In other words

I really don't know life at all ...

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2021年の始まりに思う、限りある時間を無駄にせず、後悔のない一年に!

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    HAPPY NEW YEAR


新しい年を迎えたと思ったら、もう一日が終わる。。。

「光陰矢の如し」というけれど、本当に時間が経つのは早いもの。

歳を取ればとるほど、時の流れが早く感じるというけれど、それは本当のことのようだ。

まだまだ若いと思っていた自分が、あっという間に50を過ぎるとは。。。
おかしなことだけれど、自分が歳をとるという確かな事実が実感できずにいた。そしてある時急に、その事実を認め愕然。。。そんな感じだった。

今ではもうそんなことはなく、十分に自分がれっきとした中年になった事を認めているけれど。

そして、しばし悲観していた自分の老いにも素直に向き合えるようになったいま、今度はこれからの人生に思いを馳せるようになった。

まだまだ楽しめることはたくさんあるはずだ。
やりたいこと、行きたいところ、見たいもの、数え上げたらきりがないほど、まだまだ経験したいことがたくさんある。

まだ50代。人生80年あるとすれば、30年近くは時間があるということになる。

しかし、そう思っていてはいけない。

「光陰矢の如し」で、その30年もぼんやりしていると、あっという間に過ぎてしまうだろう。
運が悪ければ、途中で病に見舞われることもあるかもしれない。

年老いた母の姿を見て、そう思った。
曲がり始めた腰、シワシワになった肌、歩く速度も極端に遅くなった。

そんな身近な老いを目にすると、これはいつか自分も行く道なのだと思う。





時間は有限だ。自分に与えられた時間がどれだけあるのかも、誰にもわからない。

だからこそ、時間を無駄にしてはいけない。

若い頃は「明日できることは、明日やればいい」と、のんびり構えていたけれど、それではいけないのだ。

やりたいこと、やるべきことは、できるときにすぐにでもやることだ。
それこそが後悔を残さない生き方といえる。

迷っている時間もないし、ましてや後回しにしている時間などない。

私にもやりたいこと、行ってみたい場所、食べてみたいもの、そんなことがまだまだたくさんある。

新しい経験をしてこそ人生は楽しめる。

そう思って生きてきたけれど、未経験のことは数知れない。

新しい年を迎え、また一つ私も歳をとる。

漠然とではなく、具体的に何をするか明確にして、一つ一つ実現していきたいと思った。

昨年はコロナ一色で終わってしまったような一年だったけれど、今年はそんなコロナ禍でも何ができるか?

もう少し考えて充実した一年を送りたい。

2020年の終わりに。平凡こそが幸せと思う一年の終わり。全てに感謝を込めて。

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年末早朝の築地本願寺

今日で2020年も終わり。。。

大掃除もお正月料理の下準備も終わり、年越し蕎麦も食べた。

ようやくホッと一息。。。あとはのんびりと、年が明けるのを待つのみ。

毎年同じようなことをして、同じような気持ちで一年を終えている気がするのだけれど、それが一番なのかなと思う。。。

飛び上がって喜ぶようなこともなければ、逆に悲嘆に暮れるような出来事もない。
言ってみれば平凡な日常を重ねて迎える年越しといえる。

若い頃は気づかなかったけれど、今なら「それこそが幸せの形」であるとわかる。
しかも、パーフェクトな形だ。

暖かい部屋の中で、好きなものを食べながら、家族で笑って年を越せる。それ以上に幸せなことがあるだろうか。

そんな一年の終わりを迎えることに感謝したい。





誰もがコロナ一色であった今年、二つのサブブログを作った。

メインブログはトータルすると週休一日ペースで更新。これは昔から変わらない。

そして新しく作った日記ブログは毎日。
日記なので、毎日欠かさず書こうと、私にしては珍しく高いハードルを掲げてみた。

そんな二つのブログの間で、微妙に存在しているこのブログ。
下書きにはたくさんの「呟き」があるけれど、なかなか投稿までには至らない。

無理なく、気が向いた時だけ。
そう思っているので、かなり投稿数も少なく、存続しているのだかしていないのだか。。。そんな具合だけれど、私なりに継続しているつもり。

多分、来年もこんなペースでいくのだと思う。

そんな気まぐれなブログでも、少しは見にきてくれる人がいる。

そんな方々へ。

今年も一年、ありがとうございました。

よいお年をお迎えください。。。

と、それだけが言いたかったのです。

話を聞いて欲しい女と話を聞かない男。相手に対する思いが適当だからこその円満。

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我が家の夫は完全なシングルタスク人間。

一つのことに夢中になっていると、まったく他のことは目にも耳にも入らず、一点集中。

それがプラスになることもあり、もっぱらその並外れた集中力が仕事の上では強みになっているともいえる。

しかし、家庭内において、それはマイナスにしか作用しない。
そのせいで、家族は呆れ果て、もはや話しかけようなどとも思わなくなる。

私はもう何十年もそうした夫と共にいるので、当たり前のこととして受けとめている。確かに不満はあるけれど、それも我が家の生活を支える上でメリットとなっていることも否めないので、黙認している状態だ。

しかし、子供たちは違う。何かに夢中になっていると、娘が話しかけても無視同然。
ほのたびに「ダディー‼︎」っと大声で怒りをあらわにする。

子供達も勝手なもので、自分たちが話したいときは、こちらが何をしていようがお構いなしだ。
しかも話しておかなければいけない大切な要件ならともかく、そのほとんどがくだらない話だ。

「これ、すっごくおもしろいんだけど」などと、YouTubeTikTokの馬鹿げた動画を見せにきたり、「誰々がこんな変なことをしている」など、まるで自分の生活とは関係ない話を、隣に張り付いて延々としてくるのだ。

本当なら「くだらない!もっと自分のためになることに時間を費やせ!」と一括したいところだけれど、私は「うん、うん、おもしろいわね!」と、それを聞く。

明るく振る舞っていたとしても、人の心の裏側にはどんな思いが隠れているかわからないものだ。
そして話すことによって気持ちが楽になったり、気が紛れたりもする。

どんな話かが問題なのではなく、自分のところに「話を聞いて」とくることが大切で、そこで受け入れるか突き離すかで、心の在り方は大きく変わってくると思っている。

なにがあっても、どんなことであろうとも、話を聞いてくれる人がいる。

そう思えることは、心強いものだ。とくに女の場合は他者に強く共感を求める傾向にあるというから、話を聞いてあげて、共感してあげることが心のケアに繋がる。

他のことをしながら、「そうだね」と話を聞くことは、それほど難しいことではない。ほんの少しだけ、そちらに意識を傾ければいいだけなのだから。

しかし、夫はそれができない。一度に複数のことに向き合うことが苦手なのだ。

外国人である夫は徹底した個人主義だ。何事もまずは自分ありき、自分の利益を最優先して物事を判断する。

それに加えてのシングルタルクなものだから、自分が何かしていればそれが最優先。子供達のくだらない話など、耳に入らないのだ。

私は割と自己完結型なので、困ったことや悩ましいことがあってもほとんど人に相談はしない。
いいこと、悪いこと含め「聞いて!聞いて!」と相手に何かを求めることはあまりない。

その役割は大方、ブログが担ってくれてあるせいもある。
心に溜まった澱はすべてブログにグチグチと書き綴ることで、なんとなく浄化された気がするので、一人で悩んでいるには変わりないけれど、かと言って行き場のない思いを抱えるという感覚はない。

ありがとうブログ。。。





とにかく、そんな性格なので「話を聞かない」夫と長年共にいることができるのだろう。

夫が話を聞いてくれない。
夫が理解してくれない。
夫が自分に対して無関心。

そんな理由で離婚した友人もいる。

豊かな経済力、安定が約束された老後を捨て、50歳目前で家を出て、苦しい生活を余儀なくされながら、それでも話を聞いてくれない夫とは一緒にいたくなかったと言う。

それほどまでに、人に話を聞いてもらうことを求める女性もいるのだと、ちょっと驚いたものだけれど、子供達が「聞いて!聞いて!」とくるたびに、そんなものなのかなとも思う。

男だから、女だからと性別で一括りにするのはちょっと乱暴な気はするけれど、概して女の方が自分の気持ちを誰かと共有したいという気持ちが強いように思う。

我が家でもよくあることだけれど、「なんでこれをしてくれなかったの?」と言えば、「やってって言わなかったでしょ」となる。

こちらの感覚では、言わなくてもわかるでしょ?といったところなのだけれど、相手からしたらそうではないのだ。

特に外国人である夫は、なんでも口にしなくてはわからない。「忖度」などと言う感覚は欧米人には通用しない。

「想像力が足りない!相手の身になって考えればわかる!」

私がそう言えば、

「私はエスパーではない!日本人は言語を用いずに会話ができるのか?」

と、若い頃はよくそんなやりとりをしたものだ。

結婚して20年以上ともなれば、結局は水掛け論に着地すると決まっている不毛は口論は自然と避けるようになった。

話を聞がない人に「聞いて」と迫るのは所詮無理なこと。それを求めるから喧嘩になったり、イライラしたりするのだ。
最初から「この人にはできないこと」と期待しなければ怒りも湧いてこない。

人間、時に諦めも必要なのだ。

そものも男と女では生まれつき備わった能力が異なる。それに輪をかけて我が夫は究極のシングルタスク。。。そんな夫にとって、家族の戯言など存在しないも同然。

そういうものだと早々に諦めたことが、未だに離婚もせずに連れ添っている理由なのかも知れない。

よく、結婚したら相手のことは片目で見るくらいがいいというけれど、なるほどと思う。

言葉は悪いけれど、我が家のように相手に対して「適当」な思いいることが、すなわち「諦める」ということであり、円満の秘訣なのだろう。

真剣になど向き合っていたら、ストレスでおかしくなっていたはずだ。

お互いに適当な人間であることが幸いした。それも相性ということなのだろうけれど。。。