In other words

I really don't know life at all ...

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「和菓子離れ」に思う、SNSによる昨今のお菓子事情とお菓子ブログについて。


写真は銀座空也さんの「空也もなか」です。大好きなお菓子の一つなだけで、本文とはまったく関係ありません。


「和菓子離れ」などという言葉が出て久しい。実際に老舗が暖簾を下ろすというニュースを、このコロナ禍でも見聞きしてきた。
しかし、その一方では和菓子、洋菓子問わず、近年はお菓子ブームと言ってもいいくらいの状況ではないのかという賑わいを見せている。

あくまでも私感としてではあるのだけれど、数年前と比較すると、今の方がずっとお菓子を買うことが難しくなっていると感じる。

私はこのブログの他に2つのブログを書いていて、そのうちのメインブログはお菓子に特化したブログで、2017年の今頃に開設したので、丸5年になる。
始めた当初は雑記ブログであったのだけれど、ほぼお菓子ネタになった時点で、お菓子に特化することにしたのだ。

その頃と比較すると、昨今は本当に食べたいお菓子を入手するのも苦労するようになった。

これはSNSとコロナ禍の影響が大きいのかなと思っている。
SNSなどで、これまで「隠れた人気商品」だったものが周知され、新たな客層を開拓したといえる。加えてコロナ禍で通販化が急速に進んだことで、誰もが全国どこにいてもお買い物ができるようになった。

私も例外ではなく、詳細が知りたい時などは、SNSなどから調べたり、新たなお菓子を見つけることも少なくない。
使いようによってはとても便利で、今となってはなくてはならないツールとなっている。

しかし、人間とはまったく身勝手なもので、便利に使っている一方で、これまで自分が楽しんできたお菓子が人気となり、入手が困難になってくると、「SNSで拡散されたせいで、買えなくなったじゃないのさ!」などと、不満を持つのだ。

作り手のお菓子屋さんにとっては、常に完売御礼状態はウェルカムなはずだ。地味なおばちゃん客ばかり相手にしていては、ビジネスは成り立たないのだから。

お菓子屋さん界隈も世代交代している。SNSを多用する若い層を取り込んでこそ、暖簾を守ることにも繋がるのだと思う。

最近は和菓子屋さんなどへ足を運ぶと、明らかに客層が変わったように感じる。年配の方よりも若い方が目立つようになっているのだ。

これは大変喜ばしいことで、この先も変わらずこの店のお菓子を楽しめるのだと安心できる。なんだかんだ言ったところで、ビジネスなのだから、利益が上がらないことには始まらない。

若者が和菓子屋さんのショーケースをのぞき込んでいる光景を見るたび、「和菓子離れ」というのは、本当なのだろうか?
そう思うのだ。





最近、茶道を嗜む友人と会った時も、そんな話題が出た。
私は裏千家表千家などとは全く無縁のただのお菓子好きのおばさんなのだけれど、その友人は若かりし頃からその道にいるため、和菓子にはとても詳しい。

時折、東京では手に入らないような、京都の珍しい和菓子をお裾分けしてくれたりと、その友人を通してたくさんの美味しい和菓子を知ることもできた。

そんな友人も、これまではお茶席に上がるようなお菓子が、最近はどうしたことか人気急上昇で、時に手に入りづらくなったものもあると話していた。

百貨店なども、これまでは電話で予約できたものが、ネット予約のみになったりと、お買い物の形も変わってきた。

ネットの使えない老人は、もはや好きなお菓子もいただけないという時代になったのだ。
たとえネットが使えたとしても、秒を争う争奪戦では、若い人に勝てる気がしない。。。

ネットだけではなく、店頭での販売でも、早朝から長い行列に何時間も並ばなければ入手できないようなこともあったりする。

私も食べたいと思ったお菓子があれば、頑張って行列に並んだり、ネットでアクセス集中する中、ジリジリとお取り寄せを頑張ったりしていた時期があった。

しかし、ある時から「もう無理だわ。こんなことはやめなくちゃ。。。」と思うようになり、なるべくそのような場には参戦しないことに決めたのだ。

私にとってのお菓子とは、日々のホッと一息つく時のお供だ。もちろん心から「美味しい」と思えるお菓子というのが前提なのだけれど、それと同じくらいに癒しの時間になっている。

それが長時間行列に並んでクタクタになったり、戦場さながら混み合う売り場で我れ先にと手を伸ばし心身共に消耗したり、はたまたアクセス集中でいつまで経っても石のように繋がらないネットを前にジリジリしたり、挙句の果て、そんな頑張りが功を成さず「買えませんでした」となった時の落胆。。。

癒しどころか、ストレスにしかならない。





このコロナ禍で疲弊しきっているお店は多い。そんな中、秒で売り切れるとなればお店にとっては喜ばしいことなのだと思う。

ただ、そんなお店ばかりではないのもまた現実で、いわゆるSNSなどで認知されていないお店などはコロナ禍の煽りを受け、暖簾を下ろしたところも少なくないと想像できる。

そんなことを考えていて、昨年から一切人気店の争奪戦には加わらないようにしようと決めた。

本当に好きで食べたいお菓子があっても、購入のハードルが高いと判断したものは諦めた。

その代わり、身近にあるお菓子屋さんをリピートするようになった。
SNSなどで脚光を浴びずとも、丁寧に美味しいお菓子を作っているお店はまだまだたくさんある。

ただ、私の住む都心部では、素朴なお菓子屋さんよりも、お使い物に向いた、ちょっと高級路線なお菓子屋さんがほとんどで、手土産などを購入するときは、たくさんのチョイスがあっていいのだけれど、自分が楽しむための「日々のおやつ」となると難しい。。。
遊んでばかりいる専業主婦の分際で、一口¥500の菓子を頬張るというのは、いささか贅沢すぎではないだろうかと、葛藤することになる。

そのため、デパ地下でおやつを調達することも多くなった。お買い物ついでに、地下へ降りて、お饅頭2つ買うくらいなら、楽チンな上にお金もかからない。
まさにデパ地下は主婦の味方だ!

デパ地下も便利だけれど、最近は特に、幼い頃から慣れ親しんだ我が東京のお菓子を、以前にも増してリピートするようになった。
SNSやメディアで話題になるようなことは稀の古くからある定番だけれど、変わらない味にホッとできる。おまけにそうした昔からある庶民のお菓子は、概してリーズナブルなものが多い。
つまり、日々のお菓子にはもってこいなのだ。

今日も船橋屋さんのくず餅を買ってきた。幼い頃からの大好物だ。

長きに渡り定番として庶民に愛されているお菓子というのは、それなりの理由がある。

いつでも簡単に買うことができ、お値段も負担にならない、なおかつ変わらぬ味という信頼。
そんなお菓子がいくつかあれば、もはや行列してまで新しいお菓子に手を出さずとも事足りる。


ただ、そのせいでメインブログの更新頻度は少なくなっている。
おやつは毎日のように楽しんでいるけれど、同じお菓子ばかり食べていては、ネタ切れするのだ。

昔は一度でもブログでレビューしたお菓子は、二度と登場させないとしていた。よくわからないこだわりというものだ。

けれど、最近は好きなお菓子なら時期を空けて、何度でも掲載するようになった。
とはいえ、あまり頻繁だと面白くない。自分でも飽きるので、食べても書かないという判断になることも依然としてあったりする。

そして、それだけが原因ではないのだけれど、メインブログのアクセスもかなり減少している。
やはり、この国は新しいものが好きなのだ。話題のもの、新しいもの、そうしたものを追いかけていかなければ、弱小ブログにアクセスは集まらない。

Googleさんの評価(アルゴリズム)も変化が著しく、以前に比べると個人ブログに対する評価が低くなり、検索順位が下がったのだ。

加えて、素晴らしく作り込まれた素敵なお菓子ブログが増えたこと。
私のように何年も雛形そのままのブログデザインで、ただ「美味しい〜」とお菓子の詳細と、自分語りしか記していないブログは、人様の役には立たないのだ。
若い方々の作るお菓子ブログは、とにかくデザインも凝っていて、写真の技術もすごい。
お店の歴史から店舗の情報まで、至れり尽くせりで記されており、それはそれはよく作り込まれている。
私も「すごーい!美味しそう!」と思い切り楽しく読ませていただいている。

ここ最近は、そんな素敵なブログにすっかり検索順位を明け渡し、後ろの方へ追いやられているので、当然アクセスも下がるのだ。

ただ、それでいいと思っている。
どんな世界も弱肉強食。弱い者は淘汰されていく。

なにより、アクセスが下がろうが上ろうが、始めた当初から私のブログは「自己満足ブログ」として一貫している。
そうでなければ5年もの間、毎日のようにブログを書くなどということはできなかった。
何事も目的が達成できなければ、モチベーションを保ち続けるのは難しい。
その点、私のブログは「自己満足」が目的だ。自分さえ気分がよければ、結果を出していることになる。

好きなお菓子があれば、それがどんな素材を使ったお菓子か、どこが美味しいと思ったのか、どんなところが好きなのか、自分のための備忘録として残しておければ満足。そんな思いで書いているからアクセスに一喜一憂することない。

ブログを継続したいと思ったら、自己満足を追い求めるに限る。かなりの確率で継続するという目的は達成できるはずだ。

ブログを書く目的は人によって違う。
アクセスを追い求め、収益化を図ろうとするのなら、話題のお菓子を追い求めることも必要なのかもしれない。
実際に入手が困難だったお菓子のレビューには、いまだに少なくないアクセスがある。

ただ、私の場合はそもそもブログありきのお菓子ではなく、お菓子あってのブログなのである。その上、アクセスも関係ないとなれば、疲労困憊してまで流行にのる必要もない。





SNSなどで流れてくる膨大な情報に振り回されていては、キリがない。
ある程度時代の流れに沿って生きていくことは大切だけれど、躍起になる必要はない。


人間の欲というのは際限がない。どこかで冷静にならないと、この時代はいつの間にかその流れにさらわれてしまうものだ。

贅沢をすることに異論はない。私も贅沢なものは好きだ。
ただ、その贅沢を求めたがために、自分が疲れ切ってしまっては意味がない。

屋根のあるところで眠ることができ、清潔な衣服を纏い、毎日3食の食事が頂ければ御の字だ。

迷ったときは、いつも自分にそう言い聞かせている。
「足るを知る者は富む」の精神だ。

そこに、一日のうち、ホッと一息つける憩いの時間、美味しいお菓子があればそれでいい。

それこそが贅沢な生活であると心して、情報に振り回されることなく、自分軸で生きていくが、幸せなのだと思っている。

宅急便、在宅しているのに持戻り(ご不在)扱いになっていた理由。

昨日の夜に届くはずだった荷物が、今朝になっても届いていなかった。
特に配達日も時間も指定していなかったのだけれど、あちらからご親切に「本日お届けします」とのメールが入っていたので、待っていたのだ。

予定していた荷物はamazonからのものだった。特に指定せずとも、通常は置き配されているので、昨夜から何度もいつも置き配されている玄関を確認しに行った。

そして、今朝ももちろん見に行ったけれど、何もない。。。

一体どこへ行ってしまった?

ひょっとして何かの事情で遅配になっているかもしれないと、宅配業者から来ていたメールから荷物の追跡をしてみることにした。

すると、まさかの「持戻り」。
不在のため、荷物は持ち帰りましたとのことだった。





昨日は、午前中こそお買い物で外出していたけれど、お届けしますのメールが来てからは、ずっと在宅していた。
しかし、インターフォンは一度も鳴っていない。

前述したようにamazonからの荷物は、通常置き配されるはずが、こちらの荷物は「大きすぎるか、重すぎるか」で置き配できないと記されていた。
そんなに大きな物も重たいものも買った覚えはない。
ケチンボなので安価な雑貨をちょこちょこ買っただけだ。

いつも置き配、対面、どちらのお届けも指定しないので、比較的大きな荷物でも玄関前に置き配されるが常なのに、なぜに今回だけ対面で渡したいのか謎だ。。。

百歩譲って、置き配できない荷物だったとしても、不在の場合は「不在配達票」が入っているものだ。
すぐにそう気づき、暑いのにわざわざポストを確認しにいったけれど、そちらも入っていなかった。
入っていたのは、喜ばしくない請求書と購入不可能価格の不動産チラシだけだった。


よくよく考えてみれば、以前にも同じことが何度かあった。
インターフォン鳴らなかったけど配達に来てたの?もしかしてインターフォンの故障?」などと、自分でピンポンして確認をしたりしたので、よく覚えている。

我が家のインターフォンは、訪問者の映像が記録できるもので、不在中に誰が来たのか確認できるハイテクなものなのだ。つい最近、大家さんが新しいものに取り替えてくれたばかりなので、故障していたわけではない。

何日か遡ってまで映像が残されているのだけれど、昨日は何も記録されていなかった。

もしや、Uber eatsの配達同様に、配達先を間違えているのか?
なんとも配達トラブルの多い家だこと。。。
ちょっとうんざりする。

もしも再配達で他のお宅に配達されてしまっては困ると、問い合わせをしようと調べてみたのだけれど、メールに記されている「担当店」は、どうやら発送している倉庫のようなところらしい。
直接配達を請け負っている営業所でなければ、おそらく事情はわからないだろう。
そこで、まずはサービスセンターへ電話してみることにした。





ところが、これが「混み合っています」のアナウンスがあるばかりで、何度かけても繋がらない。
「チャットで問い合わせをしてね」と何度も繰り返し音声が流れるので、素直にLINEからお問い合わせしてみたところ、今度はメールで問い合わせてねと言わんばかりに、そのアドレスへ誘導された。

ここでも素直に、「在宅なのに、どうして持戻りになるの?本当にきたの?」と丁寧に書いて送信した。

そのサイトに「送り状番号検索」というのがあったので、試しに入力してみると、やはり「持戻り」になっていた。しかし、ここで配達を請け負っている営業所名がわかったのだった。

こうしたことがあると、モヤモヤしていても立ってもいられなくなる。
特にお急ぎの荷物というわけでもないので、すぐに届かずとも問題はないのだけれど、「配達に来てもいないのに、不在扱いされている?」そう思うと、真相を追求したくてたまらなくなるのだ。
いい歳をして、厄介な性格だなと思いつつ、そんな性分なので仕方ない(笑)
年齢は関係ない。三子の魂百までだ。

メールを送信したばかりにも関わらず、すぐにその営業所へ電話をすると、再配達の申し込みやらなにやら、いくつかの要件が自動音声で流れてきた。そのどれもを却下し、とにかく誰か人間が対応してよと、「その他」の番号を連打したところ、「ナビダイヤルでお繋ぎします」と、有料だからね!と念を押されたのだった。

このモヤモヤを解消するためには、多少お金がかかっても致し方ない。
オペレーターに繋いでもらうことにした。
こちらはサービスセンターとは違い、すぐにオペレーターの方が出て、用件を聞いてくれた。





事情を話したところ、本当にすまなそうに最初から「すみません」としか言ってくれない。何の言い訳もなく、謝られるばかりで困った。。。
聞きたいのは謝罪ではなく、なぜ在宅していたのに、不在扱いになっているかという素朴な疑問に対する回答だ。

何度か尋ねてみたところ、配達担当の者から電話させますと言ってくれたのだけれど、これでまたいつ来るかわからない電話をモヤモヤと待つのも嫌なので、今日配達するのは、その担当者ですか?と尋ねたところ、同じ者ですとのことだったので、直接配達に来た時に聞けばいいと、電話連絡は遠慮する旨を伝えた。

「すぐにご希望の時間にお届けします」
そう言ってくれたので、「担当者に直接聞くので、くれぐれも置き配ではなく、インターフォンを鳴らして手渡しでの配達をお願いします」そう言って電話を切った。

電話に出た方に非はないのに、謝らなければいけないだなんて、なんと理不尽なことか。。。自分でお問い合わせしておきながら、なんだか気の毒になった。
仕事をするというのは大変なことだなと思う。

その電話を切った後、ちょうど単身赴任中の夫から連絡があり、ビジネス上の愚痴を散々聞いた。
みんな大変な思いをして仕事をしていると思えば、どのような理由であったとしても、寛容に対処したいと思うのだった。





配達が来るまでの間、同じような事例はないかと、Googleさんで調べてみることにした。
インターネット時代の便利さよ。。。
なにもなすすべがないことにストレスを感じる人間にとっては、「調べる」という行為がどこでも手元で簡単にできるのは、本当に喜ばしいことだ。
ありがとう、ネット社会。

暇に任せてググりまくったところ、どうやら同じようなケースは珍しくないようなのである。

そこに記されている理由の一つが、荷物が多く忙しい時や配達に間に合わない時など、配達員さんがお届けしていないのにも関わらず、不在扱いにしているというものだった。
事実かどうか、知る術はないけれど、驚きだ。。。

確かにamazonプライムセールの直後で、大量の荷物があるのは想像できる。同情に値するほどの荷物の山だろう。私も今回の荷物はそのセールで購入した物だったので、それはよーくわかる。

しかし、もしそうだとしても虚偽はいけない。「遅延」とすればいいだけのことだ。

「お届け予定の荷物は事情により、本日配達できなくなりました」

配達員さんの持っている端末に、そんな項目はないのだろうか?
あれば、配達員さんは虚偽の入力をせずに済むはずだ。

忙しい中、一件一件電話連絡をしろということではない。
「持戻り」の連絡がメールでできるのなら、「遅延」表示もシステム上は可能なはずだ。

そう考えると、やはりサービス上の問題と考えざるを得ない。届くはずの荷物が届かないとなれば、信用を失うことになるからだ。

しかし、届けてもいないものを、「不在」として処理するのも、信用問題に関わるという点では同じことと思うのだけれど、どうなのだろうか。。。

どこの誰が申したかわからないネット情報なので、本当のところはわからない。

実際に自分で経験したことでないのなら、それを鵜呑みにしてはいけないというのは、常々心に留めていることだ。

「ありがとう、インターネット社会」と言った舌の根も乾かぬうちに、「ネット情報を鵜呑みにしてはいけない」と、いきなりの手のひら返し。
我ながらの単純思考だ。





午後、ようやくインターフォンが鳴った。出てみると、昨日の荷物ではなく、今日お届け予定の荷物だった。
順番が逆なのは、どうでもいいのだけれど、何故に遅い方が先に来た?
これは配達に来てくれたおじさんが丁寧に説明してくれた。

そのおじさん配達員は、このエリアを長く担当しているベテランさんだ。
昨日の配達とは無関係なのだけれど、お問い合わせがあったことを知っており、本日配達分のお届け物がてら、置き配にせずわざわざ声をかけてくれたのだった。

そこで様々な配達の事情などを話してくれたおかげで、そのシステムを少しだけ知ることができた。
内情を暴露するわけにもいかないので、ここでは割愛するけれど、たくさんの荷物をお届けするために、大変な苦労があることがわかった。。。

ここで一つの疑問が解消された。
昨日の荷物が届く前に後便が先に届いた一つの理由として、amazonプライムセールの後だったため、配達件数がとにかく多く、普段の配達担当とは違うところに委託されているからなのだった。
ただ、このあたりはあまり大っぴらにしたくないのか、詳しく話してはいけない雰囲気を醸し出していたのを察して、深掘りはしないでおいた。

そして、肝心の「持戻り」扱いとなったことに関して。
「直接の担当ではないので、確かではないけれど」
そう前置きした上で、単純にお届け先の間違いではないかとのことだった。

いわゆる下請けにお願いして配達してもらう場合、配達完了しない限り報酬が発生しないため、不在にしたところでその業者にメリットはないだろうというのが理由だった。

詳しくは、この後、昨日の配達員が荷物を届けに来るので、直接事情を聞いてみてほしいとのことだった。

ところが、ここでまた躓いた。





指定の時間を過ぎても、肝心の配達員は一向に来ない。
荷物を追跡してみると、「配達中」となっている。しかもその位置が全く違う区に表示されているではないか。。。
まさに東京の反対側だった。

電話をかけた時点では比較的近い営業所だったのが、午後になると、また別の近隣の営業所に変わっていた。
そして配達時間の過ぎた夕方、いきなり広い東京の反対側へと、私の荷物は移動していたのだった。。。

もはや何が何だかわからない。

手違いに手違いが重なったのか、それにしてもわざわざオペレーターを通して連絡をしてもらい、実際にその話は他の配達員にまで届いていたのだから、担当者に通じていないとは考えられない。
謎だ。。。

「◯時から◯時の間にお届けします」
そう約束したからこそ、待っていたのだ。
それなのにこない。。。

できない約束はしない方がいい。
忙しくて手が回らないのなら、急ぎでないものに対しては、無理であると言ってもらった方がよほどいい。

指定された時間から2時間ほど待ったけれど、一向に来る気配がないので、再度先ほどのセンターに電話をしてみた。

電話に出たオペレーターに、昼間電話した件を伝えた上で、「何で来ないのかしら?ちゃんと伝わっているのかしら?」とお尋ねしてみた。

朝と同じようにまた「すみません」と言ってくれるのだけれど、私が知りたいのは、何で来ないの?ということなのである。

そして、もう一つ連絡した理由があって、それは万が一今日のお届けが無理な場合、明日は都合が悪いので明後日以降にと伝えたかったのだ。

明日は終日外出予定になっている。この暑さの中、置き配されたら中の荷物が心配になる。冷蔵や冷凍便でなく普通便でも熱に晒されたくないものはあるのだ。

その旨を伝えたところ、「今日中にかならず配達します」と。
そして、状況を確認した上で、担当配達員から連絡させますと言われ、電話を切ったのだった。





すでに外はとっぷりと日が暮れていた。。。されどそれから2時間たっても荷物も電話もなにもなし。。。

そしてさらに待つこと数時間。

結局、荷物が届いたのは夜の9時すぎ。
来るはずだった担当者からの電話連絡はなく、いきなりのピンポンであった。
出てみると、いつものマーク入りユニフォームを来た業者さんではなく、そこにいたのは私服のお兄さん。
やはり下請けの業者さんが請け負っていた。

待ってましたとばかりに、昨日の「持戻り」についてお尋ねしたのだけれど、担当ではないのでわからないと申し訳なさそうに言って、すみませんと頭を下げていた。

事情を把握していない若い子を捕まえて、文句を言うほど、私は鬼ではない。しかし、一言言わねば気が済まぬと、一応事の顛末だけは説明させて頂いた。

聞けば、amazonプライムセール以来、とんでもない忙しさで、あちこちで同じようなクレームが出ていると言っていた。
夜の9時。ここが最後の配達かと思いきや、「まだまだたくさんあるので、社員総出で回っていますが、何時に終わるか」と泣き笑い。

この暑さの中、重たい荷物を持って走り回っているのだろう、汗だくになり真っ赤な顔で頭を下げられると、次に出てくる言葉はお礼しかなかった。。。





今回は荷物が届かないことよりも、なによりも、事実と違うことが記されていたことによる疑問と、それに対処してくれるところへ行き着くまでの面倒くささ、そして約束を守ってもらえなかったことのモヤモヤに尽きる。

電話対応をしてくれたのは、どちらも声の感じからしてそう若くはない女性だったのだけれど、お二人ともとても親切に対応してくださった。
おかげでぷりぷりと腹を立てずに済んだ。そして、本日分の配達に来てくれたベテラン配達員のおじさんも、お若いお兄さんも、お忙しい中、とても親身に話をしてくれ、感謝に堪えない。

年に一度のamazonプライムセール直後ということで、現場も非常に混乱しているのだと知った。
サービスセンターへの電話が繋がらないのも、同じようなことでお問い合わせをしている人が多くいるからなのかもしれない。
それを配達員さんたちもわかっているのだ。わかっているけれど、尋常でない配達件数に完全にキャパシティオーバー。されど打つ手なしで、とにかく配達しまくるしかないといった状態のようだ。

そうしたことを考えると、やはり寛大に受け取ることにし、社名は出さないでいようと思う。
ただ、私がGoogleさんに頼ったように、他にも同じような問題でモヤモヤしているかもしれない。そんな方々に「私の時はこんな理由でした。結果はこうでした」と、問題解決の何かしらのヒントになればいいと思い、ブログに投稿した次第である。


ちなみに、メールでの問い合わせに対する返答はまだ来ていない。

50代からの温泉湯治。お湯、宿、食事、理想的な旅のスタイル。

年齢と共に旅の目的も変化する。
10代の終わり頃までは、親の決めたプランによる旅に同行するだけだった。
そして20代、一人で旅に出るようになった。
好奇心旺盛ゆえ、あちらもこちらも、欲張ってクタクタになるまで見られるものを見尽くしてやろうと旅の間動き回った。
そして30代、40代は家族と共に旅をすることがほとんどだったため、子供達に色々なものを見せ、少しでも多くの経験を積んでほしいと、これまた旅の間は大忙しだった。

そして50代。また一人で旅に出られるようになった。
これまでのように、新しいものを見て、新しい経験を積むという旅ではなく、50代からの旅の目的は、ズバリ「くつろぎの旅」だ。

時間に追われるようにあちらこちら観光するのではなく、豊かな自然の中でのんびりと手足を伸ばして温泉に浸かる。
静かな宿で好きな本でも広げ、眠くなったらうたた寝をし、起きたらまた温泉。
宿では華美ではない家庭料理のような食事だけ用意してもらえればいい。
そんな風に3日ほど過ごして、また東京に戻る。
これがベストだ。





旅をするにあたりNGとしていることがいくつかある。

まずは、車がないといけない温泉地。
私は列車での旅が好きなのだ。車窓に流れていく景色を楽しみながら、ゆっくりと駅弁などをいただきながら、目的地を目指す。
これも旅の醍醐味であると思っているので、一人旅は必ず列車と決めている。
車で秘境と言われる奥の方まで行きたいと思うこともあるけれど、私は車の運転免許はあれど、運転が致命的に下手くそなので、人様の迷惑にならぬよう、日本では車の運転はしないようにしている。


賑やかな温泉街もNGだ。
温泉に行く目的は、一人静かにのんびりとするのが目的だ。余計な行楽は必要ない。
温泉こそがエンタメなのだから、人の多い賑やかな温泉街はなるべく避けるようにしている。


懐石のような豪華な食事の出る宿も必要ない。
豪華食材を使った食べきれないほどの料理は、むしろ胃腸に負担がかかる。くつろぎの旅なら胃腸にも少しお休みをあげたい。

特別なものが食べたければ、それを目的に都内のレストランで楽しめばいいだけ。旅先ではそれを求めてはいない。

そもそも、主婦にとっては、自分がキッチンに立たなくても食事が出てくるというだけで、たいそうな贅沢となる。
温泉湯治が目的であるなら、胃腸に優しい、地のお野菜などを使った、家庭料理などだと嬉しい。


広すぎてお風呂まで遠い宿も、可能であるなら避けたい。
大きな旅館やホテルだったりすると、部屋によっては大浴場までの道のりが果てしなく遠いことがある。
温泉に来たら、一日に何度もお湯に浸かるため、あまり遠いと面倒になるのだ。
面倒でも温泉に入りたいがために、足を運ぶことになるのだけれど、近いに越したことはない。

小さなお宿であれば、果てしなく遠いということはまずないので、なるべく小さなお宿を選びたいと思っている。





トイレや洗面所が共同というのも、一応NGとしている。
一応というのは、まだそのようなお宿に宿泊した経験がないので、ちょっとおよび腰なのだ。
もしかしたら、まったく不自由などないかもしれない。そう思うと、一度くらい経験してみようかとも思ったりもする。
それでお宿のチョイスが増えるかもしれないのだ。
ここは、まだ思案中と言ったところ。


最後にもっとも大切で、これはマストな項目として、あげたいのが、「一人であること」だ。
同行者ありきの旅はNG。断然旅は一人旅派だ。

若い頃はそれなりにお友達との旅行も経験した。みんなとワイワイするのも楽しいけれど、同じくらい不自由を感じていた。
自分のしたいことと、他の人がしたいことは必ずしも一致しない。お互いにどこか妥協しなければいけないので、自分のペースで行動できないことがストレスになったりする。

温泉でのんびり身体を休めようというのに、人に気を遣っていては到底休まらない。
特に私は温泉へ行くと、ほとんどお宿にこもって、一日に何度でも暇さえあればお湯に浸かっている。
同行者がいたら、「またお風呂?」と不満に思うことだろう。
観光もせず、ただひたすらお風呂に浸かるだけなら、誰かと一緒に旅をする意味がないということになる。

好きな時間に出発して、場合によっては列車の時間を遅らせたり早めたり、途中で好きなものを食べ、気が向けばぶらぶらしたり、たまたま見つけた喫茶店でお茶を飲んだり、お宿に着いたらお風呂三昧と、ひとり旅は本当に気ままに行動できる。

自分のしたい旅ができるのが、一人旅なのだ。





しかし、そこで問題なのがお宿選びだ。
昭和の時代に比べれば、「ひとり泊」を受け入れてくれるところも増えてはきた。
「おひとりさま」という言葉が言われるようになって久しいけれど、宿泊に関しては、やはりまだ不自由に感じることが多い。

このお宿に泊まってみたいと思っても、一人泊を受けつけていないお宿は少なくない。

そこで参考になるのが、いわゆる温泉好きさんによるブログだ。
私はいくつか好きな温泉関連ブログがあり、気になるお宿があれば情報を控えておくようにしている。

先日の温泉旅行でお世話になったお宿も、そんなブログ記事を見て、かなり理想に近いなと選んだのだった。

チョイスは限られているとはいえ、まったく一人泊ができないというわけではない。
これはしっかりリサーチすることで解決できる。
特に私は仕事もしていないので、平日に旅をすることができる。週末泊に比べると、まだ恵まれているのかもしれない。


温泉湯治なら、普通は泉質なども考慮するところだけれど、私は特にこだわりはない。
元々、体調がすぐれない時など、家のお風呂に浸かっているだけで改善されると思っているお風呂好きなので、効用など一応は見るけれど、どんな泉質でも温泉に浸かっているだけで調子がよくなるのだ。

強いて言えば、源泉掛け流し、ジャブジャブと温泉が湧き出してくれると嬉しい。
温度はあまり熱いのは長湯できないので、42℃くらいが好みだ。

温泉湯治といっても、私の場合は温泉ならなんでもOKなのである。





旅で気になるのが、やはり予算だろう。
日本は交通費がとても高いと感じる。少し遠方へと思えば、新幹線を使うことになるのだけれど、これだけで数万円はかかる。

そこは仕方がないので、どこで調整するかといえば、やはり宿選びだろう。
旅行関連のサイトや雑誌などを見ていると、それはそれは魅力的なお宿が山ほどある。

私の場合、2泊3日の旅が基本なので、2泊分の宿泊料になる。
若い頃であれば、これからいくらでも稼げるし、贅沢しよう!となるけれど、今は違う。あるものを守る時期にきていると思っているので、定期的に旅を楽しみたければ、ある程度予算を抑えることも考えなければいけない。

一泊5万円のお宿よりは、同じ額で2泊、3泊できるお宿選ぶ。
NG項目からすると、むしろ家族経営の比較的宿泊費の安い小規模なお宿が向いている。

中年女の気ままな一人旅なら、質素でいいのだ。

新幹線で2時間程度のところで、思い立った時に、少しのお小遣いで、ぶらりと行ける旅。

これが50代からの最適な旅と思っている。

長きに渡った子育てもようやく終わり、とにかく時間だけはたっぷりとある。

あれこれとこだわりのようなものを長々と書いたけれど、第二の人生は、誰にも気兼ねせず、自分のペースで、ひとりのんびり温泉三昧。

これに尽きるだろう。