In other words

I really don't know life at all ...

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50代からのひとり旅。目的は一つに絞り、ゆっくりじっくり楽しむ旅へ。

先だって、ゆっくり温泉を楽しもうと長野へ行ってきた。
長野はとても好きな土地で、過去に何度も訪れたことがあるのだけれど、長野と言っても広い。

今回は「温泉」が目的だったので湯田中の方まで下ることにした。

ちょうど善光寺さんが御開帳とあって、長野駅などはこれまで私が訪れた中でも一番の賑わいだった。

この時期に長野を訪れたのも、何かのご縁かと善光寺詣を考えたものの、これはぎりぎりまで迷った。

ゆっくりと身体を休めるための旅なのに、御開帳とはいえ、人混みの中にまみれ疲れるのはどうかと。。。

その労力を想像しただけで萎える。

これがもし、御開帳目的の旅だったら?

そんな混雑も気にせずに、嬉々として善光寺さんを詣でていたはずである。

年齢とともに、さまざまなことを一度に片付けることが億劫になってきた。
旅行に限らず、普段の生活の中でも外出予定などは一日に一件と決めているくらいだ。
忙しなくハシゴすることを想像すると、うんざりと後ろ向きな気持ちになるのだ。

50代でこんな疲弊しているのは、少し情けない。。。

若い頃は決してそうではなかった。
日常生活はもちろん、旅先でも朝から晩まで見たいもの、食べたいものを求めてギッシリと予定を詰め込んでいた。
面倒になるどころか、それを嬉々としてこなしていたのだから、若さの持つエネルギーとはすごいものである。





今回の旅の目的は、「身体を整える」ことだった。

家族の雑事に振り回されて、疲れが溜まったのか、身体中がギシギシ。筋肉痛に加え腰の痛みが出てきたので、これはまずいと思った。
鉄は熱いうちに打たねばならぬ。

思い立ったら吉日。家族の予定などを考慮し、なんとか3日間を確保した。

行き先は静かな温泉ならどこでもよかった。目的は温泉に浸かり、のんびりと身体をリラックスさせること。それ以外は特にしたいこともなかった。

場所を行き慣れた長野にし、数日前にゆっくりできそうな宿を予約しておいた。宿だけは確保しておかないと、万が一宿なしになどになったらリラックスどころではない。

新幹線の切符は当日東京駅の券売機で買った。
この時期ならまず満席ということはない。満席だったら次の新幹線で向かえばいいだけだ。
指定席が取れなくても自由席という手もある。

時間に縛られないというのは、なんとも気楽なものだ。

訪れた温泉地は新幹線の止まる長野駅から特急に乗り換え、さらに1時間弱。そこから車で10分ほど。
宿が4軒しかないとても小さな温泉地で、周りには何もない静かな場所にあった。

娯楽施設はもちろん、飲食店もない。
若い頃であったら、決して選ばない場所だった。

観光で見て回るようなところもなし、写真を撮れる場所といえば、目の前に広がる山々と青々とした田んぼくらいのものだった。
それでもビルに囲まれたところで日々暮らしている私にとっては、そんな景色さえ物珍しいもので、旅気分を盛り上げることに不足はなかった。

とにかく温泉と寝る場所、質素でもお腹を満たしてくれる食事さえあれば、それで十分だった。





2泊3日、そんな何もない温泉地の小さな旅館にこもり、紛れもなく温泉三昧の時を過ごした。

日に何度も温泉に浸かり、敷きっぱなしのお布団にゴロリと横になって本を読み、時間がくれば運んできてくれる食事をいただき、のんびり過ごした。

2日目の昼間、少し散歩でもしようと歩いて30分ほどのところにある別の温泉街を訪れてみた。
たくさんの旅館や飲食店が連なる、とても栄えた温泉街であったのだけれど、昼頃だったせいで閑散としていた。

ひと回りして、開いていたお店があったので、おやつのパンと和菓子だけ買って、また元来た道をテクテクと歩いて宿へ帰った。

とてもよいお天気の日で、戻った時には汗だくになっていたので、また温泉にゆっくりつかった。

外出はこの一回だけで、あとはずっと宿の中で過ごした。

特筆することが見つからないほど、温泉に入ること以外はなにもしなかったのだけれど、そんな何もしないことが、とても楽しかった。

「温泉に好きだなだけつかって、のんびりする」

そんな当初の目的が、十分すぎるほどに満たされていたからだ。





「温泉」を目的としたこの旅の形は、なにも歳をとったからというわけでなく、たまたま今回がそうだったということだ。

若くはないとはいえ、まだまだ好奇心は残っている。見たいものもあれば食べたいものもある。

若い頃と違うのは、たくさんのものをかけ足で見るのではなく、一つのことにじっくり向き合うということなのだ。

温泉にも入り、観光地を巡り、土地の美味しいものを食べ歩くというような、これまでの旅の形ではなく、どれかひとつだけを目的に、それをじっくりと楽しむという旅。

時間のあるこの歳だからこそ、できることでもある。

例えば、京都にある好きなお店の和菓子を食べに行く旅、また名古屋の美術館にある好きな画家の絵を見に行く旅、素敵な陶器を求め陶産地を訪れる旅、北欧へオーロラを見に行く旅 etc

例を挙げたらきりがないほど、旅の目的となり得ることはいくらでも出てくる。

目的はなんでもいいのだけれど、肝心なのはとにかく一点集中の旅とすること。

その目的を思う存分楽しみ、もしも時間に余裕があれば、その土地の美味しいものでも楽しめればいい。そんな旅が理想だ。





そんな旅をするためには、絶対に一人旅がいい。
どんなに気の合う友達でも、家族でも、感情の動きは全く違う。
自分がもう十分だと思っても、他の人はまだまだと思うかもしれない。その逆もまた然りで、自分はもっともっと楽しみたいのに、他者はもう結構と思うかもしれない。

お互いに気を遣いながらでは、双方が100%満足するのはかなり難しいことだ。

そのあたり、妥協も然るべきと思える人は、誰か気の合う人と旅を楽しむのもいいと思うのだけれど、私は我儘な性格なのでその妥協ができない。

若い頃は友人と旅をしたこともあったし、家族ともよく旅をしてきた。
しかし、そのたびに自分の一番したいこと、見たいものもを100%楽しめないことが残念だと思って過ごしていた。

今では子供達も大きくなり、家族で旅をするようなことも少なくなった。そして、友人と旅行へ行くこともなくなった。
類は友を呼ぶで、友人もそれぞれ自分だけの一人旅を楽しんでいる。みんな時間の有り余った専業主婦ばかりなので気ままなのだ。

稀に「私も連れて行って」「一緒に行きたい」という人もいるけれど、「旅行はひとりでと決めているからダメよ」とはっきり断っている。

ただ、誰もかれもが一人旅を楽しめるとは思っていない。
よく旅の途中で同年代の女性グループがワイワイと旅行しているのを目にするのだけれど、とても楽しそうだ。
もしかしたら、そんな人たちの旅の目的自体が、「お友達と旅行を楽しむ」ことなのかもしれない。

私の場合、お友達とは近所で会って食事やお茶をしながら、他愛もないお喋りを楽しむだけでいい。旅先でまで同じことをしようとは思わない。

人それぞれ、旅の形もそれぞれでいい思う。





一人旅をするときは、基本2泊3日と決めている。
一応、家庭を仕切る専業主婦という立場だったので、あまり長期間家を空けると家族に不都合が生じることになり、後々面倒になる。

ベランダにはお世話をしなければいけない植物があり、冷蔵庫の中にはサワードウブレッドを作るための大切なスターターもいる。これもまた餌やりがあるため放置はできない。

そんな諸々の事情を考慮すると、とりあえず今は2泊3日くらいが適当なのだ。
これまでの経験から、目的が一つであればそれで十分、旅を堪能できるとわかっている。

これがあれもこれもやりたい、見たいとなれば、2泊3日ではまったく不十分だろう。

限られた時間の中でじっくりと旅を楽しむためには、やはり目的は一つに絞るのが一番である。

メンタル、フィジカル共に、若い頃とは違う。考えずとも自ずと心と身体が教えてくれるものだ。

旅もその一つ。20代と50代ではその形が変わってくるのも必然だ。

より旅を楽しむために、これからの旅は欲張らずに、ただ一つだけ、本当に求めるもの、望むことにフォーカスしていきたいと思っている。

目的を一つに絞るひとりの旅こそ、私にとってはもっとも満足感が高い旅となるのである。

繁忙期である夏はほとんど旅をしないので、しばらくは東京で大人しくしているつもりだけれど、次なるひとり旅は何を目的にしようか。。。すでに考えている。

目下のところ、JR東海の『大人の休日倶楽部』の会員にでもなろうか、迷っているところである。