In other words

I really don't know life at all ...

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本を読みながらブログを書く。書くことが目的ならネタ切れは起こらない。

本を読んでいるとき、よく「ああ、そういえば、ブログにもこんなことを書こうと思っていたのだっけ」
そんな風に思い出すことがある。

また、ある事柄について、その本に書かれていた意見とは、まったく違った思いを抱いたときなど、読んでいた本を脇に置いて、スマホを手に取る。

ふとした閃きも、熱い鉄のようにその熱さがあるうちに打ったほうが、より完成された形になる。
そんな思いに急かされるように、スマホでブログを書き始めるのだ。

仕事でもなんでもない、ただの暇潰しのようなブログなのに、なかなかの熱の入れようだ。
他にやることはないのか?と思わず自分でも突っ込みたくなるほど、そんな風にしてよくブログを書いている(笑)

周りで見ている家族などからすると、読んでいるのか、書いているのか、一体なにをしているのか、落ち着かないものだな。そう感じるようだけれど、本人的にはとても効率的に「好き」をこなしているつもりだ。


誰でも頭の中に沢山の引き出しがある。そんな中には普段はほとんど使わない、もう何十年も忘れ去れているような引き出しがあったりする。

本を読んでいると、時折りそんな引き出しの存在を思い出すのだ。
そして、十数年ぶりに開けてみれば、思っていた以上に素敵なもの、便利なものが入っていた。。。
そんなことがある。
時にそれがブログのネタになったりもする。

本を読むというのは、単なるインプットではなく、時にアウトプットの機会も作ってくれるもなのなのかもしれない。

若い頃は、ただその物語に没頭し、ある種の現実逃避に酔ってみたり、新しい世界を知ることに喜びを感じたりしていたものだけれど、今は少し違う。

最近は本を読むことで新しい扉を開くのではなく、失われた記憶を思いもよらずに見つけたりすることが多くなったように感じる。様々な経験を積み重ねてきたこの年齢だからなのだろう。

一方では、そこで得た知識を、そのまま暮らしへと直結させるツールの一つであるかのように感じることもある。
それは本の種類を問わない。小説でもアニメでもビジネス書でも、ツールとしての役割は同じだ。

読書とは、人生について、あらゆる角度から考える大きなきっかけとなるツールになり得る。

それは「この本との出会いによって、人生が変わった」という、衝撃的なものではない。
日々起こる瑣末な物事にこそ、リンクしていくといった感じだ。



本を読まない時期というのがあった。
それは子供が産まれてから、おそらく15年以上は続いたはずだ。
まったく読まないわけではない。ただ、毎日のように先を楽しみに本を開くような、「習慣」という点で、読まなくなったという意味でだ。

子供が産まれた時、人並みに育児書をめくったこともあったものの、私にはあまり参考にならなかった。それよりも、自分で試行錯誤考えて子育てすることが、すごく楽しかったのだ。

ゆっくり本を開いているような時間もなかった。小さな子供2人いれば、自分の時間を捻出するのは難しい。
現在子育て中の方なら分かると思うのだけれど、とにかく24時間オンコールの体制が何年も続く。
ようやく子供が寝てくれたと、ホッと一息つくものの、子育て以外の家事もあったりで、自分の時間は睡眠確保の時間に取って代わることがほとんどだった。

以前のように、本を毎日読むようになったのは、コロナ禍が大きなきっかけとなった。

ちょうど下の娘が高校を卒業し、ようやく一区切り。もう、昔のようにあれこれと世話を焼く役目からは解放され、自分の時間をたっぷりと持つことができるようになった。

本来ならお友達とのお遊びに忙しくするはずが、コロナ禍による度重なる自粛要請で、家に籠る機会が増えた。
時間に追われることもなく、気持ち的にもゆったりとしたのか、amazonでポチポチと本を買っては、家でゆっくりと読書を楽しむようになった。



改めて本の世界に戻ってみると、やはりプロの作家さんの文章というものはすごいと感じさせられ、自分のブログがひどく稚拙なものに思えて恥ずかしくなる。
とはいえ、ブログはあくまでも趣味であり、それを生業としているわけではないので問題はない。

ブログというのは、一部の収益目的の人を除けば、ある種の自己満足だと言っていい。
それで利益を得ようとか、社会を変えようなどという大それたことは考えもしない。
誰が読んでいるのかはもちろん、アクセス数にすら頓着しないというのは、まさに書くことをだけを楽しむ自己満足の世界なのだ。

読んでくれた誰かに共感してほしいとか、評価してほしいなどという気持ちは微塵もなく、自分の中にあるモヤモヤを解消したり、思い出に浸ってみたり、愚痴をつぶやいてみたり、そんなプライベートな感情の捌け口にしているだけだ。

「アウトプット」などというと、なんだか格好いいけれど、私の場合はただ心に溜まった澱を吐き出しているに過ぎない。

本を読んでいる途中で、過去のあれこれを思い出しては、嬉しかったり苦々しかったりと、そんなことが心の中の引き出しから出てきたりする。

本によって新たな情報をインプットしたことで、心の中に溜まった澱が活性化するのか、記憶がより鮮明になり、かつて有耶無耶であったことに答えを与えてくれるようなこともある。

インプット、アウトプットなど横文字だとなんとなく大層なことをしているように感じるけれど、結局のところはどんなくだらない事柄でも、自分の中に投入すればインプットであり、吐き出せばアウトプットなのだ。

よくブログのネタ切れなどが言われるけれど、誰しも普通に生きていれば、ブログのネタになるようなことの一つや二つは日々あるものだ。
共感を得たい、評価してもらいたいなどと思うから、書けることがないように感じるだけで、自己満足に徹すればネタはいくらでもある。
私のように忘れていたことを、本を読むことで突然思い出したりすることもあるだろうし、誰かとの会話、ネットでの情報から記憶を揺り起こされることもあるだろう。

なんでもいいからインプット(投入)することで、心の中に小さなさざ波が起こり、アウトプット(出力)する原動力になるものだと思う。

今日もまた、他人にとってはどうでもいいことをネタに、楽しんでブログを書いている。