In other words

I really don't know life at all ...

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おひとり様の時代の到来か。旅行誌コーナーが一人旅で溢れていた件。

近所にあった本屋さんがなくなってから、以前のように頻繁に本屋さんへ足を運ぶことがなくなった。
昔ほど本を読まなくなったので、気になった本があればamazonでポチリとすれば事足りる現在なのである。
とはいえ、まったく行かなくなったわけではない。以前と比較するとその頻度が少なくなったということだ。

銀座へ行った際に久しぶりに本屋さんに寄ってみた。欲しい本があったわけではなく、たまたま30分ほど時間を潰す必要があったからだ。

最近は韓流ドラマ鑑賞に忙しくて時間がないため、ほとんど長い小説などは読まなくなった。その代わりに手軽に読めるエッセイを手に取ることが多い。

目につくのは「老後をいかに生きるか」といったトピックのものが多い。
私も歳をとったのだ。。。
この日も故石原慎太郎氏が還暦の歳に書いたという『老いてこそ人生』という本をすんでところで買うところだった。
手に取った途端に「私はまだこれを読む歳ではない!」と我に返った。
ずっとアラフィフだと思っていたけれど、すでにアラカンの域に入ったものの、還暦はまだ数年先だ。

もう少し年齢に合った本を選ぼうではないかとアラフィフエイジの女性コラムニスト、そして私よりも歳上のお金の話を面白おかしく書いてくれるエッセイストの文庫を買ってみた。

お会計を済ませて時計を見ると、まだ15分ほど時間がある。それではなにか旅の雑誌でもみてみようと旅行誌の並ぶコーナーへ行ってみた。



ここからが本題である。
かつての旅行誌といえば、かなり実用性重視のトピック、構成となっていたものだけれど、昨今では様変わりし、なんともお洒落だ。

これは明らかに若い女性をターゲットにしているのでは?と少し僻んで見てみたのだけれど、若い女性に特化しているわけではなさそうだ。
誌面には私と同じような年齢の小綺麗な中年女性が、誰もいない田舎駅のベンチでひとりうっとりとしている写真などが掲載されている。

それらの雑誌のトピックはどれも同じだ。

「ひとり旅」。

若い女性だけでなく、子育てを終えて一段落した時間的余裕のある我々世代も、十分にターゲットに入っているということなのだろう。

私も若い頃から「ひとり旅派」なので、これは喜ばしいことである。
とりわけ「ひとりで泊まれる宿」などが紹介されていると、「買ってみようか」などと思ったりする。

この「ひとり旅本」はここ数年でどんどん増えてきている気がする。特にリサーチしたわけでもなく、気がするだけなので事実かどうかはわからないけれど。

この日もちょっと洒落た誌面だなと思い手に取ると、決まってタイトルに「ひとり旅」とある。それが1冊や2冊ではないのだ。
まさに「ひとり旅」花盛りだ。

しかし実際に旅に出てみると、それほど多くのひとり旅女性を見かけることはない。
とりわけ私のように50代のおばさんともなると、ほとんどが友人達と一緒に旅をしている人ばかりだ。

新幹線の中でも、ワイワイとお弁当を広げる横で、ひとりおにぎりを食べる私はなにやら訳ありのように見えはしまいか?とミステリアスを気取った自分に酔いたくなるくらいだ。

とにかく旅行誌のコーナーへ行くと「ひとり旅」の本がやたらと目立つようになったのだ。



旅に限らず「おひとり様」関連の本は昨今花盛りである。
「おひとり様」に優しいレストランやカフェの特集はもう珍しくなく、「おひとり様」の老後を題材にしたようなものまである。
本のみならず『ソロ活女子のススメ』というドラマもあった。
私もNetflixで観たけれど、なかなか面白かった。
実在するお店や施設に主人公が一人で訪れ、充実した時間を過ごすといった内容のドラマだったのだけれど、「なるほど、今時の女子はこんなふうに遊んでいるものなのね」と、時代の変化に片手で触れたような気持ちになったものだ。

実際に「ひとり」は楽しい。私もお買い物と旅行はひとりに限ると思っている。
お友達とランチに行った時など、帰りに百貨店内をぶらぶらすることがあるのだけれど、興味を持った物が見つかっても、買うべきか見送るべきかと時間をかけて悩む暇もない。悩んでもいいのだろうけれど、同じ売り場から動かない自分を待ってもらうのは心苦しい。
ひとりであれば、気兼ねなく時間をとることができるのだ。

旅行も同じで、「この日は朝一番からあそこへ行こう」とか「午前中は旅館でゆっくりしよう」など、計画は立てずにその時の気分で気ままに旅を楽しみたい。しかし同行者がいると、その足並みが揃わないことが多い。
若い頃に何度か友人と旅をした経験があるけれど、その時の不自由さを思い出すと、やはり旅はひとりが一番気楽で楽しい。
唯一、長女と二人旅は例外だ。一緒に新幹線に乗って出かけても、足並みが揃わなければそこから自由行動に切り替えることができるからだ。

長女もまたひとり派でお寿司屋さんでもサウナでも、ひまさえあればひとりであちこち行っているようだけれど、私との旅行は苦にならないという。
最近はひとりで行っているお店に「美味しいから」と連れて行ってくれたりもする。

今年になってからも、2度ほど2人で旅をしたのだけれど、それも長女からの誘いだった。
誘った割には自分は現地で別のお友達と会ったり最初から自由行動なので、私も心置きなくおひとり様を満喫できた。

結局、「ひとりが楽」と思うのは、我儘がきかないからなのだ。誰かと一緒でも自由に振る舞うことができれば、一人ででも二人でも大差ない。むしろ二人の方が楽しいことすらあると気付いた。

私が「ひとりが好き」と思うのは、自分が完全なる孤独の中にいないせいなのだ。
自由にヒラヒラと飛んではいるけれど、疲れた時にとまることのできる花がそこに咲いているのがわかっているからなのだろう。

よくよく考えてみれば、なんとも潔くない「おひとり様」の私なのだった。

これを書いているのも、銀座の喫茶店である。
ひとりでぶらぶらと銀座へお買い物に来たのだけれど、疲労回復と水分補給にとお茶を飲みに入った。

周りを見渡せば、私を含めて女性のおひとり様が3人。これを多いと見るか、少ないと見るか?
家族連れやカップルで賑わう休日の銀座と考えれば、やはりおひとり様女子は増えていると言えるのかもしれない。

なにかと人間関係に疲れている人も多い時代だ。いよいよ本格的に「おひとり様」の時代が到来したと考えてもよさそうだ。

私もこれまで通り、人との繋がりも大切にしつつ、ひとり時間を楽しむつもりだ。