In other words

I really don't know life at all ...

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子供の自立と自身の老後。子供の世話になる老後はありか?


少し前、我が家の長女が家を出て一人暮らしを始めた。家を出たとは言っても、車で10分程度の距離なので、いつでも行ったり来たりできるご近所自立だ。
それでも同居しているのとしていないのでは大違い。気分的にも何やら一仕事終えたような爽快感がある。

長女は無事に自立してくれたので、残るは大学生の次女だけ。あとは3年半、大学を卒業するまで学費と生活費の面倒を見れば、私達夫婦の子育ても完全に終わる。

結果はどうあれ、大学を卒業するまで、親としてできる限りの衣食住の面倒、教育費の支払いをコンプリートできれば、親としての役目を果たしたと判断していいと思う。

子供二人を育て上げるのは、とても大変なことだ。
時間も手間もお金も、どれだけ必要なのかと途中途中で不安になるほどだった。

どんな親でも子供にはできる限りの育成環境と教育を与えたいと願うものだ。
しかし、教育費というのは、かけようと思えば際限がない。どこかで妥協しなければ、それこそ破産しかねないほど、湯水の如く流れ出していく。

我が家も子供の特性によって、受ける教育を選んだ結果、かなりの経済的負担を負うこととなった。

高校卒業までは公立、大学も国立なら少しは負担も軽くなるだろうけれど、必ずしも子供達がそれを望むとは限らない。
我が家もそうだった。私立校やインターナショナルスクールなどを選んできたため、教育費は想定をはるかに上回る額となってしまった。
幸いなことに次女は国立の大学へ行ってくれたので、かなり学費は軽減された。
とはいえ、それまでの教育費が重過ぎて、そのダメージは未だに消えていない。





子供を何某の人物に育てたいなどという気は微塵もなく、ただ本人達がやりたいこと、進みたいと望む道へ進めるようにした結果、とんでもなく教育費がかかってしまったということだった。

時に夫のお給料だけではまかないきれず、私の貯金から教育費を出したりしたことも少なくない。

そこまでして身分不相応、家計管理がなってない!と思う方もいるかもしれないけれど、私はそうしてまでも、子供にしたいことをさせてあげたかった。
それは自分がかつて親にしてもらったことであり、それが今の幸せに繋がっていると信じられたからだ。

老後のための資金になると思っていた貯蓄もかなり目減りした。
さすがに私は不安になってきたけれど、夫自身は少なくとも、あと10年は働くだろうから問題ないと楽観している。
確かに教育費の負担も来年からは次女1人分だ。国立の学費は私学の半分以下。
これまで子供の教育に関する補助的なものはあっても、所得制限付きでその恩恵を授かることはなかった。
ここでようやくその悔しい思いを晴らすことができたので、少しは税金を払う意味を見つけられた気がする。

それはともかくとして、バイトなどで学費、交通費以外は自分で工面できる年齢なので、子供にかかるお金は大幅に軽減されてきた。

残りの10年で安心できる程度にまで貯蓄を増やし、夫と二人でのんびり遊んで暮らす老後が目標だけれど、計画した通りにいくとは限らない。

何事も一寸先は闇である。





長女の引っ越しに際して、新生活の買い物や引っ越しの手伝いなどで、長女と過ごす時間が多かったため、忙しいながらも、普段はしないような話をゆっくりとする時間を持つことができた。

話の所々で、前述したような事情もふまえ老後不安を口にすると、「心配しなくて大丈夫。もし困ったら私が面倒みるから」という言葉が返ってきた。

なんと頼もしいことか、しかし感謝はすれど、そう簡単に好意を受け入れるわけにはいかない。
親子だからこそ、自立したらお互いに持ちつ持たれつは避けたいと私は考えている。

自分は自分の人生が、子供には子供の人生がある。

親が子供に対して犠牲を払うのは構わない。それは産んだ者の責任だからだ。
しかし子供は決して親の犠牲になってはいけないというのが私の持論だ。

これは私と実母のこれまでの関係から生まれた考えだった。
実母は経済的な面では問題ない。持ち家に住み、十分に貯蓄もあり、年金もかなりの額貰っている。
お金の面では面倒を見る必要はない。
幸いなことに身体の方も元気だ。多くの後期高齢者が介護を必要とする中、実母は80を過ぎても自分のことはなんでもできる。
その点は感謝しているけれど、それだけではない。

昔から何か厄介な事が起こると、当たり前のように私に丸投げしてくる。
他の兄弟にではなく、結婚により家を出た私にだ。





実母はいつもそうだった。大変なことがあると、私にどうにかしろと丸投げし、あとは知らん顔だった。
他の兄弟に対しては「家を継ぐべき人間は大変なのだから」という理由で、厄介事からは遠ざけたいと、大変なことから常に守ろうとしていた。
その皺寄せがすべて私にきたというわけだ。それは今も変わらない。

父が亡くなったとき、私は相続する権利を放棄し母と兄弟にすべてを渡した。
それは私が外に出た人間だと自覚していたからだ。
同時に実家で起こる厄介ごとには、今後一切巻き込まないでほしいという意思表示でもあった。

実母も兄弟もそれに対して異論はなく、当たり前のように受け入れたと思っていたのだけれど、未だになにかあると、真っ先に私のところへくるのだ。

身体が不自由であるなら娘として面倒をみてあげるのはわかるけれど、80を超えてもどこも悪いところなどなく、ピンピンしている。
私の方が病院のお世話になる機会が多いくらいだ。

こちらの都合構わず、なにかというと厄介ごとを持ち込み、子供なら親のために動いて当然とばかりに、面倒なことは全て押しつけてくる。
そんな姿を見せられ続けると、私は子供にそんな思いは決してさせまいと思うのだ。

子供の足枷になど、なにがあってもなりたくない。たまに美味しいお菓子をプレゼントしてもらったり、素敵なレストランに連れて行ってもらうくらいは許容範囲だけれど、生活の面倒を見てもらうなど、真っ平御免だ。

そんなに困ったら、お婆ちゃんでも雇ってくれるところを探して、働きに出た方がよほど気楽だ。

私の知人に、親に毎月お金を渡している人がいる。元々は旦那さんのお給料で生活していた専業主婦だったのだけれど、親にお金を渡さなければいけないからと、パートに出て、そのお給料は全額親の生活費にまわすそうだ。

育ててもらった恩というものなのだろうか、私は当事者ではないから本心はわからない。ただ、いつも疲れていて、事あるごとに「仕方ない。。。」という言葉が漏れるところを見ていると、負担に感じているのだろうと思う。
自分の子供達に、そんな思いはさせたくはない。





しかし、それは健康であったらの話だ。
例えば、病気などで動けなくなった時などを考えると、「誰の世話にもならない!」などと断言できる自信はない。

そんな状況でもしも生活に困窮していたら、子供達から差し伸べられる手を振り払えるだろうか?
プライドでお腹はいっぱいにならないのだ。

事情によっては、子供の世話にならなければいけない可能性もあるということだ。

やはり先立つ物は必要だ。

「子供の世話にはならない」

そんなプライドを守るためにも、今後10年間はせっせと貯金を増やし、どんな状況になっても生きていける経済的な力を強化しなければと、強く思う。

そして何歳になっても、自分の足で歩ける健康な身体と、気丈なメンタルを維持し続けること。

これからの目標はそれに尽きる。

これまでは漠然としか想像できなかった老後だけれど、もう少し具体的に計画を練る必要がある。

どこに住み、どんな暮らしをするか。理想とする暮らしはあるけれど、それを実現することは可能か、またどうしたら実現できるのか。
くだらない夢や妄想は捨てて、そろそろ現実と向き合わなければならない。

これまでのように、何も気にせずに暮らしていたら、ちょっと不安だ。
経済面、自身の健康面、暮らしのかたち、様々な面から老後の生活がどんな形になるかを導き出し、少しでも理想の暮らしに近づけるよう、努力していく必要がありそうだ。

まずは健康に留意し、無駄遣いを省いて老後に備えるところから始めてみよう。

そんな基本的なところに関して、まったく無頓着に生きてきた脳天気な自分を悔いる暇はない!

さもなくば、プライドを捨てて、子供の世話にならなければ生きていけない老人になってしまう。

どう考えても、やはりそれだけは避けたい。

まだ50代だ。楽天家の夫が言うように、これから軌道修正はいくらでも可能だ。

今後10年の頑張りで、老後が決まると肝に銘じて、真面目に生きていこうと思うのだった。

40代〜50代女性に向けた「人生でやり残したこと」アンケートの結果について。老後の生きがいや生活について思うこと。

以前、ネットで某美容系会社の行った「第二の人生に対するアンケート調査」なるものを読んだことがあった。

これまで実感もなく口にしていた「第二の人生」という言葉。
コロナ禍による生活の変化は、のんびりと過ごしてきた専業主婦にさえも、決して少なくはない影響を及ぼした。
社会が丸ごと変わってしまったような予期せぬ出来事に、心境の変化といったものが芽生えたのだろう。第二の人生について、現実味を持って真剣に考えるようになった。

件のアンケート調査の中に「これまでの人生でやり残したこと」が具体的に挙げられていた。

「やり残した」ということは、できなかった、またはやりきれなかっということで、もう時すでに遅しという意味と理解してもいいのだろうか。

オリンピック選手を目指す!などという夢のような願いでなければ、まだまだこれからだってできることはたくさんあるでしょ?と思わないでもない。
しかし、同じことをしても、それが20代の時か50代かではやはり大きな違いがあるのは否めない。そう考えると、やはり「やり残した」ということは、物事によっては「できなかった」という意味にも等しいと考えられる。


では、一体何をやり残したのかといえば、以下のようなアンケート結果が記されていた。

1位 旅行

2位 貯金

3位 自分磨き

4位 趣味

5位 ダイエット

6位 恋

この結果を見て、「は?」と思ってしまったのは私だけではないはずだ。

なんだか、あまりに平々凡々とした事柄ばかりで、これって本当なのかしら?とちょっと疑った。なんでもすぐに疑うのは悪い癖だ。
やめよう。。。

それもしても「やり残したこと」というからには、もっとすごいことを想像していたのに、この誰でも一度はやったことのあるようなことが結果なのか⁉︎

よくよく記事を読んでいくうちに解ったのは、実際に「やったことが」あるということではなく、そこに納得する結果が伴っていない場合、それは「やり残したこと」と解釈されるようだった。
つまりは「もういいです。お腹いっぱいです」というくらい、経験しなければいけないことのようだ。

経験こそしてきたけれど、ロクな結果を残さなかった私としては、「なんという欲張りな!」というのが正直な感想で、一度でも経験すれば御の字ではないの⁉︎と思うのだけれど、世の中のアラフィフ世代は志高く生きてきたようだ。。。





自分は何をやり残したのだろう?と考えてみた。相変わらず意味のないことを考えるのが好きだ。

アンケートの結果に沿って見ると、まず1位の旅行。これは若い頃から国内海外問わず、かなりあちらこちらふらふらとしていたので、やり残したとは思わないので◯である。

2位の貯金。ここは少し難しい。時代がよかったおかげで、若い頃は貯金するという意識を持たずとも、自然と残高は増えていった。
そこは◯なのだけれど、後々子供の教育費がかさんだりと、かなり目減りした。
もっとあったらよかったのにな。。。くらいは思う。
されど、「やり残した」と後悔するほどではない。
若いときはお金よりも、さまざまな経験をして、人生の春を楽しむことのほうが価値があると思っているからだ。
お金を蓄えるよりも、経験値を上げることに投資したと考えれば、結果的に◯なのだろう。

3位の自分磨き、4位の趣味に関しては、あまり求めていなかったのか、ほとんど記憶にない(笑)
この歳になって、ようやく「趣味が欲しい」と切実に思うようになり、最近はパン作りをしたり植物を育てたり、ブログを書いたり、温泉行ったりと、趣味とも言えるようなことを始めたりもしているので、まだまだ新しい趣味を楽しむチャンスはある。
やり残したとは言わない。

自分磨きに関しては、そもそも興味がないので、今後も目を向けることはなさそうだ。
あわよくば加齢による劣化を少しでも遅らせるために、美容液を奮発するくらいのことはするだろうけれど。。。

5位ダイエット。この回答は少し疑問だ。若い頃と今を比較すると、今の方が断然その必要性を感じるからだ。
見てくれだけでなく、それは健康に直結する重要課題なのである。
つまりは「やり残した」などとションボリしている場合ではなく、今もなお現在進行形の問題というわけだ。

6位の恋。数は多くも少なくもなく、人並みに恋愛を楽しんだ末、好きな相手と結婚でき、子供まで授けてもらったので、これも◯と言っていいだろう。
それで十分。やり残したなどとは露ほども思わない。
50代になってまで、「もっと恋がしたかった」などと思うほど色ボケはしていない。
恋などという一時の気の迷いに心を砕いていては時間がもったいないとすら思っている。


振り返ってみれば、そこそこ満足できる程度にしてきかたと。。。
あくまでも自分基準でのお腹いっぱい度である。





「やり残した」と感じるのは、やりたくてもできなかったという後悔を残したこと。
自分がこれまで生きてきて、そう感じるのはどんなことなのだろう?と改めて考えたとき、これといった具体的なことが浮かばなかった。
そうかといって、やり切りました!と言えるほどでもない。。。

そこで思い当たるのが「努力」だった。
時代や生まれ育った環境が恵まれていたせいで、努力せずともやりたいと思ったことはほとんどできた。欲しいものも手に入るような生活で、実に安穏と暮らしてきた気がする。

ただ、そのせいで努力しなくてもなんとかなると、自分にとって楽な生き方しかしてこなかったという後悔はないと言ったら嘘になる。

もう少し欲を持って、高みを目指す「努力」ができたのなら、のんびり韓流ドラマを観ながら過ごすような専業主婦にはならなかっただろう(笑)
確実に今とは違う人生だったはずだ。

それでも、この人生も悪くないと思ってしまうのは、やはり根っこの部分で努力や辛抱が苦手な人間なのだろう。

細かいことを言えば、もちろんやれば良かったなと思うような事はあるけれど、その当時の自分が、これはなくてもいいかなと決め、自分が選択してきたことなので後悔というのはない。
今の自分は全て自分自身の選択によってあるものだ。そう考えれば、今あるこの生活に不満の持ちようもない。

不満など口にしようものなら、すぐさま「自業自得」という言葉がこだまのように繰り返し、これでもか!というくらいに返ってくるだろう。

40代で大病をしたとき、初めて自分はあとどれくらい生きられる?と、自分の人生を振り返る経験をした。
冗談ではなく、生存確率が非常に低い病だったため、真剣に残りの人生でやり残したことはないか?、これからなにがしたいか?そう考えたのだ。

その時に思ったのは、「まぁ、やりたいことはやってきたし、いい人生だった」ということだけだった。
残された人生で特別やりたいと思うこともなかった、普通の日常を家族と過ごせればいいというくらいで。

そこには後悔などなく、「色んなことができたし、楽しかったな」という思いがすごく大きかったのを覚えている。

あんまり無欲なのは考えものだけれど、欲張りすぎるのもよくないし、他人との比較も意味がない。

自分の身の丈で考えて、楽しい人生だったと思えれば、結局はそれが一番幸せなことなのだと思う。





そんなサバイバーな私も、第二の人生をどう過ごしたいか?
せっかく命拾いしたのだから、それを無駄にしてはバチがあたるというもの。
人生後半戦というリングに立たせて頂いたからには、しっかりと戦わなければいけない。
50代となってもまだまだ終わりではないのだ。

今後の人生になにを求めるか、それに対するアンケート結果も出ていた。

1位 健康
2位 パートナー
3位 住まい選び、ひっこし、移住

こちらの結果、まず1位は同意しかない。
若い頃は健康であって当たり前と過ごしてきたけれど、40代になり立て続けに病気をしたことで、健康のありがたみを実感したと同時に、どんなことも「健康があってこそ」と思うようになった。

ただ、2位はピンとこなかった。。。
夫と共に生きる?別に離婚などを考えているわけではないけれど、私は基本的には自分一人の単位で考えた方がいいと思っている。
今はなんの問題もなく良好な関係であっても、1年後にどうなっているかなど誰にもわからない。

なによりも、自分がやりたいことと夫のやりたいことが同じとは限らない。それぞれが好きなことをして、どこかで接点があれば一緒にというくらいがストレスもなく、一番いいかなと思っている。

3位の住まい選びに関しても、あまり深刻には考えていない。
本当はもう少し深刻になったほうがいいのだけれど。。。

今は都心暮らしが快適だと思っているけれど、田舎暮らしへの憧れもある。そのうちもっと静かなところへ行きたいと思うかもしれない。

国際結婚のメリットで、日本が住みづらくなれば、海外へという選択肢もある。


ただ、美味しいものがすぐ手に入ること、病院があること、これだけはマストなのだけれど(笑)
そうなると、やはり東京にいるのが一番楽かなと思ったり。





理想の老後。。。
これからどう過ごしたいかといえば、ありきたりだけれど、いつまでも健康で、気が向いた時にはふらっと一人で旅行したり、あとは家で美味しいお菓子でも食べながら韓流ドラマなどを楽しみ、たまにお友達と会って。。。
想像できるのはそれくらいだ。
すっかり欲が抜け落ちているようだけれど、これほど贅沢な暮らしはないと、自分では思っている。


基本的には自由でありさえすれば、他に求めるものはない。ただ、この自由というのが、そもそもすごく欲張りだとは思うのだけれど。

行動する自由だけでなく、好きなことをするための経済的自由というのもあるし、家族という繋がりにおいても自由でいたいとなれば、介護だとか、そうした言葉は悪いけれど、足枷となるようなことに縛られるのは嫌だとか。
結局、すごくわがままなことを求めている。

わかりやすく言えば、私の理想は『男はつらいよ』の「風天の寅さん」や『ムーミン』に出てくる「スナフキン」みたいな生き方だ。

これはひとりでなければ叶わないことだ。
私には家族があるので、それは無理だろうけれど、妥協しつつも子供達が独立したら、そんなふうに生活してきたいなとは夢見ている。

つまりはこれまで通り専業主婦として、欲を言えば、家事なし専業主婦として生きていければ満足ということだ。
欲があるような、ないような。。。

これはあくまでも理想なので、10年後どうなっているかはわからない。
途中でガラリと考え方が変わる可能性もある。自分の気まぐれな性格からいっても、十分に考えられることだ。

性格上、なんでもかんでも無理矢理にでもポジティブに転換しようとするせいか、過去も未来もとりあえずは明るい(笑)

能天気だとか刹那主義だとか、周りの人達からは、これまでも色々と言われてきた。50を過ぎた今でさえ「あなたは呑気ね」などとお友達を呆れさせることもあるけれど、それでも人並みに楽しい人生を送ることができているのだから、これも一つの幸せな生き方と言ってもいいのかなと思っている。
我ながら、本当にポジティブだ。。。

人生の春はとうに通り過ぎてしまったけれど、秋もまたいいものじゃないかと、最近は思えるようになってきた。

やり残したことを思うより、これからやりたいことに目を向けていこうと思う。

50代からのひとり旅。目的は一つに絞り、ゆっくりじっくり楽しむ旅へ。

先だって、ゆっくり温泉を楽しもうと長野へ行ってきた。
長野はとても好きな土地で、過去に何度も訪れたことがあるのだけれど、長野と言っても広い。

今回は「温泉」が目的だったので湯田中の方まで下ることにした。

ちょうど善光寺さんが御開帳とあって、長野駅などはこれまで私が訪れた中でも一番の賑わいだった。

この時期に長野を訪れたのも、何かのご縁かと善光寺詣を考えたものの、これはぎりぎりまで迷った。

ゆっくりと身体を休めるための旅なのに、御開帳とはいえ、人混みの中にまみれ疲れるのはどうかと。。。

その労力を想像しただけで萎える。

これがもし、御開帳目的の旅だったら?

そんな混雑も気にせずに、嬉々として善光寺さんを詣でていたはずである。

年齢とともに、さまざまなことを一度に片付けることが億劫になってきた。
旅行に限らず、普段の生活の中でも外出予定などは一日に一件と決めているくらいだ。
忙しなくハシゴすることを想像すると、うんざりと後ろ向きな気持ちになるのだ。

50代でこんな疲弊しているのは、少し情けない。。。

若い頃は決してそうではなかった。
日常生活はもちろん、旅先でも朝から晩まで見たいもの、食べたいものを求めてギッシリと予定を詰め込んでいた。
面倒になるどころか、それを嬉々としてこなしていたのだから、若さの持つエネルギーとはすごいものである。





今回の旅の目的は、「身体を整える」ことだった。

家族の雑事に振り回されて、疲れが溜まったのか、身体中がギシギシ。筋肉痛に加え腰の痛みが出てきたので、これはまずいと思った。
鉄は熱いうちに打たねばならぬ。

思い立ったら吉日。家族の予定などを考慮し、なんとか3日間を確保した。

行き先は静かな温泉ならどこでもよかった。目的は温泉に浸かり、のんびりと身体をリラックスさせること。それ以外は特にしたいこともなかった。

場所を行き慣れた長野にし、数日前にゆっくりできそうな宿を予約しておいた。宿だけは確保しておかないと、万が一宿なしになどになったらリラックスどころではない。

新幹線の切符は当日東京駅の券売機で買った。
この時期ならまず満席ということはない。満席だったら次の新幹線で向かえばいいだけだ。
指定席が取れなくても自由席という手もある。

時間に縛られないというのは、なんとも気楽なものだ。

訪れた温泉地は新幹線の止まる長野駅から特急に乗り換え、さらに1時間弱。そこから車で10分ほど。
宿が4軒しかないとても小さな温泉地で、周りには何もない静かな場所にあった。

娯楽施設はもちろん、飲食店もない。
若い頃であったら、決して選ばない場所だった。

観光で見て回るようなところもなし、写真を撮れる場所といえば、目の前に広がる山々と青々とした田んぼくらいのものだった。
それでもビルに囲まれたところで日々暮らしている私にとっては、そんな景色さえ物珍しいもので、旅気分を盛り上げることに不足はなかった。

とにかく温泉と寝る場所、質素でもお腹を満たしてくれる食事さえあれば、それで十分だった。





2泊3日、そんな何もない温泉地の小さな旅館にこもり、紛れもなく温泉三昧の時を過ごした。

日に何度も温泉に浸かり、敷きっぱなしのお布団にゴロリと横になって本を読み、時間がくれば運んできてくれる食事をいただき、のんびり過ごした。

2日目の昼間、少し散歩でもしようと歩いて30分ほどのところにある別の温泉街を訪れてみた。
たくさんの旅館や飲食店が連なる、とても栄えた温泉街であったのだけれど、昼頃だったせいで閑散としていた。

ひと回りして、開いていたお店があったので、おやつのパンと和菓子だけ買って、また元来た道をテクテクと歩いて宿へ帰った。

とてもよいお天気の日で、戻った時には汗だくになっていたので、また温泉にゆっくりつかった。

外出はこの一回だけで、あとはずっと宿の中で過ごした。

特筆することが見つからないほど、温泉に入ること以外はなにもしなかったのだけれど、そんな何もしないことが、とても楽しかった。

「温泉に好きだなだけつかって、のんびりする」

そんな当初の目的が、十分すぎるほどに満たされていたからだ。





「温泉」を目的としたこの旅の形は、なにも歳をとったからというわけでなく、たまたま今回がそうだったということだ。

若くはないとはいえ、まだまだ好奇心は残っている。見たいものもあれば食べたいものもある。

若い頃と違うのは、たくさんのものをかけ足で見るのではなく、一つのことにじっくり向き合うということなのだ。

温泉にも入り、観光地を巡り、土地の美味しいものを食べ歩くというような、これまでの旅の形ではなく、どれかひとつだけを目的に、それをじっくりと楽しむという旅。

時間のあるこの歳だからこそ、できることでもある。

例えば、京都にある好きなお店の和菓子を食べに行く旅、また名古屋の美術館にある好きな画家の絵を見に行く旅、素敵な陶器を求め陶産地を訪れる旅、北欧へオーロラを見に行く旅 etc

例を挙げたらきりがないほど、旅の目的となり得ることはいくらでも出てくる。

目的はなんでもいいのだけれど、肝心なのはとにかく一点集中の旅とすること。

その目的を思う存分楽しみ、もしも時間に余裕があれば、その土地の美味しいものでも楽しめればいい。そんな旅が理想だ。





そんな旅をするためには、絶対に一人旅がいい。
どんなに気の合う友達でも、家族でも、感情の動きは全く違う。
自分がもう十分だと思っても、他の人はまだまだと思うかもしれない。その逆もまた然りで、自分はもっともっと楽しみたいのに、他者はもう結構と思うかもしれない。

お互いに気を遣いながらでは、双方が100%満足するのはかなり難しいことだ。

そのあたり、妥協も然るべきと思える人は、誰か気の合う人と旅を楽しむのもいいと思うのだけれど、私は我儘な性格なのでその妥協ができない。

若い頃は友人と旅をしたこともあったし、家族ともよく旅をしてきた。
しかし、そのたびに自分の一番したいこと、見たいものもを100%楽しめないことが残念だと思って過ごしていた。

今では子供達も大きくなり、家族で旅をするようなことも少なくなった。そして、友人と旅行へ行くこともなくなった。
類は友を呼ぶで、友人もそれぞれ自分だけの一人旅を楽しんでいる。みんな時間の有り余った専業主婦ばかりなので気ままなのだ。

稀に「私も連れて行って」「一緒に行きたい」という人もいるけれど、「旅行はひとりでと決めているからダメよ」とはっきり断っている。

ただ、誰もかれもが一人旅を楽しめるとは思っていない。
よく旅の途中で同年代の女性グループがワイワイと旅行しているのを目にするのだけれど、とても楽しそうだ。
もしかしたら、そんな人たちの旅の目的自体が、「お友達と旅行を楽しむ」ことなのかもしれない。

私の場合、お友達とは近所で会って食事やお茶をしながら、他愛もないお喋りを楽しむだけでいい。旅先でまで同じことをしようとは思わない。

人それぞれ、旅の形もそれぞれでいい思う。





一人旅をするときは、基本2泊3日と決めている。
一応、家庭を仕切る専業主婦という立場だったので、あまり長期間家を空けると家族に不都合が生じることになり、後々面倒になる。

ベランダにはお世話をしなければいけない植物があり、冷蔵庫の中にはサワードウブレッドを作るための大切なスターターもいる。これもまた餌やりがあるため放置はできない。

そんな諸々の事情を考慮すると、とりあえず今は2泊3日くらいが適当なのだ。
これまでの経験から、目的が一つであればそれで十分、旅を堪能できるとわかっている。

これがあれもこれもやりたい、見たいとなれば、2泊3日ではまったく不十分だろう。

限られた時間の中でじっくりと旅を楽しむためには、やはり目的は一つに絞るのが一番である。

メンタル、フィジカル共に、若い頃とは違う。考えずとも自ずと心と身体が教えてくれるものだ。

旅もその一つ。20代と50代ではその形が変わってくるのも必然だ。

より旅を楽しむために、これからの旅は欲張らずに、ただ一つだけ、本当に求めるもの、望むことにフォーカスしていきたいと思っている。

目的を一つに絞るひとりの旅こそ、私にとってはもっとも満足感が高い旅となるのである。

繁忙期である夏はほとんど旅をしないので、しばらくは東京で大人しくしているつもりだけれど、次なるひとり旅は何を目的にしようか。。。すでに考えている。

目下のところ、JR東海の『大人の休日倶楽部』の会員にでもなろうか、迷っているところである。