

ネットの使えない老人は、もはや好きなお菓子もいただけないという時代になったのだ。
たとえネットが使えたとしても、秒を争う争奪戦では、若い人に勝てる気がしない。。。

ネットだけではなく、店頭での販売でも、早朝から長い行列に何時間も並ばなければ入手できないようなこともあったりする。

私も食べたいと思ったお菓子があれば、頑張って行列に並んだり、ネットでアクセス集中する中、ジリジリとお取り寄せを頑張ったりしていた時期があった。

しかし、ある時から「もう無理だわ。こんなことはやめなくちゃ。。。」と思うようになり、なるべくそのような場には参戦しないことに決めたのだ。

私にとってのお菓子とは、日々のホッと一息つく時のお供だ。もちろん心から「美味しい」と思えるお菓子というのが前提なのだけれど、それと同じくらいに癒しの時間になっている。

それが長時間行列に並んでクタクタになったり、戦場さながら混み合う売り場で我れ先にと手を伸ばし心身共に消耗したり、はたまたアクセス集中でいつまで経っても石のように繋がらないネットを前にジリジリしたり、挙句の果て、そんな頑張りが功を成さず「買えませんでした」となった時の落胆。。。

癒しどころか、ストレスにしかならない。





このコロナ禍で疲弊しきっているお店は多い。そんな中、秒で売り切れるとなればお店にとっては喜ばしいことなのだと思う。

ただ、そんなお店ばかりではないのもまた現実で、いわゆるSNSなどで認知されていないお店などはコロナ禍の煽りを受け、暖簾を下ろしたところも少なくないと想像できる。

そんなことを考えていて、昨年から一切人気店の争奪戦には加わらないようにしようと決めた。

本当に好きで食べたいお菓子があっても、購入のハードルが高いと判断したものは諦めた。

その代わり、身近にあるお菓子屋さんをリピートするようになった。
SNSなどで脚光を浴びずとも、丁寧に美味しいお菓子を作っているお店はまだまだたくさんある。

ただ、私の住む都心部では、素朴なお菓子屋さんよりも、お使い物に向いた、ちょっと高級路線なお菓子屋さんがほとんどで、手土産などを購入するときは、たくさんのチョイスがあっていいのだけれど、自分が楽しむための「日々のおやつ」となると難しい。。。
遊んでばかりいる専業主婦の分際で、一口¥500の菓子を頬張るというのは、いささか贅沢すぎではないだろうかと、葛藤することになる。

そのため、デパ地下でおやつを調達することも多くなった。お買い物ついでに、地下へ降りて、お饅頭2つ買うくらいなら、楽チンな上にお金もかからない。
まさにデパ地下は主婦の味方だ!

デパ地下も便利だけれど、最近は特に、幼い頃から慣れ親しんだ我が東京のお菓子を、以前にも増してリピートするようになった。
SNSやメディアで話題になるようなことは稀の古くからある定番だけれど、変わらない味にホッとできる。おまけにそうした昔からある庶民のお菓子は、概してリーズナブルなものが多い。
つまり、日々のお菓子にはもってこいなのだ。

今日も船橋屋さんのくず餅を買ってきた。幼い頃からの大好物だ。

長きに渡り定番として庶民に愛されているお菓子というのは、それなりの理由がある。

いつでも簡単に買うことができ、お値段も負担にならない、なおかつ変わらぬ味という信頼。
そんなお菓子がいくつかあれば、もはや行列してまで新しいお菓子に手を出さずとも事足りる。


ただ、そのせいでメインブログの更新頻度は少なくなっている。
おやつは毎日のように楽しんでいるけれど、同じお菓子ばかり食べていては、ネタ切れするのだ。

昔は一度でもブログでレビューしたお菓子は、二度と登場させないとしていた。よくわからないこだわりというものだ。

けれど、最近は好きなお菓子なら時期を空けて、何度でも掲載するようになった。
とはいえ、あまり頻繁だと面白くない。自分でも飽きるので、食べても書かないという判断になることも依然としてあったりする。

そして、それだけが原因ではないのだけれど、メインブログのアクセスもかなり減少している。
やはり、この国は新しいものが好きなのだ。話題のもの、新しいもの、そうしたものを追いかけていかなければ、弱小ブログにアクセスは集まらない。

Googleさんの評価(アルゴリズム)も変化が著しく、以前に比べると個人ブログに対する評価が低くなり、検索順位が下がったのだ。

加えて、素晴らしく作り込まれた素敵なお菓子ブログが増えたこと。
私のように何年も雛形そのままのブログデザインで、ただ「美味しい〜」とお菓子の詳細と、自分語りしか記していないブログは、人様の役には立たないのだ。
若い方々の作るお菓子ブログは、とにかくデザインも凝っていて、写真の技術もすごい。
お店の歴史から店舗の情報まで、至れり尽くせりで記されており、それはそれはよく作り込まれている。
私も「すごーい!美味しそう!」と思い切り楽しく読ませていただいている。

ここ最近は、そんな素敵なブログにすっかり検索順位を明け渡し、後ろの方へ追いやられているので、当然アクセスも下がるのだ。

ただ、それでいいと思っている。
どんな世界も弱肉強食。弱い者は淘汰されていく。

なにより、アクセスが下がろうが上ろうが、始めた当初から私のブログは「自己満足ブログ」として一貫している。
そうでなければ5年もの間、毎日のようにブログを書くなどということはできなかった。
何事も目的が達成できなければ、モチベーションを保ち続けるのは難しい。
その点、私のブログは「自己満足」が目的だ。自分さえ気分がよければ、結果を出していることになる。

好きなお菓子があれば、それがどんな素材を使ったお菓子か、どこが美味しいと思ったのか、どんなところが好きなのか、自分のための備忘録として残しておければ満足。そんな思いで書いているからアクセスに一喜一憂することない。

ブログを継続したいと思ったら、自己満足を追い求めるに限る。かなりの確率で継続するという目的は達成できるはずだ。

ブログを書く目的は人によって違う。
アクセスを追い求め、収益化を図ろうとするのなら、話題のお菓子を追い求めることも必要なのかもしれない。
実際に入手が困難だったお菓子のレビューには、いまだに少なくないアクセスがある。

ただ、私の場合はそもそもブログありきのお菓子ではなく、お菓子あってのブログなのである。その上、アクセスも関係ないとなれば、疲労困憊してまで流行にのる必要もない。





SNSなどで流れてくる膨大な情報に振り回されていては、キリがない。
ある程度時代の流れに沿って生きていくことは大切だけれど、躍起になる必要はない。


人間の欲というのは際限がない。どこかで冷静にならないと、この時代はいつの間にかその流れにさらわれてしまうものだ。

贅沢をすることに異論はない。私も贅沢なものは好きだ。
ただ、その贅沢を求めたがために、自分が疲れ切ってしまっては意味がない。

屋根のあるところで眠ることができ、清潔な衣服を纏い、毎日3食の食事が頂ければ御の字だ。

迷ったときは、いつも自分にそう言い聞かせている。
「足るを知る者は富む」の精神だ。

そこに、一日のうち、ホッと一息つける憩いの時間、美味しいお菓子があればそれでいい。

それこそが贅沢な生活であると心して、情報に振り回されることなく、自分軸で生きていくが、幸せなのだと思っている。

宅急便、在宅しているのに持戻り(ご不在)扱いになっていた理由。

昨日の夜に届くはずだった荷物が、今朝になっても届いていなかった。
特に配達日も時間も指定していなかったのだけれど、あちらからご親切に「本日お届けします」とのメールが入っていたので、待っていたのだ。

予定していた荷物はamazonからのものだった。特に指定せずとも、通常は置き配されているので、昨夜から何度もいつも置き配されている玄関を確認しに行った。

そして、今朝ももちろん見に行ったけれど、何もない。。。

一体どこへ行ってしまった?

ひょっとして何かの事情で遅配になっているかもしれないと、宅配業者から来ていたメールから荷物の追跡をしてみることにした。

すると、まさかの「持戻り」。
不在のため、荷物は持ち帰りましたとのことだった。





昨日は、午前中こそお買い物で外出していたけれど、お届けしますのメールが来てからは、ずっと在宅していた。
しかし、インターフォンは一度も鳴っていない。

前述したようにamazonからの荷物は、通常置き配されるはずが、こちらの荷物は「大きすぎるか、重すぎるか」で置き配できないと記されていた。
そんなに大きな物も重たいものも買った覚えはない。
ケチンボなので安価な雑貨をちょこちょこ買っただけだ。

いつも置き配、対面、どちらのお届けも指定しないので、比較的大きな荷物でも玄関前に置き配されるが常なのに、なぜに今回だけ対面で渡したいのか謎だ。。。

百歩譲って、置き配できない荷物だったとしても、不在の場合は「不在配達票」が入っているものだ。
すぐにそう気づき、暑いのにわざわざポストを確認しにいったけれど、そちらも入っていなかった。
入っていたのは、喜ばしくない請求書と購入不可能価格の不動産チラシだけだった。


よくよく考えてみれば、以前にも同じことが何度かあった。
インターフォン鳴らなかったけど配達に来てたの?もしかしてインターフォンの故障?」などと、自分でピンポンして確認をしたりしたので、よく覚えている。

我が家のインターフォンは、訪問者の映像が記録できるもので、不在中に誰が来たのか確認できるハイテクなものなのだ。つい最近、大家さんが新しいものに取り替えてくれたばかりなので、故障していたわけではない。

何日か遡ってまで映像が残されているのだけれど、昨日は何も記録されていなかった。

もしや、Uber eatsの配達同様に、配達先を間違えているのか?
なんとも配達トラブルの多い家だこと。。。
ちょっとうんざりする。

もしも再配達で他のお宅に配達されてしまっては困ると、問い合わせをしようと調べてみたのだけれど、メールに記されている「担当店」は、どうやら発送している倉庫のようなところらしい。
直接配達を請け負っている営業所でなければ、おそらく事情はわからないだろう。
そこで、まずはサービスセンターへ電話してみることにした。





ところが、これが「混み合っています」のアナウンスがあるばかりで、何度かけても繋がらない。
「チャットで問い合わせをしてね」と何度も繰り返し音声が流れるので、素直にLINEからお問い合わせしてみたところ、今度はメールで問い合わせてねと言わんばかりに、そのアドレスへ誘導された。

ここでも素直に、「在宅なのに、どうして持戻りになるの?本当にきたの?」と丁寧に書いて送信した。

そのサイトに「送り状番号検索」というのがあったので、試しに入力してみると、やはり「持戻り」になっていた。しかし、ここで配達を請け負っている営業所名がわかったのだった。

こうしたことがあると、モヤモヤしていても立ってもいられなくなる。
特にお急ぎの荷物というわけでもないので、すぐに届かずとも問題はないのだけれど、「配達に来てもいないのに、不在扱いされている?」そう思うと、真相を追求したくてたまらなくなるのだ。
いい歳をして、厄介な性格だなと思いつつ、そんな性分なので仕方ない(笑)
年齢は関係ない。三子の魂百までだ。

メールを送信したばかりにも関わらず、すぐにその営業所へ電話をすると、再配達の申し込みやらなにやら、いくつかの要件が自動音声で流れてきた。そのどれもを却下し、とにかく誰か人間が対応してよと、「その他」の番号を連打したところ、「ナビダイヤルでお繋ぎします」と、有料だからね!と念を押されたのだった。

このモヤモヤを解消するためには、多少お金がかかっても致し方ない。
オペレーターに繋いでもらうことにした。
こちらはサービスセンターとは違い、すぐにオペレーターの方が出て、用件を聞いてくれた。





事情を話したところ、本当にすまなそうに最初から「すみません」としか言ってくれない。何の言い訳もなく、謝られるばかりで困った。。。
聞きたいのは謝罪ではなく、なぜ在宅していたのに、不在扱いになっているかという素朴な疑問に対する回答だ。

何度か尋ねてみたところ、配達担当の者から電話させますと言ってくれたのだけれど、これでまたいつ来るかわからない電話をモヤモヤと待つのも嫌なので、今日配達するのは、その担当者ですか?と尋ねたところ、同じ者ですとのことだったので、直接配達に来た時に聞けばいいと、電話連絡は遠慮する旨を伝えた。

「すぐにご希望の時間にお届けします」
そう言ってくれたので、「担当者に直接聞くので、くれぐれも置き配ではなく、インターフォンを鳴らして手渡しでの配達をお願いします」そう言って電話を切った。

電話に出た方に非はないのに、謝らなければいけないだなんて、なんと理不尽なことか。。。自分でお問い合わせしておきながら、なんだか気の毒になった。
仕事をするというのは大変なことだなと思う。

その電話を切った後、ちょうど単身赴任中の夫から連絡があり、ビジネス上の愚痴を散々聞いた。
みんな大変な思いをして仕事をしていると思えば、どのような理由であったとしても、寛容に対処したいと思うのだった。





配達が来るまでの間、同じような事例はないかと、Googleさんで調べてみることにした。
インターネット時代の便利さよ。。。
なにもなすすべがないことにストレスを感じる人間にとっては、「調べる」という行為がどこでも手元で簡単にできるのは、本当に喜ばしいことだ。
ありがとう、ネット社会。

暇に任せてググりまくったところ、どうやら同じようなケースは珍しくないようなのである。

そこに記されている理由の一つが、荷物が多く忙しい時や配達に間に合わない時など、配達員さんがお届けしていないのにも関わらず、不在扱いにしているというものだった。
事実かどうか、知る術はないけれど、驚きだ。。。

確かにamazonプライムセールの直後で、大量の荷物があるのは想像できる。同情に値するほどの荷物の山だろう。私も今回の荷物はそのセールで購入した物だったので、それはよーくわかる。

しかし、もしそうだとしても虚偽はいけない。「遅延」とすればいいだけのことだ。

「お届け予定の荷物は事情により、本日配達できなくなりました」

配達員さんの持っている端末に、そんな項目はないのだろうか?
あれば、配達員さんは虚偽の入力をせずに済むはずだ。

忙しい中、一件一件電話連絡をしろということではない。
「持戻り」の連絡がメールでできるのなら、「遅延」表示もシステム上は可能なはずだ。

そう考えると、やはりサービス上の問題と考えざるを得ない。届くはずの荷物が届かないとなれば、信用を失うことになるからだ。

しかし、届けてもいないものを、「不在」として処理するのも、信用問題に関わるという点では同じことと思うのだけれど、どうなのだろうか。。。

どこの誰が申したかわからないネット情報なので、本当のところはわからない。

実際に自分で経験したことでないのなら、それを鵜呑みにしてはいけないというのは、常々心に留めていることだ。

「ありがとう、インターネット社会」と言った舌の根も乾かぬうちに、「ネット情報を鵜呑みにしてはいけない」と、いきなりの手のひら返し。
我ながらの単純思考だ。





午後、ようやくインターフォンが鳴った。出てみると、昨日の荷物ではなく、今日お届け予定の荷物だった。
順番が逆なのは、どうでもいいのだけれど、何故に遅い方が先に来た?
これは配達に来てくれたおじさんが丁寧に説明してくれた。

そのおじさん配達員は、このエリアを長く担当しているベテランさんだ。
昨日の配達とは無関係なのだけれど、お問い合わせがあったことを知っており、本日配達分のお届け物がてら、置き配にせずわざわざ声をかけてくれたのだった。

そこで様々な配達の事情などを話してくれたおかげで、そのシステムを少しだけ知ることができた。
内情を暴露するわけにもいかないので、ここでは割愛するけれど、たくさんの荷物をお届けするために、大変な苦労があることがわかった。。。

ここで一つの疑問が解消された。
昨日の荷物が届く前に後便が先に届いた一つの理由として、amazonプライムセールの後だったため、配達件数がとにかく多く、普段の配達担当とは違うところに委託されているからなのだった。
ただ、このあたりはあまり大っぴらにしたくないのか、詳しく話してはいけない雰囲気を醸し出していたのを察して、深掘りはしないでおいた。

そして、肝心の「持戻り」扱いとなったことに関して。
「直接の担当ではないので、確かではないけれど」
そう前置きした上で、単純にお届け先の間違いではないかとのことだった。

いわゆる下請けにお願いして配達してもらう場合、配達完了しない限り報酬が発生しないため、不在にしたところでその業者にメリットはないだろうというのが理由だった。

詳しくは、この後、昨日の配達員が荷物を届けに来るので、直接事情を聞いてみてほしいとのことだった。

ところが、ここでまた躓いた。





指定の時間を過ぎても、肝心の配達員は一向に来ない。
荷物を追跡してみると、「配達中」となっている。しかもその位置が全く違う区に表示されているではないか。。。
まさに東京の反対側だった。

電話をかけた時点では比較的近い営業所だったのが、午後になると、また別の近隣の営業所に変わっていた。
そして配達時間の過ぎた夕方、いきなり広い東京の反対側へと、私の荷物は移動していたのだった。。。

もはや何が何だかわからない。

手違いに手違いが重なったのか、それにしてもわざわざオペレーターを通して連絡をしてもらい、実際にその話は他の配達員にまで届いていたのだから、担当者に通じていないとは考えられない。
謎だ。。。

「◯時から◯時の間にお届けします」
そう約束したからこそ、待っていたのだ。
それなのにこない。。。

できない約束はしない方がいい。
忙しくて手が回らないのなら、急ぎでないものに対しては、無理であると言ってもらった方がよほどいい。

指定された時間から2時間ほど待ったけれど、一向に来る気配がないので、再度先ほどのセンターに電話をしてみた。

電話に出たオペレーターに、昼間電話した件を伝えた上で、「何で来ないのかしら?ちゃんと伝わっているのかしら?」とお尋ねしてみた。

朝と同じようにまた「すみません」と言ってくれるのだけれど、私が知りたいのは、何で来ないの?ということなのである。

そして、もう一つ連絡した理由があって、それは万が一今日のお届けが無理な場合、明日は都合が悪いので明後日以降にと伝えたかったのだ。

明日は終日外出予定になっている。この暑さの中、置き配されたら中の荷物が心配になる。冷蔵や冷凍便でなく普通便でも熱に晒されたくないものはあるのだ。

その旨を伝えたところ、「今日中にかならず配達します」と。
そして、状況を確認した上で、担当配達員から連絡させますと言われ、電話を切ったのだった。





すでに外はとっぷりと日が暮れていた。。。されどそれから2時間たっても荷物も電話もなにもなし。。。

そしてさらに待つこと数時間。

結局、荷物が届いたのは夜の9時すぎ。
来るはずだった担当者からの電話連絡はなく、いきなりのピンポンであった。
出てみると、いつものマーク入りユニフォームを来た業者さんではなく、そこにいたのは私服のお兄さん。
やはり下請けの業者さんが請け負っていた。

待ってましたとばかりに、昨日の「持戻り」についてお尋ねしたのだけれど、担当ではないのでわからないと申し訳なさそうに言って、すみませんと頭を下げていた。

事情を把握していない若い子を捕まえて、文句を言うほど、私は鬼ではない。しかし、一言言わねば気が済まぬと、一応事の顛末だけは説明させて頂いた。

聞けば、amazonプライムセール以来、とんでもない忙しさで、あちこちで同じようなクレームが出ていると言っていた。
夜の9時。ここが最後の配達かと思いきや、「まだまだたくさんあるので、社員総出で回っていますが、何時に終わるか」と泣き笑い。

この暑さの中、重たい荷物を持って走り回っているのだろう、汗だくになり真っ赤な顔で頭を下げられると、次に出てくる言葉はお礼しかなかった。。。





今回は荷物が届かないことよりも、なによりも、事実と違うことが記されていたことによる疑問と、それに対処してくれるところへ行き着くまでの面倒くささ、そして約束を守ってもらえなかったことのモヤモヤに尽きる。

電話対応をしてくれたのは、どちらも声の感じからしてそう若くはない女性だったのだけれど、お二人ともとても親切に対応してくださった。
おかげでぷりぷりと腹を立てずに済んだ。そして、本日分の配達に来てくれたベテラン配達員のおじさんも、お若いお兄さんも、お忙しい中、とても親身に話をしてくれ、感謝に堪えない。

年に一度のamazonプライムセール直後ということで、現場も非常に混乱しているのだと知った。
サービスセンターへの電話が繋がらないのも、同じようなことでお問い合わせをしている人が多くいるからなのかもしれない。
それを配達員さんたちもわかっているのだ。わかっているけれど、尋常でない配達件数に完全にキャパシティオーバー。されど打つ手なしで、とにかく配達しまくるしかないといった状態のようだ。

そうしたことを考えると、やはり寛大に受け取ることにし、社名は出さないでいようと思う。
ただ、私がGoogleさんに頼ったように、他にも同じような問題でモヤモヤしているかもしれない。そんな方々に「私の時はこんな理由でした。結果はこうでした」と、問題解決の何かしらのヒントになればいいと思い、ブログに投稿した次第である。


ちなみに、メールでの問い合わせに対する返答はまだ来ていない。