In other words

I really don't know life at all ...

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我が家の子供達の大学受験を思い出したセンター試験の日。

今年もセンター試験の日を迎えた。その昔は共通一次試験、そしてセンター試験になり、現在は全国共通テストとその呼び名が変わっている。
年代ごとに変わるせいか、今でも多くの人が「センター試験」と呼んでいるようだ。私もついつい「センター、センター」と連呼してしまう。。。

昨年は我が家の次女も受験生であった。その頃のことを思い出すと、受験生ご本人はもちろん、その親御さん達の落ち着かない気持ちがよくわかる。
受験が終わるまで、ずっとそんな気持ちを抱えるのだから、これは大仕事だ。さすがに能天気の私ですら、受験が終わるまでは、ソワソワとした気分で過ごしていたものだ。

「この大学以外は行きたくない」と、志望校を一本に絞った結果、浪人が決定したのが一昨年の3月。
次女は1年間の浪人生活を経て、昨年2度目のセンター試験を受けたのだった。
センター試験の後に、まだ大学での二次試験があり、そこで合格すると、その後さらに三次試験まであったため、センター試験の時はそれほどの緊張もなく出かけて行ったと思いきや、会場からLINEが入った。
時間を間違えて、2時間ほど早くきてしまったとのことだった。
遅れたのではないのだから、試験は確実に受けられる。
「近くでのんびりお茶でも飲みながら待ったら?」
そう気楽に返信をした。
さすがに会場外へお茶を飲みには行かなかったようだけれど、空き部屋でスマホをいじり時間を潰したそうだ。
最後の1分まで時間を惜しまず勉強!とならないのは、やはり私の能天気遺伝子を色濃く引き継いだ娘なのだ。。。
そんな小さな手違いはあったけれど、無事にセンター試験を終え、結果も想像通りだったそうだ。
本人は答え合わせなどをしていたようだけれど、あえて結果を聞くことはしなかった。聞いたところで結果がわかるわけではない。むしろ余計なストレスを生むだけだ。
ストレスレスな生活を心がけている私には、センターの結果を知る必要はない。
最終的に合格となるか否かだけが問題なのである。

センター試験が終わったら次は大学での受験が待っている。
1月のセンター試験から3月までがとても長く感じられた。何か対策をするには短い、かと言って何もしないのは長すぎる2ヶ月間だった。

親のできることは限られている。その中で一番重要なのは体調管理だと、私は考えていた。

とにかくしっかり食べさせ、しっかりと睡眠を取らせることを最優先とした。
「勉強しなさい」ではなく「食べなさい」「十分に睡眠とりなさい」そればかり言っていた気がする。

コロナ禍以前も、毎年受験の時期になるとインフルエンザの心配が言われていたけれど、それに加えての新型コロナだ。感染すれば数日高熱で寝込むことになり、もはや受験どころではない。



実際に中学受験の際に、長女の同級生はインフルエンザに感染し、志望の学校を受験できなかったということがあった。とても優秀なお嬢さんで、難関校の合格も間違いなしとされていたにも関わらずだ。
どんなに努力を重ねても、こうした事も起こりうるのだと、改めて思ったものだ。
以来、私にとって子供達の受験は健康管理第一となったのだった。

次女の受験があった昨年もまだコロナ禍であった。1月のセンター試験から三次試験が終わる3月末まで、とにかく長かった。
目に見えないウィルスを100%避けることは不可能だ。いつ感染するかと内心は冷や冷やだった。

「何年浪人しようが絶対にこの大学」という思いは変わっていなかったため、昨年も本命の大学しか受験しなかった。
滑り止めも受けず、何の保険もかけない一発勝負だ。
無謀ではないかとも思っていたけれど、私は浪人することに対しては否定的ではなかったし、むしろその方が面白いと背中を押していたくらいだ。
私自身もまた、そんな勝負事が好きなのであった。

幸いなことに感染する事もなく、無事に二次試験を突破し、三次試験まで万全の体制で挑む事ができた。
そして一浪の末に合格を頂くことができ、いまでは忙しくも楽しい学生生活を送っている。

ところで、1年間の浪人生活の間、次女は現在の大学の学費よりも高い受験予備校に通っていた。
そう「通っていた」と思っていたのは親だけであった。。。
後から聞けば、サボってばかりいたそうだ。親の方は、朝「行ってらっしゃい」と送り出せば、当然予備校へ行ったと思っている。探知機などつけているわけではないので、一歩家を出ればどこで何をしているのか知る術はない。
しかし、次女はストレスが溜まっては逆効果であると、銀座や表参道、秋葉原などでぶらぶらしていたそうなのだ。
本人曰く、予備校へ支払った額の半分は無駄になっていたのでは?と平然と言う。合格できたからこそ、そんな大きな口が叩けるというもので、これが二浪目突入ということにでもなっていた際には、口が裂けても真実を語ることはなかったであろう。。。

そんな風にサボってばかりいたにも関わらず、次女は合格したのだから、受験とはわからないものだと思った。
同じ予備校に通い、朝から晩まで努力し続けた友人のほとんどは不合格だった。当然、遊んでばかりいた次女に痛い視線が向けられたそうだ。
予備校の講師曰く、運もあるけれど、あの子の場合は極端なまでの自己管理と集中力によって、ここ一番で実力以上の力を出すと言う稀なケースであり、決して真似をしてはいけない事例だそうだ。
褒められているのか、貶されているのか、よくわからないと次女本人が言っていた。。。

確かに次女は集中力がある。一度部屋に籠ると食事、お風呂、トイレ以外は一切顔を見せない。
自己管理も親に似て能天気なのか、「ストレスは敵」とばかりに、やる気にならない時はすぐに散歩に出かけたり、ショッピングに行ったりと、ぶらぶらしていた。
今でもそれは変わらない。大学の課題に追い込まれると、全て投げ出してまたぶらぶらである。
心身ともに健康であるからこそ、力を出し切ることができるのだろう。

結果がよかったからこそ言えることなのかもしれないけれど、そんなことからも、今でも子供の受験に関して、親ができることは健康管理だけではないかと思っている。



長女の大学受験の時は、次女のように「絶対にこの大学に!」という強い意志は皆無であった。
とにかく大学の名前やイメージ重視で選び、保険をかけまくり、幾つかの大学を受験していたので、本人が納得すればどこへ行ってもいいと思い、私も楽観していた。
そして合格を頂いた中で、一番イメージに近い学校を選んだという、「何のために大学へ行くの?」状態の受験であった。
外国人である夫は、それに対してかなり拒否反応を示し、「学ぶ目的でないのならお金は出さない」と長女と対立したものだ。
私はといえば、大学へ行く目的が勉学以外でも構わないと思っていた。
長女がその大学へ行くのは、セルフプロデュースのためだ。
人はその人そのものを見るのではなく、時につけているバッジで評価する。大人の世界ではよくあることで、多様化が叫ばれている昨今においても、それは変わらない。

それは選択した長女自身が実感しているそうで、自分の選んだ道は間違いではなかったと言っている。
あれほど反対していた夫でさえも、今では手のひら返しをしている。
あの時、「学費は出さない」と頑固に財布の紐を開かなかった夫がだ!
結局、長女の学費は私が出した。「お金を出さぬのなら、口も出さないで下さい」と、私は自分の貯金を崩すことになったのだ。
その時の恨みはまだ忘れてはいない。

長女の大学受験で思い出すのは、そんなお金の恨みくらいで、私が受験に対してなにかお手伝いしたという記憶はない。
志望校選びも願書提出も、合格からの入学準備もすべて長女自身がやり、私はお金を渡しただけだった。
入学式には行ったけれど、あれほど反対していた夫までもがちゃっかりと参加していたのは、今でも腹立たしい。。。

無理に思い出そうとすると、あの時のムカムカが蘇り、怒りによるストレスが増殖しそうだ。これは健康に悪そうなのでやめて、話を受験に戻すことにしよう。

極端なことを言えば、子供の受験に際して私がしたことといえば、前述した健康管理以外には、お金を出したことだけだ。
学びたいという意欲を満たすだけの投資は、可能な限り惜しまなかった。
よく、子供に教育費をかけ過ぎて、老後の生活に不安を覚える人がいるというようなネガティブな話を耳にすることがある。
そんな愚かなことはしてはならぬというお話で、それはごもっともです。。。と思うのだけれど、私は自分の老後の心配よりも、子供達の未来を心配する方が辛いことだと思っていた。

子供達がしっかりと自立して暮らしていれば、あとは自分の心配をすればいいだけだ。自分のことならば、なんとでもなるけれど、これが子供のこととなると、思い通りにはいかない。
小さな子供ならいざ知らず、大人になった子供達をコントロールすることなどできない。
年老いていくなかで、いつまでも子供の心配をし、世話を焼き続けるのはごめんだ。
しっかり自立してもらうための投資と考えて、子供達にはやりたいことをさせる努力をしてきた。



学びにも格差が存在する。
知人は子供の受験のために、塾や家庭教師など月に30万以上も投資していた。
また別の人は、子供を海外の有名大学へ入れるために、何年間もかけて実績を作るため、湯水の如くお金を遣ったという。
お金をかければいいというものではないけれど、それだけ多くのチャンスを手にするのは間違いない。それが凡人であれば尚更だ。

元々地頭のいい子というのがいる。親が何をせずとも、自身で学び取ったり、一度見たものはすべて脳に刻まれてしまうなど、いわゆる天才という子たちだ。
私の知り合いの子もそうだった。幼い頃から字を覚えるのも計算もすべて独学。親が知らないうちに、年齢以上のことをすでに学んでいたという。
放っておいても難関校には合格できたそうだ。
しかし、さすがに難関校へ行くと、上には上がいて、まさに地頭と地頭のぶつかり合いとなる。
そのまま放っておいては遅れをとると、親の方も子供の望むままに学びに対する投資を余儀なくされたそうだ。
つまり最高峰の大学合格への道を目指すため、さらに教育にお金をかけることになったのだ。
私のような凡人からすれば、何もしなくてもそこまで登れるのだからいいじゃないのよと思うのだけれど、それが自分の子供ともなると、できる限りのことはして、頂上まで登って欲しいと思うのかもしれない。

とにかく、そんな天才肌の子供の世界でさえも経済格差があるのだから、つくづく私たちの生きている社会は一つではないのだと思わされる。
元々地頭のよい子が、さらにお金をかけて磨き上げられるのだから。
側で見ていても、まるで別世界のことのようだった。

さすがに私には湯水の如く注ぎ込めるほどの財力はないので、人並みにという程度ではあったけれど、子供二人を育て、望む教育を与えるために、かなり投資をしたつもりだ。
まさによく言われている、子供の教育のために自分の老後を窮地に追いやる愚かな所業をやってのけたのだ。

夫は無駄なお金を遣うことはよしとしない人だけれど、たとえ自分が我慢を強いられようが、その理由に納得さえすれば、子供達に関してお金を遣うことは厭わなかった。
長女の大学受験のときのように、なんとしてでも納得しないことはあったけれど、それも途中で気持ちが変わったのか、学費を負担してくれるようになった。
それでも、受験の費用や入学金、途中までの学費など、支払ってもらえなかった恨みは、何度も言うけれど、私は決して忘れはしない。



話を戻すと、とにかく子供達の受験に際し、私がしたことは、健康管理とお金を出すこと。。。

それだけだと思っていたのだけれど、いま思い出した。もう一つだけあった。

それは次女の浪人が決定した際に、予備校を変えたことだ。
次女はそれまでお世話になっていた予備校に通い続け、合格してその予備校に実績を残してあげたいと、なにやら優しいことを言っていたのだけれど、私は別の予備校へ移るようにと提言した。
提言というよりは命令に近かった。私なりにリサーチをした結果、合格率の高い予備校はそれなりのパイプなり、蓄積されたノウハウがあるに違いないと、当たり前のように考え、それに素直に従うが合格の道だと思ったのだ。
我が家では「お金を出さぬ者は口も出すべからず」という暗黙の了解があるゆえ、次女は渋々と私の言う通り予備校を変えたのだった。

結果よければ全てよしで、私の読み通りに合格したものだから、当たり前のことをしたにも関わらず、私の家族内ヒエラルキー第1位という座は、これで揺るぎないものとなった。
そう思っていたけれど、実際にその予備校をサボってばかりいたそうなので、予備校選びがどれだけ合否を左右したのかは謎だ。
結局のところ、本人次第だったと言うことなのかもしれないと、今は思うのだった。。。

小学校受験や中学校受験なら、親子二人三脚でと、親の持つ役割は大きくなるけれど、さすがに大学受験になれば、本人を信じて見守るしかない。
逆を言えば、その歳になって親に指示されなければできないのでは困る。

心身ともに健康で過ごすために生活を整え、ストレスがたまらないように最低限の気遣いをする。そして求められた時だけアドバイスをする程度でいいのではないだろうか。

親があまり神経質になっていても、いいことはない。
受験をする子供のみならず、親もまたしっかりとおいしい物を食べ、よく眠り、楽しく過ごしていればいいのだと思う。

努力が実ることもあれば、非情にも報われないこともある。人生とはそんなものだ。
受験で人生が変わることはあるかもしれないけれど、悪い方へ転がるとも限らない。それはまた本人の生き方次第なのだろうと思う。
とって大切な日ではあるけれど、長い人生の中ではその一幕にほかならないのだ。
そんなおおらかな気持ちで、受験という一幕を乗り切って欲しいと、我が子の受験を思い出しながら思ったのであった。

雇用保険による給付。ハローワークで就業促進定着手当の申請に行った話。

雇用保険というもの、払ってはいても、これまでその恩恵を受けたことがなかった。
もちろん今の私は専業主婦なので、そうしたものとは無縁なのだけれど、かつて働いていたとき、また雇用保険を払い続けている夫にしても、これまで保険の給付を受けたことがなかった。

昨年の2月、夫の転職に伴い数ヶ月間は無職になるだろうことが予想された。これは失業保険がいただけるか⁉︎と、夫にはハローワークへ行ってもらった。
夫は外国人なので、このような手続きに関しては、常に私が指揮棒を振るのだ。

今は外国人も多いのだろう。窓口にいた方がとても親切に申請の手続きを手伝ってくれ、無事に失業保険の給付が始まったのだけれど、その額に驚いた。。。
これでは家賃すら払えないではないか⁉︎

雇用保険などかけていても、なんの足しにもならないじゃないのさ!と、お友達相手に散々愚痴っていたのだけれど、私は間違っていた。。。
無知による思い違いだ。


雇用保険を払っていたことの恩恵とは、次の仕事が決まるまでの求職中にだけ得られるものと思っていたのだけれど、実際それは雀の涙で、本討ちはその後に続くものだったのだ。

仕事が決まると、再就職手当という、いわゆるお祝い金のようなものが給付される。これが結構な額で、再就職手当とは「こんなにいただけるのか⁉︎」とたいそう驚いた。
これはダラダラと失業保険を受けることを阻止するための狙いなのだろうか。「早く就職すれば、もっとあげるよ」というカラクリになっているような気がする。。。
いや、もしかしたら本来もらう額をまとめてもらっているだけかもしれない。
いずれにしても、まとまったお金が一気に振り込まれると、かなり得をした気分にはなる。

再就職手当の額はそれぞれだけれど、夫の場合はかなりの額が給付された。
その決定金額の通知として送られてきた用紙に目を通すと、更なるご褒美が用意されていたのだ。

それは半年後継続して勤務していれば、さらに就業促進定着手当なるものの給付があるのだ。ただし、条件があって前職よりも収入が減った場合のみとなっている。

年俸が大幅に減少した夫に、バッチリと当てはまる。これを逃してなるものかと、忘れないようにカレンダーの半年後の日付に赤丸を入れておいた。



ところで、夫は日本語が読めない。平仮名なら少しは読めるけれど、それは小学校1年生レベルだ。
ハローワークから送られてくる書類などは、最初から放棄して私に丸投げしていた。
つまり、これら給付金についても、私が教えない限りはわからないのだ。

さすがに内緒にして私が給付金を着服することはできない。会社から書いてもらう書類や収入に関する証明など、用意しなければいけないものもあるので、一応は夫に必要書類の準備が必要なことなどは告げなければいけない。

しかし書類のやり取りは、会社と私との間で直接処理してしまうので、夫は「妻がこんな書類を送るのでよろしく」と、ちょっとだけ口添えするだけなのだ。

昨年末から少しずつ申請の準備を始め、ようやく必要書類の準備が整ったところで、あらかじめ用意していた委任状を持って、いざハローワークへ向かった。

年が明けて間もない頃だったので、多くの人で混雑してるかと覚悟して行ったのだけれど、実際はそれほどでもなかった。

なにぶん初めてのことなので、受付で訪ねてみたところ、案内されたのは失業保険給付窓口のあるエリアだった。

そこには番号札の入った大きなファイルが置いてあった。説明を読むと、そのファイルに必要な書類を入れ、備え付けの黄色いボックスに入れ、番号札を抜いて待てばよいとのこと。

用意してきた会社からの書類や給与明細のコピー、委任状など一式ファイルに納め、黄色いボックスに入れた。
私の小さな鞄には収まらないくらい大きな番号札を手に、待合の椅子に腰掛けた。

そこには20代から50代くらいの男女が数人いた。中には夫と同じくらいの年齢の外国人男性の姿も見られた。

次々と番号が呼ばれる。
「内容によって順番が前後します」と、そこかしこに書かれているように、呼ばれる順番は若干前後していた。

30分経過しても、まだ私の番号は呼ばれない。。。呼ばれては次々と席を立って行く人々。番号はどうに40人くらいは追い抜かれていただろう。

しかし、私は待つ術を知っていたので問題はない。
人気のお菓子を買うために最長で2時間並んだ経験がものをいう。昔取った杵柄だ。
こんな時は、スマホはてなブログのアプリを開きさえすれば、いくらでも時間を潰すことができる。

なんと言っても3つもブログを持っているのだ。書かねばならぬことはいくらでもある。
書くのに飽きたら、今度は写真の整理と加工という作業もある。
メインのお菓子ブログのために撮った無数の写真群の中から、これぞ!というものを選び、トリミングしたり明暗調整したり、夢中でやっていると、数時間などあっという間だ。



私の番号がようやく呼ばれたのは40分ほど経ってからだった。
通常の失業保険給付を受ける方々は、カウンターで立ったまま一言二言交わし終わりのようだったのだけれど、私は椅子のあるお席に着席するように促された。

これからなにを探ろうというのか、どんなことを聞かれるのか少しワクワクしていたら、ただの身分確認だった。
夫の代わりのため、委任状を提出していたので、私が何者かを確認する必要があったのだ。
顔写真付きがいいだろうと、免許証を提示し、細かくチェックするのを見ていた。

免許証が返され、さて次はなんだ⁉︎と思っていたら、それで終わり。。。
申請は身分確認だけであっさりと受理され、「あとで書面で通知が行きますから」の一言でお開きである。
あの40分という待ち時間の間に、一体なにがなされたのだろう。
たった数枚の書類を確認するだけで、あれだけの時間がかかるということは、なにか裏取りのようなことがされていたのではないか?

徴収する時は簡単に「払いなさい。そうでなければ延滞金がつきます」で済ませるけれど、あげる段になるととたんに渋くなるのがお国の得意芸である。
どこかで粗探しでもしていての40分ではないのか?と、疑心暗鬼になる。

前もどこかで書いたことがあるのだけれど、こちらから申請しない限りは給付を受ける権利があっても、あちらからは「あげるからいらっしゃい!」などと、親切な声掛けなどはしてくれない。
それは雇用保険に限らず、一時が万事なのだ。
雇用保険を払い続けていたにも関わらず、知らなければ一銭も懐には入らないということだ。

そして、いざ申請したらしたで、今度は目を皿のようにして、8枚足らずの書類に不備がないか40分もかけて確認するのだ。

文句ではない。お金に関することはそれくらい徹底してくれたほうがいいとさえ思う。

しかしながら、安心安全な日本だけれど、ボーッと生きていては損をするばかりなのかなと思ったのも確かだ。

まだ給付の決定通常は届いていない。
どれだけ時間がかかるのか、大まかな目安だけでも聞いておけばよかった。
お役所のやることなら、きっと時間はかかるだろうけれど、それは構わない。
一番気になるのは、給付額である。

全額着服しようとは思っていないけれど、夫には「足代、お駄賃は頂きます」と伝えてある。

今月、来月と何件か旅の予定がはいっている。旅先で美味しいものが頂けるくらいのお駄賃は欲しいものだ。

初詣は氏神様へ。おみくじは今年も大吉、その意味を読み解いてみた。


明けましておめでとうございます!

今年もまた氏神様の元へ初詣に行った。
以前は神田明神明治神宮、子供達の受験年には湯島天神など、誰もが知るような神社で初詣をしていたのだけれど、ここ数年は自分が住む街の氏神様の元へ行くようになった。

大きな福を得ようと勢いのあった頃は、なんとなく大きな有名な神社に足が向いたものだけれど、そんな強い欲が落ち着き、日々の変わらない暮らしを願うようになってからは、いつも近くで見守ってくれている神様に自然と足が向くようになった。

我が街の氏神様がいるのは、住宅街の中にひっそりとある小さな神社だ。
それでも三ヶ日には近隣の多くの人が初詣に訪れ、なかなかの混雑ぶりを見せる。

昨年は次女の受験などもあったので、3日に家族で詣でたのだけれど、まだ結構な人出だった。
しかし、しっかりと願いは受け入れていただき、無事に次女は合格を頂いた。
ちなみに、その前の年は有名な某学問の神様を詣でたのだけれど不合格だった。あまりにもお願いに訪れる人が多いので、全員には手が回りませんといったことなのかもしれない。
やはり氏神様の元へ行って正解だったのだ。

今年は一人だったこともあり少し遅い4日に詣でた。

手を合わせて昨年の御礼をしたあと、小さな神社の中を一回りしてからおみくじを引いてみた。

昨年は大吉だった。
家族は皆、末吉だったので確率的には一般で言われるように15〜30%ほどの確率なのだろう。
さすがに今年も大吉を望むのは欲張り過ぎだと、中吉あたりでお願いしたいと思ったところ。。。



なんと、結果はまたしても大吉だった。

いつもはサッと手に触れたものを引くのだけれど、今年はちょっとばかりゴソゴソしてみた。
手でおみくじがたくさん入っている箱の中をゴソゴソとし、「おお!これぞ」という感触のあるものを引いたのだ。
その結果の「大吉」だった。

これで今年も安泰だとほくそ笑む自分の性格。。。実に単純である。誰でも大吉を引き当てればいい気分になるのだろうけれど、私は本気で「2年連続の大吉とは、もはや私の人生は約束されているも同然」とばかりに有頂天になる。

さらには欲を出し、「この勢いで宝くじなど買ったら、当たってしまうのではないのかしら⁉︎」とまで思う。
実際に試したことはあるけれど、残念ながら大当たりはなかった。
しかし、たとえ数百円でも当たれば「ほらほら!やっぱりついてる!」と、有頂天にさらに拍車がかかる。 

運もさることながら、実はこの能天気さこそが福を呼び込んでいるのかもしれないと思うのだった。

何事も深刻にとらえない。
いや、一応は人並みに深刻に悩んだりもするのだけれど、そんな状態が続くとうんざりして面倒になるのだ。「もうどうにでもなればいいわ」と投げ出すので、側からみるとかなり能天気に生きているように見えるらしい。
よく言えば楽天家、悪く言えばいい加減というのだろう。

そんな単純な私なので「大吉」となればすべてにおいて絶好調も同然と思っていたのだけれど、書かれている文言をよくよく読んでみると、どうやらそうでもない「大吉」があるらしい。

50年以上毎年おみくじを引いてきて、初めて知った事実。。。



「願望は後に整う」とのことだけれど、「待ち人は来らず」、「失物も出がたし」とある。商売は「買うのは損 控えよ」なのだそう。。。
なんだか「末吉」あたりで出てきそうな文言だ。

これはそのままストレートに解釈するのではなく、今の自分に当てはめ、その意味を読み解く必要がありそうだ。

「待ち人」待っている人はいないので、来るはずもない。

「失せ物」も失くしたものなどないので出てくるはずもない。

商売は「買うのは損」とある。もはや商売っ気など出さず、財布の紐をしっかりと締めて、無駄な出費はするなという節約のすすめ。

そのように都合よく考えれば、これもありがたいアドバイスだと素直に受け止めることができる。

色々と面倒くさいことを考えたけれど、結局なにが書かれていようが、「大吉」なのだ。おみくじの中で一番の大吉を引き当てたのだ!
もうそれ以外はなんでもいいではないかと思う。

神様の言いたいことも一つだ。
日々、感謝の心を忘れず祈れば、きっとご加護があるでしょう!ということなのである。
困った時は神頼みをするくせに、実際は神様の存在に対して半信半疑な私の心を、氏神様は見透かしているのだろう。

神様を信じて祈りなさいと、重ねて書かれていたくらいなので、神様も私の信心に対しては半信半疑なのかもしれない。

厳しく「凶」を与え、己の行いを顧みてその心を改めるという逆境は、この人間においては逆効果。それなら「大吉」を与えて有頂天にさせた方が、よい人間になりそうだという神様の判断なのかもしれない。

もしそうだとしたら、やはり神様はすごい。しっかりと我々の行いや心のうちを見てくれているということなのだ。

「信じるものは救われる」と言う。

今年は是非とも神様に祈ろう。

ところで、少し前にこのブログで書いた「更年期による不安症、心配症」については、年が変わってから改善されてきたように感じている。
特に初詣に行って以来、なにやらスッキリとして、寝る前に動画など観なくても平気になった。

またいつぶり返してくるかはわからないけれど、初詣というのは気持ちをリフレッシュし前向きにしてくれる効果があるのだと実感している。
よくパワースポットなどと言うけれど、あながち嘘ではなく、心身浄化という意味では意味のあることなのかも知れないと思ったのだった。。。